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異世界ツーリング  作者: おにぎり
第四章~ファハーンの休日
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238日目

238日目


「もっとまけとくれ!あんたには出来るってわかってんだよ!」

「婆さんにはかなわねぇな…」

 八百屋は苦笑して瓜を袋に追加した。これで金額は変わらないが量はアップである。

「こちとら無駄にババアじゃないんだよ」 

 マルヤムはクシシと笑うのであった。


「ただいま戻ったよ」

「お前は分数も比の計算も出来ねぇくせに何言ってんだ!調子に乗るんじゃない!そもそも何でちゃんと記録して無いんだ!試料が無駄じゃねぇか!」

 マルヤムが家に帰ってくると、旦那がロスタムに説教をしていた。まあ、おおかたロスタムが石鹸で何か失敗したに違いない。旦那はロスタムに厳しく接しているつもりのようだが、鍛冶師の職人を夫に持っていた彼女からすると、物凄く甘いように見える。

 まあ、旦那はマルヤムにはもっと甘いので文句はない。アールさんには普通だと思うが、そもそもあの人は使用人でも弟子でもないから、また別だ。


「マルヤムお帰り。続きを頼む。午後の実験の条件は書いて作業台においてある」

「あいわかったよ旦那クシシ」

 旦那は面白い男だ。何でも知っているが、なんにも知らない。

 旦那にバザールに買い物に行かせたら、マルヤムと同じ金額で、半分の量も買えないに違いない。まあそんなのは使用人や奴隷の仕事だから良いんだが、旦那はお偉いさんとの付き合い方も、今一つよくわかって無いらしい。キルマウスという、この街で二番目に偉い人と知り合いだっていうんなら、もっとこまめに顔を売りに行くのが当たり前だ。

 そんなお人なのに、変なことはたくさん知ってるし、武術もすごい。そもそも旦那はモング族に襲われたマルヤムの村を助けに、100人の兵を率いてきた男なのだ。モング兵85名を一人残らず全滅させたってくせに、今は紙を作ったりしている。マルヤムには同じ人間とも思えない。

 

「ま、いいんだけどね。給料良いし。クシシ」

 そう言ってマルヤムは厨房に野菜を置き、実験室の作業台に向かった。庭からガラガラと激しい音が聞こえてくるので、アールさんが繊維をほぐしているのだろう。せるろうすの繊維をなんちゃらかんちゃらって奴だ。マルヤムにはよくわからんが、叩いてほぐしているだけだと思う。

「なになに…えーと?、石灰1/2オンとカオリン1/2オン滑石1/2オンを混ぜると…繊維は配合ぱたぁんびぃ、と」

 マルヤムは伊勢の指示書に書いてある粉の壺をとって、所定量を秤量すると少量の水に溶かした。それを、これまた所定量の水に所定量の繊維をいれた、通称紙汁にぶっこんでグルグル混ぜた。

 この粉もなんだかよく知らないが、そんな事はマルヤムにはどうでもいい。入れた量による感触の変わり方とか、色の感じとか、そういうのだけ指示書の余白に書いておけばいい。


 しばらくそのまま混ぜ棒でグルグル混ぜ続けたら、次はこの紙汁を枠のついたすだれで漉く。

 この漉きがちょっと難しい。一番上手いのはアールさんで、二番はマルヤム、次にロスタムで一番下手なのは旦那だ。アールさんがやると、いつも全く同じになるのがすごい。死んだ夫の釘作りを思い出す。

 漉いた紙のもとは綺麗に削った板の上に載せて、重たい"ろぉらぁ"って言うのを転がして水を絞る。

 マルヤムはその紙汁から作れるだけ紙を漉くと、板を持って行って庭に並べた。このファハーンの空気は、マルヤムのいた北東部よりも乾いているから、いつもどおりすぐに乾くだろう。


「マルヤムさん、お帰りなさい」

 アールさんが人の腕ほどの径の"ぼぉるみる"を回しながら言った。これで繊維をほぐすのだそうだ。こいつを作るのにも手伝わされた。マルヤムは杵でぶったたけばいいと思うが、まあ旦那にはなんか考えがあるんだろう。

「ああ、ただいま」

 アールさんはマルヤムが帰ってきてるのは気付いていたが、彼女が作業中で挨拶出来なかったので、今したのだ。マルヤムが帰って来てから一時間半はたつ。なんとまあ律儀な。


 マルヤムにはアールさんという人が一番よくわからない。

 いい人なのは間違いないし、ババアのマルヤムから見てもふるいつきたくなるような美女だ。人当たりも優しく、丁寧だ。そして二級戦闘士にして異国の大魔法師。モング共を蹴散らした旦那だってかなわない。挙句の果てに、変な機械みたいのに変化するが、これが異国の大魔法であるらしい。あれにはババアであるマルヤムも年甲斐も無く驚いたものだ。

 最初のころは、この人は旦那の何なのだろう、と思ったが、今はどうでもいいと思いなおした。良い人なんだからそれで良い。ババアにはその程度の理解でちょうど良い。

 

 紙汁の残りを下水に捨てたら、次は洗濯だ。洗濯板でごしごしやるんだが、最近は初めのころに作った石鹸の出来そこないを使っている。体に使うんじゃ無ければ上等だとマルヤムは思う。

 マルヤムが素晴らしいと思うのは洗濯物を絞るためのろぉらぁだ。向かい合わせのローラーに濡れた服を通して、取っ手をグルグル回すと絞れる。これは売れるとマルヤムは思うが、旦那に言ってみても苦笑いだけだった。


 マルヤムに休んでいる暇はない。洗濯が終わると、紙の回収だ。

 日光と風で、紙はあっという間に乾いている。板からぺりぺりと紙をはがしたらもう完成だ。場合によっては旦那の指示で、これにろぉらぁをかけて表面を滑らかにする。

 

 簡単だ。

 こんなので、紙が完成する。双樹帝国から運んでくるあの高価な紙が、だ。

 麻や綿のぼろきれや草や木の皮を、灰で煮て、叩いて、漉いて、乾かすだけだ。色々に変えたり、注意すべきところはあるけれど、基本的にはそんなものだ。


 紙をはがしながら、マルヤムはバカらしくなった。

 マルヤムは遠い昔、5千ディルで親に売られた。5千ディルと言えば薄い紙の束ひとつ程の値段だ。こんなものが、マルヤムという11歳の少女の値段だったのだ。

 夫は店に来た客だった。あの時、マルヤムについてくれて、本当に運が良かったと思う。枕元での戯言を本気にして、良かったと思う。

 身請けの後、ちょっとしたゴタゴタで街にいられなくなって、東に逃げた。ずっと東の方に行って、寂れた村があったのでそこに住んだ。夫は鍛冶師だったので優遇してもらえた。

 30年経って、村はモングに壊されて、夫も死んだ。今はファハーンにいる。

 それだけの人生。

 簡単だ。紙を作るのと同じくらい簡単な人生だ。


「でも、まあ…紙を作るのと同じくらいは難しかったね。キシシシ」

 マルヤムはそう呟いて笑うと、いそいそと剥がした紙をまとめて旦那の所に持って行った。


「旦那、午後の分の紙だよ」

「おう、マルヤム。ちょっと来てくれ」

 旦那は懐から綺麗なガラスの棒を取り出して、先端をインクに付けた。ペンであるらしい。

「ちょっとその紙、かしてみ?」

 旦那はマルヤムの手から紙を受け取ると、そのうちの一枚にペンを走らせた。

 細い線で、紙の上にするすると墨が乗った。

「ふむ。良いペンだね」

「だろう?軽くローラーかけた方がいいな、チョイ引っかかる。…それにしても冷静な感想だな」

「ババアだからね」

 ババアだから当たり前だ。いちいち驚いてもいられない。そんなことやってたらすぐに心臓が止まっちまうんだ。

 旦那は、ふむん、と言った。

 


「「「ごちそうさまでした」」」

 これがこの家のしきたりだ。食前の祈りも『いただきます』って一言だ。マルヤムには楽で良い。

 食事が終ったあと、旦那は机から数本のペンを持ってきてみんなに配った。

「さて、それでは…みんなにペンを渡しておく。大事に使え。そして、まだ秘密にしておけ。あと、使用感も言って欲しい」

 気前のいい事だ。売れば間違いなく千ディルになりそうだ。売れないが。


「よし。じゃあ紙の開発はこの辺で終わりにする。次は石鹸に注力するぞ?」

「はい、相棒」「はい師匠!」「あいよキシシ」


 またこんなのが続くらしい。

 まあ、そんなに悪い生活ではないとマルヤムは思う。

 変な生活だが、面白いから。

 孫みたいなガキもいるし、ババアにはちょうどいい。




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