二年と205日目
二年と205日目
壮大にも程があるというものである。
キルマウスの次男ダールと、アミルの長女アフシャーネフの結婚式は、ファハーン郊外の草原で行われたのであった。理由は一つ。セルジュ一門の根っこは遊牧民だからだ。大勢が飲み食いできるハコが無いからではない。たぶん。
結婚式の出席者は文字通り数えきれない。少なくとも数百人であった。
一番上座に新郎新婦。その横にキルマウスとその妻。そしてずらりと一門の親族と有力者が並び、その他沢山はずっと離れた所の席に座って神官のありがたい説教を聞く。遠くて聞こえないが、聞こえてるふりをする。
つぎにしきたりに則って盃を交わしたり、贈り物をしたりというのが、延々と続く。このあたりで、出席者の半分は飽きている。
さらに、結婚式の定番である~様よりご挨拶、というのが延々と続く。このあたりで、出席者の9割がダレている。
最後に出席者全員で乾杯。これでエンジンがかかる。
その後が滅茶苦茶なのである。
まず、キルマウスが叫んだ。
「一門およびそれに連なる部族郎党諸君。本日は我が息、ダール・セルジャーンの門出を祝ってくれた事に深く感謝する。…相撲だ!」
キルマウスの号令により、半裸の力士が数十人出て来て相撲を取るのである。地球で言うモンゴル相撲的なアルバール相撲なのだ。
結婚式の出席者の中からも、飛び入りで参加する者が沢山いる。
「イセ殿!アンタも出てくれ!」
「えっ?ちょっと…わたしはそん…」
「おお!そうだ!武術大会優勝者も出るぞ!」
「軍曹のイセが出るぞ!」
「ちょ?!まっ?!えっ?」
「おお!イセだ!イセが出た!」
…押し出されてしまった。もう逃げられない。文字通り、十重二十重に囲まれているのだ。
「あいぼーっ!がんばってーっ!」
「あー…」
この垂直落下式ライクアローリングストーンを回避する技は、陽子さんチートにも存在しない。この身に受け止めるのみである。
覚悟を決めて、相手を見た。
…うむっ!人では無い!むしろ魔獣、裸赤狒々に近い。いや、まごうこと無き裸赤狒々であろう。
しかし、ここで伊勢に引くというオプションはすでに存在せぬ。
もうすでに俎の上の鯉。後は精々ピチピチ跳ねて料理人を…
「ふがぁっ?!」
無理であった。
鎧袖一触。
伊勢は土を顔に擦りつけられた。もとい、顔を土に擦りつけられた。
裸赤狒々相手に、有効な技などというものは存在しないのである。あの、史上最強の生物さんのセリフが、伊勢の脳裏をかすめた。
「なんだ、大したことねぇな…俺の負けか」
「武術大会優勝者も相撲じゃダメか」
「まあこんなもんだろ。俺の勝ちだ」
この男どもは…神聖な勝負を賭けの対象にしているとは何たることか!そもそも古来より日本では相撲は神事とさ……
「相棒の仇はボクがとる!」
「おいやめ…」
無理であった。止める暇も無い。
伊勢の相棒、無敵のアールは裸赤狒々の前に敢然と立ちふさがった。仁王立ちである。つややかな黒髪が風にたなびいていた。
「なんか女が出たぞ!」
「おお!女がやるのか!」
「あれは無敵のアールだ!」
よし…こうなったら…
「俺の相棒に千ディルだ!」
伊勢は賭けをやってる連中の所にかけつけ、絨毯の上に千ディルを叩きつけた。
「「おお」」
「じゃあ俺はオグリスに千だ!」
「俺はアールに5百!」
「始め!」
の声がかかると同時に終わった。
「「「おおおおお」」」
アールは倒れた裸赤狒々の前にそっと片膝をつくと、右手を差し出した。
けっして、友情では無い。
しかし、それに似た何かが、二人の間で生まれた。
―パチパチパチパチ…
何故か、拍手が沸き起こった。
^^^
―「次は競馬だ!」
キルマウスが新たな号令を発した。
伊勢は即座に逃げた。
…
……
…………逃げ切った。
「イセ殿」
「競馬には出な…ああ、『ご出席されていたのですか。ヨーンテンファン大使』」
意外な出会い。帝都グダードで会った、双樹帝国大使、ヨーンテンファンであった。
ここで会うと思っていなかった伊勢は内心ドキドキしているが、それでもけっして顔には出さぬ。これが株式会社日本の社員たる男が持つべき、「たしなみ」であろう。そうであろう。
『イセ殿。先程の相撲では見事に投げられましたなぁ』
『なははは。お恥ずかしい』
人類である伊勢には、裸赤狒々にはどうやっても勝てぬ。恥ずかしくなんて無いのだ!
『帝都は大丈夫なんですか?大使』
『なに、私以外にも人はいますゆえ』
宮殿の一室で双樹帝国の外交団と面会した伊勢には、そうは思えない。彼らが演技していた可能性もあるが、そこまではわからぬ。
『私は商人でもありますからな。儲けの匂いがすれば、それを探らねばなりません』
『ファハーンに何かありますか?』
『さて、それを探しに来ました。南の山脈では顔料や良い粘土や鉱石がよく取れるそうですね』
…もう磁器の件はバレているようだ。どこから知ったのかはわからない。もしかしたらセルジャーン家のルートかもしれないし、商人のルートかもしれない。
『あそこは良い鉱脈がありますからね。ただ、原料があっても技術が無ければモノは生まれませんよ』
『まあ、そうでしょうな。時間がかかりますな』
『そう、時間がかかります。時間は大切ですね。調整が出来る』
伊勢は日本人スキルを最大限に発揮している。日本人はこういう腹の探り合いが得意なはずなのだ。サラリーマンならきっと出来る!出来るはずだ!
『調整は必要ですな。商品は様々にある。値段も色々だ』
『一番大切なのは品質ですよ。これは私の古い信念ですけどね』
伊勢の数少ない信念である。よいモノは売れる。マーケティングも大事だが、技術者は品質を追求しなければいけないと、伊勢は思う。そういう意味では、彼は古いタイプの人間だ。
『双樹帝国の品質は素晴らしいですからね。胡坐をかかなければ、いくらでも売るモノはありますよ』
『胡坐ですか。おごれるものは久しからず、ですな』
『その通りです』
当たり前である。技術基盤も気候的条件も、双樹帝国はアルバールより恵まれているのだから。
『あらゆる技術の進展は止めることはできません。弛まず努力するしかないのですよ』
『技術の元になるものを無くせば、進展は止まるのではないですかな』
随分とまあ直接的な警句を発するものである。そんなあからさまな事をやる気はないくせに…反応が見たいがための、明らかすぎるブラフだ。伊勢はつい笑ってしまった。
『はは、もう遅いでしょうね。ゼロが1になるのは難しいが、1が2になるのは簡単です。貴国の冊封に組み入れられてる国ならともかく、我がアルバール帝国は強力な国家ですからね。
結局…商売は損得の問題です。損をする者もいれば、得をする者もいる。損をする者は、やり方によってそれを回避できる。他国に手を突っ込んでガタガタやるよりそちらの方が簡単では?』
『問題は他国そのものではなく、他国と商売している交易商だと思いますが?』
『本質的には仕入れ先が一つ増えるだけです。彼らにとっても損にはなりませんよ。商品はいくらでもあるんですから』
『なるほど』
ヨーンテンファンは伊勢が話すであろう事を全部わかった上で、伊勢がどう話すかを楽しんでいるのである。
伊勢にも自分が手の平で転がされている自覚がある。ウンザリである。これ以上のリーマン・スキルは伊勢の手に余る。豆腐メンタルの限界である。
『それにしても見事な剣と薔薇の花を贈られたそうで。枯れない薔薇だとか聞きましたが…』
『剣は友人の鍛冶屋の作品ですね。薔薇は…まあ、私の国のやり方です。一種の乾燥花ですね』
『とても乾燥しているようには見えませんでしたな』
プリザーブドフラワーもどき、である。
正確に言えば枯れないのではなく、花の内部の水分をグリセリンに置換しているだけだ。一部の生物標本にも使われるやり方らしい。
グリセリンは強い吸湿性があるので、ある程度の期間は瑞々しく状態を保てるのである。
本当のプリザーブドフラワーはグリセリンではなくエチレングリコールを使うが、伊勢にはそれは合成できないだろう。そもそも、そんなに優秀な化学屋では無いのである。
『イセ殿の国、ニホンといいましたか。ぜひ交易がしたいですな』
ヨーンテンファンのまごうこと無き本音である。
『いやあ、それは無理でしょう。遠く遠く海を渡った所にある国です。…場所を言う事はできません』
たって異世界なのだから。
『イセ殿。今日は良いお話が出来ました。今度は私が双樹帝国にご案内したいところです』
『ええ、お互いに機会があれば』
『はい』
見ているものが胃痛を起こすような笑顔を浮かべて、ヨーンテンファンは去って行った。
「痛い」
伊勢は実際に胃痛を起こしていた。
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――ウオオオ
あの歓声はどうやら競馬がゴールしたらしい。もう駆り出される事は無い。
安心して伊勢が戻ると、アールが小さめの馬をお姫様だっこしていた。歓声はこれか…
「お帰りなさい、相棒」
「ああ、ただいま」
「さあ、お馬さん。ありがとう」
アールが馬を下ろした。馬はパカパカと逃げて行った。




