その5
年に一度の満月の夜、【茶色い髪の悪い魔女】に惑わされたルーファス王子は妖精森の中に入っていった。
そして一日が過ぎ妖精森の向こうから昇った十六夜は、これまで見たことのない真っ赤な色に染まっている。
明るい月夜は、妖精森の結界から外へ現れるモノの姿を見せる。
「来た、来ます。とんでもない魔力の塊を感じます。
ルーファス王子の後ろには黒装束の魔女がいます!!」
「やっと出て来たか、まったく待ちくたびれたぜ。
いいか、相手は女子供ふたりだ。
多少怪我させても構わねぇから、出てきたところを一斉に飛びかかって捕まえるぞ」
鈍器のような杖をかまえた武装神官たちは、ぞろぞろと歩いて妖精森へ続く道の前に陣取った。
軽口をたたきながら獲物を待つ武装神官の後ろで、見張り役の神官は魔力の禍々しさを感じ取り顔面蒼白で震える。
「ひとつふたつ、みっつ、これは人間の魔力じゃない。真のバケモノだぁ!!」
突然見張り役は悲鳴をあげると、仲間たちを見捨てて妖精森の反対側に走り出した。
「チッ、見張り役が逃げちまった。そんなに【茶色い髪の悪い魔女】が怖いのか?」
「なんだか急に風の音が騒がしくなった。いいや、これは獣のうなり声だ。
オイ、あれを見ろ。ルーファス王子と魔女が乗っているのは、異界の魔獣だぁ!!」
白い自転車は緑のトンネルをくぐり抜け、妖精森の外の世界に出た。
妖精森を取り囲む結界は水の中を漂うような空間で、二人乗り自転車はゆらゆらと水を掻くように進む。
道の左右には瑞々しい白桃の実を付けた果樹園が広がる。
そして結界が途切れた先に、道を塞ぐ男たちの姿が見えた。
「ちょっと、ルーファス王子、あの人たちが道を塞いでいて危ないよ。このままじゃぶつかる!!」
「いいよ、オヤカタ。神官のくせに魔獣の気配も読みとれない連中は、このまま蹴散らしてやる」
少年はカナと話す時の少し甘えた声から、強く厳しい口調になる。
そして王子の意志を読んだ守護獣は、白い自転車から半実体化して見事な黄金色のたてがみを持つ獅子に姿を変えた。
「えっ、自転車のスピードが上がった。王子、まさか二人乗りウィリーするの!!
きゃあー、本当に飛んだぁ」
祖先返りの魔力を持つ王子と大魔女の後継者を背に乗せた守護獅子は、高々と跳躍して男たちの頭上を飛び越え、妖精森の結界の外に姿を現す。
守護獅子は武器を手に襲いかかってきた武装神官二人を、前足の鉤爪で払いのけると魔風を起こし、その場にいた人間を全員果樹園まで吹き飛ばした。
「ちくしょう、最高位神官め。俺たちを騙したな。
雇われ神官の俺たちが、こんな凶暴なバケモノにかなう訳ない」
「危ないぞ、突っ立っていたら魔獣に首をかみ切られ、うぎゃあ、バケモノの爪が俺の腕をえぐったぁ」
武装神官は頭上の高さまで舞い上がり、そして地面に落ちてきた。
その間に王子と魔女を乗せた守護獅子が走り去るのをみた高位神官は、血相を変え怒鳴った。
「何をしているんだ、王子と魔女が逃げるぞ。
役立たずども、早くふたりを追いかけて捕まえろ!!」
「高位神官さまっ、今大声を出してはいけません。後ろから地獄の魔犬ケルベロスが……。
ヤ、ヤツに気づかれたぁ」
妖精森から守護獅子を追いかけて来たケルベロスは、新しい遊び相手を見つけると、嬉しそうに尻尾を振りながら高位神官にじゃれてきた。
高位神官は捕らえたニールに対して、殴る蹴るの暴力を振るった。
その時ニールの血の匂いが高位神官の服や呪杖に付き、ケルベロスはそのよく知る匂いに反応する。法衣の裾をケルベロスが踏んずけると男はその場にべちゃりと倒れた。
三頭持ちのケルベロスは、高位神官に鼻頭を押しつけて血の匂いを嗅ぎまくり、鋭い犬歯が生えた口を開き高位神官の頭をガブガブと甘噛みした。
ケルベロスは魔力の塊で実体を持たない。
だから甘噛みされても肉体は傷つかないが、漆黒の禍々しい魔犬に頭から喰われている高位神官の姿はまさに地獄絵図だ。
他の者は高位神官を置き去りにして逃げだし、恐怖で失神した高位神官はケルベロスのヨダレまみれでその場に放置された。
「お久しぶりです、ケルベロスさま。
ルーファス王子と魔女カナさまは、先に俺の村へ行きました。
ケルベロスさまも早く魔導車輪(自転車)にお乗り下さい」
果樹園の木の影に密かに自転車を隠していたニールは、魔犬に声をかける。ケルベロスは一言「ワン」と吼えると黒い豆柴に戻り自転車のカゴに飛び乗った。
妖精森から黄金の獅子と黒い魔犬が現れた出来事は、後に【茶色い髪の魔女逸話】として語られ、特に子供たちを恐怖に陥れた。
***
「後ろがなんだか騒がしいけど、あの人たち王子を捜しているみたい」
「えっと、詳しい事はニールの家に着いたら話すよ。
侍女長が御馳走を作って、オヤカタが来るのを待っている」
「えっ、メイド長さんが料理を作って待っているの!!
急いでたからカップめんを食べ損ねてお腹が空いたわ。早くご飯が食べたい」
妖精森の外に出たカナは脳天気な返事をした。
そこはカナの知っている場所ではなく、道向かいにあるはずの雑貨店は見えない。
道はアスファルトの敷かれた国道ではなく、車一台がやっと通れそうな少しデコボコした石畳だった。
道の両脇には果樹園が広がり、そして不思議なことに月明かりを浴びた白桃がほのかに発光している。
「果樹園が月の光を浴びてとても綺麗。まるでファンタジー映画のワンシーンね」
カナはうっとりと夢見心地でつぶやいた。
そして果樹園を抜けると、ヨーロッパの絵葉書に描かれているような深い緑に覆われた赤いとんがり屋根の集落が見えてきた。
夜風に乗って人々の笑い声と明るい音楽と、そして美味しい香りがする。
「ねぇルーファス王子、村で何かお祭りをしているみたい。とても楽しそう」
「村に豊饒をもたらした魔女さまを迎える祭りをしている。
皆、オヤカタが来るのを持っているんだ」
「へぇ、豊饒の女神さまをお迎えするって、素敵なお祭りね。
祭りの屋台で美味しいモノを売っているかも、ちょっと覗いてみたいな」
背丈ほどの高さの木の塀で囲まれた村は、正面の石門をくぐり中へ入る。
その門の前に甲冑を着た兵士が数人いて、誰かを待っている様子だ。
兵士たちはルーファス王子の姿を確認すると、ガチャガチャと音を立てて全力疾走でやって来た。
彼等は王子の護衛として村に派遣された兵士たちで、到着早々王子が行方不明になっていると聞かされていた。
白い自転車から降りた王子の前に、紺の鎧に緑のマントを纏った兵士が駆け寄ると片膝をつき頭を下げる。
「おおっ、ルーファス王子、ご無事でしたか。
大聖堂の神官連中に連れ去られたのではないかと心配しました。急いで村長の館に……。
オイ、王子の後ろにいる薄汚い女、きさま何者だ!!」
二人乗り自転車の後ろに座っていたカナは、寒さをしのぐために防寒用フードを深めにかぶり顔が見えない状態だ。
兵士の怒鳴り声にカナは顔を上げ、ブードが脱げて茶色いフワフワの髪がこぼれ落ちる。
すると大きな体躯の兵士は、カナの顔を見て驚き叫んだ。
「黒装束に茶色い髪、コイツは王子を呪う【茶色い髪の悪い魔女】だ!!
大変だ、【茶色い髪の悪い魔女】が妖精森から出てきた」
「なんですって、ミドリちゃんならともかく、見知らぬアナタに【茶髪の悪女】って言われる筋合いは無いんだけど!!」
「ルーファス王子、その女は危険です。早く【茶色い髪の悪い魔女】から王子を引き離せ」
背後からカナに掴みかかろうとした兵士の胸元に、黒い砲弾のような魔力の塊が飛びこんできた。
カナが振り返ると、悲鳴をあげて後ろに倒れた兵士の胸に小さな豆柴が乗っかっていて、何故か兵士は立ち立ち上がれずに手足をばたつかせている。
【茶色い髪の悪い魔女】の使役する地獄の魔犬に襲われた兵士は、胸が潰れると思うほど圧迫され、頭上でケルベロスが舌なめずりするのを見た。
「ひぃいー、【茶色い髪の……魔女】さま。
地獄の魔犬に食われるのは嫌だ。命だけはお助け下さいっ!!」
※分り易いように【茶色い髪の悪い魔女】にしました。




