一年と98~99日目
1年と98日
この一月ほど、伊勢はロスタムに電磁気学の基礎を教えながら、発電機を作っていた。レイラーもほとんど一緒に作業しているし、座学にも参加している。ベフナーム先生もしばしばやってくる。
今回は図面の書き方や、設計の仕方も、しっかりと教えている。いつもなら伊勢が日本から持ってきたPCでCADをつかってささっと設計し、図面を書いてしまうのだが、技術というものは一人だけがもっていても意味が無いのだ。親父の弟子も二名参加しているので、居間はさながら職業訓練所である。
伊勢たちが紙と模型をひっくり返して、喧々囂々のやり取りをしている奥では、アールとセシリーが静かに話し合っていた。明日、セシリーの書いた『ファリスとロクシャーナ』が開幕するのだ。
アールはスケッチブックの紙を8枚繋げて、大きな看板を書いた。あの、あまりに有名な、夜の庭とバルコニーのシーンである。正確にはアルバールver.だが。「おおファリス、あなたはどうしてファリスなの?」という具合である。
アールが伊勢に隠しているので、伊勢ははじめてアールの絵を見た。まるで写真のように写実的で、素晴らしく正確な絵であった。上手い、というのを超越しているくらい上手い。確実にモデルになっているのは、帝都のセルジュ一門の屋敷だ。ファリスとロクシャーナの顔だけが、うまくぼやかされていた。
その看板が、今日から劇場に掲げられているのだ。窃盗が懸念されたが、ポリカーボネートの板で覆われているので、その心配はないのであった。アールは存分にチートを使うつもりのようだ。
アールとセシリーは、ただ静かに燃えている。
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1年と99日目
舞台裏の役者達は、飄々とした風を装いながら、みな静かに緊張している。初公演だ、当たり前である。しかも、今までこの劇団が手掛けてこなかった演目、悲劇をやるのだ。
しっかり稽古はしてきた。自分の演技にも自信がある。でも客の反応が心配で、手に汗を握ってしまう。
「みんな集まりな!」
座長のディーナーが団員を集めた。開園の前、彼女は必ずこうしてひとこと話す事にしている。父親がやっていたから、それを踏襲しているだけだ。
「いいかいみんな。『ファリスとロクシャーナ』はいい本だ。たぶん100年は上演されるよ。あたしたちが最初だ。…悲劇だけどそんな事はいいのさ。これは客が金を払って泣いても、それでも十分満足できる話だ。存分に悲しませてやろう。泣かせてやろう。あたしたちが、この話を演じきるだけで十分それが出来るよ。いいかい。いくよ!」
「「「おう!」」」
セシリーは壁際からそんな団員を見ていた。自分もハイスクールでやっていた事だ。緊張、興奮、彼らの気持ちはよくわかる。
でも、いまセシリーが感じているのは、それよりもずっと強烈な感情だった。怖くてたまらない。あと少しで全てが決まってしまうのだから。
ミズアールは壁の小窓から客席を見ている。
「満員ですねぇ…あ、相棒だ。ああレイラーさんもロスタム君もラヤーナさんも、みんな来てますヨ」
客席が満員だって事はよくわかっている。初上演には関係者が多く来るし、美しい看板のおかげで飛び込みの客だってわんさと入っている。本当に怖い事だ。
―カランカラン
鐘がなった。時間だ。
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―花の都ファルファーザにある格式の同じ二つの名門、古くからの怨念で新たないさかいを生み出し、流された血が―
―いや、早すぎるのかもしれない。星に宿されたとんでもない出来事が、この世に振りかかるような胸騒ぎが―
―あの人は松明に輝きを教えているかのようだ―
―あの人の名前を聞いておいで。もし結婚していたら、私のお墓が新床に―
―おおファリス!あなたはどうしてファリスなの?あなたが家名をお捨てになって、それとも私を愛すると誓ってくれたなら、さすれば私もこのキャピルヤーンの名を捨てて見せますわ―
―おやすみ!おやすみ!別れがあまりに甘く切ないから、朝になるまでおやすみを言い続けて―
―美しい暴君!天使のような悪魔!鳩の羽をした烏!狼のように貪欲な子羊!―
―夜のろうそくは燃え尽き、嬉しげにはしゃぐ朝の光が―
―行って生き延びるか、留まって死ぬかー
―おおロクシャーナ、どうしてまだそんなに美しいのか―
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アールは小窓から客の様子を覗いていた。
客は劇に引き込まれているように、彼女には見えた。
ファリスが毒を煽り、ロクシャーナが短剣で胸を刺し、二人の犠牲のもとにモンダーン一門とキャピルヤーン一門は和解し、幕が落ちた。
幕が落ちても拍手は起きず、客はじっと黙っていた。しばらくして、客がこれで終わりという事を理解すると、彼らは立ち上がって一斉に文句を付け始めた。
「どうして幸せにならないんだ…」
「なんで死んだんだ!」
「幸せにしてあげてよ!」
「何でこんな終わり方なんだ?!」
「なんだよこれ!」
アールは客の反応に、脱力した。やっぱり悲劇は駄目だったのだ。これは、この国では受け入れられない…セシリーさんは…
セシリーの方を振り向くと、彼女は嬉しそうに笑っていた。
『ミズアール。テストは成功です。おんなじでした。この世界の人も同じでした!!』
『え?でもこんなにブーイングが…』
『劇の最中には引き込まれてたでしょ?!終わってから文句を言うのは、感情移入してるからです!本当に幸せになって欲しいんです!だからテストは成功でした!』
ああ、そう言う事か。
なら、受け入れられていないけど、いるんだ。
やっぱりこの世界の人も、元の世界と同じなら、もうセシリーは大丈夫だとアールは思う。
彼女の中にあるものを形にしていけばいいんだ。それで充分。
それが出来るのはセシリーしかいないのだ。
「アールさん、ありがとうござい、ました!」
「どういたしまして」
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伊勢らは余りのブーイングの多さに流石に辟易して、劇場を先に出た。
泣きながら怒っている女性もいれば、ただ悲しそうだけど満足そうな人もいたり、戸惑ってる人もいれば、感動している風の人もいた。ただ全体に言えるのは、作品に対する文句のように思えた。
伊勢は、どう二人を慰めるかを考えていたが、どうにもこうにもいい考えが浮かばず困った。
「レイラー、二人にどう言えば良いと思う?」
「わからないねぇ。そういうのは数学より難しいね。でも私はとても面白かったけどね。」
「ラヤーナちゃんは?…ああ、ごめん」
ラヤーナは、ずーんと暗く沈んだ顔をしていた。
「いえ…大丈夫です。このお話は…胸が苦しいです…後悔はしてないけど、もう観たくないかもしれないです」
ラヤーナの微妙な評論に伊勢が考え込んでいると、人ごみの後ろにアールの頭が見えた。彼女は背が高いのですぐにわかるのだ。
「おーい」
アールとセシリーは小走りで走って来た。
「相棒、どうでしたか?」
「俺は非常に良かったと思うけど…ちゃんとアルバールの演劇になってたし。でも周りの評価は正直ちょっとな。」
伊勢がそう言っても、アールとセシリーは胸を張って笑っている。
「テストは完璧に成功でした。劇団の人も分かってます。これでもう大丈夫です!」
「テストは成功、です」
「そ、そうか」
なにやらよくわからないが、アールが大丈夫というなら大丈夫なんだろう。




