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その33

 町外れの旅館の窓ガラスを風がカタカタと揺らし、雲が低く垂れ込めた空は今にも雨が降りそうだ。

 

「この天気は魔女カナさまの怒り。

 もうすぐ厳しい寒波が最高位大神官のいる聖堂を襲い、生野ような氷の粒を降らすでしょう」

「アシュ様、それは違います。

 カナ様自身が天候を操るのではなく、彼方あちらの世界は鉄の星を用いて天候予知するのだと言っていました。

 カナ様の天候予知のおかげで、辺境の村は早めに白桃収穫を終わらせる事ができました」


 まだ秋の中頃だというのに、一月早く冬が訪れようとしている。

 聖堂の雇われ神官に変装したアシュと、ルーファス王子の兄を演じるニールは、久しぶりに旅館の中で顔を合わせた。


「アシュ様、町の人々の協力を得てゲリラ活動は好調です。

 明日には雑木林から冬薔薇塔へ通じる遊歩道を、武装神官から奪い返します」

「では私は、武装神官たちの食事に腹下しを混ぜて力が出せないようにしましょう。

 辺境のウィリス隊長が、二日後に兵士を率いて冬薔薇塔へやってきます。

 そういえば魔女カナさまは、どうしてウィリス隊長に体重を絞るように命じたのでしょう?」


 この四年間で国の食糧事情は良くなり、それと共にウィリス隊長の体重も増えていった。

 ウィリス隊長は馬や魔導車輪じてんしゃには乗らず、負荷をつけるため荷物を背負って、冬薔薇塔を目指し徒歩で行軍しているらしい。

 そいてルーファス王子も町の子供たちと一緒に、冬薔薇塔の魔女カナの元にいる。

 他のゲリラ兵士も全員出払って、今この旅館にいるのはアシュとニールのふたりだけだった。


「昨日ルーファス王子は、カナ様の元に行けるのが嬉しくて一晩中眠れなかった様子です」

「そういうニールも、本当は王子と一緒にカナ様の所に行きたかったでしょう。

 私はまだ年若いお前に、多くの責任を押しつけてしまう」

「カナ様に会えないのは残念だけど、俺はここでアシュ様と話が出来て嬉しい。

 王子が居ない今、アシュ様とふたりっきりだ」


 三年前アシュが背負った痩せた子供は、若木のようにみるみる背が伸びてたくましく成長し、そして優秀で忠実な騎士になった。

 整ったりりしい顔立ちに魅力的な美声を持つニールは、町娘たちの評判になっている。

 雇われ神官の変装を解いたアシュは髪を元の赤毛に戻しながら、ニールに話しかけた。


「ニール、私とふたりっきりでは退屈でしょう。

 今夜は王子も世話をする必要がありません。少し町で羽を伸ばしてくるといい」

「ああ、やっぱりアシュ様は、燃えるような美しい薔薇色の髪がよく似合う」


 アシュの言葉が聞こえなかったのか、ニールは少し乱れた波打つ赤毛に指を伸ばしウットリと囁いた。

 正面に立つ若い騎士の視線は、アシュより僅かに低い。

 でもそれはアシュがヒールのある靴を履いているせいで、靴を脱げばふたりの視線は同じ高さだろう。


「そういえばニールは、また背が伸びたか?」

「はいアシュ様、俺の父親だった人はかなりの長身だと聞いています。俺もまだ背が伸びると思います.

 それから俺は今あなたとふたりっきりでいるのに、町娘なんか興味ありません。アシュ様は俺の気持ちを知っているはずだ」


 四年前に背中におぶった少年が、近づきすぎるほどの距離で自分と目を合わせ、そして情熱を宿した瞳と甘い声で告げる。


「ニール、それはお前の気の迷いだ。

 第一、お前と私では姉と弟以上に年が離れすぎている」

「ほら、アシュ様はちゃんと俺の気持ちを知っている。

 俺は最初会った時から貴女だけを見てきたのに、どうしてダメなんだ?」

「私の髪から手を離せ、ニール」


 ニールは勇敢で賢く、ルーファス王子と王族に絶対の忠誠を誓う優秀な若い騎士だ。

 しかしこの若者はアシュに対して奇妙な感情を抱き、なにを言っても断固として譲らない。

 そしてアシュも困惑と怒りを宿した視線でにらみ返し、互いに見つめ合う状況になる。

  

 がたん、バサバサバサ

 突然ふたりの頭上から、鳥の騒がしい羽音が聞こえた。

 ニールは身構えて上を仰ぐと、大きな荷物を抱えた白い鳥が窓の留め金をくちばしで外して、部屋の中に舞い降りてきた。


「こんばんはアシュ、ニールも一緒にいて良かったわ。

 ルーファス王子様に頼まれて、焼きたてのピザを差し入れに持ってきましたよ」


 ニールが上を見た隙にアシュはその手を払いのけて後方へ下がり、そっと安堵のため息を付く。


「ええっ、なんでハビィさま。

 冬薔薇塔にルーファス王子を置いてきて、大丈夫なんですか!!」

「冬薔薇塔はカナ様と地獄の魔犬ケルベロスが守護しています。

 ニールは王子様に、カナ様の作る焼きたてピザが食べたいと言ったのでしょ。

 これは半刻前に焼いたばかりだから、温め直せば焼きたてピザに戻ります。

 さぁニール、そのピザを持って私の手伝いをしなさい」


 確かに冬薔薇塔に行けないニールはルーファス王子をうらやましがったが、今この場面で訪ねて来なくてもいいではないか。

 しかし年若いニールは、王族付きのベテラン女官長には逆らえない。

 ニールはずっしりと重い大きなピザを抱え、しぶしぶハビィを旅館の食堂へ案内する。

 そしてハビィは部屋から出て行きながら、アシュに目配せした。


「ハビィ様は、私に少し考える時間を下さったのですね。

 この隙に雇われ神官に化けて聖堂に戻れば、ニールは私を追いかけてこれない……さて、どうするか」




 肉とカラフル野菜のピザと果実酒と熱麦酒をワゴン乗せて、ニールは暖炉のある部屋に運び込む。


「アシュ様とふたりっきりの嬉しさで、つい調子に乗りすぎた。

 俺、アシュ様を怒らせたよな。あれは絶対怒っているはずだ」


 ハビィの手伝いをしている間に冷静さを取り戻したニールは、激しく後悔しながら部屋の中に足を踏み入れる。

 すると、暖炉の側には燃えるような鮮やかな赤毛を結い上げた、美しく咲き誇る花の化身をみた。

 細身のシルエットに背中の大きく開いたドレスを着た女騎士アシュが、優雅に微笑みながら近づいてくる。


「ではニール、私をどのようにエスコートしてくれるのか、見せてもらいましょう」


 美しい女騎士は、辺境出身の年若い騎士に重すぎる課題を突きつけた。



 ***

 


「あれ、ここはどこだ?

 夏別荘の母上の部屋に似ているけど……。

 そうだ、僕は冬薔薇塔に遊びに来て、とても眠くてオヤカタのベッドに潜り込んだんだ」


 寝室の中は薄暗く、飛び起きたルーファス王子の枕元には小さなランプが灯る。

 王子はベッドから降りると靴を履き、薄暗い階段をのぼる。

 カナたちのいる上の三階応接室から、にぎやかなで騒がしい声が聞こえてきた。


「やったぁ、これでアタシの五勝。ババを引いたリオの負けよ」

「魔女のうそつき、リオ兄ちゃんは六回勝ってる。俺たちちゃんと数えていたぞ」


 吹き抜けの応接室に吊された沢山のランプが星のように瞬き、その下で魔女カナと子供たちはカードゲームに興じている。

 テーブルには女官長ハビィが王子達のために作ったクッキーや砂糖菓子が山にように積まれ、どうやらそのお菓子の取り分をゲームで決めているらしい。


「魔女さん、あんた大人なんだから子供にお菓子を譲ったらどうだ」

「アタシは大人でも子供でも関係ない、本気で挑むのよ。

 そのお菓子、絶対一人占めにするんだから」

「なにやってんの、オヤカタ?」


 お菓子争奪戦に夢中になっていたカナは、ルーファス王子の声を聞いてやっとこちらに気づいた。


「おはよう王子、もうすっかり夜だけど長い間寝たね。

 そうだ王子、リオ兄弟に奪われたお菓子を取り戻すのよ!!」

「おやようオヤカタ。

 オヤカタは甘いモノの食べ過ぎだとハビィに注意されているんだろ。

 お菓子は全部リオにあげるよ」

 

 なんだ、いつもと同じだ。

 冬薔薇塔でオヤカタの側にいたら、なにか特別な出来事が起こるかもしれないと思ったけど、オヤカタは普段と変わらずでリオたちとお菓子を取り合って騒いでいる。

 改めて周囲を見渡すと小窓の外も天窓の上も真っ暗で、王子は自分が半日以上眠っていた事に気づく。

 ソファーの上では、三つ編み少女のティナとリオの小さな妹が抱き合って眠っている。

 リオと双子の弟たちは、自分のカバンにお菓子を詰め込みながら何度も大きなあくびをした。

 カナはポケットに隠したお菓子を摘んでほおばりながら腕時計を見る。

 時刻はちょうど十二月三十一日、大晦日の午後七時。


彼方あちらの世界では、ちょうど紅白歌合戦が始まる頃ね。

 王子、お腹が空いているでしょ。

 焼いたピザはハビィさんがニール君に持っていったの。

 でも大丈夫、リュックの中に年越しソバ(インスタント)が入っているから、塔の屋上で一緒に食べよう」


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