139~140日目
139日目
「ところでイセ君。そろそろ巣が出来始める頃だと思うのだがね?」
レイラーの言葉で、一行は蜂蜜村の様子を見に来た。確かに、そろそろ巣が出来始める頃だったのである。
村までの道中、アールは実に楽しそうだ。こういう空気が彼女は大好きなのだ。
ロスタムは自操車から周囲を見回している。彼はほとんど村を出た事が無いから全てが新鮮なのだろう。ロスタムには早く文字と計算を教えなければならないと伊勢は思った。
「「お待ちしていました!」」
伊勢らが来たのは4週間ぶりだ。メフラーンとマハスティの蜂蜜夫妻はなにやらハイテンションである。面白い結果が出ているのかもしれない。
「行きましょう!」
水も飲まずに腕をとられていく事になった。
「おおおおお!すごいじゃないかねイセ君!枠の中に巣が出来始めているじゃないか!痛い!」
蜂に刺された。
この中で一番ハチに刺されているのがレイラーだ。興奮し過ぎなのである。アールを見習ってほしいものだ。
「相棒、この辺はなんかかじられていますねぇ…おいしいんでしょうか?…おいしくないですヨ」
アール先生…いくら毒にならないからと言って蜜蝋で出来た巣の元をかじるのはやめてもらいたい。ロスタムお前もだ。
「メフラーンさん、マハスティさん。いい具合ですね、安心しましたよ。このまま様子を見ましょう」
伊勢は、安心した。
巣が、だいたい狙ったような所にできてきているのだ。このままじっくり寝かせていけば、モノになるような気がする。
軌道に乗るまでは時間がかかるかもしれないが、この世界の蜂だって伊勢の世界の蜂と大して変わらないのだ。すばらしい。
「師匠、これはどういう仕組みなんですか?
「これはだな…」
ロスタムに巣箱を説明する相棒を見て、アールもほっこりした。
やっぱり、相棒はこういう人だ。軍曹も出来るけど、戦場で戦っている相棒はすごく無理をしている。
相棒にはこういうのが良いと、アールは思う。
「じゃあメフラーンとマハスティ、後はよろしくお願いしますね?俺はファハーンに帰りますから」
「はい、本当にありがとうございました。神のお導きを」
「神のお導きを」
メフラーンらにとっては養蜂も神だ。彼らは自然に宿る神の技を活かす為に努力している。それがこの国の人たちのジャスティスだ。
伊勢にとっては違和感はあるが、なんだって上手く行くなら文句など無いのである。
「イセ君、ファハーンに帰るのかね?」
「ああ、レイラー。君さえよければできるだけ早くに帰ろうと思うんだけど。明後日とか」
「急だね。まあ学者には思索を巡らせる頭だけあればいいから、いつでも構わんよ」
レイラーにはこの街に大きな思い入れは無い。レイラーにとって重要なのは、イセ君とその周りで彼が引き起こす、暴風のような現象だけだ。
それを観察していると、レイラーの中に新しい着想が次々と生まれるのである。
彼女にとって、彼はまさに打ち出の小槌だ。
イセ君の異常な知識以上に、彼の独自の見方と言うのが彼女にとっては大切だった。
それは、イセ君らしさと言っても良いものである。
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140日目
「という事で、アフシャール。俺達は明日ファハーンに帰ろうと思うんだ」
「なーんですとー!明日とは!なーんということだ!…盛大な宴会を開かねば!」
アミル次男のアフシャールのリアクションはいつも以上にデカかったが、すぐさま宴会に切り替える所はさすがである。
「バスラー!すぐに手配を!」
「はい」
バスラーは全く動じていない。この辺のかけあいも流石の主従である。
伊勢とアールは出発の準備を始めた。
アールは料理を教え合っていた近所の奥様達に挨拶しに行った。
「明日、ボク達はファハーンに立ちます。今までありがとうございました」
「え?なんで?!行っちゃうの?!」
出発を知らせると誰もが涙ぐむ。この世界の人々は、人との出会いをとても大切にしている。特に、気取りのない、この街の人たちは。
一期一会なのだ。
だから大切なのだと、アールは思う。
伊勢は戦闘士協会に行った。
「こんちはー、おば…支部長、終わりましたよ。」
「おお、イセさんじゃない。おばちゃんでいいよ。まあ、いつ来るかと思ってたよ。これが報酬です」
随分と多い。二万ディルほどある。
「追加分は執政官からの特別報酬ね。後これです」
3級戦闘士の登録証だ。
「腕の評価と依頼の達成とモング族討伐への評価ね」
「ああ、ありがとうございます、おばちゃん。ハムラー伍長、ニーグ伍長、ラハン伍長には?」
「彼らにも追加報酬が五千ディルずつ出てるから心配しなくて良い。追加報酬を指示したのはあんただろ?」
「わかった。俺達はファハーンに帰るから。じゃあなんかあったらまた」
「ああ、気をつけて」
旅の多い戦闘士同士の挨拶はこの程度だ。それも、いい。
次に伊勢は自操車屋に行き、4人乗りの小型三輪自操車を買った。
これをアールに引いてもらってファハーンに帰るのだ。さすがに数週間かけて帰る気にはなれない。
車輪を頑丈に改造してもらい、さらに補助輪的なものをつけてこけないようにしてもらった。3輪車は危険なので、できるだけの事はしないとならぬ。
今日中、と言う事で大特急で作業してもらい、なんとかなった。
七千ディルがこれで飛んでいった。
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アフシャールの開いてくれた宴会は、10日ほど前にやったように店の駐車場で行われた。気兼ねが無くて、この形が一番いいと伊勢は思う。
ファルダードや、中隊の兵士は来ない。軍曹と彼らとの別れは済んでいる。
アールは奥さん達と一緒にたくさんの料理を作った。
伊勢がすきなアクアパッツァも、白身魚のスパゲッティもアールが作った。みんなにも大好評である。
レイラーも一緒に作ったらしい。
伊勢は意外に思ったが、最近ではレイラーも料理をしたりするようだ。今も奥さん連中と話をしている。
マルヤムは番頭のバスラーとなにやら話し込んでいる。伊勢にとって、あの婆さんはかなり謎のキャラクターだ。
伊勢の周りにはロスタムとアフシャール、それと近所の男たちがいる。
話す内容は妻の愚痴、娘が可愛い、あの娘が可愛い、あそこの店の何とかちゃんが最高のサービスだ、などなど。
どの世界でも変わらない、と伊勢は思う。
下らない話だが、楽しいのだ。楽しいのだからそれは正義なのである。
ロスタムはすこし緊張して居心地悪そうだ。
知らない男ばかりで知らない話をしてるのだから当たり前かもしれないが、まあこういう席に置いておくのも経験の一つになると思う。
「おいお前、どこからきたんだい?」
ロスタムに魚屋の息子が話しかけた。ロスタムより少し小さいはずだ。
「プーリー村って所からだ。あしたはファハーンに行く」
「ふーん。両方知らん所だ。こっち来いよ。行っちゃうなら餞別に俺達の秘密の場所に連れて行ってやる」
ロスタムが伊勢を見る。
「いってこい」
駆けだしていった。
子供たち全員が知っているけど秘密の場所。そんな秘密の場所がどこにだってあるのだ。
「アフシャール。あんた結婚はしないのかい?」
伊勢はアフシャールに話しかけた。もうすっかりアフシャールとは慣れ親しんでしまった。
彼は商人としては真っ直ぐ過ぎるが、実務能力はあるし金もあるし、変な奴だけど顔以外は男として悪くないと伊勢は思う。
「あー、結婚ですか。まあ…したいですな。」
「縁談はあるんだろう?いい人でもいるの?」
アフシャールはもじもじしている。いかつい顔つきの大の男としては微妙な仕草である。
「結婚がしたいというか…ある特定の人がその…まあ、この場では…」
まあ、みんないる場所では言えないのは当たり前か。
「言わなくてもいいさ。心配すんな。アフシャールは顔以外は良い男だと思うよ。逆よりずっと良い」
「そうですかな」
「そうさ」
伊勢は盃を高く掲げて響く声で言った。
「アフシャールの恋に乾杯!!」
「「「乾杯!!」」」
アフシャールは慌てながら周りを見回している。ざまーみろ!
宴が少し中だるみしてきたころに、伊勢は席をはずしてタバコを吸いに行った。
「相棒」
アールが伊勢の所にやってきた。
「ああ、うん?」
「楽しかったですね。お疲れさまでした」
楽しかったし、疲れた。
その通りだ。
魚も美味かったし、景色は良かったし、アールとこの辺を走るのも最高だ。
黒馬族の盗賊と戦って、養蜂をやって、軍曹をやって、モングと戦って、いつのまにか弟子と使用人まで…
「うん、楽しかったし、疲れた。」
「頑張りましたね」
「ああ、うん」
頑張ったと思う。
アールだけはわかっている。
「まんざらでも無かったですヨ」
「よせやい」
タバコの煙を深く吸い込んで、吐きだした。
煙は冷たい夜の空気に溶けて消し飛んだ。
こうやって溶けていくのだ。
「アールは今日はなんの絵を描くんだ?」
「秘密です」
「秘密なら仕方ないな」
「ふふ、はい」
「はは」
伊勢とアールの静かな笑い声もまた、夜空に溶けていった




