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異世界ツーリング  作者: おにぎり
外伝~歩兵中隊
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歩兵中隊 5

歩兵中隊 5


―中隊起床!

 (号令だっ!)

 中隊兵士達は一斉に飛び起きた。

 この号令がかかれば、全員一発で目が覚める。訓練とは恐ろしい。人の生理現象さえ押さえこんでしまうのである。

 アパムもぱっと起き上がって月を見た。半月に少し欠けるくらいだ。今の時間は大体八時といったところだろう。


「中隊聞け!『ゲロ』を食ったら出発する!二分の一時間で出発準備を終わらせろ!」

 サブロウ中隊長代理の指示が下った。

 中隊特製糧食のゲロは、もう支援部隊の手で作られていた。後は腹に流し込むだけだ。時間的には余裕である。

 白山羊族と第二兵団は、馬の上で飯を食うつもりらしい。さすが、馬の達人達は一味違うとアパムは思った。できればゲロの味も一味違って欲しい。栄養は満点でも、心が先に根を上げそうだ。

 中隊の兵士達はさっさとゲロを食い、残りをゲロ袋に流し込んでおいた。後で腹がすいた時に、ゲロ袋をすすって飲むのである。ゲロ袋の中に保存した冷えたゲロは、温かいゲロとまた一味違う不味さだ。ゲロのような味がするのである。さらに袋の中でゲロが腐って酸っぱくなれば、正真正銘のゲロになる。できれば経験しない方が良い。


 

 アパムがゲロを食い終わり、出発準備をしている時に、所属する第二衛生分隊の分隊長であるハチベェが分隊員全員を集めた。

 ハチベェは丸顔で垂れ目の愛きょうのある顔をしているが、熟慮して動く種類の人間だ。戦闘指揮官としては判断が遅すぎるきらいがあるが、支援や衛生ではもってこいの人物である。

 彼は集めた分隊員をだらしなく垂れた目で見まわし、静かな口調で通達した。

「おい、お前ら聞け。今回の作戦では全隊を攻撃に投入されるぞ。支援も衛生も全部だ。もちろん俺達もだ。歩兵として敵と戦うから、そのつもりでいろ」

 ……おお!

 アパムの肌が俄かに粟だった。ついに僕も…!

「ウチの分隊には実戦経験の無い人間が多い。俺の傍にいろ。指示を良く聞いて動け」

 ついに僕も戦場に立つんだ…!

「いいか?俺達の中隊は敵の足どめと、馬防柵の引き倒しと、馬との分断が目的だ。敵を殺す事じゃ無い。敵を殺すのは第二兵団と白山羊族の騎兵連中だ。…だから無理に殺そうと思うな。自分の身を守るんだぞ?いいか、自分の身を守れよ!」

 これで僕も戦場の空気を味わえる…!

 名実共に古参兵士だ…!

「死ぬなよ?いいか?……聞いているかアパム?!」

「はい!」

「気合いが入っているようだな……まあいい…準備しろ」


 …いくさだ…いくさだ…いくさだ…!。

 殺し合うのだ…!

 僕もやっと…!


 アパムは熱に浮かされたようになりながら、準備を再開した。



^^^

 月光が蒼く照らし、穏やかにうねる丘陵と、丈の低い草の陰影を浮かび上がらせている。


 500騎の馬群は、できるだけ静かに行軍していた。馬蹄というものは意外と遠くまで響き渡るから、駆けさせてはいない。並み足で歩かせているだけだ。


 サブロウは後ろを振り返って、自分の指揮する中隊を確認した。

 十分に月が明るいので、見渡す事は意外と容易である。3つの小隊は問題なく付いてきているようだ。サブロウの後ろには第五小隊の37騎、その後ろに第三小隊と第二小隊が続いている。

 中隊の先導役には中隊付きの騎馬兵が立っている。彼もまた、ジャイアンと共に、この地域を長く偵察して来た者だから、迷う心配は皆無だ。いかなる時も偵察と情報こそが、いくさの勝利を引き寄せる。


 全隊は順調に行軍し、第一攻撃目標の北方3サング(4.5キロ)の位置まで進出した。特筆すべき事は何もない。何もないと言う事が、作戦行動では最も大切な事だ。

「中隊!ここからは歩きだ!装備を整えろ!」

 サブロウ自身も下馬して、自分の装備を確認する。自分の事は自分でやるのが、中隊の基本である。他の兵士達も、分隊長の指示のもと、黙々と装備を整える。

「ささサブロウ、では、た頼んだ。お俺達は、すす少しでも白み始めたら、ここ攻撃目標に突っ込むからな。」

「了解しました。…中隊前進!!」

 簡単にファルダード中隊長との挨拶を終え、部下に下知を下す。部下達はすぐに動き出した。まあ、いつもの訓練通りである。これも、特筆すべきものは何もない。


 サブロウ率いる三個小隊120名弱は、小川の傍を進んでいく。この上流3サング(4.5キロ)に目標の集落があるのだ。夜明けの攻撃まで、時間は充分にある。ジャイアンの部下の先導のもと、ゆっくりと確実に慌てず急げばいいのだ。

「中隊停止。ニタマゴ、キムタク、擬装をさせろ」

 サブロウは全隊に偽装の指示を出した。第二兵団と白山羊族から見えなくなった地点である。彼らに中隊の戦術を盗ませる必要はない。まあ、後で擬装した姿が見られてしまうかもしれないが、取り立てて見せつけてやるほど、中隊はお人好しでは無い。


 サブロウ自身も念入りに擬装を施す。

 顔にまだら模様に炭を塗り、鎧と兜にかぶせた網に草を差し込み、反射しないように槍の穂先にも布をかぶせて、柄に草を巻き付けておく。蔓を編んだ大盾にも草を取り付ける。手慣れたものだ。自分の擬装を手早く終えると、中隊全体をざっと確認した。

「おい、お前、耳を忘れているぞ」

「え?あ、はい」

 新兵だろう、細い体をした第五小隊の兵士が耳に炭を塗るのを忘れていたが……それ以外は特に何もない。

 先に走らせていた斥候が戻ってきた。

「よし、出発」

 中隊はまた、歩き出した。


 平野といっても、この辺りには緩やかなうねりがある。兵士達は、そのうねりの底を進んでいく。視認性を低く抑えるためである。ただ歩いているだけでは、行軍とは言わない。

「三、二、一、いけ」

 サブロウの合図で、兵士達が身を転がしながら、一斉に丘の稜線を越えた。

 影を見られるから、基本的に稜線には決して出ては行けない。稜線を越える時は、できるだけ身を低くし、全隊が短時間に一気に越えるのだ。

 遊牧民は目が良いから、たとえ夜で遠くても、注意しておくに超した事はない。彼らは時に、3サング離れた地点でも人影を確認する事が出来るのだ。仮に発見されたとしたらこの作戦は終わりだし、歩兵のサブロウ達は逃げきる事も出来ない。すりつぶされて終わるだけである。


「停止」

 小さな丘のふもとで停止。小さくしゃがみ込み、隊が落ちつくのを待つ。土の匂いと、夜露に濡れた草いきれが立ちこめていた。

 悪いものではない。乾ききっているより遥かに良い。何よりも、土ぼこりが立ちにくい。

「ニタマゴ、次は第三小隊から斥候出せ。各員点呼とれ」

 前方のサブロウの元にやって来た小隊長と分隊長に指示し、点呼をとった。はぐれるのが、個々の兵にとっては一番怖い事なのだ。

「第三小隊問題なし」

「第四小隊問題なし」

「了解、第五小隊も問題なし、斥候が戻ってきたら行くぞ」

 第五小隊の新兵たちも問題なく付いてきている。まあ、サブロウが訓練しているのだから当たり前だ。彼らには実戦経験がないが、補充の数名を除いて、すでに訓練兵では無い。夜間行軍訓練も数多く行っている。実戦経験がないだけの、それなりの熟練兵といってもいい。


 斥候が戻ってきた。

「中隊長代理、前方600ヤルに黒馬族の遊牧民の一家がいます。天幕が一つ。馬が5頭。後は羊と山羊。迂回は難しいです」

「犬は?」

「二頭。どでかい護羊犬です」

「潰してしまおう。…ニタマゴ、お前が行け。盾は第五小隊で預かる」

「了解」

 すぐにニタマゴが4個分隊26名を連れて、黒い影となって月光の下を走りぬけて行く。

「中隊は300ヤル前進する。伝達しろ」

 サブロウは頭の中で300を数えた。ニタマゴとの距離を見計らって立ちあがり、ゆっくりと歩き出した。歩数を数えながら移動する。

 300ヤル前進して中隊を停止した。


「どこだ」

「中隊長代理、あそこです」

 斥候兵の指示に従い、サブロウは丘陵の陰から前方を覗いてみた。浅い谷になっている所に、遊牧民の天幕がひとつだけ立っているのが見えた。小さな天幕である。吹けば飛ぶようなものだ。

 ふと視線をずらすと、丘の稜線を越えて、遊牧民の天幕に襲いかかるニタマゴの部隊が見えた。


 強引な攻めだ。

 単純に一気に近づいて、吠えたてる護羊犬をあっという間に弓と槍で殺し、小さな天幕を広く切り割いて押し入る。それだけだ。叫び声も聞こえてこない。お手本のような強襲だった。

 天幕内の処理もすぐに終わったらしい。中から出てきた兵士が本隊に向けて手を振っている。

「よし、中隊前進」

 中隊は何事もなかったように、遊牧民の天幕をかすめるように行軍していく。天幕からは女の唸り声が聞こえる。犬の血と糞の臭いがした。犬の血は、人とはまた違う臭いがする。獣臭いのだ。

 しばらくしてサブロウの元に、ニタマゴが報告に来た。

「敵は7名。男三名を殺し、女子供は縛って別々に転がしてあります。馬は殺しました」

「良くやった。隊に戻れ」

「了解」

 サブロウのねぎらいに一言だけ答えて、ニタマゴは自分の第三小隊に戻って行った。


 月下の下、中隊は静かに動き続ける。


 


^^^

 アパムはゲロ袋から冷えきったゲロをすすりあげた。不味い…。

「アパム、食うか?」

 子羊がアパムにささやき、干しアンズを手のひら一杯分よこした。もう残り少ないはずだが、ここで食ってしまうつもりらしい。アパムは素直に貰って、胸ポケットに入れた。

「もう…すぐだな…クソ…」

「美味いアンズだね。僕はワクワクするよ」

 信じられないものを見るような目で子羊がアパムを見つめる。アパムはそんな目線には気付かずに、槍の柄を両手でギュウギュウ扱いた。この槍で敵をぶっ刺してやるのだ…


 さて、中隊は慎重に接近を続け、現在は黒馬族の集落から北方400ヤルほどの距離にある、丘の陰で待機している。丘と言っても高さは15ヤルもないが、重要なのは集落の低い物見やぐらとの間で、視線を遮っている事だけである。見られなければ居ないと同じ事だ。

 これ以上は遮蔽が無いので接近できないが、ここまで近ければ充分である。走っても目と鼻の先だ。

 各々小隊ごとに多少の間隔を空けながら、丘の斜面で日の出を待っている。兵士達はじっとうずくまり、時間をやり過ごしていた。待つのも兵士の仕事なのだ。伝令と分隊長だけが、小さく身をかがめながら動き回っていた。


 アパムは月を見た。

 半月は大きく西に傾いている。おそらく、もう少しで突撃だろう。

 周りの兵士を見てみる。寝ている奴も多い。地面などというものは、慣れてしまえば大きな寝台と同じである。草が生えていれば、それは柔らかく身を包んでくれる。蔓を編んだ大盾を身体の下に敷けば、地面の冷たさも緩和される。集中すればいくらでも眠れるのだ。

 他の連中もおもいおもいに武器や鎧を確認している。何度確認しても、確認し過ぎという事はない。

 アパムも自分の槍と装備を確認した。すでに全身の擬装は解いてしまっている。簡素な木の柄に、鋭い穂先が付いているだけの素槍だ。身長の倍ほどの長さがある。それと1フェト強の長さの堅牢な短剣。つい、ニヤニヤと笑ってしまう。楽しみだ…ついにこの槍で……


「分隊聞け」

 分隊長のハチベェが隊員達の注目を集めた。状況が始まるらしい。

「第三小隊と第五小隊は小川のこちら側を攻める。第4小隊は対岸だ。

 俺達の分隊の仕事は、馬場の外側の柵を引き倒す事と、集落をぐるりと囲む馬防柵を引き倒すこと。……つまり戦闘工兵だ。盾はいらんから支援分隊に渡しておけ、その代り、綱を手に持って走れ。柵にひっかけて引き倒すんだ。周りはみなくて良いから、やることやれ。…いいな?」

 なんてことだ…!

 アパムは愕然とした。ここまで来て支援とは…納得が出来ない。


「分隊長!僕らの分隊は戦えないんですか?!」

「だまれアパム。俺達の部隊は柵を引き倒すのが仕事だ。それ以外の事は後だ。…まあ十分に柵を倒せば、後は敵を集落内に封じ込めるために戦う事になる。…だが、まずは柵を徹底的に倒す。口答えするな」

「はい」

 槍を交えて戦えるなら、文句はない。今のアパムにとって、それ以外はどうでもいい。

「すぐに行動開始だ。各位、柔軟体操をしておけ」

「了解」

 アパムはすぐに柔軟体操を始めた。念入りに時間を駆けて、身体の筋を伸ばしていく。

 周囲では分隊長達や、伝令の動きがあわただしくなって来た。空は…若干明るくなってきた気がする。いや、確かに明るくなっている。

 始まるのだ。


「アパム…」

 子羊が震えている。

「子羊、やれるさ。君は僕よりよほど強いだろう?」

「あ、ああ…だけど…」

「僕と一緒に動くんだ。分隊長の指示を聞いておけば大丈夫だよ」

 アパムは全く怖くない。高揚感だけがある。これからの未知の体験に対する期待に、胸が高鳴っている。僕は、何が見られるだろう…何が出来るだろう…

「お前らは俺の近くにいろ。子羊、落ちついてやるべき事だけをやるんだ」

 分隊長のハチベェが言った。子羊は震えながら頷いた。

 周囲からは、荒い息づかいが聞こえてくる。

 アパムは盾を支援分隊に渡し、左肩にわっかにした綱を引っかけた。一口だけ水を飲んだ。

 槍よし。

 綱よし。

 鎧よし。

 短剣よし。

 身体よし。

 全て準備よし。


 アパムは丘の稜線直下にいるサブロウ中隊長代理を見た。いや、いまや中隊全員が彼を見ている。

 中隊長代理は振り返って部下達を見渡し、視線を戻して稜線から敵集落を観察し、もう一度振り返って…


「突撃!」


 中隊は一斉に丘の稜線を踊り越えた。



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