360日目
360日
「あー、ついた」
帝都からの帰途で自操車の車輪が壊れたので、一行がファハーンへ到着したのは一日遅れだった。
やはりよく知った街は安心感が違う。実に良い。我が家に向かう道もまた懐かしい。
「セシリーには初めてだな。もうすぐ家に着くよ」
「はい」
このくらいの会話なら、セシリーにもなんとなくわかるようになっている。
さて、あの角を曲がれば…あれ?
「アール?なんかおかしくない?」
「相棒、家が無いですね」
「師匠、…ないです」
「イセ君、無いね」
「ミスターイセ?」
伊勢たちの家は無くなっていた。敷地だけが、ぽっかりとそこに開いていたのだ。実に不思議だ。おかしなことである。
床下に仕込んでいた『大切なものボックス』も破壊されてなくなっていた。泥棒に入られた時よりひどい。
「ふむ、何か大変な事が起きたようだ。アミルさんの店に行って訊いてみようか」
驚きが過ぎると冷静になるものである。単に麻痺しているともいう。
一行はそのまま自操車でアミルの店に向かった。
「こんにちは。久しぶりホスローさん。家が無いんだけど…」
「はい。急遽引越す事になりまして。聞いておられないと言う事は、連絡が入れ違いになりましたか…」
アミル番頭のホスローの言葉で、全員がすっと胸をなでおろした。何か物騒な事に巻き込まれたのではないかと、危惧していたのだ。
「でも何でまた?」
「あそこ、悪くない住宅地なもので…色々実験とかしてたので、音とか臭いとか煙が…追い出されました。地主が新しく家を建てるらしく、石材は下取りに出されました。荷物は当店にて保管しています。『大切なものボックス』の中身もございます」
うむ。確かにこちらが悪い。
狭い庭で無理は承知だったのだが、やはり無理であった。
周りの家には迷惑をかけていたので、一応使える失敗作の石鹸とか、菓子折りを持って謝りに行っていたのだが無理だったようである。悪いのは全面的にこちらなので何も言えないのであった。
「状況はわかった。荷物はありがとうございます。で…新しい家は?後、留守居のマルヤムとビジャンは?」
「ご案内します」
ホスローは徒歩で先に立って案内してくれた。
「ここです」
「え?」
「相棒、なにも無いですね…」
「はい、土地は貸すので、好きに使ってくれとセルジャーン家が…」
工房の多い職人街の外れの土地である。親父の鍛冶屋もそれなりに近い。
伊勢の見た目では、土地は100坪くらいありそうだ。前に比べたら少なくとも倍以上に見える。外壁の中である事を考えれば、十分な広さだと満足すべきだろう。
「状況はわかった。マルヤムは?」
「ご案内します」
ホスローは徒歩で先に立って案内してくれた。
「ここです」
「え?」
「相棒、親父さんの店ですね」
「はい、下働きのババア(自称)として住み込みで働いています。ビジャンさんは元の下宿です」
確かにマルヤムは器用で要領が良い。鍛冶屋の妻を30年もやっていたから経験もあるのだろう。
「状況はわかった。案内ありがとう」
「私も鍛冶屋さんに用事があるのです。バーナーの事で。素晴らしいです、あれは」
ホスローにもようやく魔石バーナーのパワーがわかったようだ。見る人が見ればわかるのである。良く売れているようで実にすばらしい。いや、売れて当然か。
「こんちわー、ああラヤーナちゃん」
伊勢が店に入っていくと、ラヤーナが店番をしていた。見慣れた風景であるが、なんか疲れた顔をしている。
「ああ、アールさん!お久しぶりです!イセさんも…なんか大人数ですね?」
確かに大人数だ。伊勢・アール・レイラー・ロスタム・セシリー・ホスロー、計6人も連れて歩いているのである。レイラーなどは家に帰らなくてよいのであろうか。
「親父いる?それとウチのマルヤムが世話になってるって?」
「はい。呼んできます。…お父さんは『誉』の注文がすごくって気が立ってます。『護』に手がつけられていないので…」
ラヤーナは軽やかに店の奥の工房に消えていった。ロスタムが顔を染めて小さなため息をつくが、もう彼女は他の男と婚約済みである。不憫とはこの事である。
「おう。久しぶりだな。『誉』の注文がファハーンとへラーン、一部は帝都からも合わせて60台を超えていてな。『護』は全然触れねぇ!クソ!『栄』は一応でっち上げたがほったらかしだ。」
「素晴らしい売れ行きだな親父。生産は大丈夫なのか?」
「全力だ。休みはねぇ」
なんというブラック企業であることか。休みなしで肉体労働など危険過ぎる。伊勢は慄然とした。
「鍛冶屋さん。その『誉』なのですが…帝都グダードから追加で25台の注文がきまして」
「わかった」
親父はなにも言わずに受けた。なんという男である事か。休みなしで働いて一言の愚痴も言わないとは、まさに鋼のような男である。まあそれだけの金が動いている、というのもある。
「ところでイセ、お前の所のババアは使えるな。娘とガラスペンを作らせてる。他の弟子二人と『誉』二台でフル生産だ。」
だからラヤーナが疲れた顔をしてるのか。
そんな話をしていると、腰を叩きながらマルヤムがやって来た。
「旦那、遅かったじゃないか。あたしゃここの親父さんに寝取られそうだよキシシシ」
「そいつは困った…。ご苦労だったなマルヤム。面倒をかけてしまった。…ただ家が無いからしばらく親父のところに置いてもらえないか??」
マルヤムの下らない冗談を軽くながしつつ親父に提案すれば、すぐさまOKしてくれた。なにかと重宝なババアだから当然かもしれぬ。
いずれにせよガラスペンを作ってくれれば、一本ごとに5%のロイヤリティが伊勢に入るので、互いに嬉しい事なのだ。
「よし…じゃあレイラー、工場見学をさせてもらおう。親父、良いよな?」
「ああ」
その後、レイラーの「おおお!」「すごい!」などが工場内を飛び交ったのであった。
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さて、それはともかく家が無い。どうしたものだろうか。武術大会の賞金二万ディルもあるし、しばらくは宿に泊って…
「じゃあ、目途がつくまで私の家で暮らせばいいじゃないかね?お父様も喜ぶ。」
「相棒、いい考えです」
そういう事になった。
「おおレイラーお帰り!何か新しい発見はあったかね?!おおイセ君!どうだったね帝都は?!」
レイラーの父、ベフナーム・モラディヤーン先生はいつも通りハイテンションで、いつも通りに優しい。
喜んで伊勢一家の居候を承諾してくれた。
風呂に入った後、ベフナーム先生は帰郷祝いの宴を開いてくれた。
いつもより少しだけ豪華な料理と、酒と果物があるだけの簡素な宴である。特別な出席者も特にいない。でも、それが良いのだ。
「それでイセ君とアール君は陛下に向けてそんな事を言ったのかね!!」
「そうなのだよお父様!二人ともかっこ良かったよ!「名誉あるものは~」なんてね!アバールの奴なんて怒りで顔を真っ赤にさせててね!」
その辺の事を突っ込まれると、黒歴史的な恥ずかしさがある伊勢は、「ちょっとタバコを…」と言いながら庭に出た。
モラディヤーン家の庭は大したものでもなく、レモンの木が申し訳なさそうに植わっている程度のものだ。金では無くて、庭を良くする気が無いのだ。
伊勢はタバコをくわえて空を見ながら、久しぶりに夜のファハーンの冷たい空気を味わった。
グダードの空気とはまた違う味がする気がした。




