最終話
冬薔薇塔の屋上に積まれた800個目の赤煉瓦を投げた後、ウィリス隊長は肩で息をしながら崩れるように座り込む。
「カナ様、もう限界です。
これ以上投げたら、俺の腕がもげるっ」
「頑張って、ウィリス隊長。
最後の栄養ドリンクをあげるから、口を開けて一気に飲んで!!」
魔女カナは情け容赦なく、異臭を放つ怪しいハイポーションをウィリス隊長に無理矢理飲ませる。
この栄養ドリンクの効き目は絶大で、ウィリス隊長の顔は突然真っ赤になると、焦点の定まらなかった眼に炎が宿り、そして飛び跳ねるように立ち上がった。
「うぉおおぉ、俺はやるぞ、俺はやるぞ!!
今度こそ、魔女カナ様の期待に応えるのだ」
「魔女さん、もうやめたげて。いくらなんでも隊長さんが可哀想だ」
魔女カナにハイポーションを飲まされ、無理矢理働かされるウィリス隊長の姿にリオは涙目になる。
しかしリオの隣に立つルーファス王子は、冷静すぎる声でカナの弁護をする。
「リオ、僕はオヤカタに頼られるウィリスがうらやましい。
僕も早く大人になって、オヤカタの期待に応えられるような男になりたい」
「ルファ、お前マジかよ。
魔女さんは可愛いフリで男を騙して、こき使うだけじゃないか」
ウィリス隊長の作業を邪魔してはいけないので、カナたちは塔の中に戻った。
雑木林を挟んで冬薔薇塔の隣に立っていた巨大女神像に、天から流れ星(赤煉瓦)が降り注ぐ。
しばらくすると金髪の女神像が完全倒壊する凄まじい爆音が聞こえてきた。
「欠陥建造物の解体作業を終えて、やっと危険除去ができた。
ワタシあのオッパイ女神像がいつ崩れるかと心配で、夜も安心して眠れなかったの」
「オヤカタはこの世界に来てから、夜も寝れないほど僕らを心配してたのか」
「いいえ、ルーファス王子様。それはカナ様の気のせいです。
カナ様は一度眠れば二日間は目覚めないほど、しっかり爆睡していました」
「そうだよルファ、さっきまで魔女さんはおコタでダラダラ居眠りしてたじゃないか」
カナの言葉を素直に信じるルーファス王子に、ハビィとリオからツッコミが入る。
しかしルーファス王子はふたりの言葉など耳に入らない様子で、隣に立つカナの横顔を見つめながら、決心が揺るがないように唇を噛みしめた。
「ねぇオヤカタ、僕ちょっとオヤカタに話があるんだ……」
「なぁに、王子。
あれ、アシュさん、どうしてここにいるの!」
王子に呼ばれたカナが、突然驚いた声をあげる。
カナの見つめる先、応接室奥の螺旋階段に女騎士アシュが立っていた。
***
ウィリス隊長が栄養ドリンクを飲まされた同時刻。
聖堂の地下通路にいたアシュは倒れた最高位大神官を抱えると、魔女カナの魔力で開いた冬薔薇塔入口に飛び込んだ。
扉の向こうは、エレーナ姫が寝起きしていた夏別荘の部屋そっくりだった。
白を基調にした家具や調度品は夏別荘と全く同じ、椅子の上に置かれたカゴには編みかけの毛糸玉がある。
「私はどうして、最高位大神官を連れて来たのだろう。
まさか冬薔薇塔の中で、この男にドドメを刺すわけにも行かないし……」
気を失って床に転がる最高位大神官を見つめたアシュは、部屋に中に異形の気配を感じて思わず身構える。
可愛らしいパッチワークのシーツが掛けられたベットに、頭の左右から禍々しい角を生やし軍服のような服を着た牛頭の魔人ミノタウロスが座っていた。
「久しぶりです、女騎士アシュ様。
ミノダ警備保障会社は、大叔母様から冬薔薇塔の保守管理を承りました」
「貴方は、魔女の眷属ミノタウロス殿。
そうですか、ミノタウロス殿は始祖の大魔女様から冬薔薇塔を守るように命じられたのですね。
しかし私は、この男を冬薔薇塔に連れて来てしまった」
魔女カナの使役する魔人ミノタウロスは、彼方の世界ではミノダという名の人間で警備保証会社を経営している。
「この男をミノダ警備保証会社で雇用するように、大叔母様に頼まれました。
当社は二十四時間シフトのハードワークで、常に人手不足なのです」
「えっ、ミノタウロス殿が最高位大神官を奴隷にするのですか?
二十四時間の厳しい奴隷労働、それはこの男にふさわしい罰です」
言語翻訳魔法で『雇用』が『奴隷』と誤訳されたが、ミノタウロスはアシュの言葉を否定せず頷いた。
そして魔人ミノタウロスは持っていた赤いリュックサックをアシュに手渡す。
「これをカナ様に届けてもらえますか。
そしてカナ様に、妖精森の別荘で新年会が始まるので、早く彼方の世界に戻るように伝えてください」
「彼方の世界での新たなる年の始まりに、魔女カナ様の力が必要なのですね」
赤いリュックを受け取ったアシュは床に倒れた最高位大神官を一瞥すると、深々とミノタウロスに頭を下げて螺旋階段をのぼった。
冬薔薇塔の二階でアシュが見たのは、清らかな水が満たされた豪奢な浴室だった。
普通の娘が出口のない塔に閉じ込められたら、助けが来るまでひたすら泣き暮らすだろう。
しかし魔女カナは泣くどころか大喜びで冬薔薇塔の大改装を行い、一日がかりの大掃除で浴室のタイルを全部綺麗に磨きあげた。
「冬薔薇塔の話をルーファス王子様から聞いていたが、これほど本格的な改装とは驚いた。
さすがカナ様、掃除だけじゃなくタイルの欠けた部分や割れた彫刻を補修して、浴室を美しく蘇えらせた。
これは他の部屋を見るのが楽しみです」
アシュは久々に、子供のようなワクワクする気持ちになった。
浴室を見た後、上の階に向かうアシュの足取りは軽い。
そして冬薔薇塔の三階、応接室にたどりついた女騎士アシュは呆れ果ててしまった。
部屋の中央に魔女カナとルーファス王子の姿が見えるが、今は二人に声をかける場合ではない。
「これはまるでオモチャ箱をひっくり返したような、イタズラ精霊の住み家だ。
カナ様はあんなに高い場所に、どんな魔法でネットを張ったのだろう?」
塔の中にはためく色鮮やかな無数の旗、蜘蛛の巣のように張り巡らされたネットと天井から吊された沢山のランプが星のように輝いている。
部屋には重厚な家具や装飾品もあるが、この部屋はまるで子供の巨大遊具だ。
ただ唖然と部屋の中を眺めていたアシュの存在に、カナの方が気づいた。
「あれ、アシュさん、どうしてここにいるの!」
その声でアシュは我に返ると、カナは部屋を小走りで横切ってアシュの側に来た。
そして彼女が手にした赤いリュックを見て驚きの声を上げる。
「きゃあ、アシュさんの持っている赤いリュック、ワタシの愛用工具入れだ。
リュックのポケットにスマホが入っているけど、やっぱり充電が切れている。
でもどうして、アシュさんがこれを持っているの?」
「この鞄をミノタウロス殿から、カナ様に渡すようにいわれました」
「えっ、まさかミノダさんが私のリュックを持って来たの」
アシュからリュックを受け取ったカナは、大喜びでさっそく中身を確認する。
「アシュ、どうやって冬薔薇塔の中に入って来た」
アシュはルーファス王子の声を聞くと、数歩後ろに下がると片膝を付き謝罪の仕草をした。
「申し訳ありません。ルーファス王子様。
私は僅かな気の迷いで最高位大神官にとどめを刺せず、あの男を冬薔薇塔の中に連れて来てしまいました」
「なんだと、最高位大神官がこの冬薔薇塔の中にいるのか!!」
普段は冷静なルーファス王子が、声を荒げてアシュに聞き返した。
「ルーファス王子、最高位大神官の件は大丈夫です。
始祖の大魔女様から命を受けたミノタウロス殿が、最高位大神官を奴隷として引き受けました」
「ミノダさんが最高位大神官を従業員として引き受けるって……あの会社そんなに人手不足なんだ」
アシュとカナの会話は所々誤訳はあるが、一応意味は通じていた。
しかし冬薔薇塔の中に最高位大神官がいると知ったルーファス王子は、螺旋階段に向かって走ってゆく。
「オヤカタを苦しめたあの男が、この塔の中にいるのかっ」
「ダメよ、ルーファス王子!!」
王子は怒りに我を忘れ階段を一気に駆け下りる。
そして寝室に入った王子は、その場で立ちつくした。
床に倒れた最高位大神官もベッドに腰掛けた魔人ミノタウロスもいない、部屋の中は全くの無人だ。
「誰もいない。
ミノタウロスが彼方の世界に、最高位大神官を連れ去った」
ルーファス王子の後ろから、すぐにカナとアシュが追いついた。
王子は困惑した表情で振り返ると、カナに話しかける。
「オヤカタ、最高位大神官は彼方の世界でどうなるのだ?」
「ミノダさんの所はブラック会社なんて噂されるけど、少し体育会系で肉体労働が多いだけよ」
「最高位大神官はミノタウロスの奴隷として、暗黒社会で肉体労働を課せられるのですね」
ミノタウロスが最高位大神官を連れ去った事にルーファス王子は拍子抜けしたが、アシュは心の底から安堵する。
最高位大神官の姿を見れば、次こそ自分は迷わずあの男にトドメを刺すだろう。
「ルーファス王子様。これで全てが終わりました。
私はミノタウロス殿からカナ様宛に伝言を預かっています。
新たなる年の始まりにカナ様は早く妖精森に戻るように、と言われました」
「あっ、思い出した。
元旦に妖精森で新年会&餅つき大会が開かれる予定なの。
ワタシの夏別荘に地元の青年団を招待しているし、子供たちにはお年玉を配るから、急いで新年会の準備をしなくちゃ。
お正月は晴れ着を着る予定だったけど、エレーナ姫から頂いたドレスでいいね。
帰ったら一番最初にスマホを充電しないと、きっとSNSのメッセージが溜まっているよ」
アシュの言葉で、一気に現実に戻ったカナは忙しくまくしたてる。
カナは彼方の用事をすべて放り出し、不思議な人々が住む夢のようなルーファス王子の世界に遊びに来たのだ。
カナはアシュと話していると、右手に自分より少し大きな手のひらの体温を感じる。
少し伸びた前髪をかきあげながら唇を噛みしめるルーファス王子が、カナの手を繋いできた。
カナはわざと、力一杯ルーファス王子の手のひらを握り返す。
常に工具を扱うカナは握力に自信があり、痛いぐらい強く手のひらを握られた王子は堪らずに手を離すと怒った顔でカナを見る。
「やっと僕もオヤカタも自由になれたのに、僕はオヤカタと別れたくないよ」
「ワタシはずっと塔の中に閉じこめられていたけど、辺境の村人やリオくんやティナちゃんを見て、ここは素晴らしい国だと思った。
王子はこの素晴らしい国の王子様なんだね。
悪い最高位大神官はどこかにいなくなったから、王子はこれから立派な騎士になって王様やエレーナ姫を助けるの」
絹糸のような美しい白銀の髪に、透けるような白い肌をしたワタシの可愛い弟子。
興奮して頬がうっすらと赤くなり、勝ち気そうなルビー色の瞳にカナの姿が映っている。
目線の高さはカナと同じ、でもきっと次に会う時はカナが王子を見上げて話さなくてはならないだろう。
とても楽しい冬休みだった。でももう還る時間だ。
ルーファス王子の魔法で自分の体はこちらの世界に留まっているが、このチョーカーを外せば妖精森の入口に還るだろう。
カナは自分の首に巻いた銀色のチョーカーに指をかけた。
「待って、オヤカタ。その銀のリングは僕が外す」
ルーファス王子はカナの首に巻いた銀のチョーカーに手を伸ばす。
王子の少し冷たい指先は微かに震え、綺麗なルビー色の瞳が涙で潤んでいる。
「ルーファス王子、次に会う時はワタシの身長を追い越しているね。
でもどんなに大きくなっても、王子はワタシの弟子だよ」
「オヤカタ、僕は絶対オヤカタより大きくなって、オヤカタより強くなる。
だからオヤカタ、僕が大人になるまで待っていて」
「王子が遠くの国で修業をしてる間も、ワタシは妖精森で待っている」
カナとしては、可愛い弟に励ましの言葉を掛けたつもりだった。
しかし魔力の扱うことに長けた妖精族の王子は、その言霊を反芻する。
「約束だよオヤカタ。僕が大人になるまで妖精森で待っていてね。
僕は絶対に、オヤカタを迎えに来るから」
とても真剣な表情の王子に、カナは無防備な笑顔で頷いた。
ルーファス王子の指の震えは止まっていた。
守護蛇が変化した銀のチョーカーの留め具を外すと、魔女カナの姿は半透明になる。
小さな豆柴が吠えながら魔女カナに向かって駆けてきた。
半透明のカナが小犬を抱き上げた途端、魔女と小犬の姿は煙のようにかき消えて、膨大な魔力の風が冬薔薇塔を包み込んだ。
冬薔薇のつぼみが一斉に開くと花吹雪が舞い、まるで消えた魔女の残り香のように、薔薇の香りは街外れまで漂った。
カナにとっては数か月、ルーファス王子にとっては数年の長い別れになる。
しかし永遠の別れではない、きっとまた会える。
魔女カナが去ってしまったので、ウィリス隊長を叱咤する者がいない。
栄養ドリンクのドーピング効果の切れて再び高所恐怖症になった隊長は、冬薔薇塔から下に降りるのに大騒ぎしている。
雑木林の中から出てきたニールは、冬薔薇塔の騒動を眺めながら白い自転車に声をかけた。
「黄金の獅子様、魔女カナ様は彼方の世界に還られてしまった。
俺もカナ様に相談したいことがあるのに、会えなくて残念です」
***
冷たい朝もやの中、カナは豆芝を抱えて妖精森の前に立っていた。
森の入口にある黒い鉄は大きく開き、左右の柱に立派な門松が立っている。
カナが抱きかかえていたケルベロスは、腕から飛び降りると森の遊歩道をうれしそうに吠えながら駆けてゆく。
妖精森の奥から、大きな掛け声と笑い声、そしてぺたんぺたんと杵をつく音が聞こえた。
「うわぁ、もう餅つき大会が始まっている。
ワタシが居ない間、皆心配したかな?」
慌てて妖精森の遊歩道を駆けだしたカナは、何かを思い出すと後ろをゆっくりと振り返った。
「そう言えばルーファス王子に貸した白い自転車。あっちに置いて来ちゃった」
白銀の王子(中)と冬薔薇塔のDIY乙女
-ENDー
***
それから三ヶ月後。
桜舞い散る妖精森に赤毛の女騎士が白い自転車に乗って現れるが、それは後日談で。
カナとルーファス王子の冬休みの話が終わりました。
今回のテーマは、巣ごもりとおコタ寝落ち。
親戚の家に遊びに行ったら、お兄ちゃんのマニアックな勉強部屋を見て憧れた子供の頃の気持ち。それを思い起こさせるようなお話を書きたかったのです。
今回のお話から派生した「女騎士アシュ」の後日談は、桜の咲く頃に発表予定です。




