その39
ミシ、ギシッ、パキンッ
見た目は豪華な冬薔薇聖堂の天井部分から板のきしむ音がする。
欠陥建造物の閉めた窓からすきま風が入り、大理石風の柱は剥がれた中の板が露出していた。
どこからか、ポツポツと雨漏りの音が聞こえ、人の気配が消えた聖堂に最高位神官の怒声が響きわたる。
「畜生、あの裏切り者たちめ!!
地位やカネを与えた私への恩を忘れ、聖堂の宝物を盗んで全員逃げやがった」
わずか一日前、真実を映す魔鏡が金髪の女神と呼ばれた王妃の浮気現場を映し出した。
魔鏡を使って茶色い髪の悪い魔女をはめようとした最高位大神官は、逆に魔鏡によってすべての権力を失うことになる。
そして突然の出来事に混乱した最高位大神官が部屋に籠っている間に、聖堂の中はもぬけの殻になった。
「私は決して最高位大神官様を見捨てたりしません。
最高位大神官様を見捨た愚かな連中には、きっと天罰が下るでしょう」
そんな最高位大神官に声をかけてきたのは、ハンサムな雇われ神官だっだ。
この雇われ神官は信仰深くとても有能で、最高位大神官のお気に入りだ。
「他の連中は全員逃げ出したのに、お前だけは私を信じて残ってくれたのか」
「最高位大神官様、今外に出ては危険です。
暴徒どもが聖堂を取り囲み、最高位大神官様が出てくるのを待ち伏せています。
あの野蛮な連中に見つかれば、最高位神官様は八つ裂きに……ああっ、なんて恐ろしい」
そして雇われ神官が指差した窓硝子の外に、いくつもの松明の炎が見える。
「ぐぎぎっ、私に逆らえばどんな目に遭うか、暴徒たちに教えてやる。
そうだ、私を捕えようと集まった暴徒に禁忌の呪いをかけて狂わせてやろう」
「さすが最高位大神官様、それは良い考えです。
女神像の上からなら、聖堂の外にたむろする暴徒どもを簡単に見つけらるでしょう」
そういうとハンサムな雇われ神官は、最高位大神官の呪杖をうやうやしく差し出す。
巨大な金髪の女神像の中が空洞で隠し扉から体内に入ることが出来て、中の仕掛けを操作すると女神が涙を流したり瞳が光ったりする。
最高位大神官が高笑いしながら女神像の隠し扉の中に入ってゆく。
後ろにいたハンサムな雇われ神官の姿が消えていたが、最高位大神官はそれに気づかなかった。
***
ウィリス隊長は冬薔薇塔の壁をよじ登り、六階の高さまで進んだ所でうっかり下を見てしまい、そこから縄にしがみついて動けなくなった。
「ひぃいいっ、人が豆粒のように見える。
もうこれ以上俺には無理だ。早く下に降ろしてくれぇ」
「ウィリス隊長、ここまで登ったら下に降りるなんて出来ないよ。
こうなったらワタシたちで、隊長を屋上まで引っ張りあげよう!!」
ウィリス隊長が登れないので、カナは命綱の反対側の重りを増してルーファス王子とリオの三人がかりで命綱を引っ張る。
寒いはずの冬薔薇塔屋上で三人は汗びっしょりになって縄を引き、少しずつウィリス隊長の体は持ちあがり屋上まで残り10メートルになった。
ルーファス王子が屋上から身を乗り出して下を見ると、ウィリス隊長は青白い顔でブルブル震えながら縄にしがみついている。
「聞こえるかウィリス、この距離なら僕の魔力が届く。
ウィリスの体が少し軽くなるように魔法をかけよう。
だからウィリス、勇気を出して屋上まで上ってこい」
「王子、そんなに身を乗り出しては危険です!!
おおっ、これはルーファス王子の魔法。俺の体がまるで雲のように軽くなった」
「そうよ、ウィリス隊長。
下を見ちゃダメ、上にいる王子の顔だけを見るの。
ワタシたちはウィリス隊長がここまで登って来ると信じている!!」
王子に続いて屋上から顔を出した魔女カナは、四年前と変わらない姿をしている。
そのせいかウィリス隊長の脳裏には、幼い頃のルーファス王子の姿が思い出された。
「あれから四年、蒼臣国は平和を取り戻したが、最高位大神官に目を付けられたルーファス王子様は、ヤツの無理な要求にとても辛い思いをした。
それなのに俺は四年の間にブクブクと太り、怠惰な生活を送っていた。
ルーファス王子様、申し訳ありません。
俺は勇気を振り絞り、冬薔薇塔の屋上まで登ります!!」
ウィリス隊長は高所恐怖症を乗り越え、屋上にいる王子だけを見つめ縄を握る手のひらに力を込めると自らの力で壁面を登る。
そして五分後、ついにウィリス隊長は冬薔薇塔の屋上に到着した。
「ぜぁ、はぁ、やったぁ、やったぞ。
俺はこの国で一番高い冬薔薇塔の頂上を征服した!!」
「ウィリス隊長さん、半分は俺たちの力で引き上げたんだよ。
でもまぁ、ここまで無事登って来れて良かった」
リオにとって憧れの救国の英雄ウィリスだが、今は憧れが半減している。
それでも冬薔薇塔を登り切った隊長にリオは拍手を送った。
救国の英雄ウィリスが仁王立ちして雄叫びをあげる姿に、それを見守っていた辺境軍兵士から歓声がわき起こる。
しかし魔女カナとルーファス王子は、すでに次の作業に取りかかっていた。
「お疲れウィリス隊長。
次の仕事があるから、五分休憩したらこっちに来てね」
「ぜぇぜぇ、はぁ、カナ様、次の仕事ってなんですか?
俺はやっと、冬薔薇塔を登り終えたばかりですよ」
「オヤカタ、もう少しウィリスを休ませてよ。
本当にオヤカタは、男を利用することしか考えない魔女だ」
王子も抗議したが、カナとしては予想外に時間を食ってのんびりしていられない。
カナは赤煉瓦を並べる作業をしながら腕時計を見ると、彼方の世界は1月1日00:11、年越しして新年を迎えていた。
「ここで大晦日と新年を迎えるなんて思わなかった。
それじゃあ年越し除夜の鐘代わりに、一発派手に暴れますか」
「派手に暴れるとは、カナ様は何をしでかすつもりですか?」
やっと息の整ってきたウィリス隊長に、カナは手に持った赤煉瓦を渡す。
「ウィリス隊長をここに呼んだ理由はこれよ。
後ろにオッパイ女神像が見えるでしょ。
アレにこの赤煉瓦をぶつけて、壊して欲しいの」
縄の結ばれた赤煉瓦を渡されたウィリス隊長は、カナの指さす先を見た。
雑木林の向こう側に派手な顔立ちの巨大女神像と冬薔薇聖堂があり、冬薔薇塔と女神像の一直線上の空をハビィが飛んでいる。
「おおっ、ここからだと女神像が見下ろせるのか。
しかしあのオッパ、げふげふ、女神像までは距離がありすぎて、豪腕族の俺が投げても煉瓦は届きません」
「それは大丈夫、ウィリス隊長に赤煉瓦の正しい投げ方を見せるわ。
赤煉瓦に結んだ縄を掴んで、ハンマー投げのムロブシになりきって、遠心力で投げるのっ!!」
塔の周囲にいた辺境軍は雑木林の中に隠れ、これから茶色い髪の魔女が行う大魔法を見守った。
カナは赤煉瓦が結ばれた縄を握ると、腕を大きく振ってビュンビュンと回し、謎の掛け声を発すると目印のハビィに向けて空高く煉瓦を放り投げた。
魔女カナの魔力を帯びた赤煉瓦は、少し欠けた月の照らす夜空を赤い炎を纏いながら女神像手前まで飛んでゆく。
それはまるで魔女が地上に星を降らせたように見えた。
「うわぁ、これは驚いた。
ムロブブという呪文を唱えながら煉瓦を振り回すと、遠くまで投げることが出来るのか。
よし、俺もカナ様の真似をして投げてみるぞ。
ムローブブ、ムローブブっ、とりゃあーーっ!!」
豪腕族という名は伊達ではなく、腕力でウィリス隊長に勝てる者はいない。
ウィリス隊長の投げた赤煉瓦は恐ろしいスピードで空を切り、抜群のコントロールで金髪の女神像の頭頂部に届いた。
「凄いよ、ウィリス隊長!!
一投で金髪の女神像の頭に大穴を開けちゃった。
あれ、女神像の中に人影が見えたけど、目の錯覚かな?」
***
女神像の巨大な頭部を支える首部分はとても細い。
女神像の上に行こうと梯子を登った最高位大神官は、その首部分で体がつかえた。
「誰がこんなに首を細く設計した。腹が引っかかって体が抜けないぞ。
そうか、マントが邪魔をしているんだ。
おや、マントを脱いでも通り抜けられないぞ。
仕方ない、神官ローブも脱ぐか。
マントとローブを取ってもまだ抜けない。ええい、ズボンも脱いでやる」
実は最高位大神官は細メタボ体型で、下っ腹がでっぷり飛び出ている。
顔は白塗りメイクでローブとズボンを脱いだ下着姿の最高位大神官は、やっと首を通り抜けて女神像頭部に上がってきた。
女神像の片目は望遠鏡になって、最高位大神官はそこから聖堂の周囲に集まった暴徒を探す。
「私を捕まえに来た暴徒どもに、禁忌の呪をかけてやろう。
おや、変だぞ。暴徒たちが消えた?」
女神像と聖堂周囲には全く人気が無く、窓硝子越しに見えた松明の光も待ち伏せている暴徒もいない。
そして突然、遠くから地面を揺るがすような野太い歓声がわき起こる。
最高位大神官は声のする方に望遠鏡を向けると、雑木林の向こうに信じられない光景があった。
「まさか冬薔薇塔の屋上に、茶色い髪の悪い魔女とルーファス王子が一緒にいる。
それよりも、あの高い塔の壁を登る男は誰だ。
恐ろしいほどの巨体と鍛え抜かれた鋼のような筋肉、まさか茶色い髪の悪い魔女は俺を倒すために煉獄の鬼神を召還したのか!!」
最高位大神官は、おデブの頃のウィリス隊長しか知らない。
茶色い髪の悪い魔女が召還した煉獄の鬼神は塔の上で迫力のある不気味な雄叫びをあげ、最高位大神官は恐ろしさで小刻みに身震いする。
そして塔に幽閉されてマトモに食事を取っていないはずの茶色い髪の悪い魔女は、何故か以前よりふっくらとして見えた。
白い花びらみたいな愛らしいドレスを着た茶色い髪の悪い魔女が、望遠鏡のレンズ越しにこちらを振り向く。
そして魔女は楽しそうに微笑みながら、自分を盗み見る最高位大神官を指さした。
ヤバイ、ヤバイ、ヤバイ、ヤバイ、ヤバイ、
あれは娘の姿をした化け物だ。
早くここから逃げなくては、キケン、キケン、キケン、キケン。
これまで何度も修羅場を潜り抜けてきた最高位大神官が、魔女の眼力に萎縮して腰を抜かす。
慌てて這いつくばったまま逃げ出そうとしたが、足が動かないと梯子を下りることができない。
「落ち着け、今はまだ大丈夫だ。
たとえ茶色い髪の魔女でも、あの高い塔から降りて私を追いかけることは出来ない。
それよりも辺境の暴徒たちは冬薔薇塔に注目して、私の事を忘れているようだ。逃げ出すなら今しかない!!」
最高位大神官は力を取り戻すと、下に降りる梯子に手をかけた。
その瞬間、女神像の脳天に赤く燃える星が落ちてきた。




