342~346日目
342日目
伊勢は紙工場について、ダーラーという担当者の役人と打ち合わせを行った。ダーラーはでっぷりとした中年の文官で、見た目は悪いが実務能力とコネは極めて優秀、というのがキルマウスの評価である。
結局はこのグダードに工場を設立することになった。グダードはユフリス川の河岸なので、伏流水を使えば綺麗な水が自由に使える。ただし、比較的に魔境が遠いから立地的には微妙かもしれない。とりあへずは、アラビア半島中央部にある大規模魔境から原料を持ってくるという考えらしい。
ちなみに販売に関しては国家の専売にする事となった。国に無断で他人に売った場合は死刑。製法をオープンにしない限り作れるはずはないのだが、実に厳しい刑罰である。
工場の必要設備や考えていたレイアウトなども、ざっくりした絵にしてまとめて説明しておく。ダーラーも伊勢の書いた製法指示書を読んでいるから、伊勢の意図は、ほぼ理解できる。彼はこの一カ月で指示書を見て、紙作りをトライしてみた事もあるらしい。あまり上手くは出来なかったようだが、基本原理は間違っていない以上、後は腕とノウハウの蓄積だけの問題である。
ダーラー曰く、道具は製法指示書に書いてあるものを作成してあるので、数日中に職人を集めるから技術指導をお願いしたいとの事。もちろん伊勢に嫌は無い。
ダーラーのように、こういうフットワークの軽い男がいると話が進みやすい、と伊勢は思う。この世界の人は、とかく新しいものに着手する事を先延ばしにする傾向があるからだ。
生産量が低いために余力が無く、新しい事をやって失敗すれば致命的なので、自ずと自己防衛のために保守的になるのである。
保守的な事自体は正しいと伊勢は思うが、工業や学術分野でそれが行き過ぎると、停滞を招くのも、また事実である。
「ところでダーラーさん、知っていれば教えて欲しいんですが、武術大会の決勝での審判を務めた人をご存じですか?」
「ええ、知っていますよ。なぜか出奔してしまったようですが…その他にも何故か何人も…」
伊勢は笑った。
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343日目
「帝軍のフシャング将軍が、部隊の訓練を頼んできた。行って来い。えらい人だから粗相するなよ。…ふむ、この汁は美味いな。では頼む。俺は出掛ける」
キルマウスが朝飯を食っている伊勢たち一同の所にやってきて、勝手な事を言い、勝手に味噌汁を飲んで、出て言った。ある意味いつもの事である。
飯を食っていたカスラーは急いで口に詰め込んで、キルマウスを追っていった。ご苦労な事だ。
伊勢はきっちりと飯を食った後、執事のイラジさんに詳細を聞いた。
「三日間だそうでございます。今日の午後からの予定だそうで。イセ様には突然のお願いとなってしまいまして誠に申し訳ありません。」
「ああ、まあいいですよ…すまんがアール一緒に来てくれないか?ロスタムもだ。」
「はい相棒」
「はい師匠」
悪いのはキルマウスであって、使用人のイラジではないので、責めるわけにはいかない。組長には逆らえないのだ。
だが、紙の目途だけ付けて帰ろうと思っていただけに、面倒なのも確かだ。
「では私はホラディー師の所に行ってくるね。そのうちイセ君にも紹介するよ」
レイラーが数年前に学んだ先生だそうである。
医術と数学の大家で変わり者、というのが世の中の評価だ。変わり者でない学者がこの世界にいるのか、伊勢には極めて疑問である。「セシリーは悪いが留守番だ。すまんな」
「わかりました。ミスターイセ。」
セシリーを一人で外に出すのは危険すぎる。言葉も不自由な、金髪の目立つ女など、攫ってくれと言っているようなものである。この街はナチュラルに物騒なのだ。
さて、フシャング将軍とは、さっそく彼の自宅で面会する事となった。セルジュ一門の屋敷から10分ほどなのである。
上流階級にしては比較的質素な門がまえの家であった。質実剛健、合理的、という感じがする。
飾り気のない、実用的な部屋に通されて待っていると、すぐに一人の男が出てきた。
「お初にお目にかかる。帝軍第4軍を任されているフシャング・ゴルヤーンと申す。本日より我が旗下の一部、200名の指導を願いたい」
「初めまして、伊勢修一郎です。こちらは相棒のアール二級戦闘士にして大魔法師です。こいつは弟子風味のロスタム」
「こんにちは、アールです」
フシャング将軍はどこからどう見ても、徹底的に武人である。
針金のようなグレーのごま塩頭をした、ぶ厚い身体の50がらみの男である。声は枯れ切っており、なめし革のような皮膚は限界まで日に焼けており、馬の乗り過ぎでガニ股である。ファジャングの、余りの武人っぷりに伊勢は気圧されつつも感動した。この男はザ・武人、プロ武人であるのだ。
「イセ殿とアール殿が北東でモングと戦った事は聞いた。伝え聞くに、小規模な戦闘ながら圧勝だったそうですな。部隊を訓練し、率いたのはイセ殿と。
よろしければ同じ訓練を、我が隊の精鋭200にも施してもらいたい。」
将軍は伊勢がコロシアムで皇帝に吐いた言葉を知っているはずだが、おくびにも出さぬ。
「ジャハーンギールで私が訓練したのは新兵と落ちこぼれの兵100名を6週間でしたので…閣下の精鋭と比べる訳にはいきませんが…できるだけの事をお伝えしましょう」
「よし、では行こう!」
フットワークの軽い事である。さすが武人、即断即決即行動、と言ったところであろう。兵は拙速を尊ぶのである。
帝都郊外の乾いた草原に部隊は集合していた。馬はいない。
「せいれーつ!!10列横隊組め!」
将軍の副官が号令をかけると、一斉に動きだして横隊が組まれた。素早い動きだ。
兵士たちの顔を見ると、どれもこれもが自信と誇りを持った戦士の顔である。ジャハーンギールの新兵のような、たるんだ奴は一人もいなかった。
「本日より三日間、我が隊を訓練してくださるイセ・セルジュ・シューイチロー殿とアール殿だ!指示に従い、良く学べ!」
「「「応!」」」
素晴らしい返事である。
なんてこった…教える事などなにも無い。すでにこの兵士たちは一つの完成形である。期間も短い。前のような『軍曹』をやったら間違いなく失敗する。伊勢はどうすべきか迷った。
「ではイセ殿、宜しく頼む」
将軍は伊勢にぶん投げてしまった。困った時はまず笑顔!伊勢は日本人スキルを動員して微笑む表情を作りつつ、内心であたふたした。
「相棒…もう、普通で良いと思います」
アールが小声でささやいた。ふと見ると小さく親指を立てている。伊勢は、つい苦笑してしまった。
「兵士諸君、私は伊勢修一郎、彼女は二級戦闘士で異国の魔法師のアールだ。
諸君はすでに一流の戦士であると見てとれる。おそらく私が教えられることは、そう沢山はないだろう。期間も短いからね。
私が諸君に教えるものは、モングの事だ。槍でも弓でも馬でもない。そんなのは自分で学べばいいし、諸君らがもう上手いのはわかっている。
さて、ここにいるのは西の軍だ。諸君らの中で、モングと戦った事がある人間はいないだろう。私もモングとたたかったのは一度だけだ。
私はその戦いを話して、そして実演する。さらに私が大事に思っている事を話す。あとは、諸君らが自分から学ぶんだ。
さあ、前に出て来てくれ。そこじゃ遠過ぎて疲れる!」
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345日目
「イセ殿、とても興味深いモノを授けてもらった。部隊の指揮官には特に感じ入るものが多かったと思う。本当に感謝する」
「いえ、お役にたてて幸いです。そのうちに是非また会いましょう」
「ああ!」
3日間の訓練の後、フシャング将軍とは簡単な挨拶をして、彼の邸宅で別れただけだ。実に簡素で良い。
将軍は至極まっすぐな武人だと伊勢は思っている。気持ちのいい人だ。高級将官では政治的な生臭さから離れられないと思うが、彼からは殆どそんな匂いがしないのだ。いざとなれば最も頼りになる人物になるんではなかろうか…ああ、だからキルマウスが繋いだのか…。伊勢はようやく理解した。もう訓練期間は終わったと言うのに、いまさら気がついた。
つまるところ、キルマウスも本気でやるつもりなのだ。だから現場で最も働けるであろう将軍に、伊勢の持つ情報を伝えさせたのだ。まったく、初めから言ってくれればいいものを…キルマウスという男は、実に面倒くさい男である。
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346日目
高級住宅地のくせにみすぼらしい、四角い4階建ての建物から受ける印象はそれだけである。
「ここが私とお父様の先生、ホラディー師の家だよ!」
まさか崩れたりもしないと思うが…心配になるボロさである。
「こんにちはホールスさん。先生は奥にいるかね?」
「いるよ」
レイラーは勝手知ったるなんとやらで、どんどんと進んでいく。外見だけじゃ無く、内部もボロい。少なくとも見た目には全く気を使ってないのが丸わかりである。ちらほらと弟子らしき人が見えるので大所帯の家らしい。
―ドンドン「あー」
返事が帰ってくる前にドアを開けてレイラーは入っていった。中にいたのは、真っ白い髪を多少残した、細い小さな老人だった。
「いづっ!」
老人は鼻毛を抜いて庭に捨てている。実に汚い。
「先生、これがイセ・シューイチロー君。こちらがアール君。そして弟子風味のロスタム君だ」
老人は無言で鼻毛をいじりながら、左手で机のベルをチンチチンチチチチンと鳴らした。
すぐに弟子らしき人が4つの椀を持ってきた。ベルで合図しているとは…流石である。
「イセとやら。お主が武術大会に出る事になったのはわしのせいじゃ。まあそれは良いとして…」
全く良くない。
「レイラーから聞いたが、お主の国の学問は面白いのう。なぜお主は40年前にここに来てくれなかった。おかげでわしは医術に関して、下らん学説を国中に広めてしまったわ。」
その学説がどういうものなのかは知らないが、おそらく訂正すべき事柄が山のようにあるのだろう。人生の終わり頃になって自分の作って来た学説が間違っており、訂正をしなくてはならないとは、どういう心境なのだろう。伊勢にはまるで分らぬ。
「ホラディー先生!死ぬ前に新医派を変えてから死んでくださいね!先生が作った学派なんですからね!」
ホラディー師は新旧で揉めている学派の親分であるらしい。
「お前は師匠が死ぬとか平然と言うのう…まあもうすぐおっ死ぬから、それまでに頑張ってみるわい。いやはや…それにしても恥ずかしいのう!」
レイラーの先生は枯れ切ってしまって、自分の提唱してきた学説をひっくり返すことにも躊躇いが無いらしい。物凄い事だ。普通だったら、とても出来ない事である。殆ど人生の全否定に近いのだ。
「ホラディー先生」
伊勢は声をかけた。
「よく、思い切れますね」
「なにがじゃ?」
「自分の学説の否定をためらわない事です」
「当たり前じゃ。残しておいたら恥ずかしいもの。…それに、これが学者の名誉って奴じゃい」
にやりと笑って、ホラディー師は言った。伊勢のコロシアムでの演説にかけているのだ。伊勢は軽く赤面した。半ば黒歴史である。
「まあ、良い演説だったと思うぞ!殺されなくて良かったのう!」
ここまではっきり言われると乾いた笑いしか浮かんでこない。
「ま、モングの事は…これからも大変じゃ。そんなことより医術を話せ。免疫がどうこうとか聞いたがその内容を…」
伊勢に話しかけながら、ホラディー師は紙とガラスペンを握っている。
実際に使われているのをみると、開発者として嬉しいものであった。
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「アールさん、俺もモングを倒したいです」
夜、アールが庭に出て、満月の月明かりで絵を描いていると、ロスタムがやってきて言った。
「そうでしょうね」
「俺にも戦い方を教えて欲しいんです。剣や弓は習ってるけど…その…もっと…」
ロスタムの言う、戦い方、とは兵法とか軍略の事だろうか。
「相棒は?」
「師匠は戦い方は教えないって…」
アールは手を止めてロスタムを見た。
「ロスタム君。相棒が教えないんなら、ボクも教えません。そもそもボクは戦い方なんて知りません」
「え?!だって師匠は自分の知ってる事なら、アールさんも知ってるって…」
「相棒も、戦い方なんて知らないんですヨ。そんなの学んだことはありません。だから教えられないんです」
そんなはずはない。ロスタムは思う。アールさんはなにを言ってるんだろう?あんなに素晴らしく部隊を率いていたじゃないか。師匠の部隊はあんなに簡単にモングを倒したじゃないか。
「相棒は…一生懸命に考えて、やっているだけです」
相棒は素人なりに全力で考えて、それが運良く上手くいっただけなのだ。軍略や戦術なんて、聞きかじりの寄せ集め雑学でしかない。
「ロスタム君。良く学んで、良く考えれば、相棒くらいにはなれます。誰だってそうです」
相棒は大した人間じゃないんだ。すごく賢くも、強くも無い、弱くて、中途半端な人間だ。でも一生懸命に頑張っている。だから偉いんだ。
「ロスタム君。勉強は、全部繋がっているんです」
「ああっ!」
「何かわかりましたか?」
「たぶん!」
ロスタムは頭を下げて、走っていった。
アールはまた、月光の下で絵を描き始めた。




