95日目
95日目
養蜂村の方への訪問を終え、一応の説明は上手く行ったと伊勢は考えていた。
あとは報告を受けつつ、適宜相談に乗るくらいしか実質的に出来ないだろう。メフラーン夫婦の頑張りに期待であった。
蜂の巣作りが始まるのはあと一月はかかるそうである。
基本的にはそれまで暇だ、どうしよう…レイラーの質問に乗りつつ、彼女と共同研究でもするしかないのだろうか?…それとも一度ファハーンに帰ろうか…しかしせっかく来たのだから周囲のツーリングなど楽しみたいし海の幸も…と悩んだ末に、アールと共に戦闘士協会に行ってみる事になった。なんと言っても伊勢らの肩書は戦闘士なのである
アフシャールの支店の従業員が協会に案内してくれた。
一目見て、伊勢はビックリした。
小さいのだ。ビックリするほど、この街の戦闘士協会は小さい。
ファハーンの戦闘士協会も小さかったが、このジャハーンギールでは更に小さい。わかりやすく言えば駅前の小さな不動産屋程度。3坪くらいしか無い。
「こんちわー」
「はい、いらっしゃい」
カウンターには、受付のおばちゃんが座っていた。ぽっちゃりした「ざ・おばちゃん」という感じの中年女性である。
「えと、ファハーンから来た4級戦闘士の伊勢、同じくアールといいますが、この街でしばらく依頼をこなそうと思いまして…」
「ああ、ファハーンからね。そうねぇ、小さい街だからそれほど依頼もないのよねぇ。魔境もないですし」
聞くところによると、人口が二万人程度しかいない為、協会の事務員は一人だけ、支部長=事務員=受付、である。
所属する戦闘士は13名。5級と4級しかいない。
近隣に魔境もない為、基本的には隊商の護衛を融通するだけの機能がほとんど、なんだそうだ。まことに切ない。
「無い事も無いけれど…4級だと難しいかもねぇ。だから依頼が残っているわけですけどね」
おばちゃん、もとい支部長は絶妙に敬語を交えつつ、自嘲するように言った。内心は彼女にだって忸怩たるものがあるらしい。
「まあ、水でもどうぞ」
「ああ、どうも。ちなみにどんな依頼ですか?」
「うーん、街の軍の訓練指南なんだけどね?」
それは中々におおごとである。
「訓練指南って…そういうのは隊内でやるものでは?じゃないと統制もクソも無いでしょうに」
「ああ、言い方が悪かったですね。どっちかっていうと武芸指南的なニュアンスでいつもこの時期に依頼を受けるんですけどね?」
「ふむ、武芸指南ですか」
訓練全般、ではなく、武芸に関してのみであれば受けることも可能かもしれない。
「そう、大抵は旅の3級以上の戦闘士にお願いしてね。この時期、隊商が多いから。でも今居ないのよ。3級以上」
なるほど…と伊勢は思った。
元々、旅の護衛を務めて流れてきた戦闘士を狙って、この時期に依頼を出すらしい。
「それは4級では受けられないんですか?」
伊勢のその言葉に、おばちゃんは不服そうだ。4級ごときが調子に乗っていると思われたのかもしれぬ。
「軍からの指定は特にないからねぇ…面接で良ければ、それで良いのですけど…」
「なら面接を受けてみましょう。ダメでもともとで」
おばちゃんは悩んだ末に、伊勢の言葉にしぶしぶ頷いた。変なのを面接に送って、評価を落とさないかどうかが心配なのだ。それでも頷いてしまうあたり、この人も苦労人である。
「じゃあ戦闘士登録証を出して?」
「はい」
伊勢とアールが戦闘士登録証を出す。
おばちゃんがそれを見て目を丸くして驚いた。
「あれまあ、お嬢さん魔法師なの!二級戦闘士じゃない!」
「えっ?アール二級なの?」
アールは首をかしげている。
「ボクは魔法師の登録はしましたけど…二級なんですか?」
「魔法師の戦闘士はそれだけで二級よ!もう!何で知らないの?!」
「さあ?」
伊勢もアールも今初めて聞いた。知らないのだから仕方が無い。知らないものは知らないのである。
ともあれ、ファハーンでの街の噂のみならず、戦闘士のランク的にも伊勢はアールのおまけでしか無いのであった。
「でも今回は武芸指南なので、ボクじゃなくて相棒の仕事ですね」
「あー、そうかもなぁ。アールは武術とかそういう次元じゃ無いもんな」
伊勢は苦笑するしかない。武術なんて弱い生物の足掻きのようなものだ。圧倒的なパワーの前には無力なのである。史上最強の生物も、そんな事を言っていた。
「まあいいや、アールも行くだけ行ってみようよ」
「相棒がそう言うならボクも行きますヨ」
そう言う事になった。
面接はジャハーンギール執政官が直接行うという事である。執政官がやるべき仕事なのかどうか、多分に疑問がある伊勢ではあるが、それがこの世界の常識かもしれぬ。深いところまで突っ込んでは負けなのだ。
服装に悩んだが、その場で手合わせなどが行われるかもしれないので、いつもの革ジャンと革ジーンズで行く事にした。鎧は袋に入れて別途持って行く。
役所に行き、受付の男に来訪を伝えると、奥の一室に通され水を出された。ガラスの器である。一介の戦闘士に出すようなものではない。なかなかのものだ。アールの魔法師にして2級戦闘士の肩書が生きているからこそかもしれない。
15分ほど待っていると中年の太り気味の男が出てきた。
「やあ、あなたが2級戦闘士にして魔法師のアール殿か!このたびは訓練依頼を引き受けていただき…」
そう言って伊勢に話しかけてくる。最初から盛大に間違っている。
「アールはボクですヨ?」
「ああ!これは大変な失礼を!私はジャハーンギール執政官のダリウス・ホライヤーン、して、こちらは…」
怪訝そうな顔で見られる伊勢である。悲しくなんかない。悲しくなんかないのだ。
「はじめまして、私は4級戦闘士の伊勢修一郎と申します。私が今回の武芸指南依頼の面接に来たものです」
「ああ、イセ殿、ね。4級戦闘士、ですか」
明らかにアールに対するのとテンションが違うが、気にしたら負けであろう。
「ええ、4級戦闘士です。ただし、武芸に関しては自信があります。相棒のアールも認めてくれるほどには」
伊勢の言葉に、アールが頷いてフォローした。
「ボクの相棒の武術はすごいですヨ。ボクよりもずっと武術の腕は立ちます」
「ふむ…失礼したようだ。許してもらいたい。して、得意なものは?」
ダリウスは気を取り直したようだ。さすがに執政官だけあって、太っていても目つきは鋭い。政治家にして実務家である。
「特に得手、不得手は無いですが、強いて言えば一番得意なのは剣ですね。アルバールの剣術とは違いますが」
「ほう、顔つきからそうではないかと思っていたが、異国の出か。モングではないだろうな?!」
ここでもモング族である。帝国内でも北東ゆえに特に神経質なのだろう。
「もちろんモングではありませんよ。日本という海のかなたの国からきたものです。私の身元ならファハーンのキルマウス・セルジャーン様が保証してくれます」
キルマウスの名前を勝手に使っても、問題は無いだろう。伊勢とアールを勝手に市民登録したのは、そもそもキルマウスなのだ。
「セルジュ一門の…それなら問題は無いだろう…イセ殿、おぬしは市民なのか?…教育はどれほど受けている?」
「ええ、ファハーンで市民登録をしていますが…。教育は…祖国で18年ほどですかね」
「っ!どう見ても二十歳そこそこではないか?」
「…これでも32でして。お疑いならキルマウス様に…」
「いや、いい…ふむ、ならば武芸を見せてもらおう。…おい、護衛長を呼べ」
ダリウスは立ち上がると、付き人に自分の護衛長を呼ばせた。
護衛長はすぐ横の部屋に待機していたのだろう。数秒で来た。
「護衛長のギーブ。元三級戦闘士だ。役所の裏庭を使って良いから手合わせしてくれ。防具は訓練用のものが無いが、木剣は貸す」
ギーブという男が黙礼する。全て、するするとテンポよく決まっていく。
「わかりました。防具は自分のものを持ってきていますのでご心配なく」
「よし」
結論から言えば、簡単だった。
ギーブはカスラーよりずっと弱かった。おそらく少し前に、共に隊商を守っていたゴバードよりも弱い。
一方で伊勢はカスラーと試合した時よりも遥かに強くなっている…というか「慣れた」し、両者とも本気ではなく実力を見るだけだ。余裕である。
「ではイセ殿、いや、一時的でも依頼中は私の配下なので呼び捨てにする。イセ、訓練を頼む。仕事内容だが…おい、ファルダードを屋敷から呼んで来い。
仕事内容は新設する第3兵団の訓練だ。指揮官は私の息子、次男のファルダード。規模は約100名。期間は6週間。息子の訓練もしてもらう。基本的には全員新兵だが、第一、第二兵団から一部の人員を選抜して送る。七日に一度、報告は私に直接出せ」
伊勢は慌てた。
話が違うのである。武芸指南という話あったはずである。こんな大事は聞いていないのだ。
「あのダリウス閣下、私は武芸指南と聞いていたのですが…例年の協会への依頼は戦闘士に軍の武芸指南を行わせるというものだったはずです」
「今年は違うのだ。モングが怪しい動きをしてきているから常設軍を増やしたい。指揮官は私の息子。そしてわたしは10年の間、執政官をやっている。大きな政敵はいない。この意味がわかるか?」
伊勢はすこし考えた。息子に指揮官をさせるというのはポストの斡旋で箔をつける為?モングの脅威があるからマトモな実力の兵が欲しい?10年も地方政治のトップなら、教育担当は息子に甘くなる?受けると返事もしていないのに呼び捨てにしてくるような、この押しの強い執政官のキャラだと……そんなところか?
「閣下におもねるな、という事ですか?」
「そうだ。思い切り厳しくきたえろ。やり方は任せる」
「私は異国の出身です。訓練も私の国のやり方になってしまいますが…」
「それでもいい。どうせ後で是正も出来る。任せる。とにかく厳しくやれ」
これは…大変そうだ…。伊勢は胃が痛くなった。
戦闘士だが、軍隊経験など…無いのだ。それどころか運動部の経験すらないのである。伊勢は筋金入りの帰宅部なのだ。
「相棒、相棒なら大丈夫ですヨ。ボクの相棒ですから」
…そうだな。アールがそういうなら、きっと大丈夫だ。きっと。
「では、明日からよろしく」
執政官にむけて、伊勢は、そう言ったのだった。




