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Fの軌跡  作者: ひこうき
Fの再会 編
58/60

少年F

やっとこのエピソードまで来ましたねー。

 どんな時だって体は正直だ。

 いくら悲しんだところでお腹は空くし、いくら歓喜したところで睡魔は襲ってくる。

 心や精神を落ち着かせるのは簡単だ、そういった身体的な要求に素直に従っていればいい。そうすれば時間をかけて内面の整理はつく。

 あの時ひどく混乱していた俺は、3日という長いようであっという間の時間を与えられた部屋に籠って浪費した。

 体が求める物だけをただ埋めて、後の時間は全てボンヤリ考え事に費やすことで、俺の精神は大分落ち着くことができた。今なら自分の身に何が起きたのか、何が起こっていたのかを冷静に受け止められる。

 ガチャリ、と厳重なカギが開く音がした。

 スライドドアが重々しく開く。

「久しぶりね、支倉恭司。そろそろ落ち着いてきたかしら」

 何もない一面真っ白な部屋に、3日ぶりの来客がやってきた。

 少女の名は志穂。宮谷志穂。俺をこのICDAに連れてきた張本人だ。

「ご飯はしっかり食べてたみたいだし……睡眠も適切時間は取ってたみたいね。良かったわ」

「何だよ、心配してくれるのか?」

 宮谷はそっぽを向きながら、

「当然でしょ。アナタがこうなってしまった原因の半分は私にあるようなものだし。罪悪感だって感じるわよ」

 はい、と宮谷は飲み物の缶を投げ渡してくる。

 俺は片手でそれを受け取って、サンキュと呟いた。

「もう大丈夫だ。全部思い出したし、何が起きていたのかも理解できてる。自分の身に起こったことも受け入れられた」

「そう、良かった。本当に」

 ドアに寄り添うようにしていた宮谷は、穏やかな笑みを浮かべながら室内へと入り込んできた。

「この隔離部屋に来たばかりの時とはまるで別人ね。すごく落ち着いてる」

 思わずこちらも笑みを浮かべて返してしまう。

「あの時がおかしかったんだよ。誰でもあんな事実を伝えられたら動揺するに決まってるだろ」

 そう、あの時。

 学校で宮谷に捕捉されて、飛行船でコード査問会へと運ばれている時。

 俺はまた意識を失い――そして気づけばこの何もない監禁部屋に放り投げられて、そして。

 そして、恐れられるようにして伝えられた真実。


「俺の中に、少年Fがいるってこと」


 *


 彼は――支倉恭司はいったい何を言っているの。

 宮谷志穂は彼女自身の耳を疑った。僅かばかり、ほんの冗談のつもりで思考の片隅に留めていた考えが、まさか真実だとは信じられずに。

 少年はただ繰り返す。

「僕が少年Fだ」

 少女の目の前にいる支倉恭司――彼女がこのICDAへと連れてきた少年は、堂々と、高らかに、宣告するかのようにして言い放った。

「そうだよ、僕だ、僕こそが少年Fだ。キミたちが恐れ、妬み、羨み、嘆き、蔑む『Fコード』を創りだした張本人だよ。よく気づいたね」

「え、ええ……?」

 少女と少年がいる場所は飛行船内部。

 現在宮谷は、支倉恭司を査問会まで運ぶ任に着いている。

 本部から派遣された黒服の男を20名以上も展開させて、ターゲットである彼を拘束器具で封じた上で、彼女は能力についての解説を行っていた。

 そして、彼が見せた驚異的なまでの能力について考察する中、浮かび上がった一つの可能性。

 支倉恭司こそが、少年Fそのもの。

 彼が少年Fだからこそ、複雑怪奇な現象の情報を解析できた。

 だからこそ、万物の情報を書き換えられた。

 ほんの冗談だと思っていた。笑って流すようなバカな考えだと思っていた。

 しかし、今少女の目の前にいる少年は肯定して見せた。自分が少年Fだと。

「あの……自分で言っておいて申し訳ないんだけど、アナタ今そんな冗談を言える余裕があるの?」

「冗談じゃないよ。僕が少年Fだ」

「ばっ……」

 ありえない。

 少女は否定するしかない。

 何故なら彼が少年Fである可能性は万に一つもないからだ。

 少年Fが実験施設から姿を消してから早17年。

 その当時の少年Fは14歳だったワケだから、もし今も生きているとするならば確実に30は超えている。

 だが、自らを少年Fと名乗るこの少年は一体いくつだ。普通の高校2年、どこからどう見ても平凡な17歳ではないか。外見の時点であり得ない。

 それに加えて彼は適合率0%の落ちこぼれなのだ。少年Fの名を語るには、いささか以上に力不足ではないのか。

「信じてないみたいだね」

「あっ……あたりまえよ」

「いい、それでいいよ。確固たる証拠が無いときは頭ごなしに肯定しちゃあいけない。何事も信じるだけの根拠がなきゃ」

「な、」

 何を言っているんだ、この少年は。

 宮谷の動揺を感じ取ったのか、畳み掛けるようにして少年が言葉を重ねる。

「君は今こう考えている。外見的にも能力的にも、僕が少年Fたりえないと。支倉恭司は少年Fであるはずがないと」

 身動き一つとれない少年は、僅かに笑みをこぼしながら続けた。

「まずはその疑問に答えてあげよう。

 正確に言うとね、僕は少年Fだけど、『支倉恭司』は少年Fではないんだ」

「どういうことかしら?」

「簡単なことだよ。僕が、少年Fが、この支倉恭司という肉体を借りているのさ」

 少年は淡々と続ける。

「いわば、僕は支倉恭司の裏の人格、といったところかな。普段は『適合率0%の落ちこぼれである支倉恭司』という人格で、ライエルとの戦闘時は裏の人格である僕が現れた。端的に言ってしまえば、『少年Fという人格が、支倉恭司の中に植え付けられている』んだ」

「植え付けられて……いる」

 宮谷は思わず彼の言葉を繰り返していた。

 なるほど、どのような技術や目的を伴っているかは知らないが、もし支倉恭司の中に少年Fの人格が宿っているのなら、これまでの不可解な現象の説明にはなる。身体的な問題ではなくなるし、ライエルとの戦闘時は全てこの少年Fの人格が主導権を握っていたと考えるなら辻褄は合うだろう。

 しかし。

 少女の意識に引っかかったのは、『植え付けられている』というフレーズ。

 これが意味するのは果たして何か。

 微妙な言い回しだ。まるで誰かが意図的に行った行為であるとも考えられる。

 つまり、何者かが支倉恭司という男に、『無理やり少年Fの人格を埋め込んだ』。

「分からないわ……」

 どうやって少年Fの人格を植え付けたのか。少年Fの人格は何処から来たのか。それ以前に、この少年Fの人格は本物なのか。

 本物の少年Fは、別に存在するのか。

 不明瞭な点が多すぎる。全てを把握するには圧倒的に情報が足りない。

 ただ、真実かどうかは定かではないが、今現在得られている情報は。


 支倉恭司が少年Fだったのではなく――――少年Fの人格が支倉恭司に宿っていたということ。

 

 この重大な答えが得られた瞬間に、宮谷の中で渦巻く疑問が一気に増大してしまった。

 普通ならば相手にするのもバカらしい話題だ。

 ただどうしてか、少年の口から漏れる一語一句全てが、宮谷には冗談に感じられなくて。

 気付けば、宮谷は緊張で固唾を飲みこんでいた。

「にわかには信じがたい話ね」

「そうだろうね、だからさっきも言っただろう。確固たる証拠が無いときは頭ごなしに肯定しちゃあいけない。何事も信じるだけの根拠がなきゃ」

「ならアナタは……自分が少年Fであるという根拠でもあるというの?」

 少女の問いに、少年は一度瞳を閉じてから、


「ああ、あるよ」


 楽しげに口元を吊り上げ、大きく目を見開いた。

「っ――!」

 その瞳に、宮谷の意識は飲み込まれる。

 深淵へと続くかのような、深い色を帯びた大きな瞳。

 万物の真理を見抜き、その根源を根こそぎ奪い去っていくかのような。

 宮谷志穂というチッポケな存在が、全てバラバラの情報に分けられて吸い込まれていくような。

 その瞳を見た瞬間に分かった、分かってしまった。


 ――――これは、本物。


 そう、この男に宿っている少年Fは間違いなく本物だ。Fコードを創りだし、僅か14歳にして世界を変えてしまった本物の化物。

 これまで宮谷が見てきた誰よりも圧倒的な、絶対的な存在がいま目前に、たった数メートル先に臨在している。

「何――――これ」

 ICDA実行部ナンバー4としての実力の為せる技か。

 宮谷には分かってしまった。

 明らかに少年の纏う空気が変化したのだ。直接的な圧力は一切ない、至って自然な体を為している少年の中で、確実に何らかの『力』が昂ぶってきている。

 マズイ。

 マズイマズイマズイマズイ!

 この少年はもう動き出す。

 一度動きだしたら、絶対に手におえない。

 身動き一つ取れないはずの少年を注視しながら、宮谷は片手で黒服の男たちに合図を送る。

 その宮谷の動作に、周囲に展開していた男たちからどよめきが起こった。

 掲げるようにして挙げられた宮谷の右手が示す意味とは――。

 

 ――最大警戒態勢。

 

 宮谷は自身の腰からI&W―600を引き抜き、目前の少年目がけて突き出すように構えた。

「早くッ! 全員拳銃を構えなさい!」

 男たちはその指示に困惑する。

 当然だ、何故なら少年は指一本動かせないのだ。そんな相手に20人以上の男が拳銃で包囲するというのは、流石に腰が引ける思いなのだろう。

 しかし、宮谷には分かる。

 目の前にいる少年はもう、拘束なんてされていない。

 少年Fという化物を前にして、ICDA最新の拘束器具など紙切れにも等しい。

「早くしてッ! じゃないと――」

 宮谷の言葉は言い切られなかった。

 少年の動きを封じていた拘束器具が、まるで爆竹のようにはじけ飛んだのだ。

「っ! ルーデ拘束器具を……!」

 ドッ! と。

 鈍い複数の音が彼女の耳を打つ。

「ぐぁっ!」

「ぐぉっ!」

「ぐぇっ!」

 少年の周囲に展開されていた黒服の男たちが、まるで摘まみ投げられたかのごとく吹き飛ばされた。

 誰かに突き飛ばされたわけでもない。何かに圧されたワケでもない。

 それでも、まるで見えざる手に払われたかのように、大の男22名が地面を転がった。

 そして地に伏せて悶え苦しむ黒服たちの中央で、少年が雄とした佇まいでいた。

「っ! アナタっ……!」

「この力が証拠にはならないかな? まだ足りない?」

「ぐぉおおおおっっ!!」

 突如、黒服が泡を吹いて苦しみだす。

「……っ」

 もう確実だ。

 この少年がこの空間を支配している。

 この飛行船内部の空気を、物質を――人間を。

 彼が『苦しめ』と念じるだけで、指一本動かさなくたって、宮谷たちのようなただの人間は従わざるを得ない。

「止めなさい!」

「止めないよ? キミが証拠を見せてくれと言ったんじゃないか」

 地に伏せて悶え苦しむ黒服に、少年はゆっくり、本当にゆっくり歩み寄る。

 その小さな一歩が積み重ねられていく度に、男の命が消えかけていくのが手に取る様に分かった。

 それでも、助けなくてはいけないと分かっていても、宮谷は拳銃の引き金を引くのを躊躇ってしまう。

 彼女の目の前にいるのは間違いなく少年Fだ。しかし、その肉体は支倉恭司の物。

 宮谷が発砲すれば、傷つくのは何ら関係のない支倉恭司なのだ。

 ――ダメよ、迷っちゃ……!

 そう、迷ってはいけない。

 今現在、マトモに動けるのは宮谷のみ。周囲に展開されていた黒服の男たちは軒並み気を失っているか、屈強な者でも身動きが取れない有様なのだ。

 ――私がやるしかない……!

 決心が付いた後の宮谷の動きは、機敏そのものだった。

 腰のポケットから2本目のI&W―600を抜き出して、少年目掛けて躊躇なく引き金を引いていた。

 致命傷は負わせない、動きを封じることだけに専念した発砲。

 放たれた弾丸はまっすぐ少年の両脚へと吸い込まれーー

「なっ……」

 音もなく、虚空に呑まれた。

「何をしたの……!」

「何もしてないよ?」

 笑顔で佇む少年。

 あまりに自然な笑顔は、宮谷の自信を大きく揺るがす。

 I&W―600によって放たれる弾丸の速度は裕に人間の知覚速度を上回っている。それこそ不意打ちに対処するなんて芸当はできるハズがないのに。

 ICDA実行部ナンバー4の意地か、宮谷は動揺を押し殺し、思考を高速で回転させていた。

 音速を超える弾丸の不意打ちを打ち消されたのなら、

 ――後は、接近戦のみ!

「アアアアアアアアッッ!」

 宮谷は地を蹴って少年へと飛びかかる。

 両者の僅かな距離を一瞬で詰め、右の拳銃を振りかざす。

 振りかざす、つもりだった。

「がっ!?」

 気づけば、宮谷は地面を無様に転がっていた。

 少年が何をしたわけでもない。ただ近づこうとしただけで、宮谷の体はバネのように弾き飛ばされたのだ。

「くっ、」

 すぐに空間位置を把握して、宮谷は跳び退くようにして距離をとる。

 そのまま立ち上がり、拳銃を構えようとしたところで、

「っ!」

 膝から地に崩れた。

 片膝を着けて、肩で大きく息をする。

「はぁ……はぁ……」

 即座に立ち上がろうとするが力が入らない。まるで全身のエネルギーを持っていかれてしまったかのように。

 ――まただ。

 先ほどの弾丸が消されてしまったのも、宮谷が近づくことすらままならずに弾き飛ばされてしまったのも、こうして全身の力がゴッソリ奪われてしまったのも、いま彼女の目の前にブラリと立っている少年の仕業。

 ライエルとの戦闘時のように、この少年は空間の情報を書き換えているのだ。

 それこそ、この世界の理を支配する神の如く。

 その化物は、宮谷を見下ろしながら両手を叩いた。

「すごいなぁ、確か動けないくらいには力を抜き去ったつもりだったんだけどな……。こうして僕の前に片膝を着いてでも向き合えていられるなんて。すごい。賞賛に値するよ」

 その圧倒的な実力を前に、宮谷は強がりであるという自覚を抱きながらも笑みを浮かべた。

「セコいわね……ノータイムで世界を思いのままに書き換えられるなんて。何処の神様よ」

 ハハハ、と少年は子供じみた笑顔になる。

「世界とか神様とか大げさだなぁ。何でも書き換えられるなんてのは机上の空論。現実的、実戦的な面から考えて、僕が書き換えられるのはほんの僅かなモノさ。それでも……」

 少年は笑顔を濁らせる。

「君たち合計23人の命を『無』に書き換えるくらいは、これ以上ないくらい容易いけどね」

 ゾッ! と。

 その冷笑する瞳に、宮谷は凍りついた。

 その瞳には、おそらく宮谷たちは小石同然の存在として映っているのだろう。

 象を前にしたアリのように。

 いや、神を前にした人間のように。

 どうしようもない、考えるのもアホらしい圧倒的な力の差を、宮谷は瞬時に感じ取ってしまった。

 ――勝てない。

 そう思った、思うしかなかった。

 理屈ではない、初めからそう『定義』されているかのような。

 この目の前の少年には絶対に勝てないという事実が、まるでこの世界の真理であるように。

 頑張れば何とかなる、努力すれば何とかなる、足掻けば何とかなる、そんな幻想が一瞬にして打ち砕かれた。

 この少年Fという存在を前にしては、宮谷の命など取るに足らない存在。

 その事実から滲み出てくる悔しさ。

 それを意識下から噛み殺した宮谷は、膝をついたまま拳銃を床に置いた。

「分かったわ……! 認める、アナタは少年Fよ。だから、もうこれ以上彼らを苦しめないで」

 両手を掲げる。

 宮谷が生まれて初めてとった行為。自らの敗北を認める哀れな行為。

 敗者の姿を前にして、眉一つ動かさずに傍観していた少年は――、

「――いやだ」

「え?」

「いやだと言ったんだ。ここで止めにするのはいささか以上に興ざめだ」

 ニコリと、少年は微笑みかける。

「続けようよ、もっと闘ろう。宮谷志穂、僕はキミの力を見て見たくなった」

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