一年と73日目
本日投稿三話め
1年と73日目
昨日、伊勢はアミルがようやく帝都からファハーンに帰って来たとの連絡を受けた。伊勢から2カ月以上遅れての帰郷である。向こうに小さな支店を出すらしく、その準備に取り掛かっていたらしい。しっかりと魔石バーナーを売ってもらう為に、アミルには頑張ってもらおう。
いずれにしろ、帝都その他の状況を聞きながら、石鹸その他を買い取ってもらうべく、伊勢はロスタムを連れてアミルの店に顔を出した。
「こんちはー三河屋です」
「おおイセ殿、ひさしぶりだな」
伊勢渾身のボケを軽くスル―したアミルは、以前よりも太ったようだ。これは付き合いによる宴会太りであって、怠惰なわけではない。本当に大変なのだ。
「『誉』の人気はすごいなぁイセ殿。最近は『栄』の注文も受け始めた。誉に躊躇していた客には人気のようだ。ホスローから見せてもらったポスターなるものも実に良い」
挨拶もそこそこに、さっそくビジネスの話に入るあたりが実にアミルらしい。彼のこういう所は伊勢は好きだ。あっさりしていて、自然でいいと思う。
ポスターは、アールに横に人間を立たせた『誉』のスケッチを書いてもらい、それを原画として木版画をマルヤムに作らせたものだ。キャッチコピーは『バーナーはパワー ~魔石バーナーは時代を動かす~』。自分自身でもまったく意味は分からないが、何か伝わるものがあると、伊勢は勝手に思っている。
キャッチコピーの下に鉄技ブランドが送る『誉』『栄』『護』の各仕様、として手書きで文章と数字が書かれるのだ。数量が少ないので、絵の部分以外は手書きで十分なのである。
「どうですか?帝都の様子は」
「ああ、粛清はもう終わった。北東部にはすでに帝軍が出ている。第4軍と第6軍の半分だ。東側諸侯にも派遣命令が出されている」
粛清とはいきなり物騒な話である。伊勢の知らぬところで物騒な事が沢山あったらしい。危機感もなく、シレっとしていた自分が恐ろしいと少し思う。それにしても1.5個軍団約一万名が向かったなら、一応は北東部も安定するだろう。兵力は多少少ないように感じるが、無いよりは遥かにマシだ。
「キルマウス様も一門をまとめ、兵を率いて北東部に行くだろうな。面倒なことだ…」
確かに面倒な事である。自分に関係しない事を心より伊勢は望んでいる。
「紙の方はどうですか?」
「工場を建設中だ。イセ殿の簡単な技術指導と、あの製造指示書のおかげで、職人達はもうドンドン作ってますぞ?ガラスペンもどんどん売れてる!ところで…」
と言いながらアミルは重たい袋を伊勢に渡してきた。ロスタムが目を白黒させている。
「コイツは陛下からいただいた報奨金だ。全部で100万ディルあったからキルマウス様に25万献上して、私に25万。後はイセ殿とアール殿に50万だ」
「ああ、これは…有り難く…」
ゴタゴタのせいで、まったく貰えていなかった紙の開発に関する報奨が、今もらえたという事だ。100万という数字は影響の大きさから考えると小さく思えるが、皇帝に文句を言ったところで殺されるだけである。
それにしても、公正な分け方だ。アールと伊勢で各々に25万をくれると言うのが、非常にありがたい。キルマウスへの25万は税金のようなものなので、むしろ安いと思うべきであろう。たぶん、いずれは伊勢からも、キルマウスに金を包まなければいけない時が来るはずだ。それがアルバールヤクザ帝国の仁義である。
ここでは税はなかば上納金なのだ。上部組織からにらまれたり、組織の傘から外れたら、それはもう奴隷行きルートに等しいのだ。サツバツ!
「ところでアミルさん。石鹸が出来ました」
「おお、そうか。どんなもんですか?」
もうアミルにも、伊勢の発明に対する驚きは無くなっている。いちいち驚いてもいられないのだ。
「今、最適条件で試験中です。しばらく熟成させないといけないので、あと一月くらいは待ってもらいたいんですが…まあ今までの物よりかなり良いでしょう。―ロスタム、サンプルを出してくれ」
アミルはロスタムから石鹸のサンプルを受け取ると、ちょっと失礼、と言って消えていった。そのまま数分待っているとホクホクした顔で戻ってくる。
「実に良い!滑りが今までの物とは段違いだ。すぐに金を用意します。」
「しばらくは高級品として売り出すのが良いと思いますよ。薔薇の香り付きもあります。」
たっぷりとタルクを入れているからこそのツルツル感。マルヤムとロスタムの努力の結晶なのだ。
「よろしければナツメヤシの油など、他の油での製法も研究しますが…別費用で。研究素材支給、1万五千で良いです」
「それはちょっと考えさせてくれ」
流石にアミルは即答はしなかったが、おそらく頼んでくるであろうことは、伊勢にはすでに分かっている。その方が自前で研究するよりも安いのだから。
「それと、蜂蜜のほうはどうですか?」
「まだアフシャールからの最近の報告は受けていないが…まあ冬だからな。ただ、去年の生産量はいつもより数割多い。今年はもっと行くんじゃないかな?」
「遠心分離機で巣が壊れるというのはどうなりましたか?」
「大丈夫になったらしい。卵がどうこう書いてあったが…この手紙だ」
アフシャールの手紙を読んでみると、どうやら一度は巣で幼虫を育てさせないと、硬く丈夫なものが出来ないらしい。蜜だけの巣では遠心分離機に耐えられないのだ。幼虫が自分で巣の部屋を強化するのだろう。自然の技である。よく出来ている。
「来年からはかなりの期待が出来るでしょう。残りの二万五千は来年で良いですよ。しっかりと結果が出てからで」
「わかりました。イセ殿はその辺が信用に足る人だ」
「褒めても値引きはしませんよ?」
はっはっは、とテンプレートな会話で、大人の笑いをする二人である。ロスタムは平然と飛び交う大金に、付いていけなくて目を白黒させている。
「モングの件はジャハーンギールから何か聞いていますか?」
軍が向かったと行っても、それまでの情勢が心配なのである。
「ジャハーンギールは襲撃されていないがヴィシー周辺は二度襲われている。こちら側に陣地を作ろうとしていたモングを潰して、小規模な砦を作って抑えていると聞いている。帝軍が着けば砦はすぐに大規模に強化されるだろうな。精強な4軍と6軍だからね」
今のところギリギリ、という所なんだろう。ジャハーンギールには知り合いたちが沢山居る。非常に心配だ。
たぶん、伊勢の訓練したジャハーンギールの中隊も戦闘に参加しているのだ。死んだ奴もいるだろう。伊勢はカッコイイ事を言って、去って、それっきりだ。伊勢も行かなくてはいけないのかもしれないが…
「キルマウス様のセルジュ一門兵にイセ殿も参加する可能性が高いな…私としては嫌だが」
「俺もです…でも」
だが、行くべき時に行かなければ、後でいろいろ怖いのだ。
アミルは最後に土産と新築祝いとして、ワインを一樽くれた。壺に分けて、いろんなところに配らねばなるまい。
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大金を持っているせいで、妙にビクつくロスタムをからかいながら家に帰ると、ビジャンが居間で小壺の中身をこねていた。
「お?何やってんだお前?」
「……毒…」
伊勢が考える所では、狩りの為の毒を作っている、ということらしい。
「なんでお前、人の家でやってんだ?」
「……下宿…今日から…」
伊勢が考える所では、今日から伊勢の家に下宿する、ということらしい。
「アールに許可をとったのか?」
「……とった…」
それなら問題ない。
「そうか、じゃあよろしく頼むよ」
「……こちらこそ…」
それはともかくとして、伊勢は新しい事に取り組もうと考えていた。
資金的に、かなり潤沢になったからだ。すでに伊勢とアールの資産は60万ディルを越え、毎月のライセンス料も万単位で入ってくるのである。
この国の事を考えたら、農業とか土木が一番人々の役に立つのかもしれないが、素人の伊勢には知識が無い。
医療に関しても分からない。衛生の知識や人体の仕組みに関しての、高等教育を受けた現代人の雑学があるだけである。牛痘などを考えてみたが、この世界で天然痘患者を見た事自体が無い。細菌もウイルスも、地球とは違うのかもしれない。
だから自分の自然科学の知識で、できる事をやるのだ。
「ロスタム、これを見ろ。これは磁石だ」
「これが…あの噂の…」
どの噂かは知らないが、少しだけ話した事がある。
「その磁石だ。コイツは周りに磁場というものを発生している。紙と鉄粉持ってこい。」
紙の上に親父の鍛冶屋の床から採取した鉄粉を撒き、机に置いた磁石の上にかざし、トントンと叩いた。鉄粉は磁力線に沿って並んだ。
「見たか?目には見えないが、ここに鉄粉と磁石の間に何らかの力が存在している。この力を磁力という。磁石がなぜ磁場を発生するのか、なぜ磁場が鉄などを引きつけるのか、その辺の理屈はまだお前には早い。教える機会も無いかもしれない。まあ、そういうものだと覚えておけ。」
ロスタムは、真剣に紙の上に整列した鉄粉を見ている。眼に見えない力、それが今、ロスタムの目には見えているのだ。
「さて、もう一つ、磁場を発生するものに電流がある。電流が物質の中を流れると、その周辺に磁場が発生する。逆に磁場の中を電流を流す物体、金属だな、が動くと電流を発生する。電流というのは荷電粒子、あー、前に言った電子を覚えてるか?あれが物体の内部を一方向に移動すると電流が起こると思え。つまり電子の流れである電流と磁場……」
「俺達の国では、この電気を利用して、世の中のほとんどを動かしている。明かりを作るのも、金属を作るのも、モノを動かすのも、熱するのも、冷やすのも、計算するのも、全部電気だ。その電気を、この国で作る。」
ロスタムは、一言も口を利かない。
「ロスタム、俺は電気が得意じゃ無い。大体の理屈はわかるし、おおまかに色んなものを作る事はできる。だが俺は、お前やレイラーほど頭が良くない。数学も得意じゃないからな、後はお前らがやるんだ。レイラーも手伝ってくれるだろう。…これはお前の一生の仕事になるかもしれない。頑張れ」
「師匠。凄いです」
「ああ、すごいな」
「頑張ります」
「ああ」
ロスタムの目が据わっていた。
こういう目をする時、コイツはやる。モングを追っていた時の目と似ている。
たぶん、コイツはなんかやる。そういう奴だ。
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