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Fの軌跡  作者: ひこうき
間章
47/60

ヒトゴロシ

まえがきからいきなり謝罪になりますが。


ほっっっんとーに、すいませんッ!! あと、あと1回だけ間章続きます。

次回こそは、絶対に終わらせますので!

 ハナズンは死んだ。


 俺のせいで。


 俺がワガママを言ったから。ラジオを取り返すなんていう、無謀なことに挑んだから。


 『諦め』なかったから。


「フ、フフフフフフ……! 勢い余って殺しちゃったじゃないけぇ……! 生きたまま手足を切り落とされる苦痛……その叫びが聞けなくて残念だよぉ……」

 鬼が左腕を押さえながら、ユラリと起き上がった。

 ハナズンが噛み千切ったその二の腕からは、おびただしい量の血が飛び出している。

「このガキが……人の腕を、千切れるまで噛んでくれてねぇ……! 痛いったらありゃしない!」

 ギョロリと見開かれた両目でハナズンを見下しながら、鬼はおもむろにハナズンに歩み寄った。

 そして死んでしまったハナズンに唾を吐きかけ、その血塗れた小さな体を蹴りあげる。

「よくも、私の、腕を!」

 何かに憑りつかれたように、死んでしまったハナズンをボールか何かとでも思っているかのように、鬼はハナズンを蹴り続けた。

 もう死んでしまったのに。これ以上動かないのに。鬼の邪魔をするワケでもないのに。

 どうしてこの鬼は、ハナズンを粗暴に扱うのか。どうして死んでしまった俺の仲間を、静かに弔ってくれないのか。

 俺の中で、本当に今更になって、仲間を殺された怒りが膨れ上がってきた。ポッチョとハナズン、かけがえのない仲間を奪われた悔しさ、その命を奪った鬼への憎しみが溢れ、その純粋な感情に全身が飲み込まれる感じがした。

 そして強烈な自己嫌悪に苛まされ、脱力しきった全身に、再び力が宿り始める。

 

 ――――殴りたい。

 

 目の前の鬼を、仲間を奪った鬼を、一発全力で殴りたい。殴り飛ばしたい。

 たったそれだけの希望が、即時に願望へと変わり、俺は今すぐにでも鬼目がけて駆け出したくなった。

 怒りに駆られる思考の中で、しかしもう一人の冷静な俺が、こう叫んでいた。

 

 ――――逃げろ。

 

 まるで精神が真っ二つに裂けてしまったかのように、俺の思考は対極の行動に悩み、もがいた。

 それでも、次にラジオおばさんのとった行動を目撃した瞬間、俺の思考は一つに収束した。


 ラジオおばさんが先ほどのナイフ――――ハナズンを殺したナイフで、ハナズンの右腕を切っていた。

 実に躊躇いの無い、まるで野菜を切っているかのような扱い方だった。それが人の腕であることを忘れているかのように、鬼は全体重を乗せるようにして、ハナズンの右腕にナイフを差し込んでいた。

 いや、自分が何を切っているのか、コイツは分かっているハズだ。分かっているからこそ、『鬼』なのだ。

 人を殺すのは悪いこと、傷つけるのは悪いこと。そんな一般的に悪いとされてることなんて、鬼が考えるワケないではないか。

「ありゃりゃ……こりゃ切りづらい。孤児の癖に、以外と骨はしっかりしてるもんだねぇ……」

「……っ!」 

 ブチン、と。

 切れてはいけない、境界線とも呼べる線が、俺の中でついに途切れた。

「やめろ鬼ィィイイイイッッ!!」

 もう恐怖なんて無かった。全身を蝕んでいた自己嫌悪が、全て鬼への怒りへと変わり、俺は突撃した。

 全体重を乗せて、鬼の右腕に飛びつく。

 すぐ目の前に、血にまみれたナイフが飛び込んでくる。ハナズンの命を絶った凶器だ。

「これ以上! ハナズンを苛めるなぁあああ!!」

 俺はそのまま、鬼の手首に噛みつく。ハナズンと同じで、噛み千切る勢いで食らいつく。

「ぎゃああああああ!?」

 ポロッ、と。鬼の手から、あっけないくらいに容易くナイフが滑り落ちた。

「……!」

 即座にそのナイフに飛びつき、勢いよく拾い上げる。

 ズシリとした感触と共に、ナイフの柄が手に馴染む。

「あ……!」

 これが、ハナズンの命を奪った代物なのだ。そんな代物を今持っているのは、握っているのは、紛れもない……

「俺だ……」

 このナイフを握って、果たして俺はどうしたいのか。

 いや、すべきことなど分かり切っている。後ろにいる鬼への武器にすることだ。

 果たして、俺にこのナイフが扱えるのだろうか。仲間の血を吸ったこの禍々しい凶器を、マトモに振るえるのだろうか。

 気が付けば、ナイフを握った俺の両手は、面白いくらいに震えていた。

 手だけではない。全身がこのナイフに恐怖し、寒さに凍える子犬のように震えていたのだ。

 寒い。とにかく寒かった。このナイフによって命を奪われてきた幾多もの子供たち、その命の重さが濁流となって流れ込んできているかのように、俺はこの小さなナイフ一本にどうしようもないくらいに恐怖した。

「この……ガキゃああああああ!!」

「っ……!」

 迷ってる暇なんて無かった。ただ、気づけば体が勝手に動いていた。

 振り向きざまに、真後ろに迫っていた鬼に――――。


 ――――鬼の腹部に、俺はナイフを突き刺していた。


 ナイフは、面白いくらいに刺さった。サクリ、と軽い音を発して、ほとんど抵抗がないまま、ナイフは容易く鬼を貫いた。

 

 鬼の腹は、想像以上に細かった。

 ナイフは鬼の腹部を貫通し、その先端部が鬼の背中からはみ出ていた。

「あ……」

 刺した。

 刺してしまった。

 俺が、ナイフを鬼に突き刺してしまった。

 貫通したナイフの先端からは、薄赤い血が滴り落ちている。

 そして刺さった腹部から、これまでとは比較にならないくらいの血が溢れ出ていた。

「あっ、あっ、あっ……」

 それを視認した鬼は、壊れたロボットのようにぎこちなく後ずさりする。ナイフを腹部に刺したまま、数歩だけ引きずるようにして下がる。その場に勢いよく尻餅をつく。

 俺は、放心状態だった。あれだけの脅威だった鬼に向かって、力のない子供が突きだしたナイフが、本当に刺さったのか。そのことに自信を持てなかった。

 今自分の身に何が起きたのか理解できないのか、鬼は尻餅をついたまま茫然としていた。腹部から大量の血液が流れ出ていく様子を、じっと眺めていた。

「な、何コレ……。私の、私のお腹に……イテエエエエェェエエッッ!! イテェヨォォォォオッ!!」

 自分の腹部に突き刺さったナイフに恐怖したのか、魔女のような大きな眼をさらに見開き、鬼は悶え苦しむ。

「何だよおおぅぅうええ!! これなんだよおおお!! どうやって処置すればいいんだ!? 抜けば、抜けばいいのかぁ!?」

「ひっ!?」

 腹部にナイフを刺されてなお平然としている鬼に、俺は再び恐怖した。

 ギロリと。痛みに苦しんでいた鬼が、俺を睨み付けてくる。

「テ、テメェ……このガキがああああ! 殺す! そこで待ってろ!! 今殺しに行くからぁ!」

「……あ、あっ!」

 

 殺される。

 

 このままでは、俺は鬼に殺されてしまう。怒りを買ってしまった。俺は、鬼の怒りを買ってしまったのだ。

「あっ、まっ、……」

 どうすればいい。このままでは、本当に殺されてしまう。

 あれほど湧き立っていた怒りは完全に萎み、再び俺はどうしようもない恐怖に駆られていた。


 そして、鬼の言葉を受けて、俺は当然の考えに行きつく。


 ――――殺らなければ、殺られる。


 先ほどは怒り。そして今、俺は圧倒的な死への恐怖に駆られて、鬼目がけて突撃していた。

「な、何だい。ちょっ、まっ――――」

 俺は地面に座り込む鬼に突撃し、そのまま地面に押し倒す。そして傷を負った腹部を踏みつけながら、無理矢理ナイフを抜き取った。

「ぎゃああああああああああああああああ!!」

 耳をつんざくような悲鳴が、すぐ目の前で発せられた。その声に俺は肩を大きく震わせるも、抜き去ったナイフだけは強く握りしめていた。

「殺さなければ殺される……殺さなければ殺される……」

 目元からとめどなく溢れ出す涙で、俺は全身を濡らした。この状況に、体全身がこれ以上ないくらいに怯えている証拠だった。

 だから、怯えた俺は、ナイフを振り下ろした。

 まっすぐ、鬼目がけて。

「や、止め……ぎゃあああああああああ!!」

 さくっ、と軽快な音を発して、ナイフが鬼の右肩に食い込んだ。

「こ、このガキィィ! またやりやがったねぇえええ!!?」

 ガシッ、と。鬼の左手が、俺の太ももを掴んだ。

「ひっ! い、生きてる……!」

 早く殺さなければ。

 俺は再びナイフを振り上げ、鬼の左肩に突き刺す。

「ぎゃああああああ! イテェ、イテェよおぉおっ!!!」

 俺の太ももを掴んでいた手が、飛ぶようにして剥がれた。

「生きてる! 生きてる! まだ生きてるよ! 殺さないと!」

 俺は再びナイフを振り上げ、鬼の右胸に突き刺す。

「ご……ごええ! や、止めてくれ……ぼーや、もう止めて……」

「どうして生きてるの!? 早く死んで! 死んでよ!! ねぇ!」

 俺は再びナイフを振り上げ、鬼の左胸に突き刺す。

「ご……」

 短くそれだけ発すると、鬼は何も喋らなくなった。

「し、死んだ……?」

 俺は自分の耳を、血だらけの鬼の口元に寄せる。

「ヒッ! ま、まだ息してるよ! まだ死んでないんだ!」

 俺は再びナイフを振り上げ、鬼の首に突き刺す。

「死んで死んで死んで死んで死んで!! 死んでェ!!」

 

 それから俺は、ありとあらゆる場所を突き刺した。

 

 胸を何度も突き刺した。まだ動いているという錯覚にとらわれ、頭を何度も突き刺した。 


 気が付けば、目の前の鬼は穴だらけになっていた。あまりにナイフを突き刺したせいで、最早鬼は原型を留めていない。そこらじゅうに肉片が飛び散り、ただの肉の塊が転がっているようにしか見えない状態だった。


「さ、流石にもう……動いてこないよね……? 死んだよね……?」

 

 全身が血の海に沈み、数えきれないくらいの箇所に風穴を開けた鬼は、ついに完全に動かなくなった。


「は、ははは……! やった、やったぞ! 俺はやったんだぁ!」

 

 殺した。恐怖の塊である鬼を、二度と動けないようにした。これで俺が殺される心配は無い。


 さぁ、これで死んだハナズンも、ポッチョも報われたはずだ。全員が救われたはずだ。俺が元凶を絶ったのだから。


 だから、だから。もうこの手にした凶器は必要ない。このナイフはいらない。


 捨てよう。捨てよう。こんな危ない物は、さっさと何処かで処分してしまおう。


「あ、あれ……? 何で……何でなの……!?」


 ナイフが離れない。両手の掌にくっ付いてしまったかのように、全く離れない。

「どうして!? 何でナイフが取れないの!? もう必要ないんだよ、ねぇ、取れてよ!」

 両手を振り回す。必死に剥がそうとする。それでもナイフはピクリとも動かず、両手の掌に密着したままだ。

 まるで、俺の両手と一体化してしまったかのように。一生剥がれない呪いにでもかけられてしまったかのように。

「くっ、この……! 剥がれろよ、剥がれろよぉお!」

 涙が出てきた。ただ、いつもの涙とは違った。

 

 ――――これは、ナイフが流している涙だ。


 いや、正確には違うように感じられた。このナイフの餌食に遭った、多くの子供たちが流した涙だ。それが一体化したナイフを伝って、俺の目から溢れ出ているだけだ。そう感じられた。

 そして、ふと思った。


 ――――俺が、鬼?


 そう、人を殺した者が鬼なら、俺は鬼なのではないか。いや、違うだろう。俺が殺したのは鬼だ。決して人ではない。

 あの時。俺がナイフを振り上げた時。鬼は叫んでいた。


『止めてくれ』、と。


 その時の、恐怖にひきつったあの顔は、紛れもなく。


「ラジオ……おばさん……?」


 もはや、ただの肉の塊となったラジオおばさんを茫然と眺めて、俺は思う。


 殺したんだ。


 俺は紛れもなく、殺人者だ。人を殺したんだ。


 そう確信できた瞬間に、喉の奥から熱い何かが込み上げてきた。

「うっ、ゲエエエエエェ!!」

 俺はナイフを握りしめたまま崩れ落ちるとと、勢いよく吐いた。

 殺してしまったのだ、俺は。人間を。この両手に握りしめたナイフで。仲間を殺めたナイフで。

「違う……俺だ……俺がハナズンを殺したんだ……」

 酸欠の頭で思う。

 ナイフが決して俺から離れない理由――それは、俺が、俺こそが、ハナズンを殺したからではないか。きっとこのナイフが、いや、ハナズン自身が、ハナズンを殺したのは俺だと主張しているのではないか。

 地面にひざまづいたまま、視線を後方に送る。ピクリとも動かなくなったハナズンが、血の海に横たわっていた。その姿が、光景が、明らかに俺に告げていた。


『お前に殺された』


「……ヒッ!」


 まるで耳元で囁かれたかのように、その姿のハナズンは確かに呟いた。


「ゴメン……ゴメン……ハナズン! 俺、俺は……!」

 やたらと重い体を引きずって、俺はハナズンの元へと近づく。傍まで来て、冷たくなったその馴染み顔に、自分の顔を埋める。

「ゴメンよ。俺が、俺が大事な仲間を手にかけて、ゴメンよぅ……!」

 許して貰えるとは思えなかった。それでも、謝る以外に方法は無かった。

 俺が顔を埋めたまま、目を開くと。

 

 ハナズンが、俺を睨んでいた。


「ヒ、ヒィイイッッ!」

 その場で無様に後ずさりする。そして壁際に到達しても、俺は後ずさりを続けていた。これ以上後ろへは下がれないことに気付かないまま、何度も地面を蹴る。

「見た……。今、確かにハナズンは俺を睨んだ……」

 もう間違いない。ハナズンは生きている。いや、生き返ったのだ。俺を殺すために、仲間を裏切った俺に、制裁を加えるために。

「許してくれ! 何でもする、ハナズン! 何でもするから……!」

 そして、その目が再び告げていた。方法はある、お前が許される方法はあるぞ、と。


 俺は、幻のように消えてしまいそうな、薄っすらとしたその声を確かに拾った。


「俺が……」


 その後に続く言葉を、俺は一字一句、丁寧に呟いた。


「俺が死ねば、許してくれるのか……?」


 許して貰えるのならば。ハナズンに、仲間に許して貰えるならば、自分の命など安い物だった。今ではそう感じていた。

 だから俺は、死ななければならない。

 目を閉じる。覚悟を決める。両手に握りしめた、真っ赤に染まったナイフを、自分の喉元へ――――。


「――――もう止めて!」


 その声に、俺の手の動きは止まった。

 何も見えない中、全身に衝撃を感じる。誰かに壁に押さえつけられるようだ。

 果たして自分が抱きつかれていると気づいたのは、嗚咽交じりの声を聴いてからだった。

「もう止めて、フーくん! フーくんまで死んだら、私……私……」


 俺はそっと首を回し、抱きついてきた人物の顔を覗き込む。

「マサ……キ……?」

 俺に抱きついてきたのは、マサキだった。俺の仲間で、弱虫で、いっつもドジばっかりの少女。

 わずかに思考が停止した俺だったが、最初に浮かび上がった当然の疑問を、素直に口にする。

「どうして……ここに?」

 俺が捻り出すようにして言った言葉にしかし、マサキは反応しなかった。ただただ、嗚咽を漏らしながら、涙を流しながら、俺に抱きついてきていた。

 

 そして、気が付けば。


 俺の手からは、ナイフが抜け落ちていた。

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