335~336日目
335日目
競技一日目
(あー胃が痛い…クソクソッ!)
結局、馬の練習と騎射の練習はほとんど出来なかった。馬に乗って近くの砂漠に走りに行って、矢筒3っつ分の矢を射って終わりである。
そんな状況で迎えた当日の朝なのである。まことに不安だ。クソ。
伊勢は見ていないが、武術大会に合わせて帝都グダードには各地の有力者が集っており、いつにもまして頻繁なパーティが開かれている。彼らの頭の中は、武術大会の見学が2割、政治的な会合が8割である。
「おはようイセ。かならず勝て。」
それだけ言って、キルマウスは朝飯も食わずに屋敷を出ていった。まだ6時なのに、まことに忙しい事である。
伊勢はいつもの面々とゆっくりと朝飯を食べている。どうせ始まるのは10時からなのだ。慌てる事も無い。
「師匠、余裕ですね」
「まあな」
見た目は平然と飯を食う伊勢だが、余裕もクソも無く、諦めてるだけだ。今日の種目である乗馬では、伊勢に勝ち目など無いのである。伊勢の体重は150ポルを越えている。つまり80キロ弱だ。これで15キロにもおよぶ馬のマラソンで勝て、というのはナンセンスであろう。
馬群でゴールした場合にはその馬群丸ごと同着、というルールがあるので、それに頼って中段位でいられればいいと思っている。
大事なのは槍と剣だ。これは勝つつもりでやらないといけない。いや、勝たねばならない。プレッシャーである。
伊勢は痛む胃に、無理やり朝飯を流し込むのだった。クソっ。
「お前らみんな見に来るんだよな?いまさらだが危なくないか?」
「大丈夫だろう。わざわざ観客の中で殺したりもせんよ。あからさますぎる」
カスラーの答えは道理だ。まあ目立つ所にいれば問題ないだろう。
「それよりイセ、途中で妨害に気をつけろよ」
「あーやっぱりか…わかった」
レース中には観客の目が届かいことも多い。なにしろ100騎以上が、原野を15キロにわたって走るのである。途中ではやられ放題の可能性もあるのだ。カスラーは長くて太い、木刀に革を巻きつけたような鞭を伊勢に渡した。彼曰く、変なのが近寄ってきたら鞭でぶったたけ、一発だけなら事故かもしれない、との事。まことに物騒である。
他の面々の反応はどうかというと、
「師匠なら何とかなるんじゃないですかね?根拠はないです」
「まあイセ君。今日は期待せずにゴールで待つよ。」
『ミスターイセ。頑張ってください』
「相棒ならもぐもぐ」
このように、実に心強い声援なのであった。
会場は人だかりである。伊勢は口を覆って土ぼこりを防いだ。
「相棒、人が…すごいです…」
「ああ、この人の量はこの世界に来てから初めて見るなぁ」
アールはあまりの人の多さにちょっと気持ちが悪そうだ。群れとしてではなく、一人一人を見てしまいそうになるとの事。認知の仕方が違うのかもしれぬ。こういう所が人間ではなく、チートバイクゆえに、なのかもしれない。
帝都外壁内にあるコロシアムがスタートとゴールの地点であった。
このコロシアム、高さは50m、横幅は200mを越え、帝都最大の建造物である。宮殿以上に大きい。ローマのコロッセオ風に柱の組み合わせで作られた優美な建物では無く、頑強な砦のようだ。美しくはないがパワフルである。戦時には実際に軍事拠点として機能するのだろう。
「レイラー、何人くらい入れるんだこれ?」
「公称だと6万人だそうだね。この4日間が一番の大入りだね」
レイラーの言葉にウソは無く、伊勢の見た所でも実際にそのくらいは入りそうだ。
「じゃあみんな、いってくるわ」
伊勢は手を振ってみんなと別れた。皆はカスラーの部下達と観客席に、彼だけは選手用の集合所に行くのだ。ここで馬と集合してから、コロシアムの中に入る。
「ああ、イセさん。待ってましたよ」
予定通り、キルマウスが準備した馬と馬丁がそこにいた。
「ああ、待たせたね。行きましょう」
馬丁が綱をとって、ポクポク馬を引いていく横を漫然と歩いてついていく。傾斜路を降りて、円筒状の狭い地下をずっと進み、コロシアムの端に出る仕組みだ。大した土木工事である。馬の足音が大きく響いた。
円形の光の輪をくぐれば、そこは楕円形の競技場である。
沢山の人に見降ろされている感じは、誇らしくもあり煩わしくもある…不思議な感じだ。しばらくすると、探知魔法に多方から悪意がビンビン感じられた。伊勢に気付いた奴が出始めたらしい。魔法によって掻き立てられる不安が、伊勢の精神をガリガリと削っていく。クソが…
「やあ、あんたが『軍曹』のイセって人か?なるほど、モングみたいな顔つきだね。」
いきなりの挨拶である。さわやか体育会系のような、細身の若い男が声をかけてきた。悪意は感じないが、王道帰宅部の伊勢は、こういうタイプの男はあまり得意ではない。さわやかな態度で、人の心に土足で踏み込んで、当たり前のように座り込み、散々食い荒らした揚句、いつの間にかプイっといなくなっているイケメンタイプだ。間違いない。
「確かに私が伊勢修一郎だが、キミは?」
「俺はシャリロフ。知らないか?あんたの事はカスラーから聞いたよ。まあ楽しもう。」
楽しもう、ときた。知らないか?、ときた。
伊勢は確信した。よし、コイツは嫌いだ、と。
誰が何と言おうと嫌いだ。コイツだけには負けん。クソが。
その他、伊勢は敵意の出どころを探してしばらく歩き、5人ほど怪しい奴を見つけた。
彼らの顔と服装は注意しておき、このクソどもには近づかないようにしなければならぬ。
―ドコドコドン……わぁぁぁぁぁ
太鼓が打ち鳴らされ、数万人の歓声が上がった。耳を圧する迫力だ。
出発準備の合図である。
歓声に興奮する馬を宥め、馬丁にくつわをとらせて跨った。
頭を打ったら怖いので、バイク用のヘルメットをかぶる。
「よし、ありがとう!」
馬丁に合図して彼を下がらせると、スタート地点の馬群にずいずいと割り込んでいく。
―ドンドンドンわぁぁぁぁ
え?もう?!などと考えている暇も無くレースが始まってしまった。流れに任せっぱなしで馬を煽った。
周りはもう戦争のようだ。ビシビシと鞭が飛び交い、叩き合っている奴らも沢山いる。レース…なのだろうか。
「俺に寄るんじゃねぇ!!」
伊勢は急に馬を寄せてきた一人に鞭(木刀)を叩きつけた。肩口に鞭(木刀)を食らった奴はもんどりうって落馬し、伊勢の周りの馬はさっと離れて、少しスペースが出来た。落馬した彼は…大丈夫だ、後続に踏まれずに上手く逃げられたようだ。
ここで落馬したら、馬に踏まれて死ぬ。なるほど、だから躊躇なく相手を落馬させた伊勢から周りが離れたのか。
開け放たれたコロセウムの正門から、どんどんと騎馬が吐き出されていく。
100騎ほどの細長い馬群になり、街を駆け抜け、外壁の門から外に飛び出した。
接近していた馬群はそれぞれ距離をとりあう。ここから先は近寄ってきた奴は全部敵だ。
バイクの事を鉄の馬と呼ぶ事があるが、バイクと馬は全然違う。伊勢にしてみれば、バイクの方が千倍は良い。
まず、バイクはこんなに揺れない。だだも捏ねない。疲れない。臭くない。尻も痛くならない。鞭も要らない。そしてもっと速い。
馬の方が良いのは多少の自由度が聞く事くらいのもんだ。そうに違いない。もうこんな尻の痛い乗り物は嫌だ!
「クソっ!ケツがいてぇっ!尻が壊れちゃうっ!」
半泣きになりながら集団についていっていると、二騎がヤレてこっちにやってきた。
探知魔法に悪意を感じる。
相手は伊勢の左側をとろうとする。右手でこちらを殴るためだ。
伊勢は先に馬をぶつけて、左手に持ち替えた鞭(木刀)で滅多打ちにぶん殴ってやった。伊勢は左だって使えるのだ!
「てめぇが!てめぇらが!しねっ!」
コイツらのせいで一月も家から出られなかったのだ!ビクビクしながら暮らしていたのだ!コイツらは死んで当たり前だ!ケツだって痛いのだ!落ちろ!死ね!よし落ちた。
もう一騎は離れて逃げていこうとするが伊勢に逃がすつもりはない。ヘタレが!ここでヘタレに引導を渡してくれる!
馬群にまぎれようとするヘタレの膝を思いっきり木刀(鞭)でぶったたいた。ヘタレは激痛にギャーギャー騒いでいるが伊勢の知った事ではない。
「俺に近づくんじゃねぇ!死ぬぞ?!ああ?!」
木刀(鞭)をブンブン振り回しながら伊勢が言うと、周りの馬が少し離れた。よし、これでいい。
襲撃者と遊んでいたせいで、伊勢のホジションは中段後方だった。
このポジションをキープしたまま最後までいければまあ良いだろう、そう思っていた時、前方からずるずると下がってきた一騎が、こちらの馬の顔に何かぶつけてきた。
馬には運良くは当たらなかったが、俺の馬を殺ろうとするなんて許せん…
「ぶっ殺してやる!馬!行けっ!」
馬はやる気になった。短くいなないて前方の馬に側面から接近していく。
―ドンッ
馬はそのまま相手の馬に体当たりし、騎手の腕に噛みついて自分の前に引きずり落とした。
「ギャー!!…」
、踏み砕いていく。馬は高らかに足をあげ、勢い良く踏んでいた。何の指示も無いのに敵を排除するとは、恐ろしく訓練された馬だ。実にすばらしい!素晴らしいがしかし…
「あ、うん…もう良いぞ馬、良くやった…」
自分の馬の下で、骨がボキボキいう音は流石にこわい。馬を宥めて、前を追う事にする。
中段の集団には追い付いたが、結局それが伊勢の限界であった。
先頭集団に追い付くなんて事は、最初から無理なのだ。この順位で上等である。今日の競馬によって、明日の騎射の練習が出来たと思えばいいのだ。
ところであの、さわやかクソ野郎は…伊勢が張り出された順位表を見てみると、先頭集団の中でゴールしたらしい。嫌な野郎である。クソめ。
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336日目
競技二日目
今日はコロシアム内での競技である。午前中には、立射での個別競技会が行われ、午後からは騎射競技を行う事になっている。
騎射競技は日本の流鏑馬のような感じだ。いくつかの同心円を描かれた板に、全力疾走の馬上から矢を射る。板は全部で5枚。円の中央に当てれば高得点。競技場の左右で20人づつわかれて、二回の試技をおこない、合計点を記録する。伊勢は4組目だ。
「やあイセ。昨日は残念だったみたいだね!今日から一緒に頑張っていこう」
コイツの名前はなんて言ったか…伊勢は思い出せなかった。たしかさわやか糞野郎とかそんなのだと思う。
「あ?ああ…さわやかさん。まあ頑張ってください…」
「どうしたんだいイセ。協議会は後三日もあるんだからこれから挽回すればいいんだろ!」
なぜこのクソ野郎に呼び捨てにされなければならないのか、全く伊勢には理解不能である。こういう人種も確かにいるのであろう。しかし、今この瞬間に自分の目の前にいる事が信じられぬ。
これから挽回すれば良い?当たり前だ。伊勢には勝利が至上命題なのだ。てめぇみてぇな遊びでやってるアホとは違うんだよ!
ギリギリと歯を食いしばる伊勢に、さわやか体育会系は、「怖い顔すんなよな、じゃあな」、とか言って消えていった。クソが…
「相棒、的だけを見て下さい。当たります」
頭にきて、乱暴にタバコを吸う伊勢に向けてアールがアドバイスをした。
「わかった」
伊勢は灰皿にタバコを投げ捨て、顔を引き結んで競技場に向かった。
「イセさん、そろそろ出番です。」
馬丁が馬をあやしながら伊勢に合図をくれた。この馬丁は気が効いて良い。
「ああ、いってきます。頼むぞ馬!」
馬丁の手を借りず、馬にひらりと跨った。陽子さんチートボディなめんじゃねぇ!
「次、イセ・セルジュ・シューイチロー殿!」
「おうっ!」
伊勢は弓を左手にとり、開始線に立つと、じっと的を睨んだ。
「はっ!」
馬の腹に拍車を入れると、ドカンと走り出す。見る見る一つ目の的が…おらぁ!…二つ目…おらぁ!…三つ目…おらぁ!…四つ目…おらぁ!…五つ目…おらっ!
どうだ!5・5・3・3・5だ!外れなし!5枚中3枚が真ん中だ!それ以外もすぐ外の白枠だ!まちがいないっ!合計21点!
「ただいまのイセ殿の試技、合計17点!」
「……なんでだてめぇ!!21点だろうが!汚ねぇ真似しやがって!貴様!名前をなんと言う!官姓名を言え!貴様のような名誉を知らぬゴミは必ず殺してやるぞ!クソが!誓って貴様を殺してやる!」
伊勢の怒号に会場がしんと静かになった。誓って殺す、と言ったのだ。神と名誉にかけて、誓いは必ず果たされなければならない。後はもう、どちらかが非を認めるか、殺し合うしかないのである。
伊勢は矢筒から余りの矢をとりだして弦につがえた。
「暗算が苦手な奴が多いから、間違えた、というなら許してやる!!俺に対する意趣ならば、必ず貴様と貴様の家族を殺してやる!!」
採点官はダラダラと汗を流しながら、貴賓席を見ている。伊勢には知った事ではない。
―21点だ!21だ!俺は見てた!
客席から21点と叫ぶ声が聞こえた。おそらくカスラーなりセルジュ一門の部下だ。あいまいだった会場の空気が採点官を責めるようなものに変わった。もうこうなってしまうと、本当はどちらが正しいのかなんてどうでも良い。流れに味方した方が勝ちだ。
「どうした採点官。単純な計算間違いなのか?それとも故意か?今すぐ答えろ。答えないなら殺す。故意でも殺す。家族も殺す。」
「間違えたみたいです…21点でした」
「声が小さい!!」
「21点でした!!」
おぉぉぉぉ…などという良くわからぬ歓声を背に受けながら、伊勢は馬止めに戻ってきた。異常に疲れた。
「イセさん、あんた滅茶苦茶やるね…」
馬丁が呆れている。普通に考えたら、命がけで採点官にイチャモンを付けているようにしか見えないからだ。
「あのバカのせいだ。クソッ!」
その後の二度目の試技は19点だった。合計得点は40点で同立二位。
アールのアドバイスは良くきいた。




