宮谷VSクロ
明日も更新します。
「ハハハッ!」
昂揚から笑いを溢したクロは、右手に携えた剣を振るう。目が眩むほどに白く磨き上げられた長剣は、空気を裂きながらクロの見据える男――浦田勝也へと迫る。
「グッ……!」
浦田は、襲い来る長剣を伏せることで避けた。その一連の動きには、あまり余裕というものが感じられない。
「まだまだぁッ! どうしたどうしたぁ!」
楽しげに声を張り上げたクロは、振り切った際の勢いを次のアクションへと載せる。
左下への切り下ろしに、捻れた体を開くかのように放たれる回し蹴り。辛うじて避けた浦田を見据え、クロは上方からの切り払いをかける。
連続で放たれた攻撃、その3度目に振るわれた白剣が、ついに浦田の右腕を捉えた。
浦田の右腕から、鮮血が飛び散った。
堪らず苦痛の音を上げた浦田だが、再び迫り来るクロの剣を視界に入れるや否や、次なる行動を取る。敢えて前方へと跳ぶことで、振りかぶったクロの脇を通り抜ける。
直後、浦田を捉え損ねたクロの白剣が、フロアに叩き付けられた。
それによって発生する、周囲を揺さぶる衝撃。気にするだけの余裕も無い様子の浦田は、もつれた足で何とか距離をとった。
ボタタッ、とまとまった音を響かせて、浦田の右腕から流れ出た血がフロアを打った。息を荒げる浦田が苦痛の表情を浮かべ、右腕の傷を押さえる。溢れ出た鮮血は、小さな血溜まりを作っていた。
「中々しぶといねぇ……」
ニヤリ、と口元を吊り上げたクロは、剣を肩で担ぐ。その長剣からは白煙が上がっており、フロアに叩き付けられた剣の威力を物語ってる。
右腕を押さえた浦田は戦意を奮い立たせるかのように、クロを睨み返した。
あまりに一方的な、クロと浦田との戦い。当初の拮抗は少しずつ崩され、今では浦田がクロの攻撃をただ避けるだけとなっていた。
そんな両者の戦闘を、別の刺客が邪魔をする。
浦田の反応は早かった。襲い来る影を認識したと同時に、咄嗟に前方へ飛ぶ。
直後、浦田が先ほどまで立っていた床が粉々に砕けた。そして獲物を逃し、低い呻き声を発しながら、ユラリと立ち上がる一つの影。
――――クロによって『青』服用者へと変えられてしまった、浦田の仲間だ。
現在の243フロア――『マザー・クリス』が構えるこの場にいるのは、クロと浦田だけではない。浦田を襲った一匹を含め、十数匹の黒獣がいる。その皆が243フロアで剣の餌食になった者で、中には浦田の研究室に所属していた者までいるのだった。
十数匹の黒獣は、今にも飛びかかりそうな態勢で浦田を囲んでいる。その黒獣達によって作られた円陣の内部に、クロと浦田が相対していた。
「ダメだろ、勝手にリングから出ちゃ。コイツらよりも外には出させねぇ。俺の剣からは逃がさねぇ。テメェにはまだまだ相手して貰わないと困るんだよ」
乾燥した血がこびりついた頭を、クロは指でトントンと突く。最初に浦田から貰った一撃を気にしているクロは、そうそう簡単に戦いを終わらせる気は無かったのだ。
「僕を『青』服用者に変えないのは……そういうことか……」
「ああ。テメェが傷を負った今、俺様がその気になれば今すぐにでもコイツらの仲間入りにさせてやれるんだけどよ……それじゃつまんないだろ?」
周囲を見渡したクロは、再び悠々とした趣で浦田を見据える。素早く周囲を見渡した浦田も再び、戦意を宿した瞳でクロを睨み返した。
「さっきから不思議がってるみたいだしな。どうしてコイツらが消えないか、教えてやろうか?」
そう質問を投げかけたクロだが、浦田の返答を待たずに続ける。
「これだよ」
クロは右手に携えた剣を軽く振り、浦田に自慢気に示した。
「コイツに切られたヤツは、俺の意志でいつでも『黒いの』に変えられる。それでこの剣から、コイツらに肉体を維持できるだけの情報を送ってやってるんだ。……まあ、発信源みたいなもんだな。で、その情報は何処から来るかっていうと……」
おっといけねぇ、とクロは大げさな身振りで口を塞ぐ。
「何故……そんなことを言う必要がある」
浦田としては、どうして敵が自ら手の内を晒したのか、理解出来なかったようだ。それでもクロの物々しい動作から何かを悟ったのか、その表情を一層険しいものとする。
一方のクロは浦田の言葉を受けて、待ってました、と言わんばかりに口元を吊り上げた。
「お前がこれから、死ぬからだよ」
「……」
「冥土の土産って言うのか? ……まぁ、すぐに殺す気は無いけどな。全身ボロボロになるまで斬りつけてから、トドメをさしてやるよ」
クロの言葉に対し、そうか、と浦田は短く呟いた。
「なら、これは必要ないな……」
すっ、と、浦田から闘志にも似た雰囲気が消え失せる。一瞬諦めたかと怪しんだクロだったが、浦田の取った行動は、優越感に入り浸っているクロの想像だにしないものだった。
浦田は、ポケットから『橙』のモールドを取り出した。左腕にカプセルを突き刺して数秒、浦田の体を、突風が渦巻き出す。
全てのモールドを注入し終えた浦田は、左手に渦巻く風を集めて、短剣の形に変化させると。
――――その手刀で、右腕を斬りさった。
「ぐぅぅっ……!」
浦田の右肩の口から、大量の血がこぼれ落ちる。
出血多量の状態から、さらに腕を切り離すという、自滅行為とも思えてしまう行動をとった浦田だが、それにはきちんと理由があった。
その理由を生み出した張本人であるクロは、僅かに驚いた後、浦田のとった行為に対して賞賛の言葉を言う。
「へぇ、こりゃビックリだ。いくら俺様に『黒いの』にされる可能性があるからといって、この絶体絶命の状況で、自分の腕を切り落とすだけの勇気があるとはな」
先ほどからさらに青ざめた顔に、ぎこちない微笑を浮かべて、浦田は返す。
「言ったろう? 『これは必要ない』と。もちろん後の憂いを取り除きたいという理由もあったが、この戦いに必要なくなったから切り離したまでだ」
その浦田の言葉に、僅かに目を見開いたクロが食いついた。
「『これは必要ない』? この絶望的な状況から、片腕一本で勝てるとでも思っているのか?」
言葉の節々を荒立たせてきたクロに対して、浦田は落ち着きを保って続ける。
「いや、この勝負、僕の勝ちではない」
ただ、と浦田はクロを――――正確にはクロの先の、非常階段へと続く入り口を見据え、言い放った。
「君の負けだ」
「俺の……負けだと……?」
そこでクロは、浦田の視線が自分へと向いていないことに気づく。その視線の先が、自身が塞ぐようにしている入り口だと分かるや否や、クロは瞬間的に振り返った。
そして、クロが振り返ると同時に。
超高密度に圧縮された空気が、入り口から壁となって押し寄せた。
ゴンッ、と鈍い音を発して、押し寄せた空気の壁にクロが飲込まれる。吹き飛ばされるまではいかないが、その押し寄せた圧力によってバランスを崩し、後ろへ倒れ込む。
しかし倒れたクロの背中が、フロアに付くことはなかった。
「な、何だ……こいつは……」
クロを驚かせたのは、押し寄せた空気の壁ではない。その空気の壁自体を推し進める『目に見えない何か』が、壁に続くようにクロを飲込むと、クロの全身に絡みついてきたのだ。その目に見えない何かに捕まると同時に、体が軽くなったと錯覚したクロは、倒れ込んでいた体を宙に浮かばせていた。
つまり、現在クロは空中に浮かんでいる。
クロだけではない。周囲を見渡せば、黒色の化物が空中で藻掻いている。十数匹に渡って展開されていた黒獣、浦田、周りの瓦礫さえ宙へと漂い、この243フロア全域の重力が消失したかのようだった。
「待ちかねたよ……。ICDAの切り札のお出ましだ」
「きり……ふだ?」
ゾッ!と。
そう呟いた瞬間、クロの全身を圧倒的なまでのプレッシャーが襲いかかった。
クロがこれまで会ってきた誰よりも強く、峻烈な圧力。一瞬にして、桁違いな力を持った者がこのフロアへと迫っているのが分かる。
そうして空中に漂いながら、再びクロが視線を前に戻すと。
――――まっすぐクロを目がけて、黒色の長髪をなびかせた、一人の少女が迫ってきていた。
*
――――侵入者は……本当に子供だったの?
僅か30秒前後で243フロアまで到達した宮谷が最初に目撃したのは、右腕を失った浦田、十数匹の黒獣と、そして一人の少年だ。
見た目はまだ10歳にも満たない子供そのもの。驚きに満たされた表情は、何処か愛らしさすら感じさせるものだったが、小柄な体と不釣り合いの漆黒のコートと、右手に握りしめられた白色の長剣からしてマトモとは思えない。
そんな一人の少年――クロを見据えて、宮谷は全力で突撃していく。
「アナタが……侵入者ッ!」
親友との約束のタイムリミットまで、後2分。
無重力状態で身動きの取れないクロへ、宮谷は躊躇いなく全力の蹴りを叩き込んだ。
「チィッ!」
短く舌打ちをしたクロが、携えた剣を横に構える。宮谷の蹴りを剣の腹で受けると、衝撃から後方へと吹き飛んだ。
しかし、宮谷の攻撃は終わらない。
フロアを蹴りつけ、後方に吹き飛んでいるクロへと迫る。空中で態勢の整えられないクロ目がけて、さらなる蹴りを叩き込んだ。
その全てがクロの剣によって遮られたが、衝撃を全身で受けたクロはさらに勢いよく飛ばされる。
しかし、次にクロのとった行動は宮谷の想定外のものだった。
クロは、吹き飛びながら一匹の黒獣の頭を掴む。そして黒獣を道連れに、錐揉みしながら後方へ飛ばされ。
次の瞬間、右手の剣をその黒獣の腹へと突き立てた。
黒獣が、悲痛の雄叫びを上げる。気に留める様子も無いクロは、その剣を軸に180度回転、剣が深々と刺さった黒獣の腹を蹴りつけ、反動から宮谷へと飛びかかった。
「――――ッ!」
クロは味方である黒獣一匹の命を、無重力状態におけるたった一度の移動のために犠牲にしたのだ。
常軌を逸した思考だ、と宮谷は思う。この場に限って最善の判断という点でも、もちろん人という点でも。
ただ者じゃない。やはり実行部の手練れを打ち破ってきただけはある。そう内心で呟いた宮谷はしかし、落ち着きを保ったままだった。
ただ1回きりの移動のために、味方1匹の命を容易く切り捨てる。
今から自分が相対する敵は、こうでなくてはならない。仲間の命を奪ってきた敵は、冷酷でなくてはならない。情を持っていては絶対にならない。
何故なら。
――――冷酷な敵と割り切れなければ、躊躇いなく撃てないから。
そう考えた宮谷は、目前の敵への殺意が止めどなく溢れ出てくるのを感じていた。
「ラァッ!」
一直線に宮谷へと迫ったクロは、剣を大振りに振るった。その剣先の軌道を読み切っていた宮谷は、横に飛び退くことで容易くかわす。
直後、無重力下において態勢を変えられないクロは、勢い余って壁へと激突する。
その様子を視認した宮谷は、すかさず拳銃を構えた。同時に2つの銃口から爆炎が噴く。素早く態勢を整えたクロは、宮谷が拳銃を取り出した段階で既に反応しており、剣を構えていた。
放たれた2つの弾丸が、剣の腹に的中する。
鈍い金属音を2度発して、クロの携えた剣が激しくしなる。衝撃を全身で受けたクロは再び壁に押さえつけられ、刹那の間だけ動きを止められた。
その刹那を、宮谷は逃さなかった。
無重力状態の中でも、宮谷は自由自在に移動することができる。要は自身の内部にまで無重力状態を及ぼさなければいいだけのことだ。他所の一部だけに適用するのは難しいが、自分の肉体部分となれば話は違ってくる。基本的に宮谷の『重力操作』は自身を中心として発現される類の能力であるから、その中心を能力発現指定から外せばいいだけのことだ。
そうして今、宮谷は敢えて下向きの重力場を発生させることで、自身の体を固定してI&W―600からの反動を耐えきっていた。
動きを止められたクロ目がけて、再び拳銃から弾丸が放たれる。
しかし、先ほどの発砲と同じではない。
宮谷の二丁の拳銃から放たれた弾丸は、両側合わせて6発――つまり宮谷は、残りの残弾全てを撃ち放ったのだ。
ガガガガガンッ!と乾いた音が連続し、1発で人を消し飛ばす程の威力を秘めた弾丸、その6発全てが一本の長剣の、全く同じ箇所に直撃した。
一発目は、剣の腹に弾かれ。
二発目は、剣の腹に押し入り。
三発目は、剣の腹にヒビを入れ。
四発目は、剣の腹のヒビを拡大し。
五発目は、剣の腹を真っ二つに折り。
六発目は、真っ二つに折れた剣を吹き飛ばしながら、クロの右肩に直撃した。
「グォアアアアアアアアアァァァァッッ!!」
右肩を吹き飛ばされた痛みから、クロが絶叫を上げる。それと同時に六発の弾丸によって生まれた衝撃波が、一帯に浮かんでいた瓦礫を吹き飛ばし、その無数の瓦礫が、弾丸の如き速度でクロの全身へと叩き付けられた。
乾いた悲鳴が上がる。血飛沫が上がる。瓦礫がクロの全身を切り裂き、貫通し、押し潰していった。




