その6
「ひぃいー、【茶色い髪の……魔女】さま。命だけはお助け下さいっ!!」
カナにケルベロスの姿は小犬にしか見えない。
だから大きな体躯の兵士が悲鳴をあげ、胸に乗った小犬を退けられず助けを求める様子を不思議がる。
「この人も隊長と同じで、犬が大嫌いなのね。
仕方がないわ。ケルベロス、嫌がる人に甘えて飛びつくのはやめなさい」
黒装束の小柄な魔女はめんどくさそうに魔犬の首輪を鷲掴みにすると、恐ろしいほどの力でケルベロスを後ろに放り投げた。
そのカナに兵士たちは完全に震えあがるが、ルーファス王子は地獄の魔犬を平然としている。そして騒ぎを聞きつけて集まった村人も、ケルベロスの姿に恐れる様子はなかった。
「カナさまを【茶色い髪の悪い魔女】と罵り、我々の味方であるケルベロスさまが敵と判断した。
キサマ等の主は誰だ。そうか、反王族派が再び息を吹き返したのだな」
魔犬に襲われた兵士に冷たい言葉を浴びせたのは、紺色の軍服を着た若い灰色の髪の兵士だ。
年頃は高校生ぐらいで、しなやかな若木のように細身で敏捷そうな体格をした真面目そうなイケメン兵士は、誰かに似た顔立ちをしている。
「この男の人は、王子を迎えに来た味方の兵士じゃないの?
それから君は誰、どうしてワタシの名前を知っているの」
イケメン男子の前でしきりに首を傾げるカナの様子を、ルーファス王子は面白そうに眺めている。
声をかけられた兵士は、ひどく困惑した顔でカナを見つめた。
「カナさま、俺が判りませんか?
妖精森でカナさまに助けてもらったニールですよ」
「言われてみれば、その髪の色や眉毛の形はニール君に似ているけど。
でもニール君はワタシと身長が同じくらいの痩せた男の子よ。君は大きすぎるわ」
「そんな、カナさま。信じてください、俺はニールです!!」
カナにきっぱりと否定されたイケメン男子は情けない声を出し、ふたりのやり取りを聞いていた王子は腹を抱え笑いだした。
「アハハッ、ニールは声が変わったから、余計にオヤカタは判らないんだよ。
オヤカタは魔女だから歳を取らないけど、ニールも僕も四年でどんどん背が伸びて大きくなったんだ」
「俺はカナさまから、まうんてんばいくという車輪の魔物を貰いました。
ほら、これですよ。覚えていませんか?」
そう言ってイケメン男子は自分が乗ってきた自転車をカナに見せた。
これは確かに、雑貨店のフリマ・リサイクルコーナーにあったマウンテンバイクで、カナがニール少年にプレゼントしたものだ。
栄養失調気味でとても痩せていたニール少年は、四年の成長期でカナの背を追い越し、変声期で少しハスキーな声に変わっていた。
しかしその顔をよく観察すると、イケメン男子の真面目そうな目元はニール少年の面影がある。
「え、ええっ、君は本当にニール君!!
あんなに痩せてガリガリだったのに、とても健康的で背も高くなってる。それに声がスゴいイケメンボイスだわ」
「そういうカナさまは、四年前と全然変わりませんね。本当に魔女は歳を取らないんだ」
あんぐりと口を開いたまま自分より大きくなったニールを見上げるカナと、少し照れくさそうな表情のニールが久々の対面をしていると、背後からドシドシとウルサい足音が聞こえてきた。
「ルーファス王子、無事お戻りになりましたか。
おおっ、これはカナさま!!お久しぶりです」
「えっ、ワタシあなたのようなお相撲さんに知り合いはいないけど……その声は、まさかウィリス隊長!!
少し会わない間に、とても丸く育っちゃっている」
それからカナの事を【茶色い髪の悪い魔女】と呼んだ兵士たちは、以前より肥え太ったウィリス隊長に村の外へ連れて行かれた。
「あれからニールは、車輪の魔物を使役する機動部隊の兵士として活躍している。
今回はニールに頼んで、妖精森まで連れて来て貰ったんだ」
「こっちの世界では夏休みから四年も経って、王子もニール君も成長している。
本当に『美しい妖精と大男の住む国』の民話と同じ。
きっと大叔母さんは、この世界の事を知っているのね」
カナはルーファス王子の後をついて石門をくぐり、祭りの賑やかな音楽が聞こえる村の中に入っていった。
***
妖精森の中は凍えるような寒い冬だが、こちらの世界は少し冷たく感じる程度の秋風が吹いて、明るい十六夜の月が輝き、夜空には三本の天の川が流れている。
それはカナの知る、オリオン座も北斗七星も見えない夜空だった。
村では収穫の女神に感謝する祭と、四年前にクーデター軍を打ち破った戦勝記念祭が華やかに行われている。
村の入り口から中央の広場まで真っ直ぐ伸びた石畳の道、赤いとんがり屋根の家よりも大きな白桃の木が村のあちらこちらに植えられて、金剛色に輝く瑞々しい果実をみのらせていた。
「俺の住む辺境の村をご覧ください、カナさま。
カナさまから頂いた果物の種が育ち、白桃の他に天使の涙のような葡萄、赤い宝石のような苺や小さな甘い蜜柑が実りました。
妖精森からもたらされた恵みで、村はこんなに豊かになったのです」
以前はマトモに植物の育たない、大魔女に呪われた地だった。
それが今では青々とした緑に覆われた美しい村に替わり、果樹園で収穫される果物は高い値段で取引され、貧しい村は富める村へと変わった。
過去の寂れた村の様子を知らないカナは、単純にニール少年の話に素直にうなずいていた。
「へぇ、そういえばニール君は妖精森の植物の種を集めていたよね。
たった四年でこんなに大きく白桃の樹を育てるなんてスゴイよ。
ワタシは夏休みの宿題のひまわりをすぐ枯らしたけど、大叔母さんも植物を育てるのが上手だったわ」
金剛白桃は王都の宮殿の庭にしか生えない幻の木で、甘く爽やかで美味な果実で栄養価が高く、天然の滋養強壮剤のような果物だ。
妖精森から村に持ち込まれた金剛白桃の種は、一晩で数十年分育ちたわわに実をつけた。
そして金剛白桃の他にニール少年が妖精森から集めてきた果物の種を育て、無理な開墾によって荒れ果てた畑はわずか四年で珍しい植物の育つ果樹園となる。
ニールに金剛白桃がどれほど貴重な果物なのかを聞かされて、逆にカナの方が驚いた。
「妖精森じゃ白桃は食べ放題だったけど、こっちの世界では金剛石と同じ価値なの!!
村の地質は妖精森と同じだから、白桃の木が育つのね。
えっ、村長からワタシに感謝って、そのお礼は大叔母さんに伝えておくわ」
「はい、始祖の大魔女にお伝え下さい。貴女の選んだ後継者は素晴らしい方だと」
そう告げたニールの言葉は、いきなり隣に立つルーファス王子の腕をつかんで走り出し、祭りの屋台に並ぶ色鮮やかな砂糖菓子に飛びついたカナの耳には届かなかった。
「きゃあ、カワイイっ。これはドライフルーツを砂糖でコーティングした花束みたいな砂糖細工。
隣はフルーツ山盛りのタルトと、ああっ、ベリーが生地に挟まれたミルフィーユみたいなケーキも美味しそう。
アイスクリームみたいな白いクリームの上に火が付いて、ふわぁ、カラメルが焦げて甘い匂いがする」
「お嬢ちゃん、コイツは珍しい氷山ヤギの乳で作ったクリームだから、火をつけても溶けないのさ。どうだい、一口味見してみるか?」
小柄で童顔、そして髪をフードの中に隠しているカナは【茶色い髪の魔女】に見えない。
屋台の店主が、カラメルの甘い香りのするクリームをスプーンに乗せるとカナに差し出した。
一口味見して、美味しい美味しいと騒ぐカナに、屋台の店主は笑いながら、隣にいる金持ちそうな銀髪の少年も試食をさせる。
「オヤカタ、侍女長が料理を準備して待っているんだ。先に村長の館に行こう。
僕はクリームなんて食べ飽きて、はむっ、これは表面は香ばしく焦げて少しほろ苦い、でも中は冷たくて甘いクリームが不思議な食感だ。
ほんとうだ、オヤカタ、これは美味しいぞ」
商売上手な店主の術中にはまったカナとルーファス王子は、屋台の前から動きそうにない。
離れて様子を見ていたニールは、大きくため息をつくと二人に声をかける。
「ルーファスさまもカナさまも、まさか食事前にお菓子を買い食いするつもりですか?
それに屋台で買い物をするお金は持っていますか」
「えっ、そういえばこの世界のお金ってどんなもの?二ホン円は使えないよね。
でもこのピンクの花束のお菓子と火が付いた甘くて香ばしいお菓子、とても食べたいな」
期待に満ちた瞳で自分を見つめるカナに、ニールは「つまり俺に買えと言っているのですね」と心の中でつぶやいた。
ニールはふたりにお菓子は食事後に食べるように約束させて、火の付いたクリーム菓子とピンクの花束の砂糖菓子、そしてなぜか自分も赤い花束の砂糖菓子を買った。




