ヒトゴロシ
まえがきからいきなり謝罪になりますが。
ほっっっんとーに、すいませんッ!! あと、あと1回だけ間章続きます。
次回こそは、絶対に終わらせますので!
ハナズンは死んだ。
俺のせいで。
俺がワガママを言ったから。ラジオを取り返すなんていう、無謀なことに挑んだから。
『諦め』なかったから。
「フ、フフフフフフ……! 勢い余って殺しちゃったじゃないけぇ……! 生きたまま手足を切り落とされる苦痛……その叫びが聞けなくて残念だよぉ……」
鬼が左腕を押さえながら、ユラリと起き上がった。
ハナズンが噛み千切ったその二の腕からは、おびただしい量の血が飛び出している。
「このガキが……人の腕を、千切れるまで噛んでくれてねぇ……! 痛いったらありゃしない!」
ギョロリと見開かれた両目でハナズンを見下しながら、鬼はおもむろにハナズンに歩み寄った。
そして死んでしまったハナズンに唾を吐きかけ、その血塗れた小さな体を蹴りあげる。
「よくも、私の、腕を!」
何かに憑りつかれたように、死んでしまったハナズンをボールか何かとでも思っているかのように、鬼はハナズンを蹴り続けた。
もう死んでしまったのに。これ以上動かないのに。鬼の邪魔をするワケでもないのに。
どうしてこの鬼は、ハナズンを粗暴に扱うのか。どうして死んでしまった俺の仲間を、静かに弔ってくれないのか。
俺の中で、本当に今更になって、仲間を殺された怒りが膨れ上がってきた。ポッチョとハナズン、かけがえのない仲間を奪われた悔しさ、その命を奪った鬼への憎しみが溢れ、その純粋な感情に全身が飲み込まれる感じがした。
そして強烈な自己嫌悪に苛まされ、脱力しきった全身に、再び力が宿り始める。
――――殴りたい。
目の前の鬼を、仲間を奪った鬼を、一発全力で殴りたい。殴り飛ばしたい。
たったそれだけの希望が、即時に願望へと変わり、俺は今すぐにでも鬼目がけて駆け出したくなった。
怒りに駆られる思考の中で、しかしもう一人の冷静な俺が、こう叫んでいた。
――――逃げろ。
まるで精神が真っ二つに裂けてしまったかのように、俺の思考は対極の行動に悩み、もがいた。
それでも、次にラジオおばさんのとった行動を目撃した瞬間、俺の思考は一つに収束した。
ラジオおばさんが先ほどのナイフ――――ハナズンを殺したナイフで、ハナズンの右腕を切っていた。
実に躊躇いの無い、まるで野菜を切っているかのような扱い方だった。それが人の腕であることを忘れているかのように、鬼は全体重を乗せるようにして、ハナズンの右腕にナイフを差し込んでいた。
いや、自分が何を切っているのか、コイツは分かっているハズだ。分かっているからこそ、『鬼』なのだ。
人を殺すのは悪いこと、傷つけるのは悪いこと。そんな一般的に悪いとされてることなんて、鬼が考えるワケないではないか。
「ありゃりゃ……こりゃ切りづらい。孤児の癖に、以外と骨はしっかりしてるもんだねぇ……」
「……っ!」
ブチン、と。
切れてはいけない、境界線とも呼べる線が、俺の中でついに途切れた。
「やめろ鬼ィィイイイイッッ!!」
もう恐怖なんて無かった。全身を蝕んでいた自己嫌悪が、全て鬼への怒りへと変わり、俺は突撃した。
全体重を乗せて、鬼の右腕に飛びつく。
すぐ目の前に、血にまみれたナイフが飛び込んでくる。ハナズンの命を絶った凶器だ。
「これ以上! ハナズンを苛めるなぁあああ!!」
俺はそのまま、鬼の手首に噛みつく。ハナズンと同じで、噛み千切る勢いで食らいつく。
「ぎゃああああああ!?」
ポロッ、と。鬼の手から、あっけないくらいに容易くナイフが滑り落ちた。
「……!」
即座にそのナイフに飛びつき、勢いよく拾い上げる。
ズシリとした感触と共に、ナイフの柄が手に馴染む。
「あ……!」
これが、ハナズンの命を奪った代物なのだ。そんな代物を今持っているのは、握っているのは、紛れもない……
「俺だ……」
このナイフを握って、果たして俺はどうしたいのか。
いや、すべきことなど分かり切っている。後ろにいる鬼への武器にすることだ。
果たして、俺にこのナイフが扱えるのだろうか。仲間の血を吸ったこの禍々しい凶器を、マトモに振るえるのだろうか。
気が付けば、ナイフを握った俺の両手は、面白いくらいに震えていた。
手だけではない。全身がこのナイフに恐怖し、寒さに凍える子犬のように震えていたのだ。
寒い。とにかく寒かった。このナイフによって命を奪われてきた幾多もの子供たち、その命の重さが濁流となって流れ込んできているかのように、俺はこの小さなナイフ一本にどうしようもないくらいに恐怖した。
「この……ガキゃああああああ!!」
「っ……!」
迷ってる暇なんて無かった。ただ、気づけば体が勝手に動いていた。
振り向きざまに、真後ろに迫っていた鬼に――――。
――――鬼の腹部に、俺はナイフを突き刺していた。
ナイフは、面白いくらいに刺さった。サクリ、と軽い音を発して、ほとんど抵抗がないまま、ナイフは容易く鬼を貫いた。
鬼の腹は、想像以上に細かった。
ナイフは鬼の腹部を貫通し、その先端部が鬼の背中からはみ出ていた。
「あ……」
刺した。
刺してしまった。
俺が、ナイフを鬼に突き刺してしまった。
貫通したナイフの先端からは、薄赤い血が滴り落ちている。
そして刺さった腹部から、これまでとは比較にならないくらいの血が溢れ出ていた。
「あっ、あっ、あっ……」
それを視認した鬼は、壊れたロボットのようにぎこちなく後ずさりする。ナイフを腹部に刺したまま、数歩だけ引きずるようにして下がる。その場に勢いよく尻餅をつく。
俺は、放心状態だった。あれだけの脅威だった鬼に向かって、力のない子供が突きだしたナイフが、本当に刺さったのか。そのことに自信を持てなかった。
今自分の身に何が起きたのか理解できないのか、鬼は尻餅をついたまま茫然としていた。腹部から大量の血液が流れ出ていく様子を、じっと眺めていた。
「な、何コレ……。私の、私のお腹に……イテエエエエェェエエッッ!! イテェヨォォォォオッ!!」
自分の腹部に突き刺さったナイフに恐怖したのか、魔女のような大きな眼をさらに見開き、鬼は悶え苦しむ。
「何だよおおぅぅうええ!! これなんだよおおお!! どうやって処置すればいいんだ!? 抜けば、抜けばいいのかぁ!?」
「ひっ!?」
腹部にナイフを刺されてなお平然としている鬼に、俺は再び恐怖した。
ギロリと。痛みに苦しんでいた鬼が、俺を睨み付けてくる。
「テ、テメェ……このガキがああああ! 殺す! そこで待ってろ!! 今殺しに行くからぁ!」
「……あ、あっ!」
殺される。
このままでは、俺は鬼に殺されてしまう。怒りを買ってしまった。俺は、鬼の怒りを買ってしまったのだ。
「あっ、まっ、……」
どうすればいい。このままでは、本当に殺されてしまう。
あれほど湧き立っていた怒りは完全に萎み、再び俺はどうしようもない恐怖に駆られていた。
そして、鬼の言葉を受けて、俺は当然の考えに行きつく。
――――殺らなければ、殺られる。
先ほどは怒り。そして今、俺は圧倒的な死への恐怖に駆られて、鬼目がけて突撃していた。
「な、何だい。ちょっ、まっ――――」
俺は地面に座り込む鬼に突撃し、そのまま地面に押し倒す。そして傷を負った腹部を踏みつけながら、無理矢理ナイフを抜き取った。
「ぎゃああああああああああああああああ!!」
耳をつんざくような悲鳴が、すぐ目の前で発せられた。その声に俺は肩を大きく震わせるも、抜き去ったナイフだけは強く握りしめていた。
「殺さなければ殺される……殺さなければ殺される……」
目元からとめどなく溢れ出す涙で、俺は全身を濡らした。この状況に、体全身がこれ以上ないくらいに怯えている証拠だった。
だから、怯えた俺は、ナイフを振り下ろした。
まっすぐ、鬼目がけて。
「や、止め……ぎゃあああああああああ!!」
さくっ、と軽快な音を発して、ナイフが鬼の右肩に食い込んだ。
「こ、このガキィィ! またやりやがったねぇえええ!!?」
ガシッ、と。鬼の左手が、俺の太ももを掴んだ。
「ひっ! い、生きてる……!」
早く殺さなければ。
俺は再びナイフを振り上げ、鬼の左肩に突き刺す。
「ぎゃああああああ! イテェ、イテェよおぉおっ!!!」
俺の太ももを掴んでいた手が、飛ぶようにして剥がれた。
「生きてる! 生きてる! まだ生きてるよ! 殺さないと!」
俺は再びナイフを振り上げ、鬼の右胸に突き刺す。
「ご……ごええ! や、止めてくれ……ぼーや、もう止めて……」
「どうして生きてるの!? 早く死んで! 死んでよ!! ねぇ!」
俺は再びナイフを振り上げ、鬼の左胸に突き刺す。
「ご……」
短くそれだけ発すると、鬼は何も喋らなくなった。
「し、死んだ……?」
俺は自分の耳を、血だらけの鬼の口元に寄せる。
「ヒッ! ま、まだ息してるよ! まだ死んでないんだ!」
俺は再びナイフを振り上げ、鬼の首に突き刺す。
「死んで死んで死んで死んで死んで!! 死んでェ!!」
それから俺は、ありとあらゆる場所を突き刺した。
胸を何度も突き刺した。まだ動いているという錯覚にとらわれ、頭を何度も突き刺した。
気が付けば、目の前の鬼は穴だらけになっていた。あまりにナイフを突き刺したせいで、最早鬼は原型を留めていない。そこらじゅうに肉片が飛び散り、ただの肉の塊が転がっているようにしか見えない状態だった。
「さ、流石にもう……動いてこないよね……? 死んだよね……?」
全身が血の海に沈み、数えきれないくらいの箇所に風穴を開けた鬼は、ついに完全に動かなくなった。
「は、ははは……! やった、やったぞ! 俺はやったんだぁ!」
殺した。恐怖の塊である鬼を、二度と動けないようにした。これで俺が殺される心配は無い。
さぁ、これで死んだハナズンも、ポッチョも報われたはずだ。全員が救われたはずだ。俺が元凶を絶ったのだから。
だから、だから。もうこの手にした凶器は必要ない。このナイフはいらない。
捨てよう。捨てよう。こんな危ない物は、さっさと何処かで処分してしまおう。
「あ、あれ……? 何で……何でなの……!?」
ナイフが離れない。両手の掌にくっ付いてしまったかのように、全く離れない。
「どうして!? 何でナイフが取れないの!? もう必要ないんだよ、ねぇ、取れてよ!」
両手を振り回す。必死に剥がそうとする。それでもナイフはピクリとも動かず、両手の掌に密着したままだ。
まるで、俺の両手と一体化してしまったかのように。一生剥がれない呪いにでもかけられてしまったかのように。
「くっ、この……! 剥がれろよ、剥がれろよぉお!」
涙が出てきた。ただ、いつもの涙とは違った。
――――これは、ナイフが流している涙だ。
いや、正確には違うように感じられた。このナイフの餌食に遭った、多くの子供たちが流した涙だ。それが一体化したナイフを伝って、俺の目から溢れ出ているだけだ。そう感じられた。
そして、ふと思った。
――――俺が、鬼?
そう、人を殺した者が鬼なら、俺は鬼なのではないか。いや、違うだろう。俺が殺したのは鬼だ。決して人ではない。
あの時。俺がナイフを振り上げた時。鬼は叫んでいた。
『止めてくれ』、と。
その時の、恐怖にひきつったあの顔は、紛れもなく。
「ラジオ……おばさん……?」
もはや、ただの肉の塊となったラジオおばさんを茫然と眺めて、俺は思う。
殺したんだ。
俺は紛れもなく、殺人者だ。人を殺したんだ。
そう確信できた瞬間に、喉の奥から熱い何かが込み上げてきた。
「うっ、ゲエエエエエェ!!」
俺はナイフを握りしめたまま崩れ落ちるとと、勢いよく吐いた。
殺してしまったのだ、俺は。人間を。この両手に握りしめたナイフで。仲間を殺めたナイフで。
「違う……俺だ……俺がハナズンを殺したんだ……」
酸欠の頭で思う。
ナイフが決して俺から離れない理由――それは、俺が、俺こそが、ハナズンを殺したからではないか。きっとこのナイフが、いや、ハナズン自身が、ハナズンを殺したのは俺だと主張しているのではないか。
地面にひざまづいたまま、視線を後方に送る。ピクリとも動かなくなったハナズンが、血の海に横たわっていた。その姿が、光景が、明らかに俺に告げていた。
『お前に殺された』
「……ヒッ!」
まるで耳元で囁かれたかのように、その姿のハナズンは確かに呟いた。
「ゴメン……ゴメン……ハナズン! 俺、俺は……!」
やたらと重い体を引きずって、俺はハナズンの元へと近づく。傍まで来て、冷たくなったその馴染み顔に、自分の顔を埋める。
「ゴメンよ。俺が、俺が大事な仲間を手にかけて、ゴメンよぅ……!」
許して貰えるとは思えなかった。それでも、謝る以外に方法は無かった。
俺が顔を埋めたまま、目を開くと。
ハナズンが、俺を睨んでいた。
「ヒ、ヒィイイッッ!」
その場で無様に後ずさりする。そして壁際に到達しても、俺は後ずさりを続けていた。これ以上後ろへは下がれないことに気付かないまま、何度も地面を蹴る。
「見た……。今、確かにハナズンは俺を睨んだ……」
もう間違いない。ハナズンは生きている。いや、生き返ったのだ。俺を殺すために、仲間を裏切った俺に、制裁を加えるために。
「許してくれ! 何でもする、ハナズン! 何でもするから……!」
そして、その目が再び告げていた。方法はある、お前が許される方法はあるぞ、と。
俺は、幻のように消えてしまいそうな、薄っすらとしたその声を確かに拾った。
「俺が……」
その後に続く言葉を、俺は一字一句、丁寧に呟いた。
「俺が死ねば、許してくれるのか……?」
許して貰えるのならば。ハナズンに、仲間に許して貰えるならば、自分の命など安い物だった。今ではそう感じていた。
だから俺は、死ななければならない。
目を閉じる。覚悟を決める。両手に握りしめた、真っ赤に染まったナイフを、自分の喉元へ――――。
「――――もう止めて!」
その声に、俺の手の動きは止まった。
何も見えない中、全身に衝撃を感じる。誰かに壁に押さえつけられるようだ。
果たして自分が抱きつかれていると気づいたのは、嗚咽交じりの声を聴いてからだった。
「もう止めて、フーくん! フーくんまで死んだら、私……私……」
俺はそっと首を回し、抱きついてきた人物の顔を覗き込む。
「マサ……キ……?」
俺に抱きついてきたのは、マサキだった。俺の仲間で、弱虫で、いっつもドジばっかりの少女。
わずかに思考が停止した俺だったが、最初に浮かび上がった当然の疑問を、素直に口にする。
「どうして……ここに?」
俺が捻り出すようにして言った言葉にしかし、マサキは反応しなかった。ただただ、嗚咽を漏らしながら、涙を流しながら、俺に抱きついてきていた。
そして、気が付けば。
俺の手からは、ナイフが抜け落ちていた。




