その27
翌日ロバを連れたリオと、白い魔導車輪に乗った少年が焼きたてパンと小麦を市場に運んだ。
市場にいた人々は、リオとロバを見て驚きの声を上げる。
「おいリオ、お前ん所のロバは足が折れたんじゃないか。
足が元通りに治っている、どこの医者に見せたんだ?」
「えっと、コレは医者に見せたんじゃない。
茶色い髪の魔女からもらった白桃をロバに食べさせたら、折れた足がくっついたんだ」
一昨日、ロバは市場の真ん中で馬車に荷崩れに巻き込まれて足の骨を折った。
その事故は大勢の人が目撃していたので、瞬く間にリオの周囲に黒山の人だかりが出来て、どうやってロバの怪我が治ったのか詳しく話せと質問攻めに合う。
「また冬薔薇塔の魔女さまが願いを叶えてくれたのか。
白桃を与えて母親の病を治したり、ロバの折れた足をくっついたり、魔女さまは子供の純真な願いに答えて下さる」
「そんな心優しい茶色い髪の魔女さまが、塔の中に閉じこめられて不自由な思いをしている。
誰か、魔女さまを助けてくれないか……」
そしてロバの折れた足が治ったという噂は、街の市場から街道沿いの村々へと伝わり、僅か一日で辺境の村を越え隣国まで届いた。
市場での騒ぎと同時刻、最高位大神官は閑古鳥の鳴く祭壇前で悪巧みを企ていた。
「最高位大神官である私より茶色い髪の悪い魔女を信じる愚かな信者たちに、魔女の自堕落な姿を見せてやりましょう」
「最高位大神官さま。どのような方法で、悪い魔女の自堕落な姿を信者たちに見せるのですか?」
最高位大神官に付き従うハンサムな神官は、不思議そうにたずねてくる。
この魔力持ちの雇われ神官は、最高位大神官は気に入られ側近として仕えていた。
「冬薔薇塔は、始祖の大魔女が断食修行のために建てた塔。
そして茶色い髪の悪い魔女はとても大食らいだと、間者から報告がありました。
魔女は四、五日食事をしなくても平気ですが、十日も閉じこめられた魔女は空腹で苦しんでいるハズ。
この聖堂には冬薔薇塔へと続く地下道から食事を中に運び入れ、魔女に餌を与えましょう」
「さすが最高位大神官さまは、始祖の大魔所にも詳しいのですね。
魔女に餌を与える、それは良いお考えです」
そして最高位大神官は悪巧みを実行するため、大量の料理を準備すると聖堂地下に運んだ。
廊下最奥にある魔法陣に料理を乗せたワゴンが置かれ、魔力持ちの神官がその魔法陣に触れると、料理は冬薔薇塔の中に移動する。
「ふふっ、これで準備は万端。料理の他にアルコール度数の強い酒も用意しました。
魔女が酒に酔って暴れてくれれば、さらに好都合です。
さぁ、飢えた悪い魔女が食事をむさぼり食う姿を、信者たちに見せてやりましょう」
扉のない冬薔薇塔の寝室に、突然ワゴンに乗った豪華料理が現れる。
王都から取り寄せた極上イノシシ肉の塊ローストに、蒼臣国の湖に住む虹色サーモンの姿焼き。
紫エビのスープに蓬莱鳥の姿焼きに、甘い香りのするリキュール入りフルーツポンチ、そして黄金色の砂糖菓子。
もしカナが起きていたら、最高位大神官から差し入れられた料理に飛びついただろう。
しかし現在就寝タイム中のカナは、体を優しく包み込む極上な寝心地のベッドで横たわり、ひたすら爆睡している。
再び聖堂に集められた信者たちは、魔鏡に写された茶色い髪の魔女の姿を見ていた。
「いいか、茶色い髪の悪い魔女が奴隷のよう働いているなんて大嘘だ。
この鏡に映し出された豪華な食事を見ろ。
魔女は冬薔薇塔の中で御馳走をたらふく食って、自堕落に暮らしているんだ」
「本当だ、高級な肉や珍しい果物、豪華な食事が並んでいる。
あんなに沢山の料理を、全部魔女が食べるのか?」
「こんな真っ昼間なのに、茶色い髪の魔女は働かずに眠ったままだ。
魔女が働き者だという話は嘘で、俺たちは魔女に騙されたのか?」
信者たちの間に戸惑いの声が起こり、神官たちは意地の悪い笑みを浮かべる。
飢えた魔女が起きて、食事貪り食う姿を信者たちに見せるつもりだった。
しかしいくら待っても茶色い髪の悪い魔女は起きない。
魔鏡に映し出された茶色い髪の娘は、目を閉じたまま人形のようにピクリとも動かない。
「昨日から一日経っても魔女は起きない。これは様子がおかしいぞ」
横たわる彼女の側に置かれた料理は、一口も食べられることなく放置され、痛んで腐り始めている。
信者たちは困惑した表情で交互に魔鏡を覗くが、二日目が過ぎても茶色い髪の魔女は眠ったままだ。
「いくら何でも、二日も飲まず食わずで眠り続けるなんて異常だ。
魔女さま、どうか目を覚ましてください!!」
「もしかして魔女さまの食事に、毒が盛られたのでは。
最高位大神官が差し入れた料理が怪しいぞ」
「大変だ、魔女さまは毒料理を食べて死にかけている!!」
見た目だけは可憐で愛らしいカナの姿に惑わさた信者たちは、斜め上の方向に勘違いする。
ちなみに魔鏡は音を伝えないので、カナのイビキや歯ぎしりは信者たちに聞こえない。
憶測は憶測を呼び、噂話はいつの間に『茶色い髪の魔女毒殺事件』へと変化していった。
「おい、神官ども。雑木林の道をあけろ!!
俺は冬薔薇塔の中にいる茶色い髪の魔女様を助けにいくんだ」
そして黒薔薇塔のある雑木林の周囲で、信者と武装神官の小競り合いが頻発する。
「悪い魔女が子供の願いを叶えたなんて大嘘だ。
冬薔薇塔に近づく者は捕らえて、聖堂の地下牢に閉じ込めろと最高位大神官さまの命令だ」
「俺は一月前に最高位大神官に会ったが、何一つ願いは叶わないぞ」
「それはお前の信仰心と捧げ物が足りないからだ。もっと最高位大神官様に忠誠を示せ」
「願いも叶えないのに捧げモノを要求するなら、最高位大神官はまるで詐欺師じゃないか!!」
逆上した武装神官が信者に殴りかかるが、側にいた他の信者たちが加勢して襲いかかる。
蒼臣国に押しかけて信仰する女神像を作り替え、ルーファス王子を連れ去ろうとする最高位大神官たちに、人々の鬱憤は蓄積していた。
そしてついに辺境から反乱の火の手が上がったと報告を受け、聖堂の中で右往左往する神官たちを眺めながら、ハンサムな神官に化けたアシュは口元を綻ばせた。
「寝姿を見せるだけで容易く信者たちの心を操る、魔女カナさまは本当に恐ろしい方です」
***
部屋の中を立ち込める、炊き立てご飯と香ばしい焼き魚の香ばしい薫りがカナの胃袋を刺激する。
ベッドの中で何度も寝返りを打ったカナは、空腹に耐え切れずついに長い眠りから覚める。
「ふぁ、ハビィさんお早うございます。
このモッチリした優しいお米の匂い、お味噌汁にふっくらと黄金色に焼かれた厚焼き玉子。
まさか朝ごはんに和食が出るなんて思わなかった」
「カナさま、お早うございます。こちらの世界にはお米に似た木の実があります。
朝食の献立は、ミソスープを似せて作った野菜シチューと白身魚の塩焼き。白豆を蒸して固めた豆腐風プティングとほのかに甘味を付けた厚焼き玉子です。
それからカナさまの着替えのドレスを、エレーナ姫様から預かっていますので、食事の前にお着替えください」
カナはベッドから飛び起きるとハビィから着替えを受け取り、二階のバスルームに向かった。
途中の螺旋階段で立ち止まると、ふと周囲を見回して首を傾げる。
「ものすごく熟睡したみたいだけど、私ったら何時間寝てた?
この部屋の明るさだと、もうお昼過ぎよね。」
「カナさまはルーファス王子が尋ねられた後、三日間ずっと眠り続けたのですよ」
「えっ、ワタシったら三日も寝ていたの!!
ワタシが眠っている間、ルーファス王子は大丈夫だった?敵に見つかったりしていない」
「御自分より先に王子さまの心配をなさるとは、カナさまは何て心優しい魔女でしょう。
ルーファス王子さまは別人に変化して身分を偽り、常にニールが従者として守っているので大丈夫ですよ」
カナの食事が済むと、ハビィはこの三日間の出来事を話した。
塔の外では『茶色い髪の魔女毒殺事件』の噂話がひとり歩きして、国中に広がり騒ぎになっている。
そしてついにエレーナ姫が最高位大神官を国から追い出す決断を下し、辺境でウィリス隊長が兵をあげ皆がカナを助けようと動きはじめた。
「みんながこんなに頑張っているのに、ワタシは何も出来ず塔に閉じこめられたまま。
せめて手元に電動ドリルがあれば……塔から脱出して欠陥建造物の聖堂を破壊できるのに」
「まさかご冗談を、カナさまのおかげで塔の外は大混乱です。
それに聖堂を破壊するつもりとは、カナさまはよっぽど最高位大神官にお怒りなのですね」
目の前でしょんぼりしている愛らしい顔立ちの娘。
しかしその本性は魔導カラクリを操って鉄柵を切り刻み、地獄の魔犬や牛頭の魔人を使役して反逆者の宰相を地獄に連れ去った、とんでもない魔力を持つ魔女だ。




