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その29

 見上げるほど高い冬薔薇の塔はどこにも入り口がなく、小さな窓が数カ所あるだけだった。

 塔の中に閉じ込められたカナに会うため、ルーファス王子は冬薔薇のツタで編んだ縄を握りしめ壁を登りはじめる。

 先に登ったガキ大将のリオがチョークで付けた印を頼りに赤煉瓦の塔を登るが、王宮育ちの王子が簡単に壁登りなど出来るはずもなく、途中で足を滑らせて縄を放してしまう。


「キャア、ルファ危ない!!」


 すると塔の通気口から飛び出してきたケルベロスが、黒々とした大きな煙の塊になり下に落ちてきた王子の体を受け止める。

 冬薔薇塔三階の小窓から顔を出したカナは、黙ってルーファス王子を見つめている。


「オヤカタのあの顔は、僕が上まで自力で登れるのか試している。

 もう僕は、妖精森で泣いていた子供じゃない。

 冬薔薇のツタよ、力を貸せ。僕はオヤカタに会いに来た」


 ルーファス王子は自分の両手に魔力を込めながら、自分の体が雲の様に軽くなるイメージをする。

 小犬から魔獣に姿を変えるケルベロスほどではないが、他人に変化できる妖精族の魔力なら体を軽くするぐらい出来る。

 王子はもう一度縄を握りしめると、赤煉瓦の壁に足をかけて慎重に上へ上へと登ってゆく。

 全身に廻る気は体を火照らせ、途中の足場で王子が小休止すると、窓から顔を出したカナが嬉しそうに手を振っている。

 その顔を見ると、身体中から力が沸き起こる。

 ああ早く、僕はオヤカタに会いたい。




 ルーファス王子のすらりと伸びた腕が、三階小窓まで届いた。

 両手を窓枠にかけると、その空間は濃厚な魔力で満たされた闇の固まりに見える。

 構わず頭から中に突っ込むと、閉ざされた薄暗い塔だと思っていたそこは、光降り注ぐ明るい場所。

 突然の眩しさに思わず目を閉じたルーファス王子は、いきなり襟首をむんずと掴まれた。


「王子、一気に引っ張りあげるからね。

 せえのぉ、ヨイショ!!」

「待ってオヤカタ、僕の体は細いから窓につかえないよ。

 すぐ通り抜け、うわぁあー!!」


 体格の良いガキ大将リオが小窓に引っかかって抜けなかったので、カナは手加減なしでルーファス王子を中に引っ張り込んだ。

 しかも王子の体は魔法で軽くなっている。

 カナは襟首をつかんで小窓から王子を引き上げると、そのまま柔道の上手投げのように投げ飛ばしてしまった。

 魔女カナの濃厚な魔力で満たされた空間は、すべての魔力を打ち破る。

 投げ飛ばされて床に尻もちをついた黒髪少年の色が抜け、白銀に輝く絹糸なような髪に変わり、浅黒いそばかす顔は透けるように白い肌の別人になった。


「うわっ、ルファ、お前のその姿!!」

「あら、ルーファス王子の魔法が解けて元の姿に戻ったわ」


 妖精族の祖先がえりの魔力を持つルーファス王子の変化すら、魔女カナの前では簡単に解けてしまう。

 ルーファス王子は驚いて自分の姿を確認している。

 王子の正体を勘付いていたリオも、実物の姿を前にして息を飲む。

 蒼臣国の美しい白銀の王子の姿は周辺国や覇王の国にも知れ渡り、娘たちは必ず一枚は王子の姿絵を持っていて、自分の母親も鏡台の前にそれを飾っているのだ。




 床から立ち上がった王子の目の前には、まるでバラの花びらを身に纏ったような可愛らしいドレスに、柔らかくフワフワの茶色い髪をした娘がいる。

 いつも会いたいと思って、恋い焦がれていた好奇心に満ちた大きな瞳。

 ルーファス王子はまるで溺れた者がワラにすがりつくように、目の前の腕を掴んだ。


「オヤカタ、やっと会えた。ずっとずっと会いたかった」

「さすがルーファス王子。

 この高い塔を登って会いに来てくれるなんて、随分と成長したじゃない」


 カナはすがりついたルーファス王子の背中を、ポンポンとやさしく叩いてあげる。

 夏休みから随分と成長して身長も同じになったけど、弟のように可愛いワタシの王子様。

 王子はふと、すがっていたカナの腕を見ると、そこには無数の細かい引っかき傷や切り傷がある。


「どうしてオヤカタの手は、こんなに傷だらけだなの?」

「ああ、コレは薔薇の棘で傷つけたの。

 気を付けていても、うっかりツタの棘にさわっちゃうのよね」


 冬薔薇には鋭い棘が生えているので、ツタを編むには棘を取り除かなくてはならない。

 ハビィは棘で翼が傷ついたら空を飛べなくなるので、棘取りはカナの仕事になる。

 DIY作業でカッターナイフを使いこなすカナでも、大量のツタの棘取りでうっかりミスをして指を切ってしまう。

 ルーファス王子は傷だらけのカナの掌をそっと包み込み、そして傷を癒すように魔力を込めた。


「ふふっ、王子の掌ってとても温かいのね。

 アレ、指先の切り傷が消えている?」

「僕はいつまでも、オヤカタに甘えてばかりじゃダメなんだ。

 今度こそ僕が、オヤカタを助けてあげる」

 




 

「おーいルファ、手伝えよ。外にいるティナを引き上げるぞ」


 窓の外を見ていたリオが、王子に声をかける。

 まだ外には三つ編み少女ティナが、ひとり残されているのだ。

 窓から下に先端を輪っかにした縄が降ろされティナはそれに自分の体を巻き付けると、ルーファス王子とリオは力を合わせてティナを三階に引き上げようとした。


「二人とも、縄から手を離して。そんな事しなくても簡単に引き上げられるよ」


 そう声をかけられたリオが後ろを振り返ると、縄の端を手にした魔女カナが壁伝いの階段を登っている。

 何をするのかと眺める二人の目の前で、魔女は階段途中の木枠に縄を通すと、輪っかになった縄の先端を自分の腰に巻いた。

 次の瞬間、カナは階段から飛び降りる。

 真っ赤なバラの花が開いたようにドレスが広がり、カナの腰に巻いた縄がピンと張る。

 上から落ちてきたカナの体を、塔の中に吊るされた大きなレース編みが受け止めた。

 そして縄の反対側に繋がっているはティナの体は、一気に三階窓の真下まで引き上げられる。


「ビックリしたぁ、確かにこれだと簡単に縄を引っ張れるけど……。

 階段から重たい荷物を落とせばいいのに、わざわざ自分が下に飛び降りる必要ないよな」

「リオ、これはオヤカタの遊びだよ。

 魔女はイタズラ好きで、僕らが思いつかない変な事をするんだ」

「ほら、二人ともおしゃべりしてないで、早く窓の外にいる女の子を引き上げてよ」


 いきなり塔の三階まで引き上がられたティナは、腕に黒い子犬を抱えたまま目を白黒させている。

 そしてティナは男の子たちに手助けされて、小窓をすり抜けると冬薔薇塔の中に入ってきた。

 腰に縄を付けたまま、大きなレース編みの上で弾んでいる魔女カナにリオは声をかける。


「なぁ魔女さん、今のティナと同じ方法で、俺たちも三階に引き上げられたんじゃないのか?」

「女の子と男の子は別よ。男の子は赤煉瓦の壁ぐらいよじ登れなくちゃ、ワタシの手伝いなんて出来ないわよ」

「リオ、オヤカタは魔女だから男を利用することしか考えない。子供でも平気でこき使うんだ」


 見た目だけは可憐な美少女の魔女カナがにっこり笑い、隣でルーファス王子が嬉しそうに魔女を見つめている。

 妖精森に住む茶色い髪の魔女が白銀の王子を助けた美談は、国中の者が知っている。

 でも話の中に出てくる魔女と、この魔女ではリオが想像していたのと全然違う。


「茶色い髪の魔女って、まるで近所のおせっかい姉ちゃんみたいだ」



 ***



 薔薇のツタが張った赤煉瓦の壁、円柱状の塔は上まで吹き抜けになっている。

 色鮮やかなタイルの敷きつめられた床、壁には数種類の美しいタペストリーが飾られて、棚に美しい調度品や難しそうな本が並び、一か所部屋の片隅に煉瓦が集められていた。

 ティナは腰掛けたソファーの弾力と皮のなめらかな手触り、そして背もたれに掛かった美しいレース編みに目を奪われる。

 顔を上げると吹き抜けの天井には、美しい蜘蛛の巣のようなレース編みが吊されて、昼間でも魔女カナの魔力に反応して微かに灯るランプは、自分の家にある煤けて黒くなったランプではなくお金持ちや聖堂に飾られる繊細なガラス細工で出来ていた。

 ティナは思わずため息をついて隣を見ると、ガキ大将のリオも口を半開きにして驚いた表情をしている。


「あたし魔女のお家は、もっと薄暗くてキノコが生えた不気味な場所だと思っていた」

「塔に閉じこめられた茶色い髪の魔女は、みじめな生活してると聞かされていたけど、塔の中はこんなに綺麗なんだな」

「あら、最初はこの部屋もガラクタが散らばって、足の踏み場も無い状態だったわ。

 ここまで片づけるのに、ワタシ一人で十日も掛かったのよ。

 王子たちが手伝いに来てくれたし、これから本格的に冬薔薇塔の改装リフォームに取りかかれる」

「えっ、魔女さんちょっと待てよ。

 俺たちは魔女を助け出すために来たんだよ。

 塔の中を改装するって、アンタこの塔から逃げるんじゃないのか?」


 最高位大神官に騙された魔女を助けに来たのに、当の茶色い髪の魔女は冬薔薇塔から逃げるどころか、塔の中の改装して楽しんでいた。

 さすがのリオも、魔女カナの行動に呆気にとられるが、隣にいるティナはその話を聞いてうっとりと呟いた。


「茶色い髪の魔女さま、あたしもこんな素敵な場所に住んでみたい。

 この部屋の他にも沢山のお水が吹き出すお風呂があったり、可愛いベッドと素敵な家具の寝室があって、まるで絵本の中のお城みたい」

「オヤカタ、もしかして冬薔薇塔を、妖精森のツリーハウスみたいにするのか?」


 瞳をキラキラ輝かせながらルーファス王子がたずねると、「そうよ」とカナはうなずいた。

 やっぱりオヤカタは、僕の想像する以上に楽しい事を考えている。


「改めて、ワタシの冬薔薇塔へようこそ。

 これから王子とお友達の歓迎会を始めるから、今日一日楽しんでいってね」

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