145日目
本日2話目の投稿です
145日目
早朝、3度目のキルマウス邸への訪問である。アミルの家のように、勝手知ったる…とまでは全く行かないが、伊勢にも、もう緊張は無い。アールはそもそも緊張しているところを見た事が無い。彼女の精神は鋼で出来ているのだろう。バイクだけに。
アミル、伊勢、アールの三人は以前来たときのように小部屋に通され、10分ほどして使用人が呼びに来たので、キルマウスの待つ部屋に入った。相変わらず、象牙の彫りものやガラスの置物で飾られた豪華な部屋だ。
「キルマウス様におかれましては…
「来たかアミル、イセ、アール。何の話だ。お前らは今何をしている?報告をあげろ。水を飲め。この彫刻をどう思う?新しく作らせたのだ」
キルマウスはアミルの挨拶を遮って、いつものごとく機関銃のような短い質問を叩きつけ始めた。
「ではイセ殿から…」
安定の投げっぱなしジャーマンである。伊勢ももう予測済みであった。
「閣下、北東部のモング族の事でございます。危険かもしれません」
「続けろ」
キルマウスが発したのは一言だ。眼の色が変わっていた。
「は。これは10日前に得られた情報です。私は70日ほど前に隊商護衛としてファハーンを旅立ち、ジャハーンギールに向かいました。かの地の執政官殿の依頼で訓練中隊100名の訓練を担当し、同時にそれを指揮する事になりました。中隊の訓練を初めて5週間経ったときに、長期行動訓練のためにジャハーンギール東方100サングの地点まで進出いたしました。この地点の行政官区はヴィシーですが。さて、その地点で野営していますと………
「…モングの偵察部隊85名を全滅させ、捕虜25名を得ました。これを尋問し、魔境にあるモングの南下ルートを割り出しました。南下ルートはそれほど太くは無いとは言え、モング族は全てが卓越した騎兵です。やろうと思えば一日で数万騎を送る事が可能かもしれません。…まあその場合は補給の問題がありますが、こちらの物資を奪い、街を一撃離脱で叩いていくような事も……
「早急に砦を侵攻ルートに築く必要があると思います。東北部は、以前からのモングの断続的な急襲のせいで、統治が乱れつつあるのでモングに対応する能力が無いかもしれません。私の護衛していた隊商も黒馬族150騎に襲われましたが…そんな状況です。中央からの迅速な支援が必要だと思い……
「…そもそも国境付近なのに、あのような小規模の街と軍と部族とが乱立している状態を放置するなど…私には意味がわかりませんが。政治的にも軍事的にも強力な統治をあの地方に敷かないと、いずれこの国は無くなります。十年後か一年後は知りませんが。」
伊勢の長い話が終わった。
キルマウスは相槌も打たずに、じっと黙って伊勢の話を聞いていた。静かに歯を食いしばった。
キルマウスにはわかっていたのだ。マトモな頭のある奴にはわかっている。だが西の帝都グダードにいる人間には、この危機感がわからないのだ。
この国は長い間戦争をしていない。大きな戦争は80年前の東西の内戦くらいのものだ。西の諸部族の連中は、根っ子のところでは東の我々を同胞と思っていない。潜在的に敵だと思っている。だから危機感を覚えないのだ。
愚かなことである。モングにとってはアルバール人はアルバール人。西も東も関係なく、単なる略奪対象であり侵略すべき土地に過ぎないというのに。アルバールの東がモングの支配下にはいれば、裏切った部族とモングが帝都になだれ込むだろう。
伊勢の言うように、ジャハーンギールやその周辺の東北部をまとめたいのは、キルマウスとて同じだ。だが80年前の内戦以降、帝都グダードは東側の諸部族が団結する事を恐れてしまっている。セルジュ一門のような大規模部族が、支配地域以外の他の部族を支援する、などという事は政治的に、とても難しいのである。
「キルマウスさん。エルフですヨ」
アールが眉間に皺を刻んでいるキルマウスに対していきなり言った。伊勢もアミルもいきなりの事にギョッとした目でアールを見た。
アールは、伊勢がアミルに昨日の話し合いで言っていた言葉をそのまま言っている。怖いものなしである。
「双樹帝国を使うんですヨ。遠交近攻ですヨ。」
「遠交近攻?何だそれは?」
「遠交近攻っていうのは近くの国を攻めて、遠くの国と交わる事です。そういう戦略ですヨ。」
キルマウスは驚いた。この女は単なる綺麗なだけの飾りだと思っていた。それがこれである。いきなり戦略などについて言及してくるのである。彼にはアールの言う遠交近攻の意味がよくわかった。双樹帝国にモングの後方と本拠地を脅かさせろ、というのだ。非常に正統な軍略である。それが出来れば極めて有効であろう。
「言いたい事は良くわかった。効果的だ。」
キルマウスが褒めてもアールはコクリと頷くだけである。
コイツらはいくつの隠し玉を持っているのか、キルマウスの興味は否応なしに湧き上がった。
「ところでイセ。速い情報だ。どうやって伝えた?馬か?自操車か?いや、速過ぎる気がするな?なんだ?」
「…はい。アールの力です。アールが二級戦闘士で魔法師である事はご存知ですか?彼女は祖国の魔法を使い、馬の数倍もの速度で地を駆ける乗り物に変化する事が出来ます。
…アール、閣下に見せてやってくれ。」
伊勢はここが一つの勝負どころだと思った。
権力者に見せるのは不安でもあるが、いつまでも隠しておけるものでは無いのだ。便利な戦力、として見てもらった方がまだ良い。先程アールが喋った事はこうなってみると良かったかもしれぬ。
「はい、相棒」
アールは一言短く返事をすると、その場にしゃがんで元の姿に変化した。十数秒後、また人間型にもどった。
一連の様子をキルマウスは目をかっぴらき、口を開けて見ていた。
「閣下、これが我が祖国で尊敬を集めていた大魔法師であるアールの力、チート魔法です。彼女はこの国の魔法は使えませんが、我が祖国の魔法により、相棒として私を常に助けてくれております」
その伊勢の言葉の後、キルマウスはそれからたっぷり一分間は無言であった。彼の頭の中には様々な事が高速で回転していた。しばらくして頷いた。納得したようであった。
「わかった。初めて見る。異国の技前に感服した。今後とも励め。アミルは知っていたのか?」
「はい、存じておりました」
「フン。言わなかった理由はわかる。責めぬ。他にはないのか?」
「現状で報告できるのはこのあたりでございます。」
「よし。タバコを吸って帰れ。これは駄賃だ。」
キルマウスはアールに向けて布の子袋を放ってよこした。
その後は娘を嫁によこせだの何だのと言った会話であった。
布袋には三千ディル入っていた。
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2人がキルマウス邸から家に戻るとロスタムが三点頭立で逆立ちをしながら字を眺めていた。
「…何やってんだ?お前」
「ああ、師匠、お帰りなさい。このまえ師匠が人間は脳で考える、脳の栄養は血が運ぶって言ってたから、逆立ちして頭が良くならないかと…無理なようです」
ふむ。
コイツはバカなんだか賢いんだかわからん、と伊勢は思った。
たぶんこう考えたんだろう。 脳で考える→脳に栄養が必要→逆立ちすれば血が頭に上る→栄養満点→俺の賢さアップ。
「そうか…まあいい。で、文字はどのくらい覚えた?」
「文字は全部覚えたと思います。でも読めません…」
そうなのだ。この国の場合、一部の例外を除いて子音のみで単語を書く。初心者向けに母音を記したものもあるが、そんなのを使っていればバカにされてしまうのである。
しかも個々の字を筆記体のようにつなげて書く。これが個人差が大きく、これまた読みにくい原因になる。そして書く方はもっと大変である。伊勢としても極めて非合理的なシステムに思えるのだが、もしかすると日本語よりはマシかもしれぬ。
「ロスタム君、ちゃんと頑張れば一月で読めるようになりますヨ。相棒の教えていた中隊では、みんなあっという間に読めるようになりました」
アールがそう言った。確かに事実だ。
「どうやって教えたんですか師匠!俺にもそのやり方でお願いします!」
「読み書きできない兵士など使いものにならないから殺す、って言っただけだ」
「……」
「ロスタム君。頑張ればできるって事ですヨ」
正しい根性論だ。実際に頑張ればできると、兵士たちの実績により証明されているのである。あとは頑張るだけなのだ。根性を出せ。
「はい。頑張ります…」
「まあマルヤムが読み書きできるから教えて貰えよ。あの婆さんは?」
「上で寝床を作っています」
伊勢が二階に上がってみると、マルヤムがベッドメイクをしていた。文字通り、木を組んでベッドをメイクしているのである。
「器用だな、マルヤム」
「なあに、旦那。大工が作ったのを組み立ててるだけさね」
「ふむ」
しかし段取りの良い婆さんである。昨日、彼女にすれば初めてのファハーンに着いて、今日の午前中にはベッドを作っているのだ。どうやったのかは知らないが、大した要領の良さである。
「マルヤム。アールが午後から服を買いに行くが、あんたはなんか欲しいものは無いか?」
「服を買うなら布も買ってきておくれよ。裁縫して普段着くらいなら作れるんだから」
器用な婆さんである。
アールも以前に服を作っていたが、彼女は簡単なものしか作れなかった。伊勢の知識がアールの知識のベースなので、そんなもんだったのだ。その後に練習して、裁縫はすぐにうまくなったようだが。
「そうか。なら布とよそ行きの服をアールに頼んでおこう」
「あいよ。ところであたしの給料はいくらだい?」
「いくら欲しいんだ?」
「食住込みだからねぇ。一日2ディル」
2ディルとは伊勢の感覚で言うと5百円もないくらいに思える。少ないように見えるが、一般的にはこれで十分なのである。普通だったら、食事と住居付きなら1日1ディル程度の価値すら、マルヤムには無いのだ。それがこの世界の現実だ。
「いいだろう。給料は月に一度渡す。これは今月分だ。じゃあ頑張ってくれ」
「あいよキシシ」
気持ち悪い笑い方をしたマルヤムを置いて、伊勢は自分の仕事スペースに行った。アミルに手配してもらう材料をまとめるのだ。
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「ああ、空が綺麗ですねぇアールさん!あっ髪飾り使ってくれてるんですね!」
ラヤーナが空を見上げるふりをしながらアールを見て、嬉しそうにわらって言う。アールのつけている髪飾りはラヤーナが手作りしたものだ。銅のボディにガラス玉が三つはめられているだけの簡素なものだが、アールはこれをとても気に入っていた。
「アールさんから買い物に誘ってもらえるなんて最高です!今日はどんなのが欲しいんですか?」
「ボクと相棒とロスタム君の外出着をそれぞれ二着くらい。他に反物の生地と正装も欲しいです」
「そんなに沢山ですか!…アールさん、いくら持ってきたんですか?」
「一万ディル持ってきました」
「…」
絶句である。単なる服の買い物と思っていたが、これはもう仕入れレベルのものであった。正直言って怖い。一万も持って普通に歩けるほどラヤーナは良い根性はしていないのである。もし盗まれたら…と思うと楽しかったはずのアールさんとの初デートもビクビクものなのであった。
「アールさんて、お金持ちなんですね」
「そうでもないですヨ?でもお金は魔境にでも行って稼いでくればいいんですヨ」
お金は魔境に落ちている。まあ戦闘士らしい考え方ではある。
「ここが私のお勧めの服屋です!」
ラヤーナは商業区外れの15坪くらいの服屋に入っていった。
「あらラヤーナちゃん、こんにち…っっっ!!…すばらしい……」
中にいた30代くらいのぽっちゃりした女性が、店に入ってきた二人を見て一瞬停止した後、静かにとろけた。女性は半ば浮遊したようにアールたちの方に寄ってきた。たぶん彼女の周りでは、重力が仕事をしていないのであろう。今だけは。
「私はシャーリ。あなた様の名前はなんておっしゃるの?」
「ボクはアールです」
「ダメです!アールさんは私の…」
ラヤーナとシャーリが一瞬睨みあう。
「ラヤーナちゃん、ちょっとこっちへ」
隅に移動して、しばし話し合った結果、この店では共同保有となる事に決定したらしい。共同保有。腐っている。アールにも難儀なことである。
「ところでどういうものをお探しですかアール様」
勝手に保有した相手に『様』扱いである。残念きわまる。
「余所行きの服が3人分、2着ずつ欲しいんです。ボクと相棒とロスタム君、12歳の弟子の可能性がありそうな何かそんな子供の3人分です」
「わかりましたわ、ご提案させていただきます。ただアール様の場合、立派なお美しいお体をされておりますから、オーダーメードになってしまいます。心をこめて、私がデザインさせていただきますわ」
店主の人格はともかくとして、店の商品は確かな品質のものであった。
値段も悪くない。というか明確に安い。アール様から金銭を頂くという行為が、女店主的に精神を削る行為であったからかもしれない。
アールはパーソナルカラーである白・青の服と赤・黒の服を注文し、ロスタムは緑と茶の服を、伊勢は深い赤と淡い青の服にした。値段は全部で二千ディルとなった。この世界では布は高価なので、それなりの品質でこの値段なら明らかに安い。心配になるレベルだ。
「では服を脱いで頂いて採寸を…じゅるり」
「私も手伝います…じゅる」
「え?なんでラヤーナさんも?ボクは…あれ?え?」
ちなみに店の看板は準備中に変えてあったのであった。
次に、以前行ったことのあるバザールの布屋に行き、ビジャン直伝の交渉術で、一時間半かけて店主を燃え尽きさせた。
なぜかわからないが、最後に店主が晴々としていた顔がアールには印象的である。
正装はまた今度、という事にし、これまたラヤーナお勧めの喫茶店に入って体を休める事となった。
アールはコーヒーを、ラヤーナはミルクティーを注文する。
「アールさんて、結構買い物が上手いんですね。あの店主なんて感動してましたよ?」
「そうですか?ボクはただ友達に習ったように交渉しただけなんですけどね」
アールには店主が感動した理由などわからない。ただ、粘りに粘った後に、「ボクは知っているんです」というビジャン直伝の言葉を最後に使っただけである。それから先の交渉は、すごく簡単だった。理由は彼女には分からない。
「今日は色んなアールさんが見れて良かったです」
ラヤーナが恥ずかしそうにハニカミながら言う。男なら誰でも守ってあげたくなるような笑顔であった。
「ボクこそ良い店を教えてもらって助かりました。ガラス職人の彼とも行った事のあるお店なんですか?」
アールの言葉にラヤーナはさみしそうに笑った。
「彼とはあんまり会っていないんです。彼の休みの日は無いので…夜たまに来てくれて、鍛冶場でお父さんにばれない様に少しお話しするだけなんです」
「そうですか。親父さんもいつかわかってくれると良いですね。」
「彼ならお父さんもわかってくれると思うんです。一生懸命で立派な人なんです。」
彼の話をするラヤーナさんはとても誇らしげにアールには見えた。けなげで可愛い人だと思った。
ラヤーナは彼に近づきたいからガラス細工を自分で作っているんだ、ガラス細工を作っていると彼と一緒にいる時間を思い出すのかもしれないし、次に会ったときに上手くなったところを見せたいのかもしれない。だから一生懸命に作るんだろう、一生懸命な人は常に素敵だ、そんな風に思った。
「ラヤーナさんは、可愛いですね。とっても素敵です」
ラヤーナは真っ赤になった。
今はただ、西の窓から差し込んでくる、大きく傾いた太陽のせい、という事にしておこう。
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