一年と50日目
1年と50日目
セシリーの脚本が書けた。
アールが翻訳もした。
現状の問題は、劇団や芸術関係者への伝手が無いことである。なにしろ、アールたちの友人と言えば、学者や戦闘士や鍛冶屋などばっかりなのだ。一応アールは皆に聞いてみたが、芳しい返事は得られなかった。
キルマウスやアミルが戻ってきていたなら、それなりの紹介も得られただろうが、現状ではそれも無理。さて…
と、悩んだ末に、アールはふと思いついた。
ラヤーナから紹介された服屋のシャーリである。彼女ならもしかして…
「セシリーさん、買い物に行きましょう!」
「え、あ、はい」
そう言う事になった。
「っっっ!!アール様!!ずっとお待ちしていましたわ!」
商業区の端にある、15坪ほどの店に入ると絶叫が飛んできた。絶叫に数瞬遅れて、30歳位のぽっちゃり女性が、なかば浮遊しながらドリフトでアールの胸に抱きついてきた。
そのままぽっちゃり女性はその体型に似合わぬ素早い動きで、扉のかけ札を『準備中』に変えると、改めてアールの元に駆けこんで肩に体を預けた。どうも前よりひどくなっている気がするが、こんなものだったかもしれない。アールにはよくわからない。
「アール様…寂しかったです…」
「そうですか、それは残念です」
本当に残念である。
「今日はシャーリさんに相談があってきました。まずはセシリーさんの服を何点か欲しいんです」
「アール様から相談なんて…ご命令を…シャーリは使っていただいて嬉しいです。牛馬のごとくお使いください…」
もう目が蕩けている。やはりしばらく会わない間に確実に悪化している。ナチュラルに放置プレイになってしまったようだ。双方にとって不幸な事と言わざるをえまい。
「あの、セシリーさんの服を…いや、ボクの採寸はいらないです…え?あの…え??」
「採寸…させて下さい」
この女はもう駄目だ。終わっている。
セシリーと一緒になぜかアールまで採寸する事になり、それも一通り終わって、落ち着いたシャーリに話をする事になった。改めて自己紹介からである。実に面倒くさい。
「シャーリさん。こちらがセシリーさん。彼女はボクと同じ国の出身で、この国の言葉が話せません。セシリーさん、こちらは腕の良い服屋のシャーリさん。しーいずていらー。」
「はじめまして、服屋のシャーリです。セシリーさん綺麗な髪色…黄色い髪なんて本当に珍しいわ!」
「はじめ、まして。セシリーです。ありがとうござい、ます」
セシリーには早口のシャーリの言葉は殆どわからないが、雰囲気でなんとなく髪の毛を褒めてくれた事はわかった。
「シャーリさん。セシリーさんは劇作家なんです。彼女は今、新作を書いていて、それをファハーンで上演したいと思っています。でも、劇団に伝手が無いんです。シャーリさん、劇団の人に友達はいませんか?」
アールは真正面から聞いてみた。真っ正面以外から聞いた事なんて今まで一度も無いけれど。
「たくさんいますわ。衣装の相談を受けますから。ご紹介しますわ」
「えっ?!」
拍子抜けである。案ずるより産むがやすし、思いのほか簡単に行ってしまった。
紹介する相手を考えるから、どういう話か見せて欲しいと言われたので、アールはあらすじを見せる事にした。あらすじを見たシャーリは少し頭をひねった。
「シャーリさん。何か話に問題がありますか?」
「この話は悲劇ですわね?そこが問題ですわ。悲劇というものは庶民にはあまり好まれませんわ」
「…どうしてですか?」
アールはここに来る前に、セシリーと共に何軒かの芝居小屋を見に行ったが、確かに行われているのは喜劇だったり、ダンスだったり、歌だったり、ちょっとした史劇だった。言われてみれば悲劇を見た事が無かったのである。
「お金を払ってまで悲しい思いはしたくはありませんわ。中央劇場で観劇するような上流階級の方は別でしょうけど」
確かにそうかもしれないけど…それなら悲しい物語なんて世の中に生まれないはずだと、アールは思う。悲しい物語は、悲しいだけじゃないんだと思う。
「シャーリさん、逆に言えば中央劇場でやれば受け入れられるって事ですか?」
「そんな気がしますわ。だけど中央劇場でやるのは決まりきった古代の劇と決まってますわ。たまに話題の一般劇もやりますが」
アールはわかった気がした。日本で言うと、武士階級の観る能と、庶民の歌舞伎、みたいなものだと思う。中央劇場でやる演目は、定型化されたものがほとんどなのだ。しかし、例外もあると言う事は、話題にさえなればいいのである。話題になるためには、庶民に受け入れられる必要があって、そうすると悲劇は…もうっ!
『セシリーさん、この国では悲劇は受け入れられにくいそうです。お金を払ってまで悲しい思いはしたくないと。』
『…ミズアール、それを…試すんです』
確かにその通りだ。アールは確かにそう言った。考えた末に、アールは正面から行く事にした。つまり、いつもの彼女のやり方である。
「シャーリさん。悲劇でも良い作品なら受け入れられると思います。劇団を紹介してください」
「わかりましたわ。友人の座長を紹介いたしますわ」
シャーリは重力を無視した軽やかなステップを踏みながら、お出かけの準備を始めた。早速行くつもりなのである。店はすでに準備中にしてあるのだ。後顧の憂いはないのだ。
「さ、行きますわよアール様。ルンルンルン♪」
彼女は満面の笑顔で、実に楽しそうだ。アールとセシリーはなにも言えずついていくしかないのであった。
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シャーリが二人を連れてきたのは、常設の劇場だった。彼女はためらいもせず、裏手の通用口からどんどん中に入っていった。すれ違う劇場関係者に軽く挨拶をして進んでいく。ここでは顔が効くらしい。ここでは大体数組の劇団が持ち回りで劇をやっていて、彼女が紹介する座長も、今日ここで公演をしていた。
―コンコン、「あいよ」
「ディーナー、久しぶりだわ。元気?」
「やあシャーリ。あんた太った?」
シャーリはぷりぷり怒りながらディーナーと呼ばれた女性の肩を殴った。意外と本気で痛そうなパンチだ。女性に体重の事を言ってはいけない。
ディーナー座長は30代の女性で、はっきりした顔立ちの人だ。凄く美人ではないけれど、目鼻立ちがくっきりしているから、舞台には映えそうな顔立ちだとアールは思った。
「今日は紹介したい人を連れてきたのよ。こちらは私の…で、アール様。で、そちらの黄色い髪の女性がセシリーさん。外国の方だから言葉が不自由だけど、劇作家よ。」
紹介の際に、小声でご主人様とか聞こえた気がしたが、何の事かわからなかったのでアールは気にしなかった。でも、ほんの少しだけ、この人がわかって来たような気がした。
「ふう、そちらのアールさんは、是非とも舞台に上げたくなるくらい綺麗だねぇ。それに劇作家の人とは。」
ディーナーはアールとセシリーを観察するような目で見ている。興味深く思っているのは間違いないだろう。アールはいつも通り、正面から尋ねる事にした。
「ディーナーさん、はじめまして。ボクはアールです。…ディーナーさんは新しい劇の演目はいりませんか?」
アールの正面からの問いかけに、彼女は深く頷いた。すぐに真剣な顔になる。
「欲しいに決まっています。良い本はいつだって欲しい。」
「ではセシリーはそれを提供する事が出来ます。彼女は素晴らしい話を書きます。彼女が本を書き、ボクが訳し、あなたが上演する。どうですか?」
ディーナー座長はすぐに答えず、3人分の水を持ってきた。眼を伏せているセシリーの事を、値踏みするように見ている。
「セシリーさん、あたしにはあんたがどういう本を書いてきたのか分からない。すこし見せてもらえないか?」
アールがセシリーに通訳すると、彼女はカバンから紙の束を出して、丸ごと座長に手渡した。あらすじでは無く、原稿全部だ。
ディーナーは面食らった。紙の束でまず驚き、脚本を全部見せると言う行為に驚いた。普通はあらすじやセリフを小出しにして反応を探るものだ。この女達は駆け引きというものをまるで知らない。
「ディーナーさん、読んでみてください」
「あ、ああ。いいと言うなら遠慮なく」
ディーナーは読んだ。
『ファリスとロクシャーナ』という題名だった。対立する部族、モンダーン一門とキャピルヤーン一門。モンダーン家に生まれたファリスは、キャピルヤーン家のロクシャーナに恋をし、一目で二人は惹かれあい、すれ違い、そして死ぬことで一つになる。そんな話だ。
じっくりと読んで、目が潤んだ。初めて読む話。いい話だった。
「どうですか、ディーナーさん。悲劇だけどいい話でしょう?」
「確かにいい話だ。言葉の使い方も…凄い。是非ともやらせてもらいたい。悲劇でなければね」
やはりネックはそこなのだ。悲劇はどうしても避けられる。
『セシリーさん。結末を修正すると言うのは…』
『絶対にダメです!!そんなのはダメ!』
ダメだ。セシリーにはそんな事はできない。この作品は、もうこれで完成しているのだから、壊してはいけないのだ。それは芸術に対する冒涜だ。それに、これはこの世界のテストなんだ。妥協する事は出来ない。
アールには彼女の言いたい事が分かったので、黙ってうなづいておいた。
「ディーナーさん、結末は修正しません。このまま上演するか、それとも無かった事にするか、どちらかです」
アールの言葉に、ディーナー座長は腕を組んで黙って考えた。
彼女にしてみれば劇団を経営しているのであり、劇団員の生活に責任を持つ立場である。安易に冒険は出来ないのだ。この劇をやれば、観客は怒るだろう。だれも金を払ってまで悲しい思いなどしたくはない。悲しさなんて世の中に満ち溢れているんだから。
とはいえ、自分の役者としての思いは、是非この本をやってみたいと思っている。これで客が怒っても、それはそれで良いじゃないか、という思いもある。
この本は、筋もさることながら、言葉の使い方が面白いと思う。心のひだを抉ってくる言葉だ。韻に問題がある所が多いから手直しは必要だが、こういう言葉遣いには会った事が無い。
やりたくないが、やりたい。相反する願望だ。
「明日、返事をさせて欲しい。すぐには決められない。団員と相談したい。」
結局、ディーナーはそう答えた。
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「ファグス、これに目を通してくれるか?」
ディーナーはファグスに『ファリスとロクシャーナ』を手渡した。
「おお?!紙?なんだこりゃ?」
「ある筋から預かった。中身を見てくれ。やるべきかどうか意見をくれ」
ファグスはもう50近い。先代の父の時代からこの劇団にいる、ディーナーにとって相談役ともいえる男だ。本来なら彼がこの劇団の座長であっても良い男だとディーナーは思う。先代に義理だてしてくれているのを知っているので、すまないともう反面、非常にありがたくもある。
ファグスはたっぷりと時間をかけて本を読んだ。声を出し、セリフを音にしている。韻を確認する必要があるから当然のことだ。
「どうだ?」
「いい本だ。韻が踏めてないところが多いから、直さないといけない。だがこれを書いた奴は、大した奴だと思う。とても面白い。話の筋もすばらしく良いと思う。だれだ?」
「外国から来た二十歳ほどの女達だ。たぶん本当に彼女らが書いている。」
―ヒュウ― ファグスの口笛だ。ディーナーは眉をひそめた。彼のこの口笛だけは嫌いだ。
「やるべきだと思うか?」
ファグスはちょっと考えて、言葉を置くように話した。
「悲劇だからな。やるべきじゃない。でも、やりたいとは思う。団員のほとんどがそう思うだろう」
「わかった。やろう」
ファグスはディーナーの言葉を意外に思った。このお嬢は冒険する女じゃないのだ。
「意外か?あたしもやりたいんだよ」
―役者だからね。
ディーナーはそういってにやりと笑った。




