205日目
205日目
「こんなもんできねぇよ…
「ここはこうした方が…
「バカ野郎!それじゃ…
「もっと工作精度を…
「だいぶなめらかになったな…
「シャフトのブレが…
紆余曲折が、あった。
「おい、いいんじゃねぇか?」
バイプの先端から、青い炎が、出ていた。
「親父、いいな…あ、だんだん白くなってきたぞ?」
「おい!もう踏むんじゃねぇ!」
「あ、ごめんなさいお父さん」
伊勢と親父が開発に着手してから一月以上。
魔石バーナーが完成した。
伊勢と親父はがっちりと右手を握りあうのだった。
魔石バーナー。
燃焼する炭で生じた熱風により魔石を加熱し、その魔石部分に別途空気を吹き付ける事によって魔石を燃焼させる。
携帯性は皆無だが、送風量を大きくすれば火力はブンゼンバーナーを越える。
魔獣の脳から取れるファンタジー燃料、魔石を使っているのだ。
素晴らしい発明である。元の地球には無い、伊勢が初めて作ったオリジナル技術。正真正銘の発明だ。
「おいイセ。こいつはすげぇぞ。鍛冶屋や金物細工師やガラス職人はみんな欲しがる…俺も欲しい」
親父が久々の絶賛である。日本刀を見た時以上の反応かもしれぬ。これはもしかして、もしかするかもしれぬ。
「ああ、親父。これは…売ろう。しばらくここで使って問題を洗い出して、改善したらアミルさんの商会を使って流すんだよ」
「やるか」
「やろう」
「ふふふ」
「はははは」
二人は気のあった、商売人の笑顔を浮かべた。
「そんな事よりお父さん。ちょっとガラス溶かしてみていい?」
あやしく笑う2人をジト目で見ながら言うラヤーナ。女って奴はまったくもってロマンのわからぬ生き物なのである。まったくもって度し難い。
「おう、やってみろ!」
親父の言葉にラヤーナがガラス棒を持ち、青い焔に近づける。数秒たってガラスがほのかに赤熱すると、見る見るうちに伸び、垂れて落ちた。
「おお!すげぇ!」
「親父!火力はパワーだな!」
ジト目で見られても仕方が無いであろう。男って奴はまったくもってロマンに賭ける生き物なのである。まったくもって度し難い。
「お父さん。そのうち出来そうだけど難しい。結構かかりそう」
「練習しておけラヤーナ。これがお前の仕事になるかもしれん」
そうなのである。ラヤーナがガラスペンの作成をする事になったのだ。
ガラス屋のベルディアは素材となるコンペイトウのような断面のガラス棒を提供するだけである。ベルディア曰く「弟子の結納金」だそうだ。律儀な事である。まあ弟子のファルサングがガラス工房を継いで、ラヤーナと結婚すれば、最終的にはひと固まりのようなものである。
「まあ試しておいてよラヤーナさん。ペンが出来る頃には相手側も出来あがっているから」
伊勢の言葉に親父がピクリと眉をあげる。
「順調なのかよ」
そう、なんちゃって和紙の事である。
「うん、そんなに悪くはない。と、今日はそっちをやらなきゃいけないから帰るよ」
「おう」
「イセさんお疲れさまでした」
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「ただいま」
伊勢が家に帰るとファリドとビジャンとレイラーが飯を食っていた。
「兄貴、ごちになってます」「……どうも…」「やあイセ君!」
彼らが来るのは伊勢が体を鍛える早朝の事が多い。最近はロスタムもつき合わさせている。ただ、どうにもロスタムにはセンスがないようだ。
レイラーが来るのは不定期だが、午後が多いのでこの3人の組み合わせは珍しい。
「珍しいなお前ら。なんかあったのか?」
「ちょっと兄貴に相談がありまして」
「ふむ…食いながら聞こうか。お!ハンバーグじゃないか!アール、豆腐でも作ったの?」
なぜか、おからハンバーグであった。この国には豚肉と牛肉が無いので仕方が無いのである。
「いいえ、相棒。おからハンバーグを作りたかっただけです。ヘルシーですヨ。豆腐はにがりが無いので、豆乳のまま飲みますヨ」
なぜおからハンバーグなのかは理解できないが、深く考えたら負けである。
「で、どうした?」
「いやね?ビジャンの親父が体の調子が悪いんすよ。兄貴に診てもらえないかと」
「俺は医者じゃねぇぞ?」
伊勢の医学知識など完全に一般常識の雑学レベルである。
「いや、兄貴は変な事いっぱい知ってるじゃねぇすか。何とかならんかと」
「……医者には連れてった…」
「そうか、で、どうだった?」
「……瀉血してもらったけど良くならない…」
瀉血とは血を抜く治療法である。この国では良くやられているが、もちろん迷信の治療なのでほとんどの場合は逆効果である。
「瀉血は迷信だからなぁ。無意味だ」
「瀉血は迷信なのかね!何故だね!そんなこと初めて聞いたよ!」
伊勢の漏らした新事実に、関係の無いレイラーが興奮してしまった。まあいつもの事である。伊勢もすでに慣れた。
「ああ、レイラー、後で説明するよ。それで症状は?」
「……手足のしびれ、むくみ、喉が渇く、よく便所に行く…」
おや?と伊勢は思った。これはもしや…
「親父さんは太ってるか?良く食い、酒を飲むか?」
「……太ってたけど最近は少し痩せてきた…商人だから付き合いが多い……」
伊勢にはどうも見当がついた。良くある生活習慣病って奴ではなかろうか。
「そうか。大体わかった。糖尿病だとおもう」
「何かねそれは!」
「まあ直接会ってみてみよう。レイラーも付いてきなよ。ロスタムも来い。アールは家の方頼むよ。ファリドはどうする?」
「俺は遠慮します。ここで待ってますよ」
「そうか、じゃあ行ってくる」
そういう事になった。
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「……ここが俺の実家…」
ビジャンの家はかなり大きな薬問屋であった。彼はこの家の5男である。子だくさんな事である。
くすり屋という事で、伊勢は少し展開を懸念した。
「……ただいま。…これが俺の一番上の兄さん。サーマール…」
「ああ、ビジャンお帰り。こちらがお前が言っていた人かね?」
ビジャンの兄は30歳くらいの穏やかな喋り方の男であった。この国の標準レベルの美形である。
「……そう…父さんは?…」
「奥で寝てるよ。行こうか」
「…はい…」
室内の調度はそれなりに良い。結構な商人なのかもしれない。
「父さん、入りますよ」
「入れ」
ビジャンの兄サーマールが声をかけて入っていった。
「父さん、ビジャンが知り合いのお医者さんを連れて来てくれましたよ」
「…ビジャンの知り合いですか。どうも初めまして。薬問屋のバムシャー・セイラームです。」
体を起して答えたビジャンの父バムシャーは、小柄でコロっとした小太りの五十男であった。慇懃ではあるが目はきつく、押しが強い感じだ。
「初めまして、伊勢修一郎です。こちらは弟子のロスタム。こちらはレイラー・モラディヤーン女史」
バムシャーはレイラーの名前を聞いて眉をひそめた。伊勢は何か因縁があるのかと思い、少し心配になった。この国では名誉やメンツを非常に重要視するので、時にそれが複雑な人間関係となって厄介な事態を引き起こすのだ。
「レイラー殿が診て下さるのかな?」
「いえ、私は単なる付添です。診察するのは、このイセ君です」
「…そうか。まあせっかくですから診ていただく事にしましょう。宜しくお願いします」
何か非常に嫌ないい方であるが、小さくなって伊勢の顔を見ているビジャンの手前、なにも言わない事にして、なんちゃって診察を始めた。
適当に脈をみた振りをし、口の中を覗き、胸と腹に指を置いて叩いてみる。もちろん伊勢にはそんな事をしたところで、なんにもわからない。医者らしさを出す為の演出である。
「問診の結果をまとめますと、症状は喉の渇き、手足のしびれ、むくみ、体重の減少、尿が多い、疲れやすい。との事ですね?食事は一日二回で、夕食は付き合いで宴席が多い。酒も良く飲まれると…やはり糖尿病ですな。」
「…なんですかな、それは。聞いたことも無い。私は医者ではないが医術には詳しいつもりだ」
やはり面倒くさそうだ、と伊勢は思った。
「…糖尿病というのは血の中の糖分の量が調節できなくなる病気です。つまり糖分が多くなり過ぎる。そうなれば先程のような症状が出てきます。
糖分が多いので血に粘りが出過ぎて、体の末端まで良く回らないからしびれが出る。疲れやすい。体が水が足りないと勝手に思い込んで喉が渇く。その結果、尿が多くなる。体重の減少も血液中の糖分が上手く使えてないからです。このまま症状が進行すると、目が見えなくなったり、手足の先が腐り落ちて死んだりします。
簡単に言って、すべての原因は食べ過ぎと酒の飲みすぎ、運動不足。」
伊勢がしゃべればしゃべるほど、小馬鹿にしたような目をバムシャーは浮かべた。どんなに説明しても無駄なのだ。基礎知識に量の問題だけじゃ無い違いがあり過ぎる。合理的な説明などは、いくらしたとしても通用しないのである。
「まるで聞いた事がありませんな。わけがわからない。血の中に糖分がある?食べ過ぎが原因?目が見えなくなる?なんですかなそれは…笑ってしまいそうだ。モラディヤーン殿の学派ではそのような事を教えてらっしゃるので?え?
私の先生によると、この病気は血液と粘液の均衡が崩れているだけ。瀉血を定期的にし、ワインを良く飲み、上半身に血を集めれば治るのですよ」
学派…おそらくこの様子だと、バムシャーの関係している派閥はレイラー達の派閥とは相いれないのだろう。
この世界では部族の一門というくくりで、全てが動く場合が多い。つきあいや、商業活動すら多くがそのくくりで行われている。学派にも同じような構造があるのだろう。裏切り者と弾かれたくなければ、敵対学派とつき合うわけにはいかないのだ。
伊勢はほぞをかんだ。レイラーの学者としての権威が、伊勢の診断の裏付けになってくれる事を期待していたが、完全に逆効果となってしまった。どうしようもない。
「私の学派の教えではない。彼は異国の出でそこで医術を学んできたのだよ。彼の知識は物凄いものだよ。」
レイラーが苦々しげに言う。
「そんなわけのわからぬ医術になど、体を任す事はできませんな。私はお世話になっている先生がおりますので、もうご心配なく」
伊勢達には、もう、席を立つことしか出来なかった。
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「……イセの兄貴…レイラーさん…すいません…」
伊勢の家に帰宅するまで無言だったビジャンは、帰ってくるなり両膝と両手を地に付けて頭を下げた。
「やめろよビジャン。そういうのは」
「……でも兄貴…俺は…」
ビジャンは土間の土を見て歯を食いしばっている。伊勢達への申し訳なさと、恥ずかしさと、悔しさが、それぞれ心で渦を巻いているのだろう。
「やめろ。お前は親父さんに生きかえる機会を与えたんだ。それだけだ」
「……はい…」
「ここにいる奴らは皆、お前がやった事をわかってるよ。大丈夫だ」
「……はい…兄貴…レイラーさん…ありがとうございました…また明日の朝、稽古を…」
ビジャンは一緒に帰ろうとするファリドを押しとどめ、一人で帰っていった。
「何があったんすか、兄貴」
いぶかしげなファリドに向けて、伊勢が説明した。
ファリドはああ、やっぱり、という顔をし、天を仰いで首を振った。
「兄貴、ビジャンは親父さんの前で話しましたか?」
伊勢はあの場面を思い出してみるが、ビジャンの声を聞いた覚えはなかった。
「やっぱそうすか…ビジャンはね、兄貴。ガキの頃から、親父さんがいる場だと一言も喋らないんす。親父さんがいなけりゃ、あの調子だけど喋るんすけどね。あいつは親父さんが大嫌いで、そんで怖いんす」
「じゃあなんでだ」
伊勢には訳がわからなかった。何でそんな嫌いな奴を助けようとする?父親だからか?いや、あり得ないだろう。
「このまえ俺も、そうやって聞いたんす。そしたらこう言いました、『……このままじゃ負けたままだ…』って」
伊勢の胸にストンと答えが落ちてきた気がした。
助ける事で、勝ちたかったのだ。
「そうか、わかった」
「どうすりゃいいですかね?」
「わかんねぇよ」
ままならないものだ。
伊勢はふと昼ごはんのおからハンバーグを思い出し、「ヘルシーかぁ」と苦笑するのであった。




