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異世界ツーリング  作者: おにぎり
外伝~歩兵中隊
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歩兵中隊 12

歩兵中隊 12


 雨だ。

 前が見えないほどの豪雨である。荒野が広がるこの大地にも、年に数回は雨が降る。恵みの雨だ。木も草も動物も、もちろん人間たちも、この地に生きるものは常に雨を待ち望んでいる。

 今、この時で無ければ。


「やっぱりだ、クソ! 渡りようがねぇ! クソクソクソ!」

 ジャイアンは寒さに歯をガタガタふるわせながら、激しく毒づいた。

「他にないのか、ジャイアン」

「ずっと下流に行くしかねぇ……クソが」

 ジャイアンとマイマイ、ヴィシーへ向かって南下する二人の目の前には、濁流が渦巻くワジ(水無川)が横たわっている。

「参ったぜ、ちくしょう……このワジの底を3サングくらい進んでから、向こう岸にわたるつもりだったんだけどよ…」

 そうなのである。ヴィシーはワジの対岸なのだ。雨が降っている以上、歩きやすく、他から眼につきにくいワジの底を歩く事も出来ない。

「どのくらい、遠回りになるんだ?」

「ざっと30サング(45キロ)ってとこだな。ずっと下流に行くしかねぇ。このワジはちょい先で西に向かってやがんだよ」

「じゃあ行こうか」

「……おう」

 二人は豪雨の中、早足で下流に向けて歩き始めた。当然、身体はぐっしょりと余すところなく濡れそぼっている。雨が降る事など想定していなかったから、防寒装備など皆無だ。寒い。体が冷え過ぎて倒れる危険があるから、常に身体を動かしておかねばならない。休みを取れそうな所は、なかなか無い。寒さと、眠気と、強行軍で、疲労が重く蓄積している。


 二人が砦を出たのは、昨日の夜である。

 出てすぐの地点で魔狼に襲われ、マイマイが左前腕に骨折と咬傷を負っている。その後、砦周辺のモングから離れるために、徹夜で朝まで強行軍した。ようやく一休みし、マイマイの傷を絹糸で縫い、最後のゲロを飲んでから仮眠を取ろうと地面の窪みに毛布を広げた所で、ぽつりと雨が降って来たのだ。

 それから5時間、震えながら歩き続けている。寒さに耐えるためと、雨をしのげる休憩地点を探す為に、殆んど休んでいない。

 降り始めはほんの軽いお湿り程度だった雨は、今では神話に伝わる天変地異のような豪雨にかわった。二人とも、こんなに激しい雨を経験したのは初めてだ。そうこうしているうちに、次第に風も出てきた。

 雲に隠れた太陽が、もう中天を越えているのは間違いないだろう。少なくとも15時間は行動し続けていると言う事だ。


「マイマイ、傷の具合はどうだ?」

「痛いな」

「そか」

「それより、寒いのがきついな」

「真っ青でよ、ひでぇ面をしてるぜ、おめぇ」

「お前のツラよりマシだ。俺の顔は元が良いからな」

「ハッ! 言ってくれるじゃねぇか!」

 とはいえ、マイマイの顔色はジャイアンよりもだいぶ青白くなっている。元々の体力はマイマイの方が遥かに高い。魔狼に噛まれ、折れた左腕が影響しているのだ。

 加熱魔法が使えれば寒さなどどうにでもなるのだが、あいにく二人とも不得手だ。運がない。

「マイマイよ、ワジは雨が降ってねぇ時は路になってんからよ、遊牧民や行商人が使う休憩所が必ずあるんだ。それによ、ワジの周りは地形がちょい複雑になってんだ。もう少し歩けば、良い岩陰とか見つかるだろうよ。俺達は運が良いから、乾いた木もあんかもな。まあ、期待して歩け」

「おう、わかった。そいつは良いな」

 軽く言うと、マイマイはジャイアンの前に立って足を速めた。


 最悪、マイマイかジャイアンのどちらかがヴィシーに到達すれば事は足りる。2人がそれぞれ同じ書状を、背嚢に入れている事からしても、それは明らかだ。最初からリスクとして計上されている。マイマイもジャイアンも、それは承知の上だ。

 だが、マイマイにはこんな所で倒れる気はなかった。そんな柔な鍛え方はしていないつもりだった。

 根性だ。

 根性がすべてである。

 寒い。すでに体は芯まで冷え切っていて、どれだけ歩いても温まらない。身体の熱は雨が全部奪い取って、大地と空気に垂れ流してしまう。

 左腕が痛い。前腕の骨は二本とも折れている。魔狼の牙で空いた穴は、えたのぉるで念入りに消毒してから、ジャイアンが絹糸で縫ってふさいだ。傷から入っただろう毒の事などは、今心配しても仕方がない。今は、ただ痛いだけだ。骨折も噛み傷も、絶え間なく神経を苛む。

 だが、それが良い。

 軍曹殿が言っておられたように、少しだけ我慢できると言う事は、永遠に我慢できると言う事なのだ。

 痛いから、むしろ目が覚めてちょうど良い。


「根性だ」

 マイマイは中隊最速の兵士である。

 中隊最速の兵士はアルバール帝国最速の兵士である。

 間違いない。彼は今、そう確信している。

 今まで、兵士として誇るべき肉体を作るために、技を得るために、全力で根性を振り絞ってきた。

 今まで出来た事が、今、出来ないわけがないのである。

 マイマイは、腰の袋から震える手で不器用にデーツを取り出した。口の中に勢いよく放り込み、散々に噛みつぶして唾液と混ぜあわせ、スープのようにして飲み込んだ。

 ねっとりとした濃い甘味に満足すると、また少しだけ足を速めた。


^^^

「ああありがてぇ…」

「ああ…」

 ジャイアンの予測は間違っていなかった。ワジに沿って一時間か二時間ほど歩くと、本当に休憩所があったのだ。

 極々小さな休憩所である。通常のように地上に作られているのではなく、珍しい地下式だった。粗雑に作られた階段を降りると、広い横穴があり、奥に傾斜した空気穴を地表まで貫通させた竃が据えてある。作る際には穴を掘る道具以外は何の資材も要らないから、ある意味で合理的と言えなくもない。

 入口の階段は土を盛って地面より一段上げられている。粗雑な板の屋根が付けられ開口部も最小限だから、水も殆んど中に入っていない。理想的だ。


 びしょ濡れの二人は転げ落ちるようにして中に入った。今まで激しい雨に濡れに濡れている。背嚢の中の物まで全滅である。

「まま薪わわわはねぇなあああ。……おお、ねね寝藁代わりの干しししし草がず随分あああるじゃねぇか…これぇぇでいけぇぇるぅ……」

「うん…」

 ジャイアンは歯の根が震えるあまり、まともに話せていない。

 マイマイの顔などは、蒼白を通り越して真っ白だ。動きも遅い。若干、目つきもうつろに見える。朦朧としているのかもしれない。

 彼の身体は、もうあまり震えていない。

 ジャイアンは内心で歯噛みした。震えていないのは、あまり良く無い傾向なのだ。寒さが振り切れてしまうと、頭では無く、身体の方が寒いと言う事を認識できなくなるのである。その昔、遊牧をしていたころ、急な寒波にそうやって倒れた仲間を見た事があった。あの男はひたすら暑いと訴えながら死んだ。

「マイぃぃマぁイ、ぬぬ脱げげげ」

「うん」

 返事はしたものの、左腕は折れているし、寒さで手が効かないので上手く脱げない。ジャイアンは、乱暴にマイマイの濡れた戦闘服を脱がして全裸にすると、乾いた干し草を整えた場所に座らせた。マイマイは膝を抱いて、小さく丸まって座った。

「くぅぅぅそぉぉぉ……」

 ジャイアンも震えながら裸になると、後ろからマイマイの背中に抱きついた。そこかしこに余っている干し草を身体に被せ、二人の全身がうずまるようにする。

「すまん」

「ぅぅうるせぇぇ。ぼけぇぇ……しし身長が、たたりねぇぇぇ……」

 ジャイアンは小柄なので、マイマイよりも拳3つ分は背が低い。傍から見ると、裸緑猿の子が親猿の背にしがみついているように見えなくもない。

 マイマイの肩まで干し草をかけたので、ジャイアンは殆んど顔まで埋まってしまっている。息は別に苦しくないが、チクチクと顔に刺さる干し草が実に煩わしかった。

「眠い」

「寝ぇぇろぉぉ…」

「うん」

 疲労がたまっているのだろう、マイマイはすぐに眠りについた。

 一方、ジャイアンは寒さのあまり、寝るどころの騒ぎでは無い。多少の寒さなら集中すれば眠れるが、今は無理だ。ガタガタと震えて耐え続けるしかない。

「くくぅぅそぉぉ…」

 こんな所で坊主頭のむさ苦しい背中を抱いて寝るとは……。大した誤算だ。本当なら、今頃はハスティーがこの腕の中に居る筈なのに。

 ジャイアンは現実の理不尽さに干し草の中で苦笑しつつ、少しでも身体と心を休めるために眼をつむった。そのままじっと震えが治まるのを待った。


^^^^

「う…さ、さびぃぃ…おう?……そういう事か……」

 入口から漏れてくる光が無くなったころ、マイマイが浅い眠りから目覚めた。瘧のように身を震わせている。身体が自分から熱を求めているのだから、良い傾向だ。

「起きたか、マイマイ。状況はわかってんか?」

「俺の腰に、誰かさんの粗末なモノがあたってるのはわかる」

 震えた苦笑交じりの答えに、ジャイアンは品の無い声でゲラゲラと笑った。

「グハハハッ! そんだけ分かれば十分だぜ! ……俺のモノは粗末じゃねぇが、な。なんなら確認してみるか?」

「やめやがれ、チンポコ野郎が。 で、どのくらい俺は寝てた? ああ、寒くて仕方ないな……」

「一時間半から二時間て所だろうな。外はまだ雨だ。もう夜だしな」

 灯りはない。乾いた焚き木があれば竃で火をおこす事も出来るが、この雨でそれは望めない。朝日が上がるまでは、真っ暗の中、こうして男同士抱き合って過ごすしかない。まことにやるせないが、こればっかりはお互いさまである。雨に洗われ抜いた為、汗臭さが無い事だけは不幸中の幸いだろう。


「それでマイマイ、具合はどうだ?」

「良くはないな…身体がふにゃふにゃだ。それに、えらく寒い。えらく寒いな……」

「明日の朝、歩けるか?」

 マイマイはしばらくのあいだ、じっと考えてから答えた。

「歩く。そのつもりはないが、もしも遅れるようなら先に行け。俺に合わせる必要はない」

「その方が良いだろうな」

 ジャイアンはあっさりと返事をすると、おもむろにマイマイから離れて干し草の外に出た。暗闇の中、手さぐりでマイマイの背嚢を漁り、デーツの入った麻袋を取り出す。


「あーあ、水浸しだわ……おめぇ、食えるか?」

「いや、もう少し後で食う。今食っても腹を壊すだけだろうからな」

「そか。貰うぞ」

 返事も待たずにジャイアンはデーツにかぶりついた。甘い。旨い。

「それにしても、マイマイ。お前は食い物、持ち過ぎじゃねぇのか?」

「いいんだよ、食い物は正義だ……ぶはっ! おい、汚ねぇモノを俺の顔にくっつけんな!」

「わりぃわりぃ、俺も息子も前が見えねぇもんでよ」

 ジャイアンは散々に苦労しながら干し草の中に戻ると、震えるマイマイの背にぴたりと張り付いた。元のように干し草を集めて、その中に埋まる。

「まったく……他人のアレを顔になすられる日が来るとは思わなかったぜ」

「お互いさまだぜ、クソったれのちくしょうめ」

「ハハハッ」

「フハハッ」

 ゲラゲラ笑い、そして黙った。

 雨の気配は、もうない。すでにやんでいるのだろう。


「食い物が無いと不安なんだよ」

「あ?」

 マイマイが、ポツリと漏らした。一瞬だけ、彼の肩の震えがやんだ。

「俺の村は日照りでやられてな。俺は13でさ……11年前の話だ。二割しか生き残らなかったんだ」

「そか。おめぇは運があったな」

「そんなもんじゃないさ」

 村の老人たちや、生きる力の薄い子供達を切り捨てて、そしてマイマイ達は生き残った。決して、運では無い。

「食い物が無いのはな、そりゃひでぇ事なのさ」

 だからマイマイは、いつも沢山の食い物を持っている。だから、皆に気前よく分け与える。

「そか」

「俺んちは田舎のどん百姓でさ。羊を飼いながら、まあ麦だとか豆だとか、そんなもんを作ってるんだ。つまんねぇもんさ」

「そか」

「日照りの時はさ、なぁんも出来なかったよ。なぁんも……なぁんも、なぁんも……」

「そか」

「家族の中では、俺の弟二人が死んだんだ。爺さん婆さんは俺が朝起きたら、服だけ置いていなくなってたよ」

「そか」

「お袋はその翌年に身体を壊して死んだよ。親父は兄貴夫婦と元気でなんとかやってる。自分たちの土地があるからさ」

「そか」

「みんな、腹いっぱい食えなきゃ駄目さ」

「そか」

「俺が死んだら、残してある俺の給料で、腹いっぱい食えよ。遺書にも、そう書いてある」

「わかった、誓う」

 ジャイアンは、マイマイの背中に張り付いて、彼の独白のような呟きを聞いた。マイマイの呼吸と共に吐き出される言葉は、なんのけれんも無くて、とても自然に思えた。何かを言わなくてはならないと思ったが、やはり何も言えなかった。だから、自分の話をする事にした。


「俺は兄弟がいっぱいいてよ」

「うん?」

「本当の兄弟じゃ無くて義兄弟なんだけどな。まあ、羊持ちのデカい家のだな、養子という名の、アレだ。体の良い丁稚だとか使用人みてぇなもんよ」

「うん」

「で、千夜楼のハスティーはな、俺の義妹でよ」

「うん」

「初めて会ったのは多分15、6年前だ。俺の義父になった男の養女でよ、4番目の妻の連れ子だ」

「うん」

「おれは15をちょっと出たくらいだったな、あいつは12か13か、だな」

「うん」

「身体のちいせぇ俺と、新参のアイツはいじめられっ子でな。良く二人で歩いてたんだ」

「うん」

「俺の歌に合わせてな、草笛を吹くんだよ。それがな、良いんだよ。すげぇ、な。楽しそうでよ。良い眼で笑うんだ。」

「うん」

「でよ、ちょっとしてアイツの母親が死んでな、またすぐに里子に出されたのよ。そんで、今は千夜楼で女郎やってんのさ」

「うん」

「三年前に千夜楼に遊びに行ったらよ、そこに居やがったんだ。神のお導きってのはこの事よ。」

「うん」

「だから、俺は金ためてんだ。それから一回も会ってねぇが、まだ千夜楼に居る事は間違いねぇ」

「うん」

「俺が死んだら、貯めた金で身請けしてやってくれや。中隊長に預けてある。十分に足りるはずだ。遺書には書いてねぇ」

「わかった、誓おう」

 マイマイは、彼の背中に張り付いたジャイアンの独白のような呟きを聞いた。背中から聞こえる声は、いつものジャイアンの声のようでもあり、青い幻想に浸る少年のようでもあり、過去に遊ぶ老爺のようでもあって、マイマイの心をゆるやかに、だけど大きく深く掻きまわした。


「ジャイアン」

「あ?」

「歌えよ」

「ああ、良いな……

――蒼き草原に、鷹が舞う、鷹が舞う

――空に雲あり、水のほとりの糸杉に我想う

――艶やかなるは、水面(みなもにしづる思い出

――在りし日、草の褥で君は唄を口ずさむ」


 真っ暗な地下室に響いた彼の声は、疲労のあまりにかすれ、震えていた。今までで一番良い声だと、マイマイは思った。


^^^

「おお、良い天気だぜ! クソったれめ!」

 早朝。空は晴れた。雲ひとつない快晴である。風も殆んど無い。地面はまだ湿っているし、ワジの水も渦を巻いているが、空だけを見ると昨日の雨が幻のようだ。

「くっそ―! つめてぇなぁ……」

「それに動きにくいなぁ……」

 乾いた服など無いので、二人とも昨日の濡れた服を着ている。冷たいわ纏わりつくわで大変だが、太陽が照りつけているのでいずれ乾くであろう。

「もう行こうぜ」

「ああ」

 ジャイアンが促すと、マイマイが先に立って細かい石ころだらけの大地を歩き始めた。二人とも、歩きながら腰の袋に入れたデーツを取り出して食う。朝飯である。食料はすべて水浸しになってしまったので、早く食ってしまわないといけない。

「……」

 ジャイアンは足場の具合を確かめつつ、斜め後ろからチラリとマイマイの,横顔を窺った。彼は無表情で眼の前の地面を見ながら足を運んでいる。顔色は相変わらず蒼い。昨日の寒さで崩した体調も戻っていない。だが、昨日の夜よりはマシなので、歩けない事はない。


「ジャイアン、ヴィシーまで残り何サングだ?」

「あー、そうだな……ワジが渡れねぇからな…40サング(60キロ)はあると思うぜ?」

「よし、今日中に辿りつける距離だな」

 荒野の不整地で40サング。通常であれば一日でなんとか届く距離だ。


 それからワジに沿って西に、細かい休憩をはさみながら6時間行軍した。もう服は乾いている。この辺りになれば、ワジの水は岩盤に沁み込み地下水となって消えていた。

「ようやく渡れるぜ」

「……あ、ああ」

 二人はワジの崖を降りた。落石を避けるために斜行しながら滑り降りる。万が一の鉄砲水が怖いので、走って渡り、対岸の崖を急いで登った。

「大丈夫か}

「……おう、ハァハァ……平気、だ」

 マイマイの歩く速度は落ちていない。だがジャイアンの目には、かなりキツそうに見える。左腕に負った傷の影響で発熱しているのだ。行軍速度が落ちていないのは、ただ単に根性で身体を駆動させているだけである。凍えたと思えば発熱。厳しい。

「マイマイ、この先で水を補給したら道を変えるぞ」

「……どう、いう、事だ?」

 一言ずつ息を切らせながら、マイマイが怪訝そうに尋ねた。

「ここから南東のヴィシーに向かうより、南南西に向かってだな、まず街道に出ちまった方が良い。15サングかそこらで出られんじゃねぇかと思うんだ。上手くいけば隊商を拾えるかも知れねぇし、それでなくても歩きやしぃからな。どうだ?」

「……おう、任せる。何、だって、楽な方が、良いさ。……無駄な無理は?」

「無意味」

 軍曹殿の良く言っていた標語だ。二人は顔を見合せて、ゲラゲラ笑いあった。


^^^

「暑ちぃな……」

「……ああ」

 ワジを渡ってから南南西に2時間ほど行軍した。気温はぐんぐんと上がって、おそらく今時分が最高潮だろう。昨日の寒さと打って変わって、暑い。水は必要以上にたっぷりあるが、浴びたりして出来るものではない。ジャイアンとて、この付近の水場を全て熟知しているわけではないのだ。

 マイマイは相変わらずジャイアンの前に立って、一歩一歩着実に進んでいる。さすがにペースは多少落ちた。

「後、半分くらいで街道だろうよ。たぶんな。休憩所が近くにある事を願うぜ」

「……ああ」

 返事をしたマイマイが、いきなり膝をつき、うつぶせに倒れた。

「クソッ!」

 悪態をついたジャイアンがすぐさま駆け寄る。抱きおこして仰向けにする。マイマイの身体は日に照らされた石のように熱かった。大量に失禁して、ズボンの股が黒く濡れていた。

「おい! 起きろ!」

「……ああ、寝ていたか……はぁはぁ……ジャイアン、先に行け。俺は岩の陰で休んでおく。……はぁはぁ……後で追い付く」

 周囲は真っ平らだ。休めそうな岩陰など一つも無い。

「慎重に飲め」

 ジャイアンはマイマイに水袋の水を口に含ませた。次いで彼の背嚢をひったくると、逆さにして中身を全部ぶちまけた。その中から予備の水袋を一つ取ってマイマイの頭からぶっかけ、帽子と服を濡らした。

「……また、濡れちまった、ハハ……足が萎えた…うごかねぇ…クソ…」

「黙れ」

 次にジャイアンはマイマイの武器と膝当て、そして食い物の殆んどを捨て、水袋と書状を自分の背嚢に移した。自分がかついでいた弓矢も捨てた。短剣だけは残した。

「マイマイ、背負うぞ」

 マイマイの身体に麻縄を回す。自分の背嚢は腹の方に移し、彼の身体を縄で引っ張り上げ、背負おうとした。

「やめろ、無理だ……」

「うるせぇ、クソ野郎。無理じゃねぇ」

 マイマイが抵抗するので、ジャイアンは平手で3発、彼の頬を張った。彼が反射的にひるんだ隙に、強引に背負った。縄が擦れて随分と痛む。

 仕方なく、さっき投げ捨てたマイマイの背嚢を取り上げ、短剣で切り裂いた。その布地を使って、麻縄の負い紐と身体との緩衝材にした。それでも、ジャイアンより拳3つ分は背の高いマイマイの身体は、ずっしりと重く、鎖骨に食い込んだ。

「おい、二度と暴れんなクソボケ野郎。俺の段取りじゃ何の問題もねぇンだよ。バカが」

「……本当か?」

「あたぼうよ。後10サングもねぇ。無理ならお前を捨てて、俺だけで行くぜ」

「……わかったよ」

「フン」

 ジャイアンはまだ雨に濡れて湿ったデーツをひとつ口の中に放り込み、一口だけ水を飲むと、ヨタヨタ歩き始めた。



^^^

「はぁ…はぁ…はぁ…少し、休むぞ…」

 ジャイアンは都合の良い岩を見つけ、マイマイの尻を持たせかけた。騙し騙し、こうして休むしかない。背負ったマイマイを地面におろしてしまうと、二度と背負って立つ事が出来ない。マイマイが倒れてから三時間。こうして休めそうな岩を探しながら、それを跳び石のようにつたい歩いている。


「……置いていけ」

「うるせぇ。黙れトンチキ。クソボケが。チンカス野郎が。コンコンニャローのバーロー岬。ナニの腐った性病猿め」

 さっきから、ずっとこんな会話とも言えない会話ばかりである。マイマイは朦朧と覚醒を繰り返していたが、徐々に意識レベルは良くなってきているようだ。昼を過ぎて気温がさっきよりも少し下がった事と、運動の負担が小さい事が理由だろう。

「ほれ、水を一口飲め。バカ野郎」

「……何で置いてってくれないんだ」

「その必要がねぇからだ、ボケが。……行くぞ」

 ジャイアンは岩塩の欠片を口に入れると、気合いを入れて歯を食いしばり、立ち上がった。

「つぅ……」

 肩と腰にマイマイを背負う麻縄が食い込み、広く擦れて血がにじんでいる。マイマイの背嚢を切り裂いて作った布を当てているが、そんなものは焼け石に水だ。膝も少し笑っている。

 背をかがめて、できるだけマイマイに負担がかからないよう、ヨタヨタと一歩ずつ歩きだした。


「……本当に置いてけよ。俺は後で追い付くよ。頼むよジャイアン……」

「はぁはぁ……あのよ、マイマイ……ここで放り出したら、おめぇは死ぬ。今のおめぇじゃ、夜の寒さは越せねぇだろう? 本当に……はぁはぁ……本当に放り出す必要はねぇンだよ。それに、おめぇが死んだら……ちょっとな……ちょっとよ……アレだ……まずいだろ?……な?」

 ジャイアンは歩きながら、訥々と諭した。

「……食い物が無い」

「俺は身体がちいせぇからな! 食い物が無くたって平気だぜ! 根性だ!……はぁはぁはぁ」

「……根性か」

「ああ、根性だ」

 それっきり、マイマイは何も言わなくなった。




 一時間半後。

 

「はぁ…はぁ…ほら見ろ、マイマイ。どうだ? 俺達は運が良いだろう?」

「……ああ……ほんとだ……」

 ジャイアンの指し示す先、街道上の休憩所には騎馬が多数。そして塔の上には残照にたなびく皇帝旗。


 第四帝軍先遣隊である。




次話は一週間後(の予定)です。

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