一年と10日目 幕間
1年と10日目
セシリーは悩んでいた。
一からストーリーを作るのが、こんなに難しいとは思わなかったのだ。今まで既成の本を元に、それをアレンジして演劇を組み立ててきた彼女にとって、『創る』というのはとても難しいものだった。
既存の作品をつかいたくは無かった。それでは騙りになってしまう。誰かの作品を、自分の名前で発表するなどというのは、セシリーの良心に反する。そんな失礼なことは彼女には出来ないのだ。だから、オリジナルを創ろうとしていた。
そもそもわからない事が多過ぎる。この国の人たちが何が好きで、何が嫌いで、何を信じているのか全く分からない。ミズアールやミスターイセに聞けば答えてくれるけれど、彼らの答えは彼らというフィルターを通してしまっているものでしかないからか、セシリーには何か違和感があるのだ。
とはいえ、自分で他の人に聞いて回れるほどの語学力があるはずも無く、本を読む事が出来る筈もない。彼女は誰にも言わずに悩んでいた。正確に言うと、無意識で悩むふりをしていた。
「セシリー君、少しは話が出来たかね」
モラディヤーン家の寂しい庭を見ながらぼんやりとしていたセシリーに、ミズレイラーが珍しく話しかけてきた。彼女はとてもハキハキした快活な人なので、セシリーはいつも少し、尻込みしてしまう。緊張するのだ。
「いいえ。まだ、ちょっと。」
「ふむ。話を作ると言うのはとても難しいものだからね。少なくとも私には無理だね。そういう才能はないのだよ!」
ミズレイラーは、ははは、と笑いながら歩き去っていったが、セシリーには彼女が何を言っていたのか半分もわからなかった。いつもそうだ。本当に、悔しい。英語の通じない世界があるなんて…
こんな風に何もしないまま過ごしていていいわけがない。私も働いてお金を稼がなくちゃいけない。セシリーはそう思うものの、お金を稼ぐ手段で思いつくのは体を売る事だけなのである。それはさせないとセシリーの持ち主であるミスターイセが言っているので、それ以外の方法となると、やはり劇を…しかし劇はうまく書けない。まったく切り口もつかめない。だとするとやっぱり体を…でも…
「セシリー君、まあ飲みたまえよ」
堂々巡りに悩む彼女に、ミズレイラーがお茶を持ってきてくれた。蜂蜜とレモンの入った、甘酸っぱいお茶だった。ちょっと懐かしい感じの味だった。
「このレモンはそこの木からとれたものだよ。なかなか美味しいね。…悩んでいるなら少し外を散歩して、気分転換でもしてきたらどうかね?外に出てみればイセ君のような面白い話にぶつかるかもしれないよ?私のようにね!」
また半分以上は聞き取れなかったが、散歩を勧めている事はわかったので、行ってみる事にした。
「おいしい。ありがとう、ございます。散歩、いってきます?」
「ああ行っておいで。キルス!」
「はい、お嬢様。セシリーさんにご一緒します」
執事のミスターキルスが同行してくれるらしい。セシリーが一人で歩いているとまた攫われるかもしれないから、本当にありがたい。
「おねがい、します」
「はい、行きましょう」
「さて、どこに行きたいですか」
「人、たくさん、ところ」
人が見たかった。
セシリーはこの世界に来てすぐに攫われて、それからはずっと奴隷の娼館暮らしだ。この国の人の生活も、文化も、歴史も殆ど何も知らなかった。
だからこの国の人間がどういう連中なのか、一度何も考えずに見てみたかった。
セシリーを奴隷にした人攫いでもない、娼館の客でもない、普通の人が見たかった。
「わかりました。じゃあ商業区と広場のバザールでも」
「はい」
商業区には、何を目的としているか分からない人が、たくさん歩いていた。何かの店に入って、出てくるときには荷物を持っていたり、なにも持っていなかったり。よくわからない。
見ていてもあまり面白くはなかった。ディスプレイなんて無いから、ウインドーショッピングができるわけでもない。目的の店に入って、商品を見せてもらう、そういう買い方しかできないらしい。
「ではバザールに行きましょう」
「はい」
街の食糧市場であるバザールは、混沌としていた。
沢山の人が行きかって、山のように商品を盛り上げた店店が並び、時に客と店主が口論のような激しい交渉をしている。
小さな子どもたちが走り回った遊び、積まれた商品を崩して怒られて泣いたりしている。
貧乏そうな服を着た人も、鮮やかな服を着た人も、色んな人が洗濯機中の服のようにゴチャゴチャと蠢きながら動いていた。
セシリーはキルスと一緒にバザールの片隅に立って、いきかう人々をぼんやりと見ていた。もちろん故郷のモンタナとは似ても似つかないけれど、みんな、一生懸命生きている感じがした。店主も客も顔が真剣だし、真剣に交渉しながらもなんか余裕があって、うらやましく思える。
不抜けて、だらしのないセシリーみたいな人は、ここには誰もいないように思えた。みんな自由だから、こんなに生き生きしてるんだ、と思った。
「みんな、自由?」
「ん?自由民は大体この中の6割か7割くらいじゃないかな?後は奴隷ですよ。私も奴隷です」
「What?!」
セシリーはキルスの言った事がよく聞き取れなかった。みんな奴隷?ミスターキルスも?
「奴隷が半分くらい。私も奴隷」
簡単に言ってくれたから聞き取れた。聞き間違えじゃ無かった。奴隷が半分…奴隷ばっかりだ。キルスさんも奴隷だ。…でもみんな、生き生きしてる。なんと言うか、普通だし、自然だ。しごくこの世界のスタンダードだ。
こんなのはおかしい。奴隷ばっかりなら、こんなにみんな真剣じゃ無い。もっと…ダメじゃなきゃおかしい。
「奴隷、逃げない?」
「いろいろです。逃げる奴隷もいるし、逃げない奴隷もいます。殆どは逃げません」
なんで?奴隷であっても逃げない?半分が奴隷。奴隷が当たり前?じゃあ私も?
この世の中の半分が奴隷なら、セシリーは普通の人だ。モンタナから来たと言うだけの話で…でもそんな風に、どこかから攫われて奴隷になる人も多いだろう。それなら言葉も通じないし、環境の違う所に放り込まれると言う条件はセシリーと同じ。
『私は特別じゃ無い?』
特別に不幸でないとすると、理由が無くなってしまう。自分が果てしなく駄目なこと以外は、何もできない理由が無くなってしまう。私は…
「かえる、したい、です」
「わかりました。…大丈夫ですか?」
セシリーにも自分の顔が真っ青であろうことは、なんとなくわかる。でも、答えようがないので頷いておいた。
全身の力が抜けたようで、どうにも速く歩く事が出来ず、のろのろと歩いてモラディヤーン家に帰った。ベッドに入って眠りたかったが、その前に確認をしておかないといけないと思った。意志を動員して彼女を探した。
アールは書庫で本を読んでいた。小さく小首をかしげながら本を眺める彼女は、幻想的なまでに美しい。セシリーはいつも彼女を見るたびに、心が震える。
『ミズアール、教えて欲しい事があります』
『セシリーさん、もちろんですヨ?』
彼女は何でいつもこんなに冷静なんだろう。何でこんなに綺麗なんだろう。何で私はこんななのだろう。セシリーの脳裏には、そんな事がよぎる。
『この国の人たちは半分も奴隷なんですか?奴隷が普通なんですか?』
『ボクは相棒から奴隷は4割程度と聞きましたヨ。自由民が5割、後の1割が参政権を持つ市民だそうです。』
『そんな…ひどい…』
『えっ?!ひどく見えましたか?』
彼女は目を開いて驚いた顔をした。セシリーはそれに驚いた。奴隷が半分でも、この人にとってはそれも当たり前のことなんだ…日本から来た人のはずなのに…人は自由じゃ無きゃダメなんじゃ…
バザールの光景を思い出した。ひどくは、見えなかった。この国の人たちは、どうして奴隷でも、あんなに当たり前のように生き生きと出来るのだろう。奴隷というのは、私みたいなはずなのに。
『セシリーさん、それがこの世界なんですヨ。アメリカでも日本でもないんです。奴隷が半分、この国はそれで安定してるんですヨ。当たり前なんです』
『…この国の人たちは、変です』
セシリーにはこの国の人だけじゃ無く、ミズアールやミスターイセまでもが変に見えてきた。奴隷だらけなのを納得して、当たり前だなんて…おかしい。人は自由じゃ無きゃいけない。
『この国の人たちは、おかしいです。…この国は変です!みんなサイコです!…あなたは…変です!』
セシリーが叫ぶように言うと、アールはビクっと体を震わせて、眉を寄せて下を向いて考え込んでしまった。自分の言葉が思いのほか深く、彼女を傷つけてしまったようで、セシリーはその姿に胸が痛んだ。私はミズアールに…何を言っているんだ…
二人とも、何も言えなくなった。
しばらくして、アールはいつも通りののんびりした口調を作って話し出した。
『セシリーさん、この前、相棒が皇帝陛下にこう言ってました。「日本人もアルバール人も、己を律する限りは、人は人」って。ボクもそう思います。友達もたくさん出来ました。ボクの誕生日会だって開いてくれた。ボクは、彼らが好きです。大切な友人です。
セシリーさんは試してみたら良いんです。この国の人が、自分と同じ人かどうか。あなたが書いた演劇で、地球人と同じように感動してくれるなら、同じ人です。
ボクは…ボクだけは確かに変かもしれないけど…テストしてみてください。きっと同じはずです。お願いします。』
プリーズ、と最後に彼女は、セシリーに向けて頭を下げた。
セシリーは彼女の姿に胸が痛くなった。
だから『YES』とだけいって、走ってその場から逃げた。
自分の客間に帰って、セシリーは机に座った。
本当はベッドに入って、布団をかぶってしまいたい。だけど、それではあまりにミスアールに申し訳ないと思ったから、頑張ってデスクについた。
机には紙と綺麗なガラスのペンがある。これもミスターイセとミズアールが作ったものだ。彼らはやっぱり凄いとセシリーは思う。
どうしよう。
もう、やらなければいけない。彼女にあんな顔をさせてしまったのだ。しかも頭を下げさせて…
やらなければいけない。
やらなければ。
セシリーは諦めた。
もう、新しい物語でなくても良い。恥と罪悪感は胸にしまう事にする。私には新しい物語を紡ぐ才能など無いのかもしれない。だから、今までアメリカで、全世界で長い間、受け入れられてきた物語で良い。模倣で良い。それならば…私の頭には沢山の話が入っている。
セシリーはペンをとり、インクを吸わせて、紙にいくつかのタイトルをメモし始めた。
彼女の顔は、とても真剣だった。




