307日目~321日目
本日投稿2話目
307日目2
宮殿からの帰り道、自操車の中は無言の空気が漂っている。
伊勢はちょっと面白かった。小心者が冒険して、ちょっとハイテンションに浮かれているのである。バカなのである。
「イセ、アール。やるかやられるかだ。権力闘争だ。殺しあいだ。陛下も殺されるかもしれん。…お前らのクソ度胸は何なんだ?バカなだけか?」
多分バカなだけである。
「え?陛下も殺されるって…そういう次元なんですか?」
「あ?陛下を殺さなきゃ自分がやられる。やるかやられるかだ。」
伊勢にしてみれば権力闘争などごめんこうむりたい。なにしろ元妻との権力闘争にすら勝てた試しが無いのだ。それ以上の次元での権力闘争など、想像する事すら出来ぬ。夢の中の出来事なのであった。
ふと、伊勢はアミルを見た。彼は先程からずっと蒼白である。
彼にとっては名誉と名声を得る場であった筈なのに、いつも間にか権力闘争にたたきこまれ、負けたなら間違いなく終わりなのだ。
彼も北東部のジャハーンギールに住む次男アフシャールの事があるので、複雑な気分だろう。ただ、伊勢やアールに向かって、恨み事を一切言ってこない態度は立派だと伊勢は思う。彼には…申し訳なく思う。
「まあ聞け。皇帝陛下はいい。武術が好き過ぎるが、まともな頭だ。だが情報が全部伝わって無い。陛下は北東部の情報を理解していなかった。陛下だけではなく、多くの廷臣も理解していない。8割は西の人間だからな。理解していないならまだ良い。問題は理解しつつ、隠ぺいしていた奴らだ。」
「注意しろ。屋敷から出るな。破れかぶれの連中が急速に仕掛けてくるかもしれんぞ?」
そう言ってキルマウスは不機嫌そうに座りなおした。
屋敷に帰ってすぐにキルマウスは出ていった。伊勢は彼がどこにいったかも知らないし、どうせ聞いてもわからないだろう。
彼にはカスラーがぴったりとついている。つまりそれだけ危険という事だ。この世界の権力闘争とやらは、ヤクザの抗争に似ているのかもしれぬ。広域暴力団アルバール会系、セルジュ組、組内の~部族、という感じか…実に恐ろしい気がする。
「師匠…なんか屋敷から出ちゃいけないってどういう事ですか?」
屋敷に戻ってきた伊勢が、ロスタムに家の中にいるように伝えると、目を細めながら、じっとり睨んできた。
「うん。なんか、外に出ると殺されるかもしれないらしいよ?」
伊勢は出来るだけ明るく言ってみた。
「……師匠…何やったんですか?」
伊勢の明るさはロスタムに通じなかったようだ。
「あー…俺とアールで皇帝に啖呵切ったった」
「相棒、ボク達は間違ってないですヨ」
伊勢も間違っていないと思うし、後悔もしていない。というより、危険の実感がいま一つ無いのだ。
「何やってるんですか?二人とも…まあ、夕ごはん食べますか」
「ああ、もうそんな時間か」
「相棒、今日のご飯は何ですかねぇ」
完全に危機感が無い連中である。
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314日目
この一週間、キルマウスは各所で調整に奔走していた。
人と会い、カネをばらまき、贈り物をし、脅し、利権を交換し合い、酒を飲む。
基本的に東側の一門たちは、それぞれ仲が悪く、団結できていない。そのように東西の内戦後、数十年かけて楔を打つように誘導されてきているからだ。各一門達もそれを頭ではわかっているが、今までの確執があるためになかなかすぐに手を取り合うわけにはいかない。メンツだ。
目に見える危機が無い限り、団結する事は出来ないが、目に見えた時には遅いのだ。
「キルマウス殿、そうは言うが…」「キルマウス殿、仰ることはわかるが…」「キルマウス殿、あなたの一門とは20年前に…」「キルマウス殿…」
歯がゆかった。
北東部の一門だけはモングの危機に直接に相対しているため、キルマウスの言う事を完全に理解してくれるが、彼らは小粒な勢力ばかりで中央にほとんど影響力が無い。
彼らは仮に本格的にモングが攻めてきた場合、一番最初に裏切ってアルバールを攻める先兵になるだろう。部族とはそういうものだ。極言すれば、一番上が交代するだけ、アルバールの皇帝がモングの皇帝に代わるだけ、そう思っている部族も多い。
一番大切なのは自分の一門、自分の部族であって、皇帝やこの国そのものではないのだ。
征服の過程で多数の命が失われ、村や街が破壊され、征服後にも税による収奪が行われるにしても、まず大切なのは自分の一門を守る事だから裏切るものは多いだろう。かれらの名誉は、自分の部族を守るため、という大義名分で正当化されるのだ。
だから、モングに攻められたら終わりである。アルバール帝国は大きく豊かだが、脆いのだ。
だが、座して死を待つつもりはない。キルマウスはそう思っている。
「ホラディー師。久しぶりですな。モングだ。どうすればよい?あなたなら知恵があるだろう。なにか教えてくれ。ああ、これがファハーンの紙だ。それとガラスペンだ。暑い」
キルマウスは老人に会うなり、いきなりそう切り出した。藪から棒な男である。
相手は、痩せた、小さな老人であった。のんびりした顔をしている。
藤で出来た質素な椅子に腰かけながら、老人班の無数に浮いた子汚い手で、手元の羊皮紙に何か書きものをしていた。
椅子も質素。部屋も質素。庭も質素。服装も質素。身につけた装飾品も無く、すべてが質素な枯れ切った老人である。
傍らの書棚だけが豪華で異質だ。
「久しぶりじゃな、キルマウス殿。相も変わらず無愛想な態度じゃ。女にもてんぞ?」
老人の声は痩せた体に似合わぬ張りのあるものだった。投げやりでぞんざいな仕草で、キルマウスに弟子の持ってきた水を勧める。
「ああ、性分だ。それよりモングだ。まとまらん。どうすればいい?」
「まあそう焦るな。ふむ…ふむ…これはいいのう…」
ホラディー師と呼ばれた老人は、キルマウスから受け取った紙をサラサラと撫で、ガラスペンで試し書きをして満足そうにほほ笑んだ。泰然自若であった。キルマウスに負けず劣らずマイペースである。
そのまま目をあげず、紙にいつまでも楽しそうに描き続ける。
「わしも軽く聞いておるが、状況を説明しなさい」
「モングだ。極めて危険だ。ヴィシーも襲撃を受けた。陛下に謁見した場で、紙の開発者の伊勢とアールが陛下に奏上した。陛下は北東部の状況を知った。陛下はわかっている。東側をまとめたい。西側に状況を周知したい。危機感を煽りたい。陛下の耳をふさいでいる奴らは焦っている。アバールとかそういう奴らだ。揉めている。陛下にはもう謁見は出来ん。邪魔が入る。」
「陛下も危険があるのかのう?」
「ほんの多少」
「ふむ…」
それっきり、ホラディー師は背もたれに体を預けて黙り込んでしまった。
静かな部屋だ。せっかちなキルマウスには苦痛である。手元の粗末な椀をイライラとしながら回した。このような粗末な椀を使ったのはいつ振りだろうか、記憶にもない。
キルマウスがいい加減頭に来て怒鳴りかけた時に、ホラディー師がようやく口を開いた。
「陛下に皆の前で発言していただくが良い。皇帝のメンツによって退路を断て。綸言汗のごとしじゃ。」
「だからどうすればいいのだ!」
キルマウスは激高した。彼には余裕が無いのだ。
そんなキルマウスの激怒もホラディー師にはそよ風のようなものである。庭を見ながら鼻クソをほじって、ピンッと飛ばしたりしている。まことに汚い。
キルマウスはさらに頭にきた。そもそも彼にはこらえ性というものが殆どないのである。顔を真っ赤にして、手にした汚らしい椀を床に叩きつけた。椀は粉々になって吹き飛んだ。
「クソがっ!」
「そんなに怒るなキルマウス殿。3週間後に陛下の大好きな武術大会があるじゃろ?そこのデカブツを出せ。3年前に準優勝なら今度は優勝くらいできるかもしれんじゃろ?」
鼻くそをほじりながらホラディー師が言ったデカブツとは、キルマウスに護衛で付いているカスラーの事である。いまも壁を背にしてキルマウスの背後を守っている。
キルマウスは考えた。
武術大会には帝都内だけでなく、各地の一門が集まる。優勝者には陛下からお声がかけられ、”何か望みはあるか・陛下の御心のままに”の定型詩が交わされる。確かにカスラーなら優勝できるかもしれぬ。その場で奏上し、陛下が上手く機転を利かせてくれれば…行けるかもしれぬ。
しかも、今のキルマウスには口が達者で無いカスラーよりも良い駒がいる…
それにしても…3年前の準優勝者の顔を良く覚えているものだ。おそろしいジジイだ、とキルマウスは思った。
「わかったジジ…いやホラディー師。やってみよう。後で追加の紙を届けさせる」
「たのむぞよ?」
キルマウスは来たときと同じように、勝手に帰っていった。
「ま、ある意味で陛下を脅迫するわけだから、死ぬかも知れんが…まあ、いつ死んだって同じじゃ」
誰もいなくなった部屋の中で、ホラディーはぼんやりとつぶやいた。
その場で皇帝陛下に決断を迫るのだから、無礼きわまりない。手打ちにされても文句は言えない所だ。
「栄枯盛衰じゃ。…それにしてもこの紙は良い…」
ホラディーは楽しそうに、いつまでも紙に文字を綴り続けるのだった。
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321日目
セルジュ一門の屋敷に軟禁状態にされたと思ったら、武術大会に出場しろと言われた。
何が何だか分からないが、伊勢にも何だかわからないという伊勢である。
武術大会はそれぞれの部族が代表者を出し、一年に一度開かれるお祭りのようなものらしい。
優勝者には陛下から直接お声をかけられるから、そこでまた先日の謁見のようにぶち上げろ、というのがキルマウスの指示だ。
優勝が前提条件というのが非常にハードルが高い。筋金入りの帰宅部であった伊勢には競技大会などに出場した経験など一切ないのだ。精々が学校の運動会である。
「はぁ…」
「相棒、相棒なら優勝出来ますヨ。練習です」
「うん」
アールの言葉にも元気が出ない。
その練習が問題なのである。
武術大会の種目は、乗馬、弓、槍、そして剣。この4つを競い合い、総合得点が一番高いものが優勝となるのだ。遊牧国家が元となったアルバールらしい競技内容である。
この4種のうち、槍と剣についてはカスラーやセルジュの私兵といった、申し分のない練習相手がいる。伊勢自身も、今まで毎朝訓練してきたので、自信がある。
問題は馬と弓だ。
乗馬種目は10サング(15キロ)にも及ぶ長距離のマラソンで、弓は騎射。この二つは伊勢にはほとんど経験が無いのだ。
こちらの世界に来るときに貰ったチートで、乗馬や弓の技術は潜在的に伊勢の体にあるものの、ある程度は練習しなければその技術を呼び起こす事は出来ない。今の伊勢はやり方は達人レベルで完璧にわかるが、やった事が無い、という超頭でっかち状態なのである。
では訓練すれば良い、という事になるが、これがまた難しい。そもそも外に出るのが危険だから、屋敷に軟禁状態なのである。みごとに詰んでいる。
庭ではレイラーとロスタムがアールと共に携帯コンロで白米を炊いていた。
朝飯である。
最近はレイラーも暇なのか、色々と手を出し始めているようだ。屋敷から出られない状況が、本当に申し訳ない気がする伊勢なのである。
さて、朝飯の米はいつも通りに旨い。もう失敗などはあり得ぬほど、アールの飯炊き技術は達人の域にまで昇華しているのだ。
伊勢、アール、レイラー、ロスタム、それにカスラーを加えた面々で朝食を食べる。
相変わらず、アールの味噌汁は少し濃過ぎると思うが、伊勢は黙って飲んでいる。言わなくて良い事もあるのだ。
「レイラーすまんな。こんな感じに閉じ込める事になっちまって…ついでにロスタムも」
「いいのだよイセ君。学者には思索できる場所があれば他には何もいらないのだからね。しかも今は紙が沢山ある!完璧じゃないかね?」
レイラーも外に出たい気はあるのだろうが、そう言ってくれる。有り難い事である。
「なあカスラー。…おお、まんざらでもねぇな、この味噌炒めは…外で馬と騎射の練習をしないといけないんだが…少しで良いんだが…なんか良い手はない?」
伊勢はナスの味噌炒めを白飯に乗せて食べながら聞いた。ナスと味噌と油の相性は抜群なのである。
カスラーは伊勢が訓練するようになってから、一緒に朝飯を食べるようになった。練習の反省会も兼ねているのである。
「ああ、外に出るのは危険だからなぁ。しかも馬となれば郊外だから…」
「だよなぁ」
郊外で練習するとなれば、更に狙われる危険が増す。
「相棒、大丈夫ですヨ。やっつければいいんです」
簡単に言ってくれるアールさんである。さすがに大丈夫とも思えぬ。
「わざと狙わせて、逆襲で相手をやっつけて減らせばいいんですヨ。相棒には探知魔法があるんだから。」
「ああ、アール殿の意見は一理あるかも知れん。敵の間引きか…おそろしい事を考えるな」
ふむ、確かに伊勢には強烈な殺意・悪意を感じる探知魔法があるので、可能かもしれぬ。伊勢としても屋敷から出られない状況にウンザリしているのだ。
「軽くやってみるか?」
「俺の方でも手配しておこう」
そういうことになった。
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「お気をつけて」
3時ごろに、屋敷の使用人に見送られて伊勢とアールは街に出た。久しぶりの外の空気は気持ちが良いものだ。胸がすぅっとする。
この辺の高級住宅地なら襲われる心配はないだろうと思いながら歩き出すと、伊勢の中に小さな不安が生まれた。探知魔法が悪意を感知しているのだ。
「アール、さっそく来てる。たぶんあの自操車だね」
「はい相棒、通り過ぎて下町に行きましょう」
アールは自操車と伊勢の間に入って、さりげなくガードした。
「先導はあの人だな。行こうかアール。」
「はい、相棒」
周りにはカスラーの部下達が散って広く護衛している。伊勢達はグダードの道が全く分からないので、遠く先の方に見える先導役の男についていくだけだ。
今のところ、断続的に相手の悪意が、伊勢の心に不安となって浮かび上がるだけで、まだ手は出す気はないらしい。ただ、伊勢は悪意によって不安を惹起させられるので、そのたびにどんよりと嫌な気分にさせられる。地味につらい。
主壁の東門をくぐった。この先は一般人が住む下町だ。
先導役の男は決して後ろを振り返ることなく、ゆっくりスタスタと歩いていく。実に自然で、周囲を警戒しているそぶりなど全く見せない。もしかしたらそういうスパイ関係の仕事をしているのかもしれないが、聞くのは流石にはばかられる。
下町を進むにつれて、伊勢の心にはビシビシと悪意が突き刺さるようになってきた。子供たちの遊ぶ声や主婦達の井戸端会議に混じって、こちらを殺さんとする悪意を感じるのは、流石に恐怖でしり込みしたくなるが、その状況をわかっているであろう先導役は悪意などどこ吹く風で、口笛を吹きながら進んでいく。彼にとってはこの程度は何でもない事なのかもしれない。てだれの工作員は流石だ、と感心せざるを得ない。
先導役は歩き続け、歓楽街に入った。
足を止めずに、大きめの娼館に滑り込むように入っていく。
「まじか…」
「相棒、行かないと」
足を止めそうになった伊勢の腕をとって、アールが娼館の扉に突撃していく。まったくためらいはない。
「こんにちは」
ドアを開けたらまず挨拶。いい挨拶であった。
中にはカウンターがあり、綺麗な服を着た一人の中年女性が座っていた。俗に言う所の女将であろう。
「こんにちは。男女のお二人連れとはお珍しい事でございます。当店には初めてのお客様でらっしゃいますね?失礼ですがどなた様からのご紹介かお伺いしてもよろしいでしょうか?」
立て板に水で問いかけてきた。小心者の伊勢としては状況の変化に対応する事も出来ず、あたふたしながらなんとか答えた。
「キ、キルマウス・セルジャーンの…」
「ああ、セルジュ一門のキルマウス様のご紹介ですか!かしこまりました。どうぞこちらへ、精一杯のご対応をさせていただきます」
「あ、ああはい。宜しく…」
女将に先導されて、伊勢は豪華な小部屋に入れられた。部屋のテーブルの上には、大理石の箱に入れられておいてある。
あれよあれよと言う間に伊勢とアールはソファーに座らされてしまった。
10歳位の可愛い女の子が綺麗な陶器の器に水を満たして持ってきた。ソロリと飲んでみるが、レモンと蜂蜜がほのかに香り、実に旨い。旨いのだが全くついていけぬ。
アールはと横を見てみると、うんうんと頷きながら周囲を確認している。
「相棒、ここは安全ですね。壁も厚いし」
「もちろんでございます。当店は帝都の中でも信用と歴史ある店として、評価いただいていると自負しております。」
あれ?
なんか噛みあっていなくないか?
「ご希望はございますか?いろいろと取り揃えておりますが、3人で楽しまれる程の豪のお方ですと…変わった趣向ですと神聖カトル帝国から来た者もおりますが?アルバールの言葉はしゃべれませんが、髪色は珍しく、見目も綺麗ですし…いかがですか?」
「あ、はい…」
伊勢は流されるままに、上の空で返事してしまった。
「かしこまりました。ではお部屋の方に…」
「あ、あの…我々が入る直前に来た人は?」
「え?ああ、常連のお客様ですが?」
間違えた。
完全に間違えた。
「相棒、とりあえず部屋に行きましょう」
「…うん」
店の外からの悪意は、伊勢が店内に姿を消したために今はやんでいる。
代わりに別の不安で胃が痛い伊勢であった。
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