134~138日目
134日目~
「ちちゅ中隊出発!」
午後4時過ぎに訓練中隊の自操車はプーリー村を出発した。街道の休憩所に着くのは8時過ぎになってしまうが仕方が無いだろう。月明かりはきた時よりも明るいので、走ろうと思えば走れるのである。
村を出た時に、特に大きなセレモニーは無かった。十数人の村人や女性と、これまた十数人の中隊の兵士たちが肩を叩きあったり手を握っていただけだ。
事実上、村は壊滅してしまったし、これからの事を考えると、モングを倒して喜んだり安易に励ましたりも出来ず、中隊は静寂を保って動き続けるのだった。
中隊には12人の同行者が増えた。10人は捕虜。2人は伊勢の同行者だ。 ロスタムもマルヤムも、持っている荷物はかなり少ない。背嚢一つと水筒だけだ。
他はすべて置いてきてしまった。
そのうちに来るであろう入植者のものになるのだろう。
これから中隊はファルダードの指揮のもと、ジャハーンギールに向けてひた走るだけ。
3日で帰る計画だ。
今度こそ、何事もなく帰ってやる、と伊勢は密かに気合を入れているのであった。
帰途で兵士の動きを見ていると、以前とは少し違うのがわかる。
訓練のための訓練をやめ、実戦を常に意識するようになったようだ。頭を使っている。
モングとの戦いは、今まで中隊兵士が訓練してきた事の総決算だった。全てを使ったと伊勢は思う。
あの戦いを経て、兵士の卵は、立派な兵士になったのだと思う。
技術的にも肉体的にも遥かに足りないが、あとは心が引き揚げてくれるであろう。
行軍を続け、プーリー村を出て三日後にはジャハーンギールの市街に到達した。
伝令を出しているため、中隊の戦果はもう各署に伝わっていたらしく、一般から役所の人間までさまざまなところで声をかけられた。
兵士らはそれに浮かれる事もなく、抑制された誇りを胸に静かに応対している。
一人一人があの勝利の理由を考えて、理解しているのだ。
実に頼もしいと伊勢は思った。
「ご苦労だった。まずは直接の報告を聞こう」
隊を休ませた後、伊勢とファルダードは執政官に呼ばれて報告する事となった。
すでに帰途の道すがら報告書は書いてあるので、それを提出して詳細をフォローするだけだ。
「素晴らしいな…あり得ない勝利だ」
「正直申しまして、私もそう思いますが、今回は我々が優秀だっただけではなく相手のモング族があまりに愚か過ぎました。満月でもなく、新月でもないという運もあります。
明日は隊内であの作戦行動について全員で総括するつもりです」
そう、あそこまでうまくいったのは敵がバカだからだ。
偵察なのに村を襲っているというミス。同様に大量の女を攫うというミス。ロスタムを逃がしたミス。逃走距離を稼がなかったミス。途中でさらった女を抱くというミス。見張りが少ないというミス。野営地の選択ミス。
あらゆるミスのおかげで、敵が勝手に自滅したともいえる。訓練中隊には相手のミスに付け込む事が出来る能力があっただけだ。
「いずれにしろ、モング族が南下してくる魔境のルートを潰さないといけません。これを放置しておくと、このジャハーンギールのみならずアルバールが崩壊します」
本当に大事なのはそれだ。それ以外の事は瑣末なことだ。
「時にイセ殿、このジャハーンギールに正式に務める気は無いか?」
「光栄ですが閣下、私はファハーンで仕事がありますので…お気持ちは嬉しく存じます」
「まあそうだろうな…だが何かあったなら、力にならせていただきたい」
「ぐぐ軍曹殿、わわ、私も同様に思っております!」
「ありがとう、ファルダード」
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ダリウス執政官はファルダードの盃にワインをついでやった。ファルダードは片手でそれを受けた。
「ファルダード、お前に会うのは6週間ぶりになるな。報告書は見ているが、どうだった?特にイセ殿は?」
ファルダードはワインを一口飲んで、答えた。まろやかで甘いワインであった。
「ちち父上、軍曹殿は…ひひ一言では申し上げられません。ただ、わわ私はぐぐ軍曹殿の為なら、い命をかけます」
軍曹殿はどもりのファルダードに居場所と仲間と勇気と誇り、すべてをくれた。
どもって卑屈になっていたファルダードを、泥と汗と血の中を経て、光の中に連れだしてくれたのである。
軍曹殿にそのつもりがあったのかどうかは知らないが、そんな事は関係ない。
事実として、ファルダードは救われたのである。
「ちち中隊の連中だってそうです。きき厳しい訓練で随分…ここ殺す寸前まで軍曹殿を憎みましたが…いい今では皆、へ兵士として生まれ変わりました。わわ私は仲間を誇りに思います」
ファルダードに出来た、初めての仲間だ。同じ限界を苦しみぬいた仲間である。自分の分身達であった。
ダリウスは、息子の誇らしげな姿を初めて見た。
長男と比べて、風采の上がらないダメな次男だと思っていた。
それが今ではこれだ。どうにもこうにも満足げだ。
どもりは治らないが、立派だ。
「ファルダード。第三兵団はお前に今後とも任せる。宜しく頼む。ところで報告書の書き方はイセ殿から教わったか?」
「はい、わわ私も軍曹殿に、しし週に一度報告書をだだ出していましたから」
「そうか、他の兵団長にも教えておけ。後で通達するが、これを以後の見本としたい」
ダリウスにとってイセの出す報告書は見た事が無い形式だった。
綺麗な紙や、見た事のない均一な筆致で書かれた文字が問題ではない。書き方だ。
目的がまず最初に書かれ、次に結果と結論、今後の対応が書かれている。その後に内容の詳細が書かれ、最後に技術的考察だ。余計な修飾の一切無い簡潔な文章と箇条書きを多用した書き方で、一目で実にわかりやすいのだ。
上役が知るべき情報が、順番に上から書かれている。
ダリウスは、是非、これをジャハーンギールの習慣にしたいと考えている。
「イセ殿は明日で任期が終わりだ。兵士達には言ってあるのか?」
「いいいいえ、『軍隊とはそういうものだ』とぐぐ軍曹殿がおっしゃったので、へへ兵士達には伝えておりません。かか彼らは訓練期間もしし知りません」
「そういうもの、か…ところでファルダード、戦いを聞いたからか、さっそく何件かお前に縁談が来てるぞ!」
「ええ、えええええっ?」
後は親子の会話である。
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138日目
伊勢とアールは兵舎に来た。
いつもと同じように兵士を集合させ、軽く運動をさせてから、モングとの一連の作戦行動を話し合わせた。問題点を洗い出し、自分達で改善させるのだ。
分隊内で話し合わせた後、全員の前でディスカッションを行う。
「突撃時の弓の運用に問題が…」
「剣が足りないと…」
「斥候の連絡方法を…」
「第三小隊の規模を拡大し…」
「騎兵の運用が…」
「月がもっと大きかったら…」
次から次へと出てきた。良い事である。これが種となって部隊を成長させるのだ。
兵士一人一人が考えて案を出す。下らない案もあるが、考える事が重要だと伊勢は思うので、それでもいいのだ。
午後からはいつも通りの体力錬成だ。準備運動して、走って、槍を振ったり、剣を振る。
あっという間に夕方になり、終わりだ。
改めて、戦闘服とベレー帽を着させ、中隊を集合させた。
「よし、私から諸君らに通達がある。
私の任期は今日までだ。諸君らの訓練期間は今日で終わった。以後は訓練兵ではなく正式な兵士である。
諸君らは既に甘ちゃんのガキではない。
諸君らの能力は、肉体的にも技術的にも、私が満足する水準より遥かに低いが、兵士の心意気だけはまんざらでもないと考えている。それが一番重要なところだ。
以後、ファルダード中隊長の下で、更なる訓練に努めろ。十年のうちにはこの国…いやこの世界で最強の部隊が出来あがると信じている。
諸君はこれからもモングと戦うであろう。
多くのものが死ぬ。二度と帰らない。
だがそれが諸君のやるべき事だ。
この隊があり、仲間があり、守るべき民がいる限り、諸君ら兵士は永遠である。
…アール、リボンを。…この小さく粗末な緑のリボンはこの中隊を表す。全員分がある。名前を呼んだら出て来い。受け取ったら隊の後方に下がれ。…ニフラーン!…サドリ!…アファード!…ゴラーン!…マハラウス!…ザイード!…サーヴィー!……………ファルダード!
…よし、ではファルダード中隊長、あなたに指揮権をお返しする。」
「ちち中隊気をつけぇ!敬礼!!」
中隊兵士は直立不動でまっすぐ前を見て、胸の前に手を当てて敬礼した。
伊勢らは答礼し、そのまま兵舎の門から出ていった。




