96日目
96日目
兵舎は東の城壁の近くにある古い石造りの3階建てだった。外から見た感じだと、割とスペースには余裕があるようだ。
訓練担当管となった伊勢は、兵舎に入り、その辺を歩いていた兵士を捕まえて、第3兵団の指揮官室に行った。
担当する第三兵団の指揮官である執政官の息子、ファルダードと会う予定である。
ちなみにアールはレイラーと一緒に昆虫の観察に出かけていった。
正直なところ、伊勢もそっちに行きたかった。絶対にそっちの方が面白い。
―コンコン
「どど、どうぞ」
若い声である。
「入ります」
思ったとおり若い男が机に座っていた。まだ十代かもしれない。中肉中背。だが割と肩幅はあるし、骨格はふとそうだ。
「第3兵団訓練担当管となった伊勢修一郎です。隊長のファルダード・ホライヤーン殿ですか?」
「そそ、そうです」
「本日より、お世話になります。これが命令書です。それで…執政官からどのように聞いてらっしゃいますか?」
「しし執政官からは、イセ殿の、しし下について訓練しろと。へ、兵と己を、き鍛え上げろと。」
ファルダードは吃音症である。
この国は、悠然、泰然、勇壮、冷静、壮麗、といったような、堂々とした態度こそが良しとされる世界だ。なにより名誉が大切になる。
おどおどしたように見える吃音症はとても辛いだろう、と伊勢は思った。
伊勢の会社の同僚や友人にだって居るが、吃音症でも別に仕事に支障はないし、心の働きも頭の働きも至って普通なのだ。
吃音であるから萎縮し、萎縮してしまうから自信を失うし、更に吃音になってしまうのであろう。
「つまり執政官は、訓練期間中の6週間はファルダード殿を私の指揮下に置く、という事ですか?」
「そそ、そういうことです。イ、イセ殿は訓練部隊の、し指揮官です」
意外に責任重大である。訓練部隊とは言え軍の一部隊なのだ。ということは一時的に伊勢は軍人になるという事になってしまう。
勘弁してもらいたい。しかし、すでに依頼を受注してしまった以上は逃げようがないのであった。映画や小説のネタ知識を総動員してでも、なんとかそのように演じるしかないのだ。
「わかりました…ファルダード、以後お前を部下として扱う。いいな?」
「は、はい!」
ファルダードは席を立ち、壁際に移動して直立した。空気の読める男である。伊勢はなんとなく嫌な気分になりつつも、ファルダードの開けたイスに座った。温かかった。
「よし、ファルダード。訓練部隊…以後は訓練中隊と呼ぶが…これの状況を報告しろ」
「は!くく、訓練中隊は102名。兵舎にそろっています。二名は、かか、会計・資材担当なので、せ、実質は100名ちょうどです」
「続けろ」
「は!100名のうち、しし新兵は78名、22名がだだ第一兵団と第二兵団からのせ選抜兵です」
「選抜兵はどういう連中だ?それと予算は?」
「選抜兵は、…」
「どうしたファルダード。答えろ」
「せ、選抜兵は第一第二兵団の指揮官が選抜したので…そそその…質が…」
ファルダードの言いたい事が分かって、伊勢はがっかりした。つまり落ちこぼれの問題児を押し付けられたという事だ。これでは、古参兵を核に教育していく事が出来ない。
「…わかった、給料を除いた訓練予算は?装備は?」
「しし執政官より20万ディルを、じ、自由に使えるようにああ与えられています。そそ装備は一般部隊の標準の弓50張りと槍50本、剣10振り、馬10頭、それと各自に革の鎧です」
装備は…まあそんなものだろう。ただ、予算は少ないと伊勢は感じた。一人あたりに直せば二千ディルなのだ。感覚的には30万円程度だろう。そしてその中には伊勢の依頼料である5千ディルも含まれているのである。
「ファルダード、訓練予算としてその金額は妥当なのか?」
「ふ、普通よりはだだだいぶ多いと思います。ふふ普通は、ほとんどゼロです」
つまり、既に優遇されている以上、増額は難しいという事だ。
「使えない奴は切り捨てても構わんのか?」
「は、はい。たぶん五分の一くらいなら…」
「わかった。以後お前を中隊副指揮官として命ずる。全員を一人一人よく把握しておけ。俺のやり方でやる。覚悟しておけ。」
「は!」
「閲兵する。すぐに全員を広場に集めろ」
「は!」
ファルダードは駆けだしていった。
あいつは、マトモだ。結構よく周りを見ている。
どっちかって言うとマトモじゃないのは俺の方だ。
伊勢は、そう思った。
^^^^^^^^^^
集合をかけて20分ほどが経った。伊勢は兵舎前の広場の隅から、集合した訓練中隊の兵士を見ていた。
装備は身につけているが、特に整列もしていない。かたまって尻を地面につけて座っているだけだ。ファルダードも片膝を付けてしゃがんでいる。この国ではそういう文化なのだろうか…
新兵と古参兵は大体すぐにわかる。よりだらけているのが古参兵の方だ。
正直に言って…コイツらはダメだ。
伊勢は兵士たちの前に出ていった。本当のところはビビっているが、ジャパニーズ・リーマン・スキルを使い、全力で無表情を保っている。
伊勢が前に立つと、兵士たちは立ちあがった。一応の常識はあるらしい。ここにいるのは全員が兵役の「権利」を行使した市民階級だから、最低限の常識があるのは当たり前だが。
伊勢は兵士の前に仁王立ちになると、自分に某有名SF小説の軍曹キャラをあてはめて、なんとか声を出した。
「聞け!!今日から6週間にかけてこの訓練中隊の訓練をする伊勢修一郎だ。
だらしなく固まるな!お前らは羊の群れ以下か!!5列横隊で整列しろ!ファルダード!指示しろ!」
整列するまでに10分かかった。
「中隊気をつけぇ!もう一度言う。俺はこの訓練中隊の指揮官、伊勢修一郎だ。俺の事は『軍曹殿』と呼べ。貴様らが俺に喋るときは必ず敬礼し、殿を付けろ!」
「おい、貴様ら!俺が集合の指示を出して今までどのくらいかかったか分かるか?答えろ、背の高いお前だ!」
適当に一番背の高い目立った奴を指さす。
「あ、えーと…四分の一時間ぐらいですか?」
「違う!二分の一時間だ!俺は時間のわかる魔法具を持っている!正確な数字だ!
…おい貴様、この街が敵に襲われたとして「二分の一時間待ってくれ」とか敵に言うつもりか?」
「あ、いやそんな…すいません」
「俺は元々異国人だが、今はアルバール国の市民だ。だが、俺の祖国の軍隊であれば集合をかけてから、200数える間にこの形に集合できる!これがアルバールの兵士か…だらしない…貴様らはアルバール国に泥を塗るつもりか?!あぁ?貴様!答えろ!」
「そんなつもりはないです」
「それなら練習しておけ!明日以降、一人でも300数えるまでに整列出来なかった場合、全体に罰を下す!」
「「はい」」
イマイチのリアクションだ。もう少し叩こう。俺は軍曹だ…言葉をひねり出すんだ…
「貴様らは自分が兵役に志願した男だと思ってるんだろう?ああ?お前ら新兵なんぞお嬢様以下のねんねだ!両生動物のクソ以下の価値しか無い。 古参の奴もいるな?お前も古参か?どいつもこいつもゴミだ。腐りきっている。今までどんな訓練をしてきた貴様ら。博打と手淫以外にその右手を使った事があるのか?あ? ドイツもコイツもたるみきっただらしのない羊みたいな顔をして…親に申し訳ないと思わんのか?え?なんだその体は。どれもこれも緩み切っているかひ弱かのどちらかしかない!おおかた親のすねをかじりながら女の尻ばかりを追ってきたロクデナシなんだろう貴様らは。今まで何のために生きてきたんだお前ら?親の愛情が足りなかったのか?神に申し訳ないと思わんのか?生まれてこの方マトモに男だった奴らはこの中には一人もいない。誰もかれもが甘ちゃんだ。親の顔が見てみたい。こんなどうしようもない奴らを任されるとは神は俺に恨みでもあるのか?あ?クズどもが。頭の中には女の尻の事しかつまって無いどうしようもないガキどもがお前らだ。親と先祖と部族とこの国の名誉を汚すだけの生きる価値も無い人間以下の病気の猿が貴様らだ。俺は長い間教育を受けてきたがそれでもどうやったら貴様らのような毛虫が人間から生まれてくるか全く理解が出来ん。先祖の血のせいか?それとも親の教育のせいか?この国が悪いのか?あ?お前この国のこの街の責任にするつもりか?おおかた泥棒か追剥か詐欺師か売女の息子なんだろ貴様らは。おい貴様に言ってるんだボケナス。死にかけの病気の犬が。生まれつきの負け犬みたいな顔しやがってこのクソガキどもが。なんだお前その目は?あ?迫力なし!死んだイワシの目ほどの迫力も無い!練習しておけ!
…ああ…もう勘弁ならん…お前ら俺の中隊をどうするつもりだ…お前らに比べると俺の家に住んでいるネズミの方がよっぽどマシだ…よし!貴様らダニ野郎の中に俺を殴り倒せると思う奴はいないか?俺が直接気合いを入れてやる!どうなんだ、俺にかかってくる勇気を持った男はいないのか?うち倒せるもんなら打ちたおしてみろ!私は一向に構わんぞ?あ?ああ、お前、睨んでいるだけか?俺と殴り合う勇気もない惰弱なニワトリ野郎しかいないのか?」
伊勢が罵倒するたびに兵士たちの目がらんらんと光ってくる。怖い。非常に怖い。怖いので更に罵倒してしまうのである。
「いいかげんにしろてめぇ!俺がやってやらぁ!!」
一人出てきた。ごつい体つきをした青年だ。
「よし、百人のうち少なくとも一人は男の卵がいたという事だ!お前の遺族の為に名前を言え!」
「ドルスだ!」
「よしドルス。動けなくなるか、降参するか、死んだら負けという事にする。いいな?」
「いいだろう!」
「よしかかってこい!」
おらぁ、という掛け声と共にドルスが殴りかかってきた。
伊勢は少しだけ横に動いてドルスの顎を掌で殴った。
ドルスはしゃがみ込むように力を失って終わった。
「よし次だ!二人同時でも構わんぞ!どうだ!」
「次は俺だ!」「俺もやってやるクソ!」
二人出てきた。勢いに任せて二人同時でもいいとは言ったが、実際は勘弁してもらいたい伊勢である。けっこう怖いのだ。
「名前を言え!」
「オミード!」「サドリだ!」
「よしこい!」
こい、と言いつつ伊勢は自分から動いた。卑怯とは言うまい。
オミードと言う奴の腹をブーツで蹴って吹き飛ばすと、もう一人の奴の胸に拳を入れて組み付いて投げ、背中からおとした。
なんとか立ちあがって向かってくるオミードの顔に小さくジャブを打った後、腹に一発力いっぱい右こぶしを入れた。
伊勢は戦闘士であるファリドとビジャン相手に延々と訓練を続けてきたのだ。
ビビっていても、この程度の新兵相手に負けるわけは無いのである。
「ドルス、オミード、サドリ、よくやった」
一応褒めておく。飴と鞭である。
「おい、お前ら全員聞け!
貴様らはゴミだ。新兵も他の部隊から移った古参兵も俺にとっては全く同価値だ。俺は差別も区別もせん。貴様らには全て同様に価値が無い!
貴様らのようなゴミクズがこのアルバール帝国の兵士であるならこの国は終わりだ。俺はこの国の市民になるんじゃ無かったと思う事になるだろう。だがそんな事はさせん。俺は俺の為に貴様らを鍛える。貴様らが泣いたり笑ったりできなくなるまで鍛えて鍛えて鍛え抜いてやる。覚悟しておけ!
泣き言は許さん。落伍も許さん。俺の中隊に入ったからには死ぬか男になるかのどちらかだ。もしかしたら両方かもしれん。覚悟を決めろ!!いいか!!」
「「「はい軍曹殿!」」」
「声が小さい!タマ落としたか!!」
「「「はい、軍曹殿!!!!」」」
「よーし、ドルスお前は脳を揺らしているから今日の訓練は参加しなくて良い。医務室で休め。気持ち悪かったら水は飲むな。…サドリだったな。ドルスを連れていけ、お前は体に異常が無ければ戻ってこい。オミード、お前は大丈夫だろう。列に戻れ!
全員かけあし用意…走れ!」
そういう風にして、伊勢のなんちゃって教官生活が始まったのであった。
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