その7
ニールの祖父で村長の家は、巨大な白桃の木に囲まれた二階立ての建物だった。
館に案内されたカナは、優しそうなニールの祖父や集まった村人に大歓迎を受ける。
村の女性たちは忙しくテーブルに料理を運び、その足下で小さな子供がはしゃぎながら走り回り、男たち酒を酌み交わしながら、今年の収穫物の出来や飼牛が双子を産んだ話をしている。
「なんだか不思議、この村は大叔母さんが夏別荘に住んでいた時の雰囲気によく似ている。
大叔母さんがいた頃は、親戚や子供たち、大叔母さんのお友達に近所にすむ地元の人が大勢集まって、夜遅くまでみんなで騒いでいたもの」
そうして全ての料理がテーブルに並び食事の準備が整うと、村長はルーファス王子とカナに席を勧める。
「えっとその前に、ニール君に立て替えてもらったお菓子の代金払うね。
といってもワタシはココのお金持ってないから、ニホンのお金でいい?」
「そんなカナさま、俺に気を使わないで下さい。カナさまからお金を受け取るなんて出来ません」
ニールは遠慮して断るが、カナは背負っていたリュックをおろし、中から財布を取り出そうとして突然悲鳴を上げる。
「キャアーーっ、嘘でしょ。これワタシのリュックじゃない!!
財布にスマホ、それに大切なDIY用の工具箱が入っていたのに、リュックの中身が違う」
「どうしたんだオヤカタ。カバンはオヤカタの物じゃないのか?
でもココに魔法文字で書かれた名札が付いているぞ」
ルーファス王子はニホンの文字が読めないし、カナはこの世界の文字が読めない。
王子に言われてカナはリュック紐に結ばれた名札を見ると、そこには【ミノダ警備保障会社(株)】のゴム印と【残念賞 大掃除セットと寝正月アイテム】と書かれていた。
カナが持ってきた赤いリュックは前日に夏別荘を貸切で行われた、警備保証会社忘年会のゲーム賞品だった。
リュックの中身は大掃除用の便利グッツと洗剤数種類、そして入浴剤やつぼ押し棒、インスタントコーヒー数種類が入っている。
「ミノダさん、なんて紛らわしい事をするの。
ワタシのリュックと同じメーカーだし、工具箱と同じ位の重い洗剤が中に入っている。
これじゃあ間違えて当然じゃない。ああ、愛用の大切な工具箱を忘れるなんて、もうショック」
カナは財布やスマホより、お気に入りのDIY工具箱が手元に無いのが心細くて堪らない。
半泣き状態でコートのポケットをあさって自分の持ち物を確認するが、出てきたのは100円2枚と50円と5円、それにカッターナイフと作業用手袋だけだった。
「ううっ、ニール君。とりあえず255円だけ渡しておくね」
「そんな、カナさま。コレは受け取れません」
「オヤカタ、僕らは何も持たず妖精森へ逃げてきて、オヤカタに助けてもらった。
だからココでは僕たちがオヤカタを助ける。何も心配しなくていいんだ」
ひどく落ち込むカナを、年下のルーファス王子がなんとか慰めようとしている。その様子を見ていた村人は、魔女が魔法道具を忘れたらしいと噂しだした。
「まぁ、カナさまどうしたのですか?
こちらにいらっしゃるのに、お荷物は必要ありません。
私はエレーナ姫様から、カナさまが滞在中必要なモノは全てこちらで揃えるように言い遣っています」
その声は、村長の館でルーファス王子が妖精森から帰ってくるのを待っていた侍女長だった。
黒髪を綺麗に結い上げ細身のムームー風エプロンを着た侍女長は、台所から姿を見せると慌ててカナに駆け寄り、その両手を取って優しく見つめる。
興奮気味だったカナも、落ち着いた雰囲気の彼女を前にすると混乱した感情も治まってきた。
「そうね、私のリュックは夏別荘の中にあるから、きっとコンおじさんが見つけて保管してくれるはず。
お騒がせしました、お久しぶりですメイド長さん。
王子やニール君は背が伸びて、隊長は真ん丸に太ったのに、メイド長さんは全然変わらないわ」
「フフッ、カナさまありがとうございます。全然変わらないとは、一番の褒め言葉ですわ。
私は妖精族の血が濃いので人間ほど歳を取りませんし、日頃の美容には心血を注いでおります。
改めてご挨拶申し上げます。ようこそ蒼臣国へいらっしゃいました。
これから私の事はハビィと呼び、必要な事がありましたら、なんなりとお申し付け下さい」
侍女長はムームー風エプロンの裾を摘まむと、優雅に腰を折りカナに上品な挨拶をした。
この挨拶はカナも大叔母さんから教わっている。作業服姿で不自然に見えるかもしれないが、同等の挨拶を返す。
「それはそうと、私カナさまにお見せしたいモノがあるのです。
カナさまはアチラの世界で”いんすたんと”が大好きでしたので、私はそれを真似て料理を作ってみました」
魔女カナの性格を熟知している侍女長は、彼女の気を紛らわすには美味しい食べ物の話をするのが一番だと知っている。
侍女長がカナに見せたのは、カラフルな包装紙に包まれたキャラメルのようなモノだった。
「えっとメイド長、ハビィさんが作ったインスタント食品?
でもコレって普通のキャラメルに見えるけど。赤いのは苺味かな」
カナは侍女長の作ったインスタント食品をひとつ摘まんで口に含もうとして、慌ててそれを止められた。
「あっ、ダメですカナさま。この”いんすたんと”は口の中で二十倍に膨れます。
コップの中に一粒入れてお湯を注いでふたを閉めたら、200数えるのです」
「200数えるって、だいたい三分だからカップ麺と一緒ね。
えっと……199、200。もう出来たかな。
ええっ、なにこれスゴすぎる!!赤い色はトマトでゴロゴロと大きく切られたジャガイモや人参に、分厚い牛肉のビーフトマトスープになっちゃった。
まるで出来たてみたい、はふっ、モグモグ、この優しい野菜の甘みと柔らかく煮込まれたお肉が美味しいっ」
「おお、侍女長。オヤカタの大好きな”いんすたんと”がついに完成したのだな。
侍女長は”じゃんくふーど”を食べるオヤカタのために、カップめんやレトルトカレーを作ろうしているのだ」
王子とメイド長が、ジャンクフード・インスタント食品と連呼するので、カナは複雑な心境になる。
でも料理上手なメイド長が作ったインスタント食品なら、味は保証付だ。
この携帯用食料を持ち歩けば、いつでもどこでも美味しい料理が食べられる。
「はい、カナさまから説明していただいたアチラの世界の”ふりーずどらい”技法を真似ました。
料理を密閉容器に入れて、それに宿る水精霊を極限まで無にしたのです。
再び湯を注ぎ水精霊を宿らせれば、食べ物は元の状態に戻ります。
まさか偉人の亡骸を永遠に留めておくための魔術が、このように料理に応用できるとは驚きました」
「えっ、偉人の亡骸を永遠に留める技術って……ミイラの事だよね。
それじゃあこのキャラメルにお湯を注げば、いつでもハビィさん手作りの美味しいスープが飲めるのね。
他にオレンジ色と黄色いキャラメルがあるけど、これはどんな料理?」
「オレンジ色は蜜柑のババロアです。黄色は妖精森でいただいた伊達巻を真似てみました」
こうして侍女長ハビィ製インスタント食品の詰め合わせをもらったカナは大喜びだ。
さっそく取り違えたリュックの中に食料を詰め込んだ。
村のおいしい郷土料理を食べて、屋台で買った火の付いたクリーム菓子を食べて、それからインスタント食品の味見もする。
食事を済ませたルーファス王子はカナの真横に陣取り、これまで何度も妖精森を訪れた話をした。
カナも王子に聞きたい事が、沢山あった。
どうしてこの世界と妖精森が繋がっているのだろう。
外人さんと思っていた彼らは、自分とは違う存在なのか。
そして、ルーファス王子は国に帰って平和に暮らしていると思っていたのに、村の外で王子が来るのを待ち伏せる兵士がいた。
祭りの夜はふけてきたが、ふたりの話は尽きることがなかった。
***
「さて、家の周囲の白桃もちょうど熟して食べ頃になった。今日は金剛白桃の収穫日和だな」
「おはようございます、村長さん。えっと、ワタシも白桃の収穫に参加したいな」
朝早く起きた村長は、午前中に白桃の収穫をしようと果物カゴを背負って裏口の扉を開く。
すると裏庭で、客人の魔女カナが怪しい踊り(ラジオ体操)をしているところを見た。
カナと一晩中話をしていたルーファス王子は明け方に寝落ちして、それに付き合っていたニールも王子をベッドに運んだところで力付き、今は応接室のソファーで爆睡している。
そしてカナは、散々飲み食いしておしゃべりしたのに、まだ瞳をランランと輝かせて元気があり余っている状態だ。
「これはおはようございます、カナさま。
昨日は一晩中ルーファス王子の話相手をして、カナさまもお疲れでしょう。
午後に都から迎えの馬車が到着しますので、それまでゆっくりお休み下さい」
「それがなんだかワタシ、とても興奮しているみたいで、全然眠たくならないんです。
夜に食べ過ぎてお腹も空かないし、少し体を動かした方がいいみたい。
それと、ワタシ欲しいモノがあるんだけどお金を持っていないから、村長さんのお仕事を手伝って、少しお金を稼ぎたいな」
村長がカナと会ったのは昨日が初めてだが、孫のニールから何度も妖精森に住む【茶色い髪の魔女】の話を聞いていた。
魔女カナは人をこき使うけど、便利で役に立つ魔導カラクリで家を修理したり丈夫な石窯を作る、よく働く魔女だと話した。
孫の言葉通り、元気で明るい魔女の様子に村長は納得すると、館の周囲に植えられた白桃の収穫を手伝わせることにした。




