第27話 違う理を持つもの
暗黒に青みを帯びて燃え盛る灼熱の円環の絵。
「へぇ……これって、妖魔が人間の世界にくるときに通過する門だと思う?」
松方が描きかけていた絵を見て、玲は薄く笑って言った。
つい今しがたまで、そこにひとがいた気配が色濃く残る図画教室の準備室では、窓が開いており、カーテンが風に靡いていた。
その日以来、松方の行方が知れなくなった。
* * *
逃げられたかもしれないというのは、敦も玲もすぐに気づいた。
体調不良で仕事を切り上げて帰ったということだが、翌日から学校に姿を見せなくなったのだ。
夜会に女学生が出席する準備の関係で、学校全体が慌ただしい中「松方先生の家に行ったが留守のようで、連絡もとれない。この忙しいときに」と、他の教師から行方不明の確認を取り、以後玲は絹の擬態をやめた。
「あ~~やし~~とは思っていたのに、みすみす逃がすとは。馬鹿みたいだな、俺。きっと馬鹿なんだ」
朝は絹の姿で敦を迎えに来るものの、学校には休みの連絡を入れて出席を見合わせ、街歩きをしている玲。入れ替わりを続けている敦は、ひとまずその動きに付き合っている。
学校の方は、菜津がうまく立ち回ってくれているとのことで、信じて任せている。「婚約者のためですから!」と言われるのがどうにも受け入れがたいものの「それは後で話し合おう」と保留にしてある。
玲は、異変が無いかと街で聞き込みをし、休憩として立ち寄った甘味処で、あんみつをばくばくと食べながらぐずぐずと愚痴を言っている。
胡桃の姿をした敦は、玲のあまりの食べっぷりにひたすら呆れていた。
「よく食うな」
「食べないではいられないよ。もう、気分最悪。学生を探しているから見つからないのであって、教師の中にいるんじゃないかって、考えていたのに。なんで取り逃すかなぁ……。団子追加しよ」
通りすがりの店員に声をかけて「まだまだ食べます」と愛想を振りまきつつ注文を終えてから、盛大なため息をつく。
敦は学校が終わると家に帰っているが、玲は夜間も動き回っているらしい。
松方は正体を表さぬまま消えたものの、状況から玲はほぼ妖魔と断定しているようである。
その体で帝都に配備されている「異能」持ちが動いているらしく、敦も街歩きの最中に玲がそれらしい相手と会話を交わすのを何度か見た。
胡桃には「星周は大学に出ているか」と探りを入れてみたが、「どうしたんですか? 出てますよ? 一緒に勉強してます、ダンスの練習で兄様と顔を合わせるわけにはいかないので、女学校には行っていませんが」とすらすら答えていたのが、逆に怪しい。
異能持ちに動員がかかっているのであれば、星周もまた通常とは異なる動きをしているはずである。過去、そういった対応に追われる姿を、敦は何度か見ているのだ。敦に声がかかることは、稀であったが無いわけではない。
(まさかとは思うが、胡桃も星周の探索に加わっていたりしないよな。戦闘で使える「異能」でもないし、使っているところを誰かに見られても困るものなんだからおとなしく大学に……。いや、あの男の園に、協力者の星周無しに胡桃ひとり置いておくほうが危険か)
こうなった以上、入れ替わり自体をやめたほうが良いと思わないでもないのだが、玲の挙動を気にかけている敦としては、途中で手を引くことができない。
玲から、目を離してはいけないような気がしている。
「その食べっぷりを見ていると、落ち込んでいるのかいないのか、よくわからないな」
敦が正直なところを告げると、湯呑みで茶を飲んでいた玲はちらっと視線をくれて、きっぱりと言い切った。
「立ち直ろうとしているところだ。まずは腹ごしらえをして元気を蓄えている。こちらの動きに気づいて、向こうが動いたということは、『変化』できる妖魔とみて間違いないだろ。次に出会えば戦闘だ。生かして捕らえたいというお上の意向は聞いているが、俺は確実に仕留める」
好戦的であること甚だしい。
(『全員同じ考えでなければ勝てない』と言ったそばから、命令違反か。それは私怨だし、つまり玲さん自身の執着だろ。判断力が落ちている)
敦としてはよほど指摘したいのだが、ひとまず堪えた。これこそが、玲に感じる危なっかしさなのだと噛み締めながら。
敦は自分の目の前にあったあんみつを、玲の方へと押し出す。
「僕はそれほど食欲はない。どうぞ」
「ええっ。ここのあんみつ美味しいのにっ!? せっかくの俺のお勧めなんだから食べて欲しい。君に味わって欲しいから、この店に来ているんだよ。俺の気持ちも少しは汲んで、ほら」
愁嘆場のようにすがられて、周囲の視線を集めたことに気づき、敦は表情を消し去りながら「騒ぐな」と言って、木匙を手に取った。
玲の口車にのせられて、結局食べることになってしまう。自分でもどうかと思いつつ、ひとくちあんをすくって口にした。
「……美味しい」
「ほら!」
自分の手柄のように、満面の笑みを向けられた。敦はうっすらと後悔し、話を逸らすことにした。
「あの先生のことは、前から疑っていたとは言っていたな。たしかに、図画の教師であれば、他の教科よりも『言葉』を使う機会を減らせる。学生よりも教師として紛れ込んだほうが、外見年齢の調節も学生ほどにはいらないし、卒業で出ていく必要もない。しかしそれでうまくやっていたのなら、なんというか……もう普通に人間だよな」
玲の視線が、鋭さを増す。
「共存していたのだから、この先も共存できるはずと考えているのなら、それは敦くんの独りよがりな妄想だよ。俺みたいな混ぜものとは違うんだ、純粋な妖魔の考えることは」
どうしても、玲は始末しなければ気がすまないらしい。敦は、言葉を選んで慎重に尋ねた。
「母親らしき相手と向かい合ったとき、向こう側に呼ばれるんじゃないかと、不安なのか?」
ふっと、玲は暗い笑みを浮かべた。
「核心つくなよ。イラッとするから」
敦は、ひとまず沈黙をする。
(玲さんは、人間とは違う理を持つ妖魔を母に、人間を父に持つ異質な存在。人間は、果たして「これ」は本当に人間なのかと、玲さんを監視しているだろう。そして、妖魔は人間の中で育てられた玲さんを、いざというときに使おうとしている。ずっとこう考えていたが……。玲さんに感じる違和感はなんだろう)
会話は成立しているし、言葉は通じているのに、どうも噛み合わない。
考え方が全然違うと言えばそれまでだが、どこまでいっても平行線で終わりそうなこの無力感こそ、まるで「違う理を持つもの」と話しているようではないか。
敦の背を、冷えた汗が伝う。
そもそも玲は「性別や年齢をある程度の幅を持って変えられる能力」を持っているのだ。
たとえば、発見されたときにすでにその能力を行使していた可能性はないだろうか。
つまり、本来は純然たる妖魔でありながら、まるで「生まれたての人間の赤子」のように擬態した、という。
(馬鹿な。その程度のこと、玲を引き取って育て監視している政府機関が考えないはずがない。様々な検証をされた上で、玲は「半人半妖」の認定を受けているはず)
前提を、疑ってはいけない。そこが崩れたら、いま自分の信じているものがすべて不意になってしまう。
「団子も美味しいなぁ」
運ばれてきたみたらし団子に早速手をつけ、玲は目元を和ませている。
その様子を眺めながら、敦は自分に言い聞かせた。
(僕は、玲さんを疑ってはいけない。玲さんは僕を信じている。信じている人間に裏切られれば、ひとの心は歪む。信頼には、最後まで応えなければ)
もし、玲が松方を発見したときに、必要以上の攻撃に出るようであれば、止める。そのつもりで、行動を共にしている。いまは、疑義をぶつけて仲違いなどしている場合ではないのだ。
すでに、夜会は翌日に迫っていた。
敦は玲から目をそらさずに、さりげなく会話を続ける。
「明日は、国内外の要人が集まる録銘館の夜会だ。妖魔が人間側に潜入し、そこまでの情報を手にして消えたなら、仲間と連携しあって襲撃があると考えるのが普通だろう。それでも、中止にはしないんだよな」
「しないね。むしろ『異能』持ちをどう配備するかが焦点になっている。つまり録銘館の守備を固めるか、市中に散らすかだ。要人を狩ると考えるのはいかにも人間的で、そこに『異能』持ちが集まるなら、手薄なところでか弱い人間を狩ったほうが効率的と、妖魔だって考えるのかもしれない」
「いずれにせよ、騒動は起こると。玲さんが配備されるのはどちらになるんだ?」
敦の問いに、玲は笑顔で答えた。
もちろん俺は録銘館だよ、と。




