その34
冬薔薇塔にやってきたルーファス王子は睡魔に負けてベッドに潜り込み、そのまま半日以上眠ってしまった。
目が覚めるとすでに日が沈んでいて、楽しみにしていた石焼きピザも全部無くなっている。
「王子はずっと眠っていたから、お腹が空いたでしょ。
私のリュックに年越しソバ(インスタント)が入っているから、塔の屋上で一緒に食べよう」
ソファーにはティナとリオの小さい妹が寝ていて、遊び疲れた双子も大きなレース編みの上に転がるとシーツをミノ虫のように体に巻き付けて眠ってしまった。
カナは子供たちを起こさないように小声でルーファス王子に話かけるとリュックを背負い、明かりを落とした部屋の中で縄ばしごに足をかけると用心しながら登っていく。
僕は、なんて間抜けなんだ。
せっかく冬薔薇塔でオヤカタと一緒に過せるはずだったのに、寝ている間に夜になってしまった。
ルーファス王子はとても情けない気持ちになりながら、カナの後を続いて縄ばしごを登ってゆく。
王子が天窓から塔の上に頭を出すと、頬に凍てつくような冷たい風が当たる。
欠け始めた月が冬薔薇塔をほのかに照らし、夜の澄んだ空気が視界をクリアにする。
宝石箱とひっくり返したような街灯りと、ここ数年で整備された街道がまるで巨大な蛇のようにゆっくりと蛇行しながら、東の辺境の村まで伸びていた。
「うわぁ、すごいよオヤカタ。
今夜は月明かりのおかげで、夜でも塔の外を見渡せるね」
「王子、塀の煉瓦が低くなっているから、下に落ちないように注意してね。
すぐカップ麺作るから、そこに座って待っていて」
カナは塔の屋上に持ち込んだ小さなテーブルの上に鍋を置き、水を注ぐと炎の結晶を放り込むんだ。
すると一瞬で湯が沸いて、そのお湯をカップ麺に注ぐ。
三分間待って蓋を開けると、インスタント独特の薬味の香りが漂ってきた。
カナとルーファス王子は二人並んで座り、やけどしそうなほど熱々の麺をすする。
「ハビィさんがピザを全部ニール君の所に持って行ったから、今はカップ麺しかないの。
でも寒い夜に外で食べるカップ麺って、ハフハフ、何故か美味しいよね」
「今頃ニールも、アシュと一緒にピザを食べているんだろうな。
ハビィが作る料理はとても美味しいけど、僕もたまにオヤカタの好きなじゃんくふーどを食べたくなる」
「王子、あまりジャンクフードを好きにならなくていいよ。
でも体に悪いジャンクな味が五臓六腑に染みわたり、ウマいっ」
カナは麺をすすりながら横を見ると、夏休みにはカップ麺半分でお腹一杯になった小さなルーファス王子が、今はカナより先に食べ終える。
「オヤカタ、美味しかったよ。ごちそうさまでした。
ねえオヤカタ、僕オヤカタに話したいことがあるんだ。
前に僕、魔力に秀でた神官より武力のある騎士になりたいって言ったよね。
でもこの小さな蒼臣国では、僕の憧れる騎士にはなれない。
だからこの騒ぎが解決したら、山向こうの隣国で騎士として修業を積みたいんだ」
「山向こうの隣国って、豪腕族と言われるウィリス隊長の出身地だってハビィさんから聞いたわ。
ウィリス隊長はがさつだけど正義感があるし、騎士としても優れている。
あの最高位大神官にストーカーされるぐらいなら、王子は隣の国に逃げて騎士になればいいよ」
「ありがとう、オヤカタ。
僕が国を離れている間、お年を召した父上が心配だけど、ハビィやアシュがいるから大丈夫だよね。
僕は隣の国で立派な騎士になる」
すでにルーファス王子は自分の進路を決めていて、それはカナに告げたのは少年時代に別れを告げる宣言だった。
「俺も隣国に行って騎士になりたいなぁ。
絶対ルファより、俺の方が騎士に向いていると思うんだ」
突然聞き覚えのある声がして天窓を見ると、ガキ大将のリオが顔を出している。
双子の弟たちを寝かしつけて縄ばしごを登って来たリオは、偶然カナと王子の話を聞いた。
「ルファ、今の話本当か?
王子は最高位大神官の弟子になるんじゃなくて、隣の国に行って騎士になるのか。
俺もカッコいい騎士に憧れるけど、年が明けたら外に働かなくちゃならない」
「それならリオも、僕と一緒に騎士を目指せばいいじゃないか」
「ルファ、何言ってんだよ。お前と違って俺は貧乏人の息子だ。
小さな弟や妹がいるし家計は苦しいから、俺は十二歳になったら街の大商店で見習いとして働くんだ」
二人の話を聞いていたカナはふと何かを思い付き、そして会話に割り込んだ。
「ワタシもリオは騎士に向いていると思う。
それならリオも、王子と一緒に隣の国で騎士の修業をしたらいいよ。
ねぇ王子、リオを私の弟子にしてもいい?
冬薔薇塔には高価な品が沢山あるってハビィさんが言っていたから、それをお金に換えて弟子リオの学費に充てるわ」
突然のカナの提案に、ルーファス王子とガキ大将リオは驚いた。
「えっ、リオがオヤカタの弟子になったら、僕はどうなるの!!」
「ルーファス王子はもちろんワタシの弟子よ。王子は先輩の一番弟子でリオは見習い二番弟子。
ワタシは大叔母様の援助で大学進学できたし、お友達のミドリちゃんに色々助けてもらっている。
だからワタシも大叔母さんのように、リオを援助してあげる」
「魔女さん、ちょっと待てよ。
魔力無しの俺が、魔女の弟子になれる訳ないだろ」
カナに一番弟子と言われたルーファス王子は嬉しそうで、そしてリオは自分が魔女の弟子になる事に慌てる。
「あら、全然大丈夫よ。
ワタシは体力があってDIY作業を手伝える人材が欲しいから、リオならその条件にピッタリ」
「うわぁ、人使い荒い魔女の弟子になったら、絶対にこき使われる。
まだ大商店の方が仕事は楽かもしれない!!」
「リオ、諦めろ。オヤカタは男を利用することしか考えない魔女だ。
でも僕もリオが一緒なら、騎士の修業もお互い助け合って乗り越えられると思う」
魔力に優れた妖精族のルーファス王子と魔力を持たない貧しい町民のリオは、奇妙な友情で結ばれる。
そして【茶色い髪の魔女】の弟子たちは、将来この世界に大きな変化をもたらす事になる。
***
「実はワタシも王子に聞きたいことがあって、屋上に呼び出したの」
魔女カナはとても真剣な声で、冬薔薇塔の向こうに建つ聖堂を睨みつけたままルーファス王子にたずねる。
最高位大神官のいる冬薔薇聖堂は、大仏サイズの派手な女神像と建物が一体化していた。
金髪に宝石をちりばめた装飾品を飾り、派手な化粧顔の女神像は神秘性など皆無で、豊満すぎる胸は目のやり場に困る。
「ねぇ王子、あのオッパイ聖堂をよく見て。
女神像の細い首では派手な飾りで大きい頭を支えきれない。
それに女神像の必要以上に盛りすぎたオッパイが垂れて、付け根部分からひび割れが生じている。
強風が吹くと、オッパイがぶらぶら揺れて今にも下に落ちそうなの!!」
「オヤカタ、あの女神像は最高位神官の養女で覇王の妻がモデルだ。
僕はあんな大きすぎるオッパイ、好きじゃない」
「魔女もルファも恥ずかしいだろ。そんなにオッパイオッパイ言うな」
リオが真っ赤になりながら注意したが、ふたりは真剣そのものだ。
「あのオッパイ聖堂は欠陥建造物だから、このまま放置したら危険なの。
だから倒壊する前に、オッパイ聖堂を解体処分してもイイ?」
「まさかオヤカタ、本気であの女神像と聖堂を壊すつもりなの。
でもどうやって遠くにある建物を壊すの?」
カナは冬薔薇塔の外に出られず、ここからでは何も出来ないはずだ。
しかしカナはにっこり笑うと、右手に赤煉瓦を持った。
「この高さから煉瓦を投げ落とせば、オッパイ聖堂の天井に穴が開きそうね」
「でもオヤカタ、ここから煉瓦を投げても聖堂まで届かない」
「王子、これを見て。
煉瓦を重りに見立てて、ハンマー投げと同じ方法なら遠くに投げられる」
カナの手にした煉瓦には、冬薔薇のツタで編んだ縄が結ばれていた。
煉瓦ハンマーを振り子のように大きく揺らし、次第にビュンビュンと音を立てて勢いよく振り回す。
「王子とリオも、少し後ろに下がって。
さぁ、ムロブシをイメージして、はぁあぁーー、オッパイ聖堂まで飛んで行け!!」
そしてカナは力を込めて縄を離すと、煉瓦は空高く放たれた。
魔女カナの膨大な魔力を帯びた煉瓦は、流れ星のような光を放ちながら聖堂手前まで飛んでゆく。
煉瓦の落ちた方向からバキバキと木枝をへし折る音が聞こえる。
それは恐ろしいほどの破壊力で、怒れる茶色い髪の魔女が空から流れ星を落としたように見えた。
「はぁはぁ、ムロブシになりきっても、ワタシの力じゃオッパイ聖堂まで届かない。
でも力持ちのウィリス隊長なら、この煉瓦を投げてオッパイ聖堂を破壊できると思うの。
だからウィリス隊長が冬薔薇塔に到着するまでに、煉瓦ハンマーを沢山作らなくちゃ」
「オヤカタが冬薔薇の棘で指を傷つけながらツタを集めていたのは、煉瓦ハンマーを作るためだったんだね。
それなら僕もオヤカタを手伝う。昼間ずっと寝ていたから、夜でも全然平気だ」
「ううっ、俺は明日早いから、もう寝るよ。
魔女さんとルファだけで作業してくれ」
それからカナとルーファス王子は一晩中、煉瓦に縄をくくりつける作業に没頭した。
そして明け方作業を終える頃、白い鳥の姿をした女官長ハビィが冬薔薇塔に帰ってくる。
冬薔薇塔に一泊した子供たちは、朝食を取り終えると街に帰る準備を始めた。
しかし一晩中作業したルーファス王子は再び睡魔に襲われ、ソファーに倒れ込むとそのまま寝入ってしまう。
「王子ったら、夜更かししたせいで昼夜逆転しちゃった?」
「カナ様、天気が崩れてきたので早く子供たちを街へ帰しましょう。
二、三日中にウィリス隊長が冬薔薇塔へ到着する予定になっています。
それまでルーファス王子様は、冬薔薇塔で匿った方が安全でしょう」
そしてハビィの言う通り、子供たちが帰ってしばらくすると冷たい雨が降り出した。




