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Fの軌跡  作者: ひこうき
間章
48/60

開幕のエピローグ

これで間章最後です。長らくお付き合い頂きまして、ありがとうございました。

「ごめんね……ごめんね、フーくん」

 

 俺に抱きつき、マサキはずっと謝っていた。


 俺には分からなかった。どうしてマサキが謝っているのか。何に謝っているのか。


 ただ、自分が彼女にこうして接して貰う資格が無いことだけは、よく分かっていた。

「マサキ……ちゃんと答えてくれ、お前いつからいたんだ……?」

「分かんないよ……。ハナズンがフーくんの様子を見てくるって言って、そのまま帰ってこなくて……そしたら急に叫び声が聞こえてきて、駆けつけたら、ハナズンもラジオおばさんも動かなくなっちゃってるし……」

「……」

「ごめんね、フーくん。怖い思いをさせちゃって。……誰なの? ハナズンと、ラジオおばさんを襲った人……まだ近くにいるのかな」

「っ!」

 マサキは知らないのだ。


 俺が、ハナズンとラジオおばさんを殺したことを。

 

 人殺しである俺には、もう優しく接して貰える権利なんて無いのだ。それほどのことをしてしまったのだ。

「マサキ……離れてくれ」

「え?」

「いいから、離れてくれ!」

 マサキを無理やり突き飛ばす。そして自分の真っ赤に染まった両手を後ろに隠しながら、その場に立ち上がる。

「ど、どうしたの? フーくん……」

「ごめん、マサキ。俺はもう、マサキと一緒にいることはできない」

「えっ、何で……どうして?」

 俺は覚悟を決めて、自分の両手を広げて見せた。


「俺、ハナズンとラジオおばさんを殺しちゃったんだよ」

 

最初マサキは、俺の掲げた両手を見て茫然とした様子だった。しかし、少しずつ俺の言葉の意味するところを飲み込んできたのか、次第にその表情は暗くなる。

「う、嘘だよね、フーくん」

「嘘なんかじゃない。俺は確かにこの手で、殺しちゃったんだよ。そこにあるナイフで」

 地面に落ちたナイフに視線を配るが、マサキは見ようとしない。まるで、起きてしまった事実を否定しようとしているかのように。

「嘘だよ……フーくんに、人を殺せるはずがないよ……」

「信じたくなくても、事実なんだ」

 俺が殺したんだ。ハナズンを。

「ごめんな、マサキ」 

 俺はマサキに背を向けた。

 もう彼女には会えない。仲間を殺してしまった俺には、彼女に向き合う権利がない。

 この血にまみれた手で、どうしてマサキに触れられようか。どうしてこれまで通りに、手を握れようか。無理に決まっている。

「フ、フーくん……」

「近づくな、マサキ」

「いやだよ、何で近寄っちゃいけないの……」

「来るな……!」

「何で……!」

「俺は人殺しなんだよ! お前の両親を殺した!」

「……っ!」

 両親という言葉に、マサキはピタリと止まった。

 マサキの心の傷を抉る行為に、胸が張り裂けそうな思いだった。それでも彼女を近づけないために、俺は振り絞るように言い切った。

「俺は、お前の両親を殺したヤツと同じなんだよ。一生無縁だと思っていた人殺しに、俺はなっちゃったんだ。……マサキ、お前は両親を殺したヤツと同じ連中に、近寄りたいのか?」

「い、いやだよ……フーくん……そんなのってないよ……」

 必死に否定する言葉を探している様子のマサキだったが、やはり両親を奪われたトラウマに勝る物は無かったのか、完全に黙り込んでしまう。悔しそうな、悲しそうな涙をいっぱいに溜め込んで。

 もう、何もかも手遅れなのだ。例え死んだハナズンに許して貰えたところで、ハナズンが生き返るわけがない。取り返しがつかないのだ。

 マサキを一方的に傷つけた俺は、泣きそうになるのを必死に堪えて、逃げるようにして、その場を立ち去ろうとした。

「ダメッ!」

「っ!」

 気づけば、マサキに手を引っ張られていた。

 握っている。マサキの小さな両手が、小刻みに震えながら。血塗れになった俺の手を、必死で繋ぎとめている。

 俺は慌てて振り解こうとしたが、マサキはぎゅっと握って離さない。涙目で、縋りつくかのようにして握ってくる。

「どうして、マサキ……離してくれ」

「いや、離さない!」

「離せ、マサキ! このまま手を握ってたら――――」


「フーくんは、フーくんだから!」


「……え?」

 叫ぶようにして放たれたマサキの言葉に、俺は間の抜けた声を発してしまう。

「フーくんはいつだって、フーくんのままだから! ……例え何か変わったとしても、私が今触れているのは、フーくんなんだよ」

「……」

「私も変わるよ……? フーくんが変わっても、私がフーくんに合わせて変わってみせる。だから、一緒にいられないなんて……言わないでよ」

「マサキ……俺は……」

 マサキの言葉を受けて、俺はどう反応していいのか分からなかった。

 俺だって、マサキと一緒にいたい。ずっと傍に並んでいたい。

 でもそれは無理な話なのだ。人を殺してしまった俺には、マサキの笑顔を見ている資格なんてない。

 ない……はずなのに。

 マサキはこう言うのだ。『私が変わってみせる』と。

 それは具体的に、どういう行為を指すのか。俺には分からなかった。だからこそ、マサキの言葉が怖かった。俺が一番恐れているのは、マサキまで巻き込んでしまうことなのだから。

 それでも。守ってあげるはずのマサキに縋るのが、どんなに格好悪くても。マサキの隣にいられるというのはあまりに魅力的で、俺はマサキの言葉に縋ってしまいそうになる。

 だから俺は、迷った。本当は迷う資格すらないはずなのに、マサキの手を握る資格はないはずなのに、俺は逡巡してしまっていた。

 けど、現実は急かすように、俺に迷う時間さえくれなかった。

「――――きゃあああああああああああああッッ!!?」

 突如響き渡った女性の悲鳴に、俺とマサキは同時に反応した。

 視線の先には、ハナズンとラジオおばさんの死体を前にして、地面にへたり込む女性がいた。

「ひ、人よ……。人が死んでるわよ……!」

 まるで死体を初めて見たかのような発言だ。腐りかけの死体が、ゴミ山や裏道にいくらでも転がっている地域なのに。

 それ以前に、人に見られてしまったという事実が、俺をどうしようもなく焦らせた。

 その女性は、震えたまま死体から視線を外すと――恐怖に濁った瞳で、地面に転がった血塗れのナイフと、同じく真っ赤な手をした俺を、交互に見つめた。

 その女性の口が大きく開き、叫び声が上がる直前、マサキに引っ張られる。

「フーくん、こっち!」

「あっ」

 引かれるまま裏道に入り込むと同時に、女性の悲鳴が響き渡った。

 その叫び声を聞いて、俺は本当に確信してしまった。もう、ここに俺の居場所は無いのだと。

「行こう、フーくん。ニホンに」

「え?」

「もうここにはいられないよ」

「……」

 マサキに導かれるまま、俺は裏道を駆けていく。


 *


 本当にやり直せるのだろうか。

 人を、親友をこの手で殺めてしまって、平気な顔をして、ノコノコと逃げてしまっていいのだろうか。

 プログラムへの道を急ぐ道中、俺はずっとそんな考えを繰り返していた。

「マサキ……もうそれ捨ててくれよ」

「ダメだよ。フーくんから貰った、初めての誕生日プレゼントだもん」

「だって、もう聞けないんだろ……そのラジオ」

 マサキが今手に持っているのは、俺が必死になってようやく手に入れたラジオ――――その一部のパーツだ。率先して俺の前を歩くマサキは、先ほどから小柄な手に収まってしまうくらいの小さなラジオのパーツを、大事そうに握りしめている。

 途中で俺とマサキは、ラジオおばさんの家に寄った。置いてきてしまったラジオを回収するためだった。

 果たして、ラジオは無惨に壊されていた。ラジオおばさんの手によって、俺がようやく入手したラジオは、取り返しのつかないくらいにグチャグチャにされていたのだ。

 正直な話、俺はほっとしていた。言ってしまえば、俺はラジオのためにハナズンを見殺しにしてしまったのだ。だから俺は、他人の手によってその大切なラジオが壊されたことで、心の何処かで安堵していたのだ。

 俺はまだ戸惑っていた。このままマサキに押されて、ニホンに逃げていいのか。せめてこの場所に残って、亡くなったハナズンへの償いをする手段を探していく方が、いいのではないか。

 同時に、この土地にはもう、俺に居場所が無いということも分かっていた。マサキの提案に甘えたがる自分がいることにも気づいていた。

 矛盾する考えの板挟みにあって、もう頭の中がぐちゃぐちゃだった。

 そのぐちゃぐちゃな思考が四肢にまで影響してきたのか、ふいに俺は立ち止まってしまう。

「どうしたの、フーくん?」

 マサキが振り返り、その場に立ち止まる。

「俺……もうどうしていいか分からなくて……」

 守ると言った人物に、俺は今弱音を吐いている。そんな実感すらも、思考下に押しつぶされしまう。

 俯く俺の頬に、マサキの手が伸びてきた。

「フーくん。もうフーくんは、悩まなくていいよ」

「え?」

「フーくんはもう、充分に苦しんだから」

「で、でも……俺、ハナズンを殺しちゃったんだぞ。これで逃げたら……」

「逃げる? それの何処がいけないの?」

「いけないだろ……。ハナズンに、仲間に報いらないと」

「どうして逃げることが、報いることにならないの?」

 マサキは、微笑を浮かべていた。

 目の前にいる仲間の姿を見て、つい先刻のハナズンとの約束を思い出す。

『必ず全員で、ニホンに行こうな』

 ハナズンは、全員でニホンに行くことを望んでいた。

 では、そのハナズンがいなくなった今、俺とマサキだけでニホンへ向かうのを、ハナズンはどう思うだろうか。

 嫌がるだろうか。

 ハナズン自身がいないから。


「……いや」

 

 違う。

 よく考えれば、冷静になれば分かる。

 ポッチョが死んで、それでもあの時、ポッチョは一緒にいた。

 

 俺たちは、4人だった。

 

 ならハナズンまでもが死んだ今、俺たちは2人なのだろうか。


「私たちは、ずっと4人だよ」

「……」

「ポッチョもハナズンも、ちゃんといるんだよ」

「……俺、ホントにニホンに行っていいのかな」

「いいに決まってる。フーくんが欠けちゃったら、私とポッチョ、ハナズンの3人だけになっちゃう」

「……!」

「ハナズン怒るよ。仲間が一人でも欠けちゃったら。フーくんが逃げずに、いつまでもウジウジしてたら」

 俺には、マサキの言葉を否定することができなかった。

 いや、心の底では、否定すること自体を恐れていたのかもしれない。ここで言い返してしまったら、マサキの説得を無駄にするようで。

 結局のところ、俺はやっぱりマサキと一緒にいたいのだ。彼女の隣を求めているのだ。

 こんな混沌とした状況で、思考を放棄したい衝動に駆られているからこそ。

 マサキの言葉は、どうしようもないくらいに自然に、俺の中に落ち着いてしまった。

「ありがとう……マサキ」

「何泣いてるの、フーくん」

「なっ、泣いてねぇよ!」

 俯く俺を、マサキがからかってくる。俺は滲んだ涙を袖で拭い落としてから、無理やり笑顔を作って答えた。

「俺、ニホン行くよ。こんな場所でウジウジしてるのなんて、ハナズンは望んでないと思うから」

「うん、それでこそフーくんだよ!」

 マサキは、まぶしいくらいの笑顔で応えてくれた。

「でも、何か新鮮だよね。いつもは私、フーくんに守って貰ってるけど、今はお姉さんみたい」

「何だよ、それ」

 口先だけでは否定していても、俺はその通りだと思ってしまう。

 今の彼女は、自分で言っている通り、どこかいつもと違う雰囲気を纏っていた。

「それじゃ、フーくん急いで! 早く行かないと、プログラムに参加できなくなっちゃうよ!」

「う、うん……」


 そして、そのいつもと違うマサキの雰囲気は、俺の中で違和感から納得へと変わる。


 マサキは俺を、気遣っている。慰めている。


 ハナズンの死を前にして涙を流さないのも、俺を導こうとしているのも、全て俺を思ってに違いない。

 つまり、彼女は自分の悲しみを、必死に堪えているのだ。

 俺のために。

「マサキ……」

「ん?」

 俺がその名前を呟くと、前で走っていたマサキが振り返ってくる。浮かべられていた表情は、悲しくなるくらいの笑顔だった。

 果たしてマサキは、これほどまでに器用な少女だっただろうか。これほどまでに自発的な少女だっただろうか。

 

 ――――これほどまでに、強い少女だっただろうか。


 いつもの他人の影に隠れて、甘えん坊で、怖がりな彼女は、何処に行ったのだろうか。


 俺を気遣って、慰めて、泣くのを必死に堪えられるような少女ではないハズなのに。手を繋いであげなければ、すぐに泣いてしまう弱虫のはずなのに。

 どうして。どうして彼女は無理をするのか。

 マサキは言っていた。私が変わる、と。つまり、これは彼女なりの変化を目指した結果なのだろうか。


 マサキは、強くなりたがっているのか。


 ここ最近のマサキの姿が、ぴったりと今のマサキに当てはまっていた。

 

 つまり、マサキはずっと変わろうとしていたのかもしれない。俺がラジオを入手するために足掻こうと、ハナズンを殺してしまおうと、彼女には関係なかったのかもしれない。

 

 俺は、ずっと弱いマサキを守ってやりたかった。彼女と一緒にいるために。

 マサキは、ずっと強くなろうとしていた。

 それは。

 それは、何のために。


 俺の脳裏にふと、マサキの言葉が浮かび上がる。

『私がフーくんに合わせて変わってみせる。だから、一緒にいられないなんて……言わないで』

 マサキは、俺と一緒にいるために。俺と一緒にいるために、強くなろうとしていたのだとしたら。


 もしそうだとしたら、俺とマサキは、どうしようもないくらいにすれ違っていた。


 ラジオおばさんが言っていた。『すれ違っていたから、別れてしまった』。


 死者の言葉が、あのラジオおばさんの言葉が、嫌に頭にこびりつく。その言葉を中心にして不安が渦巻きだし、染み渡る様にして全身に広がっていく。


 そして俺はプログラムを目指しながら、どうしようもないくらいの不安に押しつぶされそうになっていた。

 

 やっと決心がついたのに。彼女と一緒に、ニホンに行くと決めたのに。

 このままでは、マサキと別れることになるような気がして。


 茫漠とした不安を抱えたまま、俺とマサキが走り続け。


「――――見えた! あれだ!」

「うん!」

 視界の先に、プログラムの受付場所の様子が飛び込んできた。

 これまで見たこともないような大きなトラック。後ろに長く伸びた貨物入れに、溢れんばかりの孤児たちを乗せたその運送車が、道いっぱいに何台も並列駐車されている。

 無数のトラックの手前では、保護施設のスタッフと思しき大人たちが、慌ただしそうに動き回っていた。皆が両手いっぱいに大きな物資を抱え、空いたトラックに粗暴に放り込んでいる。

 その様子を見た瞬間、俺が抱いていた不安は影を潜めた。こうして実際にプログラムの活動場所へと来てみると、ニホンという存在が現実味を帯びてくる。

「急ごう、フーくん!」

 マサキに急かされ、俺たちは走る速度を速めた。

 残された距離を一気に走り抜ける。そして、作業途中の男性の前に駆け寄った。

「ハァ、ハァ……ハァ」

「――――?」

 その男性は、見た感じ20代半ばといったところだろうか。作業途中に割り込んできた、息の上がった俺たちを一瞥すると、あからさまに不思議そうな表情を浮かべた。

「あ、あの……俺たち、プログラムに参加したくて、ここまで来たんですけど……」

「――――…………――?」

 上がった息を整えながら、ゆっくりと聞いた俺に対して、男性は何か言葉を発した。しかしながら、言語が違うためか、何を言っているのか俺には全く分からない。

「あの、このトラックに乗せて貰えませんか。私たちも、プログラムに参加したいんです」

「――……――?」

 男性は言葉が通じないことに、随分と困った様子だった。暫く唸った後、荷物をその場に置き、俺たちの前に掌を突きだす。

 そして困惑する俺たちに背を向け、何処かへと駆けて行ってしまった。

「えっ!」

「追わないでフーくん。あれは『ちょっと待って』ていう意味だと思う。きっと言葉の通じる人を連れてきてくれるんだよ」

「あっ、そういうことか」

 マサキの推論が正しく、先ほどの男性は一人の女性を連れてきた。明らかに年配の女性で、落ち着いた雰囲気を纏った人だった。男性の謙った様子から、上司といったところだろうか。

 物腰の穏やかそうなその女性は、俺たちの前まで駆け足で寄ってくる。マサキと俺、順番に一度眺めてから、その場にしゃがみこんだ。

「こんにちは、僕、お嬢ちゃん」

「あ、こんにちは」

「こんにちは」

 その口から出た流暢な言葉に驚きつつ、俺とマサキは自然と会釈していた。

「こんな所でどうしたの? 道に迷っちゃった?」

 次について出た言葉は、俺たちの想定外のものだった。まさか迷子でこんな場所にいるはずがないだろう。俺たちは明確な目的、プログラムに参加するという目的を持ってきたのだ。

「あの、俺たちプログラムの事を聞いて、それで参加しに来たんですけど」

「まだ……大丈夫ですか?」

 その言葉を聞いて、数度にわたって意味深な頷きをした女性は、まるで言葉を選ぶようにして口を開いた。

「わざわざ来てもらって、私たちも嬉しいんだけどね」

 女性の両手が、俺とマサキの肩に乗せられる。

 一拍おいて、目の前の女性が告げた。


「もう、プログラムは定員に達しちゃったんだ」


「…………そん、な」

 震える声で、隣にいるマサキが呟いた。

 俺は何も言えなかった。彼女の言葉を認められなかったからだ。ここまで来て、ここまで必死になって、それで結局ムダになってしまうなんて。

 だから俺は、藁にも縋る思いで詰め寄った。

「なんとか、なんとかならないんですか。俺たち、たった二人なんです。何とか乗せられないんですか」

 俺はトラックを指さした。確かに溢れんばかりの孤児たちが乗ってはいるが、全く隙間がないというわけではない。数人程度のスペースなんて、詰めれば簡単に作り出せそうだった。

「そういう問題じゃないの。決まりは決まり、人数に達したらそこでおしまい。だから、僕とお嬢ちゃんは乗せられないの」

 スラスラと、まるで当然のことのように論じる女性。

 起伏の無い言葉はあまりに無情で、機械的だからこそ残酷なまでに理解できた。

 心臓の鼓動が激しくなる。

 ダメなのだろうか。ここまで来て、本当に断念しなければいけないのか。

「お願いします、私たちを乗せてください……! もう何処にも行く場所が無いんです」

「それはここに来る子供たち、皆が同じだよ。今トラックにいる子たちは、長蛇の列に並んで、寒い夜に凍えた子たちさ。これでもね、僕とお嬢ちゃんが来る前に、たくさんの子が追い返されたんだ。定員に達しちゃったから。彼らも君たちも同じ。来るのが遅かった、それだけ」

 取りつく島もない。まるで必要最低限だけ相手はしたと言わんばかりに、女性は唐突に立ち上がった。

「これは持っていってね」

 近くにいた男性を手招きして呼び寄せると、女性は男性の持った段ボールから缶を取り出した。

 5個ほど積み重なったそれらを、俺に持たせてくる。

「缶ミルクだよ。すぐに傷むから、節約しないで早めに飲んでね。ああ、下痢が心配だったら煮沸してから……」

「違う、違うんです……!」

「こんなのいらない、乗せてくれよ、俺たちを!」

「それじゃ、頑張ってね」

 笑顔を浮かべた女性は、それだけ言い残すと、あっさり俺たちに背を向けた。

 頑張れと言われて、何を頑張れというのだろうか。最後の希望だったプログラムに参加できなければ、居場所もないまま惨めに生きていくだけだというのに。

 すぐ目の前にあるのだ。幸せへの入り口が。

「マサキ、無理やり乗るぞ」

「えっ、でも……」

「ここまで来て、諦めきれるかよ……」

 俺はマサキに素早く耳打ちする。渡されたミルク缶を持って、その場を一端離れる。

「いいか、自然に立ち去る風を装うんだ」

「う、うん」

 幸い、先ほどの女性の姿はもう見当たらなかったし、他の大人たちも撤収作業に勤しんでいて俺たちに気づいていない。

 荷物を積み込んでいるトラックから一番遠いトラックを目指して、俺とマサキは遠回りに移動を開始した。

 後ろにちゃんとマサキがいるのを時々確認しながら、俺はこっそりとトラックに近づく。

「よし、見つかってないな」

 トラックの後部によじ登る。中に入り込んでから、未だに登れていないマサキを引っ張り上げた。

「やった、乗り込めたぞ……」

「うん」

 これでこのまま見つからなければ、ニホンに行ける。一度行ってしまえばこっちのものだろう。まさか施設側も、ニホンに着いてから無理やり追い出すようなマネはしないはず。

 ようやく安心できる状態になって、落ち着きが戻ってきた矢先。

「おい」

 すぐ後ろから、呼びかける声が聞こえてきた。

 その声の正体を確認しようと振り向いて、俺は思わず後ずさってしまった。

 

 トラックに乗り込んでいた孤児たち全員が、暗闇の中から俺たちを睨み付けていたからだ。


「な、なんだよ。そんなに睨むなって」

「なぁフー。お前何やってるんだよ」

「何って、そりゃニホンに行くためにトラックに乗り込んで……」

「そうじゃない。何でお前がこのトラックに乗れてるんだよ。定員にはとっくに達したのに」

「それは……こっそり乗り込んだんだ」

 俺は素直に言った。彼らの疑心に満ちた瞳は、俺に嘘をつくことを許さなかったのだ。

 訝しげな視線が、俺の言葉を引き金に一変した。ねっとりと絡みつくような、批判の色を帯びた状態に。

「ふざけるなよ……何でお前らにニホンに行く資格があるんだ……」

「別にいいだろ……? たかだか俺とマサキ、二人だけじゃないか」

 そうだ。俺たちが乗り込んだ所で、彼らに迷惑がかかるワケではない。

 それなのに何故、彼らはここまで批判的な態度をとるのだろうか。俺にはそれが分からなかった。

「出てけよ……。人数以上は乗っちゃいけない決まりなんだろ」

「別にいいだろう!? 俺たちが乗り込んで、お前らが損することがあるか!?」

「だから、そういう問題じゃねぇんだ」

 

 ドン、と。


 目の前にいた孤児に、突き飛ばされた。

 あっ、と口から息が漏れると同時に、視界が一転し。

 混乱するまま浮遊感に身を預け、俺はトラックの外に落ちてしまった。

「いてて……」

 落ちた際に背中を打った。ヒリヒリとした痛みに後ろをさすりながら隣を見ると、マサキもトラックから落とされていた。

 俺はトラックの中から見下してくる孤児たちを、食い入るように睨み付ける。

「何すんだよ……! 何で突き出すんだよ!」

「すいませーん! コイツら、隠れて乗ろうとしてましたー!」

「なっ!」

 孤児の声に反応した男性が一人、コチラ側に近づいてくる。

「コイツらです。定員を無視して乗り込んでたんです」

「お前……!」

 怒りに自分の拳が震えるのが分かった。

 同じ孤児同士、ずっとスラムで暮らして来たというのに。

「どうして裏切るんだ!」

「裏切る? お前がそれを言えるのか、仲間を裏切ったお前が」

「っ!」

 どうして。

 どうして、コイツは知っているのか。 

「違う! フーくん、違うよ!」

「っ! マサキ……でも、コイツ……」

「ハナズンのことじゃない!」

 俺が確かめるようにして見上げると、孤児たちは俺たちのやり取りを不思議そうに眺めていた。

「お前のせいで、乗れなかったヤツらがいたんだ」

「……」

 最初は誰のことか分からなかった。

 しかし、すぐに頭に馴染んだ顔が浮かび上がる。

「っ! あの4人が……」

 間に合わなかったというのか。

「アイツらだけじゃない。もっとたくさんのヤツが、お前らよりずっと早く来て、悔しい思いをして、あの地獄に帰っていったんだ。それを延々と見せられて、今更お前らがズルをして乗り込もうとしてるのを、見逃せるはずがないだろ」

「……っ」

 何も言い返せなかった。

 俺たちだけではないのだ。悔しい思いをしているのは。

「……あっ!」

 いつの間にか俺の真後ろにまで近寄っていた男性が、ポンチョの首ねを掴んでくる。右手で俺、左手でマサキを掴みあげ、そのまま翻した。

「待って! 待って下さい!」

「離せ! 離せっての!」

 男に連れられて、トラックが遠ざかる。見送る必要はないと言わんばかりに、孤児たちはトラックの奥へと消えていった。

「待ってくれ! 俺たちも乗せてくれ!」

 精一杯叫んだ。無駄だと分かっていても、叫ばずにはいられなかった。

 喉が枯れるほど叫んで、それでもトラックはどんどん小さくなっていって。

 そして広場の外れまで無理やり連れてこられてから、俺とマサキは乱暴に投げ捨てられた。

「……がっ!」

 俺とマサキを一瞥した男性は、そのまま踵を返す。

 そして、ついに撤去作業が終了してしまったようだ。

 並列駐車されていたトラックが、続々と動き始めた。

 

「行かないでくれ! どうしてもニホンに行きたいんだ!」


 立ち去っていく男性の動きは、あまりに機械的で。

 次々とトラックが姿を消していく中、男性が最後のトラックに乗り込んだ。


 去る。最後のトラックが、ニホンへの入り口が、去ってしまう。


「俺たちも連れて行ってくれェッッーーーーーーーーーーー!!!!」

 

 俺の叫びが、虚しいくらいに空っぽの広場に響き渡った。


 *


 結局、トラックは行ってしまった。

 俺たちでは、ニホンに行けなかった。


 そう、俺たち、では。

 

 心の何処かで、俺は予想がついていたのかもしれない。結局俺には、マサキの隣にいる資格も無ければ、いることもできないということを。

 そんな確信めいた不安を抱いていたからこそ、バスが去ってしまったとき、俺はニホンへの諦めがついてしまった。

 何故なら、あのとき、あの瞬間は、例え居場所のない世界だろうと、地獄が待ち受けていようと、マサキと一緒にいられると思ってしまったからだ。

 彼女と一緒にいられれば、俺は幸せだった。ニホンに行けなくても、彼女の笑顔を隣で見ていられれば。

 

 だから今、この瞬間、俺の隣で哄笑している*の提案は、俺にはにわかに受け入れがたい物だった。


『一人だけ、だよ。君たちのうち、一人だけニホンに連れてってあげる。保証するよ』


 バスが去って、地面にへたり込む俺たちの前に、*が現れた。

 *は言うのだ。俺とマサキ、一人だけならニホンに連れていけると。

 *の言葉は、この世界のどんな事柄よりも現実味を帯びている気がして、その言葉を鵜呑みにするしかなかった。

 

 結果から言ってしまえば、俺はマサキと別れた。


 俺は、ニホンに。


 マサキは、地獄に。


 彼女との別れが生み出した物は、後悔しかなかった。


「いやあ、いい物を見せて貰ったよ、少年。非常に感動的な別れだったじゃない」

「止めてよ。そんなんじゃない」

「マサキって子もイカれた子どもだったなぁ。まさか自分から身を引いて、君をニホンに送り出すなんて」

「マサキは何も関係ない。俺は、俺を許せない」

「そりゃそうだろうねぇ。君を壊したのは、君自身なんだから」

「……」

「ハナズンって子を死なせて、人を殺して、それで最後は好きだった子に庇われて、その子を地獄に残して、ノコノコ逃げてきたんだから」

「……」

「これらの結果を招いたのは、他でもない君自身だ――――て言うと、少々語弊があるなぁ。正確には、君という人格かな」

「俺の、人格?」

「そう、そのご立派な人格さ。その『諦め』の悪さが、君を、君の大切なモノを破滅に導いたんだ」

「……」

「もう気づいているんだろう」

「うん、俺が、俺が諦めなかったから。諦めなかったから、マサキと喧嘩した。諦めなかったから、ラジオおばさんに騙された。諦めなかったから、ハナズンを死なせた。諦めなかったから、人を殺してしまった。諦めなかったから、プログラムに参加できなかった」

「そして?」

「諦めなかったから、マサキと別れてしまった」

「よく言えました。それで、君は内省をして、何を得た?」

「結論を得た。俺はもう、絶対に挑戦しない。自分の力に合った以外の物事には拘らない。絶対に足掻かない、抗わない、失敗しない」

「つまり?」

「『諦める』」

「それは、何のため?」

「自分のため」

「君に望むことは一つだけだ。君の導き出した結論を、絶対に忘れないで。結論に至る過程、つまり後悔と罪の記憶は、全て消してあげるよ」

「それは、マサキを忘れるということになるのかな」

「そういうことになる。異論は無いはずだ。『過程』なき『結果』ほど、幸せな物はないだろう?」

「どういうこと?」

「目的には犠牲が付き物だと言うだろう? それはつまり、『結果』を得るためには、犠牲によって成り立つ『過程』が必要ということさ」

「……」

「だが君は、『過程』を忘れることで、『結果』だけを得ることができる。

 これは幸せなことだろう! 君は何の犠牲も無いと思い込んだまま、結果である『諦める』という新たなアイデンティティを堪能できるんだから」

「それが、幸せなの?」

「それはそうさ。だから、この幸せが、君への最初で最後のプレゼントだ。君の中に住まう、もう一人の人格への謝礼といったところだ」

「もう一人の人格……?」

「君の中にね。いるんだ。そもそも君に『諦める』という結論を得て欲しかったのは、その人格を時期が来るまで刺激して欲しくなかった……て、いけないいけない。喋りすぎたなぁ」

「時期って?」

「教えてあげてもいいけど、どうせ君は全て忘れるしね。教える必要性は感じないかな。……ああ、これもいけないな。どうにか人間のフリをしようにもね、まだ慣れないな」

「やっぱり、人間じゃないんだ……。道理で*なわけだ」

「これでも、善処してるんだよ。ただ、人間の行動はどうにも無駄が多すぎるからね。その無駄に溢れた行動を再現するのにもいちいち演算しなくちゃいけないから、処理の効率が最優先の身としてはあまり心地いいものじゃないんだけどなぁ……って、話が逸れた。

 ああ、ええっと、何の話だっけ?」

「それも無駄の演出?」

「その退化しきった計算機――脳で、良く気づいてくれたね。じゃあ、話を戻すよ。

 過程はふつう、結果が生まれた瞬間に消えてしまうんだ。何故なら、結果は過程を積み重ねることによって生まれ、過程は結果に依存しないから。

 でも、意味を持ったまま、結果と並行して残る過程もある。……そういった過程のことを、何て言うと思う?」

「……何?」


「『軌跡』……って言うんだ」


「キセ……キ?」

「そうさ。取りあえず今は、君の軌跡を消させてもらう。そして、軌跡なき結果……『諦め』を堪能するといい」

「堪能して、それでその後は?」

「描いて貰うさ。『諦め』という結果を土台に、君に、君のもう一つの人格に、新しい軌跡を――――



――――『Fの軌跡』を」



「『F』の……軌跡?」

「まあ、今は知らなくていいんだ。これから全てやり直すんだから、その『諦め』という結果だけ持って、日本という新しい舞台でね」

「最後に、一つだけ聞かせてくれない?」

「何だい?」

「軌跡を、俺と……俺のもう一つの人格が新しく描いたら、生み出される『結果』は何なの?」

「君は、紙に描かれた絵に興味はあるかい?」

「どういうこと?」

「残念ながらね、僕には無いんだ。僕は、『結果』を生み出す『過程』の塊でしか無いから。だから、僕が興味を持つのはその絵の軌跡さ。つまり、その絵を構成する線に魅せられる。

 だから、君たちが辿り着く結果を、君たちに見せる気は無い」

「まるで、神様みたいな言い分だね」

「そうさ。僕は神様だ。だから、神である僕を信じない君に、神に遜らない君に、新しい舞台で生きていく君に、新しい軌跡を描いていく君に、僕から名前を与えよう」

「俺の……名前」


「君の名前は、『恭司』だ。これから君が行くであろう施設からすると、呼称は『支倉恭司』となるかな。

 ……神への『恭』しさを『司』る男。世界を壊す使命を負った神として、世界を救う軌跡を描く君に、精一杯の嫌味として贈っておこう」

「世界を救う? 俺が?」

「そうさ。だが、世界を救うことが『結果』ではない。君が得た結論と同じで、それは忘れないで欲しい。これは、*である僕の、唯一絶対の願いだ」

「分かった」

「じゃあ、そろそろ始めるんだね、君の新しい軌跡を。その軌跡を、描き出される結果を、僕は期待と共に見届けさせて貰うよ」

 

 *の手が伸び、俺の頭を掴んだ。

 


「これまでの軌跡は全て消すね。これがプロローグだ」


 ありがとうございました。間章、無事完結です。


*以下、微妙にネタバレのような物を含みます&人によってはどうでもいいことがつらつらと。ご注意*



 えー、間章と銘打っておきながら、総テキスト量が本編の1/3という恐ろしい状態に。ここまで間延びした間章にお付き合い頂いた読者さまには、感謝で頭が上がりません。

 元々、この『Fの軌跡』という作品は、自分が高校1年生の頃に電撃大賞応募用に執筆していたもので(執筆は2年次)、一応完結は垣間見たのですが、電撃大賞の規定枚数の倍を超えてしまいまして……そのため応募を断念し、そのままHDDの奥底に眠っておりました。今年になって、受験勉強の休憩としてHDD整理をしている際に偶然発見し、大学入試を目前にして『このままゴミ箱行きは勿体ないかな』という差してはいけない魔が差してしまいまして……そのまま投稿となり、約5か月が経った今に至ります。

 で、結局コイツは何が言いたいのかといいますと、『せっかく投稿したのだから、応募用に書いてた時には書けなかったネタも追加で書いていいじゃね?』と自分が思った結果がどうなったのか、でですね。

 その結果が、今読んで頂いた主人公の過去話、間章になります。

 つまり、この間章は元々の文章には、一行だってなかったということです。

 というか、この間章だけじゃなくって、ICDA襲撃らへんは、全部ネットに投稿してから書き足した部分です。ホントはライエルとか出てこないんですよ(笑)。

 閑話休題。

 この間章を入れた目的は、ただ一つ。主人公の異常者染みた性格の、根拠づけ。

 どうして主人公が異常なまでの『諦め』クセが付いたのか、その根拠づけがうまくできていると感じて頂けたら幸いです。

 それから、この間章で出てくるマサキ。ここで終わるキャラクターではありません。第2部(この後)から、ちゃんと主人公の前に出てきます。このキャラクターに関しては、本当に一から新規で創り出したキャラクターなので、結末はどうであれ、ちゃんと丁寧に書いていきたいと思います。もちろん、主人公とマサキの別れも、今回は意図して省きましたが、必ず第2章の何処かで出てきます。

 あ、最後に。僕の頭の中では、一応Fの軌跡は全4章+αです。+αとは、この間章と、もう一つ(同じく間章扱い)のことです。

 とりあえず、今年中の完結を目指して、頑張っていきます。お付き合いいただける方は、ぜひ最後までこの作品を読んで貰えたら嬉しいです。絶対に綺麗に完結させます。絶対にほっぽり出しません(現状更新ペースは遅いですが)。

 そして、ここまで読者様の時間を割いて頂いたのですから、絶対に読み終わった後に、後悔させない作品にしてみせます。至らぬことが多すぎる作者ですが、作品を通して少しでも精進できると信じて、頑張ってまいります。

 では、次章で(多分来週の日曜日)。

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