レイラーの飛行機械 3
レイラーの飛行機械3
翌日、レイラーは早速アミル商会へと足を運んだ。竹の紹介者としてビジャンが一緒である。レイラーとアミルは帝都のセルジュ屋敷で共に軟禁生活をおくった旧知の間柄だ。だが、開発中の製品である竹傘の事を知っているとなれば、その説明者が必要なのだ。
いざ行かん、とレイラーは小さな拳をキュッと握りしめ、店の中に踏み込んだ。すぐに店員が頭を下げて挨拶をしてくる。
「たのもう!私はレイラー・モラディヤーンというんだがね。アミル殿はいらっしゃるかね?」
「ああ、モラディヤーン家のレイラー様!…かしこまりました、こちらにどうぞ」
モラディヤーンの家名、そして学者であり魔法師であるレイラーの名前は、ファハーン上層部でなかなかに有名なのである。すぐに番頭らしき人物が出て来て、奥の応接間に案内してくれた。
適度に金のかかった応接室で、甘酸っぱいお茶を飲みながら待つ。窓からは、蔵から塩を運び出していく人足達の姿が見えた。この店の者は小僧から番頭まで、てきぱきと良く動く。
塩は何であんな形の粒なんだろうね…塩の粒は、四角い…他の形ではいけないのだろうか…。イセ君の言っていた原子とかの並びのせいかね…。
レイラーがそんな事を考えていると、アミルがすぐに顔を出した。にこやかに二人に頭を下げる。
「レイラー殿、お久しぶりでございます。カトル帝国風の衣装がお似合いですな。ビジャン殿もお久しぶりです」
「そうだねアミル殿。帝都のセルジュ屋敷以来ですね。まあ、それはともかく、今日は相談があって来たのですがね」
「伺いましょう」
時は金なりである。レイラーもアミルも、ダラダラした話は好きではないのだ。時間の無駄である。そんな事をしてるくらいなら数学の命題を考えるか、金儲けをした方が良いのだ。
「傘というものに使っている、竹を分けていただきたいのです」
アミルの目がスッと細くなった。瞳が軽く右下に流れて、それからビジャンに焦点を合わせた。一瞬で全てを悟ったらしい。レイラーはちょっと怖くなった。商人との交渉など、一度もした事が無いのだ。そういうのは彼女の家では執事のキルスの役目である。
「イセ殿と私がやっている事柄については、全て秘密のはずだな、ビジャン…」
呼び捨てだ。
「なぜ、レイラー殿が知っているのだ。ビジャン、答えろ」
アミルの目は完全に据わっている。当初のにこやかな顔など、一瞬で吹き飛んでしまった。ここにいるのは氷のごとく冷え切った商人だ。
「……俺がレイラーさんに教えた。彼女の作っている物に竹がいる…」
「レイラー殿が何を作っていようが、そんな事は一切関係がない。お前、わかってやっているのだろうな?」
「……ああ…」
レイラーは二人のやり取りの意味が分からないが、自分が極めて重大な秘密を聞かされた事は認識した。こんな事になるなんて…
「あの、その、アミル殿?私は別に傘の事を誰かに言うつもりは無いで―」
「わかっていますよレイラー殿。あなたは信頼できる方と知っています。だが、そんな事は関係ない。問題はこの愚かな男です」
レイラーの話を遮り、アミルはビジャンの顔を睨みつけた。ビジャンは一歩も引かず、無表情にアミルを見つめ返す。
レイラーは口をパクパク開けて、動顛するばかりだ。あまりの展開に、回転の速いはずの頭も全く動いてくれない。どうしていいのかわからないのだ。肝心な時に働かないなんて、こんなバカな頭はいらない!
アミルとビジャン、二人はそのまま睨みあった。100数えるくらいの時がたち、ビジャンがぽつりと言った。
「……人が、空を飛ぶんだ。…竹があれば飛べる…」
それだけである。
「…レイラー殿、何を言っているのですかな?この愚かな男は」
レイラーはハッとした。ちゃんと話さないといけないのだ。
「あ、あのだね、アミル殿。私は飛行機械の研究をしていて…元はイセ君の故国の秘密技術らしいのだがね。その、これが出来れば人が空を飛べるようになるのです!鳥のように簡単にはいかないが、それでも飛べるようになる!その為に竹がいる!具体的な仕組みはこうです。まず―――」
レイラーは必死に話した。
とにかく、説明をしなければいけない。
「――このように水平安定板を主翼から大きく後ろに位置させれば縦方向のモーメントが安定して復元率が高くなるから、飛行機械の自律的な安定飛行がなされると―――」
レイラーは顔に汗をかきながら説明するが、アミルの顔には全く理解の表情が見えない。でも、レイラーには説明するしかないのだ。
「――だから、強くてしなやかで軽い竹がいるのだよ!人間は空を飛べるのだよ!絶対に飛べるはずなのだよ!それが神の理なのだよ!アミル殿!私は飛ばなくてはいけない!わかってくれないかね!?ビジャン君は私に協力してくれたのだよ!許してやってください!」
声も嗄れるほどに話した最後は、もう説明でも何でもない。単なるお願いである。
「…私にはレイラー殿の言っている事が全くわかりませんが…まあ、天才学者と言われるあなたの事ですから…そうなのでしょう。…ビジャン殿、貸しにしておくぞ。覚えておくんだ」
20分近く続いたレイラーの話を聞き、アミルは無表情のままそう答えた。
「では、竹を融通してくれるかね?!自操車に半分もあれば良いのだがね?」
「もう、傘と竹の事をご存じですからね。一万ディルでお譲りしましょう」
レイラーの顔が綻んだ。この値段は別に高くは無い。遥々ナードラから船で運んでくるのだから、輸送費を考えれば安いと思える。それなりに裕福なモラディヤーン家からすれば十分に払える額である。
「一万ディルだね?では早速お金を「……高い…」ビジャン君?!」
レイラーの笑顔が凍りついた。せっかく話がまとまって譲ってくれる事になったのに、ここで値切り交渉とは…。呆然である。
「…ビジャン殿。わきまえてもらいたいものだ。君にものを言う資格があるのか?」
この期に及んでたわごとを抜かすビジャンに、アミルの激怒は最高潮である。額には見事な青筋が立っている。悪魔めいた顔である。
だが、そんなアミルの激怒もビジャンには通用しない。
「……無料だ…」
「は?」
「え?」
レイラーもアミルも、訳が分からぬ。何を言っているのだろうか、この戦闘士は。魔獣の狩りすぎで、頭がどうかしてしまったのだろうか?
「……無料だ…」
「何をバカなことを…タダでなど出来るわけがない!!」
このクソバカ戦闘士が!輸送には莫大な金がかかるのだ。そもそも、商人からタダで商品を受け取ろうなど、言語道断である。そんな事が出来るのは、このファハーンで一人だけだ。
「ビ、ビジャン君!良いじゃないかね、一万ディル払えば竹が手に入るのだよ!ここは…」
「レイラーさん、俺に任せてくれ」
呆然とするレイラーをよそに、ビジャンは青筋を立てているアミルに向き直った。無表情ではあるが、その目はキラリ、輝いている。好敵手を見るかのような目である。
「……アミルさん、無料だがアンタにも得になる…」
「戯言を」
吐き捨てられた言葉を平然と無表情な顔面で受け流し、ビジャンは瞬きもせずにアミルを見つめたまま、続けた。
「……飛行機械は空を飛ぶ。…翼に『ありがとうアミル商会』と書く…みんなから良く見える…」
「ほう?」
「……飛行機械はアルバール初だ…」
「ふむ」
アミルは考えた。いや、考えるまでもない。
おもしろい。結局、紙の時と同じである。この取引では、代金の代わりに名声とモラディヤーン家に対する恩を売る事が出来る。再度、このアルバール初という名声を得る…悪くない。そして、モラディヤーン家はこのファハーンにおける学会の最高権威である。…これも悪くない。
一万ディルぽっちで、それらが手に入るなら、安いものである。利益は名声を利用して作る事が出来るのだ。
「よいでしょう。無料で提供しましょう。レイラー殿、他にも欲しいものがあれば言ってください。できるだけ協力します」
「ア、アミル殿、良いのかね?!」
「ふふ、私は商人です。不利な取引は致しません」
ニコニコと笑いながら、アミルはそう言った。だが、目は全く笑っていない。レイラーの肌に鳥肌が走った。青筋を立てていたさっきより、もっと怖い気がする。
「そ、そうかね…では…」
そういう事になった。
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細々とした打ち合わせと、伊勢への口止めをお願いして、アミルの店を出た。
店を出たところで、レイラーは冷や汗をぬぐって、ほっと溜息をついた。商人とは怖いものである。学問の知識がまるで通用しないのだ。レイラーには、アミルがなぜこの取引を受け入れたか全く見当がつかない。
「ビジャン君、すごい交渉だったね。それにしても商人とは、何なのだろうね?」
「舐められたら負けだ」
「そ、そうかね」
サツバツ!商人の世界とは、げに恐ろしきものである。彼らは武器ではなく、金と言葉で殴り合うのだ。レイラーには不可能な芸当である。これなら、未だ全く糸口すらつかめない、素数の出現法則についてでも考えている方がマシである。
「ま、まあ行こうかね」
さて、レイラーはビジャンに食事をおごる事にした。先程のお礼である。一万ディルを節約してくれた事からすれば大したことではないが、そこはそれ。神の教えにも恩には応えよ、とあるのだ。まあ、手持ちの金がそんなになかったので、入った店は中の上か上の下、と言った所である。
「さあ、好きなものを注文してくれたまえ!」
ビジャンはコクリと頷くと、店員を呼んだ。
「……お勧め料理を二人前…」
まことに効率的な注文方法である。レイラーは感心せざるを得ない。
「ビジャン君、これで飛行機械が出来そうだよ。君のおかげだね」
「よかったな」
「本当によかったよ!竹は引っ張りに強くて柔軟性があるからね。これを主翼と胴体の一部に使って――」
レイラーは飛行機械について話しまくった。目途が立ったので、純粋に嬉しかったのである。しかし…
「ビジャン君、大丈夫だったのかね?後で君に問題が起きたりしないかね?」
そう、先程の話である。ビジャンがレイラーに教えてくれた竹の件は秘密であったらしいのだ。
「俺は戦闘士だ」
「ふむ」
「犠牲と戦果を評価する」
「うむ」
「それだけの価値がある」
レイラーは胸が熱くなった。お父様の他にも、飛行機械の重要性に気がついて、その実現に尽力してくれる人が、ここにいたのだ。ちゃんとわかっていう人がいる、レイラーはそう思った。
「ビジャン君、ありがとう」
レイラーが丁寧に頭を下げると、ビジャンは小さく首を横に振った。
「借りがある」
レイラーは思い返してみたが、心当たりがあるのは彼の父親の病気に対して、イセ君と共に進言した事だけである。
あの時、レイラーは何もできないどころか、かえって彼女の存在がビジャンの父親を意固地にさせてしまったのだ。彼の父親は旧学派の医者と付き合いがある薬問屋なのである。新学派のレイラーの進言など聞けるわけがない。
「ビジャン君、私は何もできなかったがね。…お父上の具合はどうかね?」
「まだ生きている」
「そうかね」
ビジャンは何事もなかったかのように答えた。レイラーは彼と父親との間に何かあった事を知っている。ファリドと伊勢の会話から聞いているからだ。だが、少ない情報で推論を組み立てても、正確な結論は得られない。だから、何も言わない事にした。
「ところでビジャン君、このクマンは美味しいねぇ!バターをふんだんに使っているね!」
「うまい…レイラーさん、親父の事はすまなかった」
「…ビジャン君、謝るべきは私なのだよ。私がいなければ、まだ何とかなっていたかもしれないね」
「それはもういい」
ビジャンはつぶやくように言って、クマンをパンにのせてバクバク食べた。レイラーにはこういう時に何を言っていいかわからない。またしても、学問が役に立たない状況である。歯がゆい。
しばしの沈黙が流れた。
「俺はもう、勝っていた」
ビジャンは、また呟くように言った。
「そうかね。おめでとう、ビジャン君」
「ああ」
レイラーの直截で簡単な祝福に、ビジャンは目を細めて小さく笑いながら応えた。
「給仕君!ラドリー鶏をもう一つ頼むね!」
二人は存分に食べ、存分にワインを飲んだ。
代金は153ディルであった。
レイラーのおごりのはずだったのだが、ビジャンの主張で何故か割勘にすることになった。
レイラーが77、ビジャンが76ディルを払って、1ディルを給仕への心付けにした。
これで、トントンである。




