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Fの軌跡  作者: ひこうき
Fの再会 編
59/60

宮谷VS少年F

「続けようよ、もっと闘ろう。宮谷志穂、僕はキミの力を見てみたくなった」

 ゾワリ! と。少年の視線が宮谷の全身を舐めると同時に、虫が這いずり回るような寒気が宮谷を襲った。

 少年が自分に興味を示したという驚きより、宮谷の中では恐怖の方が大きかった。それも仕方がないのかもしれない。何故なら宮谷は今しがた、その絶望的なまでの力の差を嫌というほど見せつけられてしまったのだから。

「あれ? 怖いのかな。……困ったな、キミは恐怖で突き動くタイプの人間じゃないみたいだ」

 ギョロリ、と。双眸を大きく見開いた少年が、周囲で転げた黒服たちを睥睨した。

 単刀直入に言ってしまえば。

 宮谷を除く22名の黒服が、消え去った。

 宮谷の目の前で。

 虚空に、飲み込まれたのだ。

 映画のワンシーンよりも容易く。

 22名もの命が、一瞬にして。


 その間、少年はうすら笑みを浮かべたまま佇んでいるだけだった。


「じゃあ、怒りはどうだろう。キミは怒りに突き動かされるタイプだろう? こんな取るに足らない『ゴミ』が消されても」

 ブチン、と。

 宮谷の中で何か焼き切れた。少年の思うつぼであることも知っている。敵わないことも知っている。それでも気づけば銃を握りしめ、眼前の『敵』へと照準を合わせていた。

「……ふざけないでッッ!」

 もう加減はしない。

 全力でいく。

 本気で殺しにいく。

 そうしなければマトモに相手にすらならない。

 沸騰しかけた思考の中で、そのような言葉が次々と流れていく。

 頭はキレていても、宮谷の思考は冷静だった。宮谷はポケットのポーチから『橙のモールド』を取り出す。片手で器用に手の甲に突き刺し、体内に最終手段を取り込んでいく。

 その間、少年は静かに立って傍観していた。宮谷がモールドを使用することに対して何の警戒も抱いていない、無感情な瞳。いや、違う。むしろ宮谷の力が増幅することにある種の期待すら抱いている瞳だ。

 少年は、この宮谷志穂という少女に何らかの特別な感情を抱いている。

 その事実を把握するだけの余裕は、宮谷には無かった。ただ頭の中で、着々と攻撃の段階を組み立てていた。

 目前に佇む少年に、一矢報いるために。

「……行くわよ、化物」

 段取りを頭の中で終えた宮谷の瞳は瞬時に切り替わる。ただの少女の潤んだ瞳から、冷徹な『ハンター』としての瞳に。

 全ては狙った獲物をしとめるため。そのために全てをかけて、持てる力全てを発揮して、その全てを組み合わせて、全てを増幅させて、目的に向かってただ突き進む。

 迷いなどという代物はとうに押し消えた。先ほど奪われた全身の力は、怒りとモールドによる能力補正が補っている。彼女を束縛するモノは何もない。


 正真正銘、これがICDA実行部、ナンバー4としての宮谷の力。


 まさに期待通りとばかりに、少年がアハッ、と哄笑を漏らした。

「いいよ、おいで。『僕と同じ』ただの人間にどこまで抗えるか」

 その少年の言葉を火蓋にして、両者の激突が始まる。

 宮谷は砕かん勢いで大地を蹴りあげ、少年目がけて宙を疾駆する。その最中に両手の拳銃を構え、躊躇いなく引き金を引いた。

 放たれた弾丸はそれぞれ心臓とこめかみ、当たれた即座に致命打となる軌道に乗っていた。

 しかし少年に直撃する刹那、またもや音もなく虚空に消え去る。

 それを見届けると同時に、少年に急接近していた宮谷の全身に衝撃が走った。

「がっ……!」

 全身を無数のハンマーでぶん殴られたかのような衝撃。堪らず宮谷は吹き飛び、地面を無様に転がる。

「どうしたの? その程度なの、ただ闇雲に突っ込むことしか知らないの?」

「舐めないで……!」

 宮谷は起き上がりざまに拳銃を振り下ろすように構え、力いっぱい引き金を引いた。

 だが、放たれた弾丸は少年を狙っていない。その軌道は僅かに逸れ、少年の頬横を掠めて背後に通り過ぎていった。

 少年が苛立たしげに、地面に伏せたままの宮谷を見下した。

「失望させないでよ、もう狙いも付けられなくなっちゃった?」

「さぁ、ね……」

 そこで、宮谷の作戦の第一段階が始動する。

 突如、宮谷と少年の周囲を強烈なスモークが包んだ。それは瞬く間に飛行船内部を白色に染め上げていき、視界一面を曇天の奈落へと突き落す。

 宮谷は初めから少年を狙ってはいなかった。彼女の視線は少年の後ろ――正確にはその頭上の緊急用スモーク発生装置を狙っていた。衝撃を感知して催涙効果のある煙を吹き出す機械だ。

「なるほどね……僕を狙ったフリをして、その実この煙で視界を奪うことが目的だったのかな」

 宮谷は答えない。ただ次の段階へとコマを進めていくだけ。

 宮谷の放った弾丸が微塵の狂いもなく装置を打ち抜いた結果、飛行船内部ではスモークが充満していた。一寸先は煙によって灰白色に包まれ、両者は互いの姿を視認できない。

 宮谷は重力操作によって、自身の体に薄い『重力の膜』を張ることで催涙のスモークをやり過ごす。そして飛び跳ねるようにして飛行船前部に駆け、もはや兵器である『ソレ』を掴みとる。

 溜りに溜まったスモークが少年によって瞬時に掻き消されるのと、宮谷が『ソレ』を構えるのは同時だった。

 再び晴れ渡った視界の中で、兵器――機関銃『M70』を構える宮谷の姿があった。面掃射においては比類なき力を発揮する地上最強の機関銃。『もしも』に備えて飛行船内部に備え付けられていた最終兵器だ。

「こういった戦術もへったくれもない武器は苦手なんだけど……ねッ!」

 M70が火を噴く。毎分1000発の弾丸が空気を切り裂き、なだれ込むように少年に殺到した。

「あは、あははははははッッ!」

 少年は高らかに嗤う。足りない、まるで足りない。『たったこれしき』の火力では何も変わらない。

 少年の支配がはじまる。全ての弾丸が少年に届く前に情報を書き換えられ、その身を虚無へと散らす。

 宮谷は引き金を引き続けた。消されるのも構わない、それは想定済み。無数の閃光が銃口を走り抜け、弾丸が次々と掃射されていく。

「重力……加速ッ!」

 ここで宮谷は自身の能力を振り絞る。弾幕全体に重力場による高圧力をかけ、両者間をピアノ線のごとき細小の光線を刻んで駆け抜ける弾丸、その速度を一気に加速させた。

 ――これが、第二段階……!

 能力同士による、されどあまりに一方的な抗争が始まった。少女の放つ重力加速による弾丸の嵐と、それを1つも漏らすことなく『書き換え』ていく少年。

 人類の英知全てを集めた攻撃を、まるで取るに足らないと言わんばかりに易々と凌いでいく神のごとき存在がそこにはあった。

 ――ここ……!

 タイミングは最初から必要なかった。ただ少年が弾幕に夢中になっている間ならば、いつでも仕掛けることができる。

 だが宮谷は、自身の抱える機関銃の残弾量が既に底をつきつつあるのを知っていたがゆえ、掃射してから5秒と経たない時点で勝負に出た。

 第三段階。

 

 宮谷の合図とともに――少年の足もとが爆発した。

 

 宮谷が仕組んでいたのは『マイクロクラスター』。直径僅か2センチ程度のボール状のそれは、一定圧力を感知すると起爆するシステムになっている。小型の名には相応しくない、戦車一つなら容易く吹き飛ばすICDA最新技術の結晶であるクラスター型の爆撃兵器だ。

 先ほど『わざと』無謀な突撃をした際に、宮谷はこの小型爆弾を少年の足もとに仕組んでいた。消されると分かっていながらI&W-600の貴重な弾丸を使用したのは、少年の意識を足元から逸らすため。

 宮谷は掃射を続ける傍ら、重力操作で無理やりマイクロクラスターに圧力をかけることで、遠距離から起爆を促したのだ。まさに宮谷にしかできない芸当だ。

 眼前は紅蓮の爆炎に飲み込まれ、少年の頼りない体は炎に包まれている。それでも宮谷の攻撃は終わらない。重力固定による片手で機関銃の面掃射を続けながら、もう片手でI&W-600による強攻撃を敢行する。数による攻撃に加えて、質による攻撃をも追加したのだ。

 ――まだ……まだッ!

 終わらない、まだ宮谷の攻撃は終わらない。さらなる遠隔起動により、残っていた2つのマイクロクラスターを起爆させる。

 爆炎をさらなる爆炎が飲み込んだ。生き物のようにうねる炎が飛行船内部を焼いていき、空気を焦がしていく。暴風のごとく降り注ぐ弾丸が紅蓮の炎を掻き分け、衝撃波を生み出しながら少年に襲い掛かる。

 ――まだだッ! まだ行けるッ!

 さらに重力による圧力をかける。宮谷の最大出力である12倍の重力を惜しみなく少年へと突き落した結果、飛行船そのものがグラリと大きく傾く。

 爆炎がさらに熱密度を上げて、重力によって動きのとれない少年へと襲い掛かる。弾丸の暴風が吹き荒れ、少年を貫かんと降り注ぐ。

 宮谷は仕上げに入った。第四段階。

 宮谷最大の切り札である『質点操作』。形の無い圧倒的な質量の点は、いわば万物を飲み込むブラックホール。

 宮谷は12倍の重力を叩きつけながら、少年の胸部、そのど真ん中に質点を生み出した。

 突如出現した漆黒の闇は、膨れ上がった爆炎、さらには無数の弾丸すら飲み込んでいく。灼熱の空気が、空間を飛び交う鉛玉が、その全てが、生み出された暗黒の塊、その一点へ。

「ウアアアァァァァァアアァッッ!!」

 ――衝爆バースト

 一点に凝縮された莫大なエネルギーが、宮谷の合図で解き放たれた。

 その爆発の威力は戦略兵器にすら引けを取らない。約23秒に及ぶ攻撃、その全てが凝縮され、一瞬のうちに解放されたのだから。

 膨れ上がった爆炎は飛行船内部を飲み込んだ。宮谷はとっさに重力操作によって爆炎を凌ぐが、ただの物質である飛行船はそうはいかない。3度に渡るクラスター爆撃、跳弾によって穴だらけになっていた船はその形を維持できず、大規模の爆発によって船体の半ばから吹き飛んだ。

 

 *


「はぁ……はぁ……」

 荒い息を繰り返して、必死に動悸を落ち着ける。キャパシティを超えた能力使用、さらには度重なる発砲の反動から、宮谷は膝から崩れ落ちていた。

 出した、宮谷は持ちうる力の全ての出しきった。後先なんて考えていない、捨て身の特攻だ。

 宮谷の吐き出した無数の攻撃によって、彼女が乗っている船体はボロボロだった。内装は全て真っ黒に焼け焦げ、マグマを彷彿とさせる深紅の傷跡がフロア中を走っている。

 ちょうど船の真ん中から後ろが消し飛んだ結果、船上は上空の冷たい空気に吹き曝しにあっていた。数基のフロートエンジンが生きているおかげで、船が墜落する心配はなさそうだ。

 まさに小規模の隕石でも落ちてきたかのような甚大な被害。その渦中にいた少年が無事であるハズがない。

 そう、その少年が、ただの人間だったなら。

「――いやぁ、凄い凄い」

 折れた船の中央と、足場の無い蒼空。その境界線上に『無傷』の少年が立っていた。子供の小さな反抗に驚く親のような、至って平和的かつ慈愛に満ちた呆け顔を晒しながら。

「なんて火力だ。この一撃だけなら、ICDA実行部トップ3にも匹敵するかもしれない」

 客観的かつ理性的。その圧倒的な火力が、つい先ほどまで自分に降り注いでいたことを忘却してしまったかのごとく、少年は無邪気な笑顔で問いかけた。


「で?」


 そう、この少年はこれでも満足しない。いや、『この程度』では満足できない。

「それで? まさか、この程度で終わりじゃないよね?」

 宮谷がこれだけの全力を出してもかすり傷一つ付けられない。少年は地面に膝を付く宮谷を前にして、彼女の全力を前にして、さらに『その先』を求めている。

 理不尽なまでの実力差。刃向うのもバカらしくなる能力差。

 その隔絶的な、あまりに圧倒的な力を前にして、宮谷は打ちひしがれる。


 打ちひしがれただろう――もし、この攻撃に宮谷が全てをかけていたのなら。


「ええ、ここからが本番よ」

 宮谷の策は尽きていない。いや、ここからが宮谷の策の始まり、これまでの攻撃は全てそのための下準備でしかなかった。

「確かに私は『全ての力を出し切った』わ。だから、今からその力がアナタに向くことになる」

「……」

 少年は笑顔のままだ。だがその眼差しに、期待以外の何かが混じり始めているのを、宮谷は感じとった。

「最初から不思議だったのよ。『人間の知覚を超えた速度で迫る弾丸に、どうしてアナタが対処できたのか』」

 宮谷は思い出す。最初に黒服を守ろうと両脚目がけて発砲した瞬間、少年が振り向くことなく弾丸を消し去ったのを。

 つまりはこういうことだ。

 少年がこの空間を支配し、その情報を自在に書き換えられる。それはもう疑いようのない事実だろう。

 だが問題は、その書き換える前の情報をどうやって入手しているか、だ。先ほど少年は宮谷の発砲した弾丸を振り返らずに消してみせた。それは暗に、『少年は視覚から物質の情報を得ていない』ことを示している。

 また宮谷の放った弾丸は、裕に音速を超えていた。つまりそのことから、『少年は聴覚から物質の情報を得ていない』ことが分かる。

 それ以前の話として、宮谷の放った弾丸の初速は700m/sを超える。約5メートル離れた位置からだと、着弾に要する時間は僅か0.007秒程度。人体の神経伝達速度は100m/sであり、脳への情報伝達までおよそ0.01秒を要するワケだから、この弾丸に反応できた時点で少年が五感を用いていないことは確かなのだ。

「その段階で確信が持てたわ。アナタが五感ではなく、この空間の情報全てを別の『何らか』の手段で把握しているってね」

 宮谷は続ける。

「なら簡単な話よね。五感で感知できないんじゃ、その『何らか』の手段による感知さえ乗り越えれば、書き換えられる前にアナタに攻撃が届く」

「僕のその情報を把握する手段、それが何であるかも分からないのに?」

「ええ、確かにその手段は分からないけど、これまでの戦闘からその特性なら分かる」

 少年が、ピクリと反応した。

 宮谷はゆっくりその場に立ち上がりながら、まっすぐ少年を見据える。

「その感知能力は、ある種の超能力の一つ、と言ったところかしら。つまり、感情をエネルギーとして消費する。賢明なアナタのことだわ、感情消費を抑えるために、その『感知ができる範囲』は恐らくかなり小さい規模に絞ってあるハズ」

 つまり宮谷は、こう推測した。

 少年は何らかの手段を用いて、空間の情報をかき集めている。そしてその何らかの手段とはつまり、感情を消費した超能力であるということ。

 強力な能力ほど必要な代償は大きい。ならば少年は確実に、その感知の範囲を狭めている。例えば、戦闘区域であるこの飛行船内部にのみ能力を適用、といった具合に。

 つまり飛行船の外、戦闘区域外部の情報は完全には把握しきれないということ。

「もちろん確証は無いから、今からアナタを襲う攻撃は賭けね。アナタの感知とリライト、私の攻撃のどちらが速いか」

 だが、宮谷には確証はなくとも、ある程度の自信はあった。先ほどから少年が、何にも気づいていないことから。


 宮谷が戦闘開始直後から飛行船外部に張り廻らせた、直径1㎞にも及ぶ超巨大な『重力加速装置』に気付いていないことから。

 重力によって編まれた通路を駆けまわり、その速度を少しずつ、されど確実に伸ばしていく4発の弾丸に気付いていないことから。


「バーンッ」

 宮谷は弾の残っていないI&W-600を少年に突き立てて、そう呟いた。彼女にしては珍しい、悪ふざけにも思える行為だ。

 そこで少年は気づくべきだった。宮谷が何を狙っているのか。何が自分の身に降り注ごうとしているのか。

 もっと前から気づくべきだった。M70を掃射する中で、宮谷が『敢えて』残りの4発の弾丸を飛行船外へと撃っていたことに。

「ねぇ、知ってる? 重力加速装置。一方通行の重力場を環状に配置しただけなんだけどね。遠心力と重力加速で弾丸を加速できる。100メートル程度の装置でマッハまで行くのよ」

 宮谷は得意げに続ける。目前で、未だ不敵に笑みを浮かべたままの少年を見つめて。

「じゃあ私の能力で無理やり1㎞級の重力加速装置を創って、そこに『偶然軌道の外れた』弾丸が乗っかってて、そしてこの飛行船がその加速装置上に存在していたら……どうなると思う?」

 宮谷負けじと最上級の笑顔を浮かべて、告げた。


「今度の私の弾、ちょっとバカにできないくらい速いわよ」


 I&W-600によって放たれる弾丸の速度は700m/s。

 宮谷の創りだした重力加速装置に乗って、約1000㎞の通路を加速してきた弾丸の速度は1800m/sオーバー――実にマッハ5を超えていた。

 

 極超音速流の流れ場を生み出し、そのあまりの速度にプラズマを纏った4つの弾丸が、飛行船の真横から少年を襲った。

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