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異世界ツーリング  作者: おにぎり
第五章~帝都グダード
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300~306日目

300日目


 ファハーンを出発してから九日が経った。

 相変わらず、夜進んで、昼は街道に敷設された休憩所で休む、という道のりだ。

 砂漠の夜は飽きないと、伊勢は思う。

 アールに乗って、昼間とは全く違う冷え切った空気を呼吸すれば、体の中の何か余分なものが抜けて行くような、空っぽになれるような気がする。

 蒼い光に照らされた、石ころだらけの地面は綺麗だ。

 色が無いのがいい。

 隊から離れてしまえば、見渡す限りまっ平らな中に、相棒と自分だけ。何も動かない。なにも無い。それが良い。

 人が裸で放り出されれば、一日で死ぬような過酷な環境だが、砂漠にはそんな意志も無いし、すべては自動的だ。なるようになるだけ。怖いが、単純で綺麗だ。

 そのうち日が昇ってくる。

 空がほのかに白くなったと思うと、一気に赤い太陽が上がってくる。

 そうすると伊勢はタバコを吸って、Uターンしてみんなの所に戻るのだ。


^^^

 ロスタムは毎日、レイラーさんに数学を教えてもらっている。

 師匠とアールさんから教わった数学とは別のもの、この国の数学だ。師匠の国の数学の方が単純で、よく出来ていると思うが、それは師匠とアールさんとレイラーさんとベフナーム先生しかわからないので、アルバール国の数学も学ばなければいけない。

 

 そう、数学だ。

 ロスタムは羊飼いだった。

 そのロスタムが数学を教わっている。

 ロスタムがいままで、村から出た事など一度だけ。7歳の時に近くの街で洗礼を受け、巫女の祝福で魔法を使えるようにして貰った時だけだ。

 自分は、その辺によくいる、ただの子供だと思う。

 田舎者の子供だ。


 村がモングにやられて、父さんも母さんも殺され、妹のミナーは攫われた。

 ロスタムは助けを求めて街道に走り、偶然にそこにいたジャハーンギールの軍隊に助けを求めた。

 軍隊は軍曹殿と呼ばれる隊長が率いていて、助けに来てくれる事になった。あの時は本当に神に感謝した。祈りが通じたと思った。

 軍曹は村を襲ったモングを追って、それを見つけ、倒した。

 ロスタムも遠くから見ていたが、モングは一瞬のうちに全滅した。本当に一瞬だ。始まったと思ったら終わり。

 神の奇跡だった。これでミナーが助かったと思った。


 無理だった。

 ミナーはもう、とっくの昔に死んでいた。攫われた途中で馬から落ちて頭を打ったとかで。もしかしたらロスタムが助けを呼びに走っていたころには、もう死んでいたのかもしれない。

 ミナーは7歳だ。

 いつもロスタムのまわりをちょろちょろして、色んな事を聞いてきて、面倒くさくて邪魔だった。

 兄貴だから面倒をみなくてはいけなくて、ミナーが何か悪い事をすると、ロスタムが父さんと母さんに叱られた。

 兄貴だから面倒を見ているだけで、ミナーなんて好きじゃ無かったと思ってた。

 いつも遊んで甘えてケラケラ笑っているだけのミナー。

 羊を追いかけるのがミナーは好きだった。デーツの実が好きだった。よく一緒にオアシスに行った。

 寝床が無かったので、ミナーとロスタムは同じ寝床に寝ていた。

 ミナーはいつもちょっとだけ汗臭かった。 


 でも、攫われて死んだ。

 ミナーが死んだと軍曹から聞いた時、なんで?って思った。

 神様が軍曹の軍隊をロスタムにくれたのに。

 ロスタムは軍曹の軍隊をモングまで導いたのに。

 死ぬ気で、全部出して頑張ったのに。

 力を失って座り込んだロスタムに軍曹は「努力は結果を約束しない。頑張ってもダメなものはダメ。俺は神様なんて信じていない」って言った。

 細かい言葉は覚えてないが、そういう内容だった。

 ロスタムは驚いた。何が何だか分からなかった。

 ロスタムは祈ったのに。ロスタムは頑張ったのに。神様は軍曹の軍隊をくれたのに。軍曹の軍隊は神様の軍隊なのに。神様の軍隊を率いる軍曹は神様を信じてないと言う。助けられないわけが無いのに、ミナーは死んだ。

 わけがわからない。

 

 ミナーの死体は真っ白くて動かなかった。なんか、とても、変だった。静かに寝ているようだ。でも、確かに死んでいた。


 軍曹はなぜかロスタムを弟子にしてくれたので、今は師匠だ。

 師匠はとても変な人だとロスタムは思っている。

 とても強く、ちょっとだらしなくて、たまに一生懸命で、記号を書きながら悩み、変な機械を作って興奮し、紙を作り、石鹸を作り、レイラーさんやベフナーム先生が知らない事まで知っている。

 でも、普通だ。

 レイラーさんや、ベフナーム先生は師匠のことをすごいと言う。

 アールさんは凄くないと言う。

 ロスタムにはわからない。


 この前、神様について聞いたときに、師匠は真剣に答えてくれた。でも、全然わからなかった。

 アールさんは神様は自分には関係ないと言った。

 レイラーさんは自然の全てが神様だと言った。

 ロスタムには全部わからなかった。


 だから、いつかわかるように、ロスタムは数学を学ぶ。


^^^

 レイラーは25歳だ。もうすぐ26歳になる。

 正直若くはないが、嫁に行く気はないし、そんな事を想像する事すら出来ない。恋人も出来た事はないのだ。


「イセ君!この…自然対数というのは…ああ…私が初めに思ってたよりすごいね…」

「ああ、レイラー、朝飯の後でな…」 


 レイラーの目下の興味はこれだ。

 イセ・シューイチロー。

 驚くべき知識が、驚くほど普通の人格に収まっている男だ。


 レイラーは自分がおかしい事はわかっている。

 物心ついたときから、父と共に数学を、錬金術を、天文学を、神学を、ありとあらゆる事を考えてくる事しかしてこなかった。友人だってほとんどいない。レイラーの女性の友人はアール君だけだ。

 自分がおかしい事はわかっているが、いまさら周囲に合わせる事も出来ないので、あえて神聖カトル帝国風の服を着てみたりする。レイラーはそんな女だ。

 

 レイラーは魔法師であり、一流の学者で、アルバールの知識層では天才で通っている。さすがモラディヤーンの血筋、と。

 彼女を形容する言葉は、それしか無かった。それだけで彼女の全てがあらわされてしまうのだ。

 だからレイラーは焦っていた。

 自分にもっと何かを!そう思っても考えつくのは学問の事だけなのである。まったく救いが無い。

 欲しかったのは学問以外の『何か』なのだ。しかし、レイラーにはそれを思いつく事が出来ぬ。

 歯がゆかった。

 自分は人間である。だから人間としての『何か』が欲しかった。


 イセ君とは知恵の館で出会った。

 レイラーは勇気を振り絞って、声をかけたのだ。知恵の館でレイラーが知らない他人に声をかける事は多いが、そのたびに勇気を振り絞っている。

 自分が想像する事も出来ない『何か』を得るためだ。学問以外には何も知らないレイラーに、他の手段は思いつかなかったのだ。

 いつも怪訝な顔をされ、モラディヤーンの名前で家に連れてきても、まともな話も出来ず、得る事も無い。からだ目当ての男が来ることだってあった。

 たった一つ以外、全部失敗だ。


 イセ君に声をかけて、本当に良かったと思う。

 彼は本当に新しい。そして異質だ。

 レイラーが彼を評価しているのは、彼が新たな知識を持っているからだけじゃ無い。

 イセ君の引き起こす色々な騒動をみていると、自分に新たな着想が生まれてくる。

 彼はレイラーにとって、泉の神の水瓶のようなものだ。汲みだしてその水を口にすれば、体に何かを呼びおこしてくれる。

 彼は、この国の民や学者とは全く違う考え方をしている。

 そして普通の人間だ。

 これだけの知識がありながら普通。

 それがイセ君のイセ君らしさであり、レイラーが求めていた『何か』であると思った。

 だから、彼の彼らしさが、レイラーにはとても大切である。


 この間、イセ君の家で話をしたときに、彼はレイラーにこう言った。

 『レイラーにも全部わかってんだから良いんじゃないの?…まあ俺は神様なんて信じてないけどさ…だからレイラーは今のままで良いのさ』

 陳腐な言葉である。

 まあ、でも…言われて悪い気はしなかった。

 レイラー・モラディヤーンはこれでいいのだ。

 

 だから…


「イセ君!君の言ったこの…ねいぴあ数というのは…おそろしいね!本当にすごい!」


 レイラーはこれで良いのだ。


^^^^^^

306日目


 一行は帝都グダートに到着した。




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