歩兵中隊 8
家庭の事情により、執筆時間が取れなくて遅くなりました。すみません。
落ちつきつつあるので、以後は週一くらいのペースで書ければ、と思っています。
歩兵中隊 8
自分が何歳なのか、ジャイアンは知らない。もう、三十路をいくつか超えているはずだ。いい歳だと、自分でも思う。世がままならぬ事も、人生が欺瞞と理不尽の積み重ねである事もよく理解している。それでも我慢がならない事もある。
「クソ…だらしがねぇ野郎どもがっ…」
埃除けの為に顔に巻いた布の内側でぎりぎりと歯を食いしばると、乾ききった唇が小さく裂け、血が滲んだ。後で油を塗らねばならないだろう。
「情けねぇったらありゃしねぇ!」
他でもない、クソったれのヴィシー軍の事である。
「たった200ぽっちのモング騎兵相手に、同数で陣に立てこもって負けるとは…どうかしてるぜ!!」
ジャイアンは、行軍中の馬上からため息まじりに小さく吐き捨てた。馬が彼の荒い鼻息を受けて、怯えたようにピコピコと耳を動かす。
「根性が足りねぇ…おかげで俺達が助けに行かなきゃいけねぇとは……こんこんちきのちくしょうめっ!」
本当ならば、今頃は必死に貯め込んだ給料をもって、千夜楼のハスティーの所に行っているはずなのだ。
酒好きだった彼が、この3年のあいだ一滴の酒も飲まず、無駄遣いをやめて、爪に火をともすようにして辛抱に辛抱を重ねてきた。酒場に歌いに行って銭を稼いだりもした。広場で芸人の真似事もした。中隊に志願する前は、人に言えない危ない橋も渡った。中には自分の名誉を穢すような事だってあった。それなのにコレなのである。クソッ!!
現在、中隊は肌をひりつかせる乾いた風の中、点々とひょろ長い草の生えるヴィシー北東の荒野を、一列になって行軍していた。ジャハーンギールから7日、ヴィシーから約40サング(60キロ)の地点だ。補給のラクダ隊も後方に連れている。
本来ならジャハーンギールの所掌外の場所なのだが、魔境越えのモング侵攻ルート上に砦を建設していたヴィシー軍が、モングの威力偵察部隊に滅多打ちにされたため、その支援に向かっているのである。
ヴィシーは自軍と白山羊族を初めとした近隣遊牧民の傭兵を使って何とか陣を奪還したものの、予備兵力が不足しているために自力での維持と確保が出来なかった。そこで、急遽中隊が陣地確保の支援に向かう所となったのだ。もう少しすれば帝都から第4軍が到着するのだが、それまでに再度陣を奪われたら話にならないし、第4軍受け入れの体裁も整えておかねばならない。
要するに繋ぎ役だ。面倒くさい事である。
ともあれ、そんな事情で、中隊支援騎馬隊長であるジャイアンは、馬上でプリプリと毒を吐き散らかしているのであった。
「ジャイアン、お前まだ怒ってんのか?」
第二小隊の古参であるマイマイが、ジャイアンの馬に近寄って声をかけてきた。マイマイのバカは、何故か他の兵士よりもずっと巨大な荷物を背負って、ヨタヨタ歩いている。たぶん賭け事か何かに負けて荷物を押し付けられたのだろう。
「ああ…まあな……だってよ、俺はすげぇ金貯めたんだぞ?! …てめぇは、随分重そうだな」
「おう、重てぇな。…で、そんなに良いのか?」
「まあ、俺にはな」
他の奴にとってどうかなど、ジャイアンにとってはどうでもいい。そんなことは考えたくもない。
「ふーん。まあ、これでも食えよ」
ほれっほれっ、とマイマイから次々と干しアンズが投げられる。馬上のジャイアンは左手で手綱を捌きつつ、右手で器用にアンズを受け取ってポケットに入れた。風であおられて数個落としたが、そいつはマイマイが拾って食った。
「旨そうなアンズだな。ありがたく食わせて貰うぜ」
「礼は要らねぇから歌ってくれよ」
「今は仕事中だからダメだ。陣に着いた後で、一緒に歌おうじゃねぇか。たっぷりとな」
「おう頼むぜ!」
そう言って軽く片手を上げたマイマイが隊列に戻ると、ジャイアンは周囲の荒野を見渡した。ひょろっとしたひざ丈くらいの草がまばらに生えた、内陸の典型的な荒野だ。
前後左右、地平線の向こうには部下の騎馬斥候が出ている。騎馬隊長であるジャイアンは、それを監視、統括するのが仕事だ。彼は遊牧民の白山羊族出身であるから目は抜群に良いし、、この辺は縄張りに近かったので地形にも馴染みがないわけではない。
周囲の荒野はどこまでいっても殆んどまっ平らだが、風が強く、砂塵が巻いて視界はあまり効かない。数百ヤルの長さで一列に長く伸びた隊列は、横から執拗に吹きすさむ橙色の風に嬲られ、常に苛まれ続けている。兵士達は顔に布を巻いて土埃を除け、身を小さくしてうつむいて、目の前の地面と前を行く仲間の踵だけを薄眼でぼんやり見ながら、黙ってトボトボと歩いている。乾ききった細かな砂が、髪と言わず服の中と言わず全身にまとわりついて軋み、少しずつだが確実に肌を削る。
嫌な天気だ。
ジャイアンは気分転換に、布をひき下して日にやけ尽くした顔を露わにすると、干しアンズをポケットから出して、ひと粒だけ口に放り込んだ。
「…おお、うめぇな」
いいアンズだ。さすがマイマイの出した食い物である。マイマイは食い物で人を慰めるのが上手い。ジャイアンの歌と同じようなものだ。
彼はなんとなく満足した気分になって、ニヤリと口をひん曲げた。腹がくちくなれば、気分も上向くものである。人間なんて案外、単純なのだ。
ジャイアンだってご多分に漏れない。
「お?」
くちゃくちゃとアンズを口の中で転がしてしゃぶっていると、一瞬途切れた風の向こうに、小さくとも濃い土ぼこりがたなびいているのが見えた。ジャイアンは馬を止め、指を丸めて筒を作ると、効き眼にあてた。こうすると周りの景色が遮断されるので、遠くのものが少しだけよく見えるのだ。
「騎馬……一騎だな」
風に薄く舞う赤い砂塵を通して、騎影が何とか確認できた。おそらく部下の騎馬斥候の一人だろう。ジャイアンは隊列の中ほどを歩いている中隊長の近くに馬を寄せ、声を張り上げた。
「中隊長! 斥候が戻ってきたみたいなんで、迎えに行きます!」
「お、おう!い行け!」
軽く馬側を蹴って、ゆっくりと馬を走らせた。急ぐ必要はない。急いて馬を消耗するのは、軍曹殿の言う所の無意味な無理だ。
双方が近づいているので、見る見る騎影が大きくなってきた。思った通り、斥候に出していた部下である。すぐに合流できた。
「おかえりアオダヌキ。どうだ?」
「ああ、ジャイアン、ただいま。陣地まで行って馬を代えてきたよ。距離は9サングくらいかな。途中で遊牧民がちらちらいたけど、白山羊族だったから話を付けてきたよ。ああ…砦はだいぶ壊されてたなぁ。あと……ヴィシー軍は100人くらい居たけど、みんなビビっちゃってる。あいつらはまともな兵士じゃないね」
「そか、ご苦労さん。さっきマイマイから貰ったアンズだ。食え」
ジャイアンは干しアンズをポケットから掴みだして、アオダヌキに全部くれてやった。アオダヌキは嬉しそうに受け取る。コイツは内も外もない、若くて素直な奴なのだ。ジャイアンはコイツを半ば弟みたいなものだと思っている。本人には決して言わないが。
「よし、中隊が追い付くまではここで休んでていいぞ。俺は中隊長に報告してくるからな」
そう言ってジャイアンはきびすを返した。
9サングなら、今の行軍速度でも陽が落ちるまでに余裕で到着できるだろう。こんな天気で野営は真っぴらごめんだ。実にありがたい。
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殆んど真横から射す真っ赤な陽光を受け、長い影法師を引きずりながら、中隊は陣地に到着した。
―わぁぁぁぁぁぁ…
中隊が陣に近づくと、俄かに中から歓声が上がる。中隊の兵士達も手を上げてこたえた。
「助かったぜ!」
「来てくれた!ありがてぇ!」
「おい、飯を食ってくれ!肉が良い具合に焼けてんだよ!」
駐屯していたヴィシー兵たちが飛び出してきて、中隊兵士達の腕を手にとって準備していた食事に誘った。すぐ近くの魔境で獲った、棘猪までが丸焼きにされている。すばらしく剛毅な飯だ。
それもそのはず。砦の守兵からすれば、中隊はまさに救いの天使なのである。たった百人でビクビクと慄きながら守っていた所に、二百人の援軍が来たのだから喜びもひとしおだろう。皆が皆、破顔して歓迎してくれる。涙を流している奴もいた。
「おお、お前ら!ぞぞ存分にご馳走になれ!に2杯まで、さ酒飲んでいいぞ!」
「「「応!」」」
ファルダード中隊長の許可を得て、兵士達は目の前の御馳走に文字通り駆け寄った。手づかみでガツガツと食う。愚にもつかない遠慮をする必要など全くない。食える時には食う、眠れる時には寝る、棘猪は美味い。これすなわち中隊兵士の三大原則である。
だがしかし、
「スネオ! 後を頼む! ―アオダヌキ、悪いが飯は後だ。俺とお前で偵察に行くぞ。」
「えーっ!…しかたないなぁ。…了解」
周囲を自分の目で確認しない事には、落ちついて飯も食えない。偵察兵としての習い性であり、職業病だ。
ジャイアンはアオダヌキと共に馬を歩かせて、周囲を見渡した。北側に魔境がすぐ近くまで迫っているので、周囲は膝丈以下の草が密に茂る緑豊かな草原になっている。荒野は数サングほど南だ。
強い風にあおられて、ざわりざわりと草擦れの音を立てながら視界一面に緑の海がなびいている。馬の蹄を通じて感じる、柔らかく湿った土の感触に、ほっと気が緩んだ。
なぜ魔境周辺だけがこのように瑞々しくて緑豊かなのか、誰も知らない。ジャイアンにとっても、当たり前の事だ。神がそのように創られたのだ。
ジャイアンは、まず外から陣である建設中の砦をぐるりと確認してみた。
「アオダヌキ、こいつはひでぇな…」
「まあね。でもさっき見たんだけど、井戸はバッチリだから水はあるよ」
砦はボロボロだ。魔獣の侵入を防ぐために柵だけは何とかでっち上げられているが、土塁は崩れ、門は打ち破られ、宿舎は3割くらい焼けこげている。いまだに焦げた臭いが、辺り一面に漂っていた。
まあ、モングに一度落とされた後に再度奪還しているのだから、全部がダメになっていないだけ御の字というものであろう。まして、三つある井戸が完全に無事で、かつ水量も豊かな事だけは最高にありがたい。馬は人間の十倍は水を必要とする。遊牧民出身で騎馬をあずかるジャイアンは、水に関してとりわけ神経質なのだ。
陣を一周すると、彼らは馬を駆って周囲の探索に出かけた。
陣から西側に200ヤルほど離れて、背丈ほどの高さのごく小さなうねりを超えると、小川があった。北側にある魔境から南に向かって流れ出る、本当にささやかな小川だ。深さはくるぶし程度。小柄なジャイアンでも一っ跳びで越えられる、ささやかな流れだ。でも、綺麗に澄んで、きらりきらりと赤い夕焼けを半ば滲ませて、半ば跳ね返しながら、ゆるやかに囁くようなせせらぎを奏でている。
「おい、コイツは良いなぁ」
ジャイアンは勢いよく馬を下り、川のほとりに手袋と兜を投げ捨て、腕まくりすると膝まづいて坊主頭を水の中に突っ込んだ。それほど冷たくは無い。油と汗と土埃で汚れきった顔を手拭いでゴシゴシ擦りあげて洗い、水を口に含んだ。それだけで、生き返ったような気分になった。アオダヌキも、隣で同じように手と顔を洗っている。馬は勝手にそこいらの草を食み、下流でゴクゴクと水を飲んで、ボトボトとクソを垂れている。
小川の向こうはこちらよりも一段下がっており、伏流水が湧き出ているのか、魔境から一続きのぬかった湿地のようになっている所が多い。夏になれば少しばかり蚊が大変かもしれないが、この泥濘は防衛の役に立つだろう。
「ジャイアン、はい」
「おう」
アオダヌキが、手拭いで濡れた頭をぬぐっているジャイアンの傍らに尻をついて、アンズを二粒くれた。先程のやつだ。腹が減っていたので、一粒を口に入れて噛みつぶし、プッと草叢に種を吐き捨てた。
「旨ぇな」
「うん」
「おめぇ、いくつだっけ?」
「来月で19歳になるよ」
「そか」
「川は、良いね」
「ああ」
アオダヌキもジャイアンと同じく遊牧民だ。馬と羊と塩、それと大地と水だけあれば、遊牧民は生きていける。川は最高の水場。命だ。
「お前、家はどうなった?」
「どっちの?義兄が継いでからは良く知らないな。知らせが無いって事は上手くいってんじゃないかな?」
「そか」
アオダヌキの家は盗賊に大半の羊を盗まれ、馬を殺されて食えなくなった。両親は残りの羊のうちの半分を持って、姉の嫁ぎ先の家族の元に向かい、アオダヌキはもう半分の羊を貢いで市民権を持つ親戚の家に養子に入れてもらった。その伝手でジャハーンギールの兵士に志願したのだ。
ジャイアンも、まあ似たようなものである。遊牧民出身の正規兵なんて、大抵がそんなものだ。多かれ少なかれ、世の中からあぶれかけている。ギリギリの奴らだ。中隊は、ある意味で彼らを救い、誇りある兵士として生まれ変わらせている。彼ら自身にもそれがわかっている。だから、戦える。
「……」
アオダヌキに向けて、何か言うべき言葉があるのだが、それが何か分からない。
いい歳してこれだ…ジャイアンは苦笑いを噛み殺して、シーッっと、歯の隙間から強く息を吸い込み、腰を上げた。勢いよく立ち上がりながら右手で傍らの草を一本千切り、小川に投げた。草は茎からまっすぐに浅い川底に突き刺さると、ゆっくりと横倒しになって、ゆらりゆらり、川面に浮かんで遠ざかっていった。
「―吹けよ~川風、我が背を押せ~、薔薇の花が咲いたらお前に会いに~……と。――行くぞアオダヌキ。もうすぐ暗くなる。魔獣が来たらあぶねぇからな」
「はいよー、了解」
坊主頭は、もう乾いた。東の空には白く、月が出ている。少しだけ欠けた月の中で、獅子が吼えていた。
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陣の中に戻って、馬番のヴィシー兵に馬を預けた。
「アオダヌキ、中隊の馬は自分達で面倒を見るように仲間に言え。後で、俺も確認しておく。それと…デキスギの乗ってる五号の蹄が心配だから、ヴィシー軍から借りられるように話を通しておく。俺がいない間はシズカチャンが仕切れと伝えろ…まあ、もうやってるだろうけどな」
「はいよー」
ジャイアンはアオダヌキに仲間への伝言を頼み、自分は中隊士官たちと打ち合わせをしているファルダード中隊長の元に駆け寄った。
「中隊長、戻りました。こりゃ大変ですね。土塁と柵だけでも早く何とかしねぇと」
「ああ、じゃジャイアン。そ、そうだな……これから、ぐぐ軍議だ。お前も来い」
「あい、中隊長」
若いヴィシー兵の案内に従って、ファルダード中隊長以下の士官とジャイアンは砦中央の木造宿舎に入った。ここは焼けていないから、臭いもほとんどなかった。
「こちらにどうぞ」
一室に通される。あらかじめ扉は大きく開け放たれていた。中には軍人とも思えぬ白くぽっちゃりとした中年男と、その副官らしい細く引き締まった浅黒い男が一人いた。対照的な組み合わせだ。
「ああ、ファルダード殿、よく来て下さった!助かりました!水をお飲みください!」
「ままマフボド殿、わ私の結婚式以来ですな。寡兵で御苦労でしたね。まずうちの士官を紹介しましょう。じジロウ、ささサブロウ、にニタマゴ、オニギリ、きキムタク。後ろの小さいのが支援騎馬隊のジャイアン」
「はい、みなさん宜しく。私がこの砦の責任者マフボドですよ。これは副官のナヴィド。戦闘士あがりです」
砦の指揮官であるマフボドという中年男はこやかに揉み手をしている。完全に商人のようだ。おそらくナヴィドという副官が実務面を仕切っているのだろうと、ジャイアンは推測した。いや、誰が見たってわかる。マフボドのまるまるとした手は、つるっつるのさらっさらなのだ。武器を持った事など無い手である。
「じじ時間が惜しい。ままマフボド殿。じ状況を説明してください」
「ナヴィド」
マフボドは即座に丸投げした。実に潔い。
「二週間前に砦を奪還しましたが、ご覧のありさまです。各所が破壊されていますので、防衛力はまるでありません。私も騎兵出身なので、陣地の構築などはまるで知見が無く……復旧は上手くいっていません。
我々のヴィシー兵は98名。数は居ますが恥ずかしながら…ほとんどが新兵か、それに毛が生えたような者です。人材と財源が問題でして…指揮官になるような人間もいません。
モングは二週間前に追い散らしてからは姿を現しません。大体が二百名かそこらで強引に偵察をしてきますね。」
ナヴィドは淡々と説明した。だらしのない現状に内心では忸怩たるものがあるだろうが、顔には一切出していない。立派な態度だと、ジャイアンは思った。
「では、わ我々が、とと砦の構築を担当しましょう。あと一月もすれば、て帝軍の、だ第4軍が来るでしょうが、そそれまでに、もモングが襲ってきたら、この砦は終わりです。すぐ近くに、ま魔境があるのだから、ま魔獣の襲撃もあり得ます。いい一刻も早く防御力を、ふ復旧する必要がある。びびヴィシー軍からも人を借りますがよろしいですな?」
「はい、ファルダード殿。もちろんですとも」
さかんに揉み手をしながら、マフボドはにこやかに答えた。
「ででは、しし指揮権ですが…」
「それはもうファルダード殿に!」
「いや、た大将は、まマフボド殿のままで…わ私はあなたの副官で、け結構です。わ我が中隊は一時的に、びヴィシー軍に入ります。その代り、ななナヴィド殿を私の副官に、か貸してください」
マフボドはファルダードの回答に、一瞬だけ右の眉を上げ、口だけで笑った。ジャイアンにはどうにもこうにも政治的な話はよくわからない。中隊長もマフボドも狸親父にしか見えない。
頭の良い奴らの会話は難しくて訳が分からねぇ…まあどうでもいいか…。ジャイアンはケツをボリボリ掻きながら天井を向くと、何か思案している風を装って、話が終わるのを待った。
「……では、そう言う事にしておきましょう。あなたに借りが出来ましたな」
「いえいえ……では、さサブロウと、なナヴィドは俺と一緒に、とと砦の縄張り。じじジロウと、ににニタマゴは兵の訓練と兵の管理。おおオニギリは物資の管理。きキムタクは武器の確認。じジャイアン、おお前は偵察と近郊の地図を作れ。俺も手伝う。そそんな感じで行こう。」
その後に細々とした実務的な話を詰めて、軍議は終わった。
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「おう! こいつぁすげぇ!」
軍議の席から外に出ると、気の置けない簡単な宴が開かれていた。
もう陽はとっくに沈みきっており、夜の帳が深くおりている。かがり火が各所に焚かれて、乾いた薪が火の粉を飛ばしながらパチパチと音を立てて弾けて火の粉を飛ばす。
百人を超える兵たちは思い思いに地面に腰をおろして、ヴィシーもジャハーンギールも無く、混じり合って盃を交わし合っていた。ヘタクソな歌を歌ってる奴もいれば踊っている奴もいる。
全員で食って飲んで歌う。偶にはこんな楽しみがあっていいのだ。
個々は戦地だから、もちろんへべれけになる訳にもいかないし、当番で見張りはしっかりと立っている。出たり入ったりしながら、交代で宴に参加しているのである。
それでも、十分に楽しい。
ジャイアンの血が騒いだ。歌いたい…
「中隊長、もう良いですかね?俺は皆の所に歌いに行きたいんですが…」
「おお、い行って来い!」
「へへっ!がってん!」
鼻を擦りあげて駆け出した。
「おっとごめんよ!」
飲み食いしてる兵士達の隙間を抜け、宴の中心まで躍り出た。
「すまねぇが俺に一杯くれ!」
近くのヴィシー兵から盃を奪い取って、一気に飲み干した。水割りの薄い葡萄酒だ。3年ぶりの酒だったが、大して美味くも無かった。でも、はらわたに沁みわたる感じだけが良くわかった。酒ってモノは、それでいいんじゃないかと思う。
「おいてめぇら! 俺の歌を聞け!!」
声を張り上げた。
「おおお! ジャイアン! 待ってたぜ!」
「歌え!」
「キタキタキター! ジャイアンが来たぜ!」
「真打登場だぁ!」
「よっしゃ! 俺も一緒に歌うぞ!」
「よしおめぇら! 一緒に歌うぞ!」
小さな体に似合わぬ、良く響く大きな声で怒鳴った。
ジャイアンは大きく息を吸い込んだ。焦げくさい臭いなど、全く気にならなかった。豊かな声量が喉を震わせ、風が音を兵士達の耳に運んでいった。
『朝の一瞬を紅の酒にすごそう、
恥や外聞の醜い殻を石に打とう。
甲斐のないそらだのみからさっさと手を引き、
丈なす髪と琴の上にその手を置こう。』
『はなびらに新春の風はたのしく、
草原の花の乙女の顔もたのしく、
過ぎ去ったことを思うのはたのしくない。
過去をすて、今日この日だけをすごせ、たのしく。』
『草は生え、花も開いた、酒姫よ
七、八日地にしくまでにたのしめよ。
酒をのみ、花を手折れよ、遠慮せば
花も散り、草も枯れよう、早くせよ。』
ハスティーの顔を思い出す。彼女の声を思い出す。しとやかな髪の感触を、甘やかな匂いを、すべらかな肌を、小さな爪を、首のほくろを、働き者だった手の感触を思い出す。
遥か遥か遠い昔となってしまった、草原の川辺。ジャイアンの歌に合わせて草笛を吹く、彼女のいたずらな瞳の輝きを思い出す。
もはや朧げになってしまった記憶の中に、あの瞳だけが楔のようにしっかりと残って、繋いでいる。
あの瞳だけが。
もう、3年。今はどんな顔をしているのだろう。何を見ているのだろう。何を思っているのだろう。彼女の今を想像するのは脂汗が出るほど苦しくてたまらないのに、なぜかいつも想ってしまう。ふとした時に、よぎってしまう。今、この瞬間のように。
会いたい。声が聞きたい。一緒に酒が飲みたい。一緒に歌いたい。全てを置き去りにして、打ち破って、駆けだしていきたい。
ああ………会いたい。会いたい。
会いたい!
『お前の名がこの世から消えないうちに
酒を飲もう、酒が胸に入れば悲しみは去る。
女神の鬢の束また束を解きほぐそう。
お前の身が節々解けて散らないうちに。』
『さあ、一緒にあすの日の悲しみを忘れよう、
ただ一瞬のこの人生をとらえよう。
あしたこの古びた修道院を出て行ったら、
七千年の旅人と道伴れになろう。』
赤い顔の兵士たちは互いに隣同士肩を抱いて、いつまでも歌い続けていた。
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宴の後だけにある、特有の気だるい空気を引きずりながら、ジャイアンは馬房に向かう。酷使して酒のしみ込んだ喉はヒリついているが、仕事はまだ終わっていない。
馬房近くの小さな篝火から獣脂のランプに火を移し、馬を驚かせないようにガタガタとわざと音を立てながら中に入った。
「よう、お前らご苦労さん」
誰もいない中、馬に声をかける。馬は道具だが、愛情をかければ応えてくれる意思ある道具だ。
騎馬隊の面々の馬と飼葉と糞の具合を、一頭ずつ丹念に見て回った。概ね、しっかりと面倒をみられているようだ。大方の馬の状態は良いが、ここまでデキスギの乗ってきた五号は蹄が割れかけているから、ダメかもしれない。いざとなれば潰して肉にするしかないだろう。
「まあ、しばらくはゆっくりしておけ。お前には誰も乗らねぇし、この辺の草は美味いからよ」
鼻面を撫でながら言うと、五号がブルブルと首を振った。
「そりゃそうだよな。治れよ」
ジャイアンはついでとばかりに五号の首筋を麦藁でゴシゴシとひっ擦ってやり、
「じゃあな」
と言って馬房を出た。
煌々と輝く白い月は、そろそろ中天にさしかかりつつある。シズカチャンとスネオから報告を聞いて、身体を拭いて寝なければならない。
その他の事は、明日だ。
本文『』内は以下から抜粋
青空文庫http://www.aozora.gr.jp/cards/000288/card1760.html
作品名:ルバイヤート
著者:ウマル・ハイヤーム1048~1131、訳者:小川亮作1910~1951
岩波文庫、1949(昭和24)年1月15日、1979(昭和54)年9月17日第23刷改版




