その23
「ルファ、雑草の向こう側に大きな木の裂け目があって、そこから獣道を通って冬薔薇塔まで行けるの」
翌日、ルーファス王子とニールは三つ編み少女ティナの案内で、雑木林の中にある獣道の前に来ていた。
少女の他に勝ち気な顔をした体格の良い町のガキ大将が一緒で、何故かニールと王子の姿をジロジロと見ている。
ニールは少女が示した場所の雑草をかき分けて木の股を覗き込み、王子を見ると困った表情で首を横に振った。
「ルファ、残念だがこの獣道を通るのは諦めよう。
この木の股は狭すぎて、俺の体では通り抜けられそうにない」
「ニールは体が大きいから無理でも、僕ならギリギリで木の股を通り抜けられるぞ。
それなのにどうして諦めなくちゃいけないんだ?」
ふたりは兄弟に扮してるが、ニールの役割はルーファス王子を敵から守る事だ。
冬薔薇塔の周囲には最高位大神官の命を受けた武装神官が大勢いる。
そんな危険な場所に王子をひとりで行かせられないと言われ、納得できない王子は抗議する。
兄弟が言い争い始めると三つ編み少女は戸惑い、そしてガキ大将は苛立った声を上げた。
「俺んちのロバが足を折って、早く魔女に怪我を治して貰わないと潰されちまうんだ。
おいティナ、こいつらは残してさっさと冬薔薇塔に行こうぜ」
「ちょっと待って、リオ。
ねぇ、ルファはオヤカタの病気を治したいんでしょ。
急がないと怖い神官が来るかもしれないから、アタシたちは先に行くよ。中で待っているから、ルファも早く来てね」
そう言うと子供たちは王子を置いて、木の股をくぐり獣道の中へ消えてゆく。
「ニール、その手を離せ。僕も皆と一緒に行くんだ」
「いいえ離しません、ルーファス王子。
護衛も付けず一人で行くには危険すぎます」
ニールはルーファス王子の腕を掴んだまま木の股の前に立ちふさがる。
それを振りほどこうと抵抗する王子は、手のひらに魔力を込め小さく呟くと、自分を掴むニールの腕に触れた。
ビリリッ、パシンッ
ルーファス王子が呼び出した小さな雷の聖霊の魔力が弾け、ニールの腕に痺れるような鋭い痛みが走るが、しかし掴んだ腕は外さない。
すると次の瞬間、ルーファス王子はニールの手首に噛みついてきた。
服の上から、それほど強く噛まれた訳ではないが、驚いたニールは思わず掴んだ腕を放してしまう。
「王子、本当に危険なんです。俺の言うことを聞いてください」
「危険なのは分っているぞ、ニール。いつまでも僕を子供扱いするな!!
お前は今の僕と同じ歳に辺境の村人を救うため、妖精森を取り囲む沼地を渡りオヤカタに会いに来た。
あの沼地に比べれば、こんな獣道を通るなんて大したことない。
僕はオヤカタに会いに、冬薔薇塔に行くんだ」
黒髪にそばかす顔の別人に変化しているが、それでもルーファス王子の本質は誤魔化せない。
少し我が儘で自分勝手で、そして気高く心優しい妖精族の王子。
ニールはルーファス王子と出会うまで親しい友人は無く、義兄に不当な扱いを受けていた。
だからニールにとって彼は、忠誠を誓う主であり友であり、そして弟のような存在だった。
「分かったよルーファス王子、俺はもう止めない。
それから三つ編みの女の子と連れの少年は王子より年下だ。
イザという時には、王子が弱き者たちを守るんだよ」
王子は小さく身を屈めて木の股をくぐると、狭い獣道を小走りで進んで行く。
道が左右に分かれた場所で、先に行った二人が王子を待っていた。
「良かったぁ、ルファが来た。
ルファのお兄さんは体が大きいから仕方ないよ。
アタシたちで、お兄さんの分まで魔女さまにお願いしよう」
「おいヨソ者、お前の兄ちゃんカッコいいなぁ。
腰に立派な剣を下げていたけど、あれって騎士の証なのか?」
ガキ大将は王子とニールを凝視していたが、どうやらニールに興味があったようだ。
そして四年前にクーデターを打ち破った蒼臣国の騎士は、少年たちの憧れの存在。
王子たちは余所の町から来た高い身分の兄弟と思われているので、安易に話をして正体がバレないように、王子は短い生返事を返して話を打ち切った。
そんな態度をとったヨソ者の少年を、ガキ大将は面白く思わなかった。
***
子供が身を屈めてやっと通れるような狭い獣道をしばらく進むと、突然視界が開ける。
目の前には巨大な塔がそびえ立ち、赤煉瓦の壁を伝う薔薇が深紅の花を咲かせ、その花びらが舞い落ちて赤い絨毯のように地面を埋め尽くしていた。
先頭の三つ編み少女ティナが雑木林を抜けると、後ろにいた黒髪にそばかす顔の少年が息を切らしながら追い越して、塔に向かって駆けてゆく。
「オヤカタ、僕だよ。オヤカタに会いに来たよ!!」
全速力で広場を駆けてきたルーファス王子は、その勢いのまま冬薔薇塔の壁に素手で触れてしまう。
薔薇のツタには棘がある。壁に手を付いた王子は小さな悲鳴を上げ、自分の手の刺し傷を見た。
「ルファ、壁の薔薇を触ったら危ないよ。
アタシも薔薇の刺で、服が少し破れたの」
「おいティナ、それにヨソ者のお前もデカい声出すな!!
武装神官たちに声が聞こえたら捕まっちまう」
「僕よりお前の声の方が大きいじゃないか」
ガキ大将に注意されたルーファス王子は、改めて周囲の気配を探る。
膨大な魔力の結界で覆われた冬薔薇塔周囲には、自分たち以外の気配はない。
武装神官は魔女の力を恐れて冬薔薇塔に近づかないようだ。
ルーファス王子は髪の毛を数本抜いて息を吹きかけると、それは守護聖霊の白銀の蛇に姿を変え、王子は蛇を周囲に放った。
その様子に二人の子供はビックリして王子を見る。
「僕の守護獣に見張りをさせるから、何か危険が近づけば知らせてくれる。
もし武装神官が現れたら、すぐここから逃げて、雑木林の外にいる僕の兄さんに助けを求めろ」
「すごい、ルファは魔法が使えるのね。ワタシ生まれて初めて魔法を見た」
「ふん、俺は武装神官に見つかっても、高い木に登って逃げるさ。
ティナ、俺は急いでいるんだ。
早く塔の入り口まで連れて行け。
茶色い髪の魔女に、ロバの折れた足を治させるんだ」
ガキ大将は魔法を使う少年に指示されたのが気に入らなかった様子で、王子を誉めた三つ編み少女を小突いた。
「リオ、強く押さないで。
塔の後ろに小さな窓があって、そこから黒い犬が供えモノを塔の中に持って行くわ。
魔女さまへのお供えモノを、ちゃんと持ってきたよね」
「えっ、魔女絵の供え物?
俺の家は貧乏だし、そんなの持ってきてねぇよ。
魔女がロバの足を治したら、供えモノを持ってきてやる」
「えっ、お供えモノを持って来てないの?それじゃあリオの願いは叶わないよ」
驚いて発した少女の言葉に、ガキ大将は顔色の顔色が変わる。
元々信心深いティナと違い、これまで神様に何かを願う事などなかった。
「俺は女神なんていないと思っているし、魔女も信用していない。
でもティナの母親が治ったなら、ロバの怪我も治せるだろ」
「リオのバカ。ここまで来たのに魔女さまを信じないなんて。
アタシのお母さんが治った話も、ウソだと思って信じていないんでしょ!!」
ガキ大将は自分をバカと怒鳴りつけた少女を小突き、ティナは後ろによろめいて、側にいた王子を巻き込んで倒れてしまう。
王子は今にも泣きだしそうな三つ編み少女を助け起こすと、勝気な顔をしたガキ大将に冷たく言い放った。
「ティナの言う通りだ。魔女を信じないお前は、魔女に願い事はできない。
ロバの足を治したいなら、町の獣医にでもお願いしろ」
ガキ大将は一瞬唖然とした表情になり、そして今度はルーファス王子に掴みかかってきた。
しかし王子は伸びてきた腕を素早く交わし背後に回ると、力一杯体当たりする。
自分より弱く見えたヨソ者に不意打ちを食らい、ガキ大将はバランスを崩して前につんのめって転んだ。
「俺より上等な服を着て偉そうにしやがって。町の獣医に見せたらどれだけ金が掛かると思っている。
苦しいときに助けてくれるのが、女神さまや魔女じゃないか」
「金やモノじゃない、簡単に都合良く魔女に会えると思うな。
僕は何度も何度も妖精森に通って、やっとオヤカタに会えたのに……」
ガキ大将は顔を真っ赤にして王子を睨みつけるが、王子も負けずに睨み返す。
祖先がえりの妖精族王子の怒りに呼応するかのように、突如風が巻き起こり周囲の木々が騒めき、ヨソ者の少年から発する異様な気配に、魔力を感じ取る事の出来ないガキ大将も戸惑う。
男の子二人が今にもケンカをしそうな様子に、三つ編み少女はオロオロと見ているだけだった。
「どうしよう。ケンカなんかしたら、絶対ルファが負けちゃうよ。
魔女さま、お願いします。二人のケンカをやめさせて下さい」
少女はそう呟くと、冬薔薇塔の小さな窓に向かって一生懸命両手を合わせる。
目を閉じてもう一度お願い事を呟こうとして、ふと首を傾げる。
ティナは周囲を見回し鼻をひくつかせて思いっきり匂いを嗅ぐと、どこからか花の香りに混じって、肉の焼ける匂いが漂ってきた。
「ねぇ、冬薔薇塔の中から、とても美味しそうな匂いがするよ。
魔女さまがお食事しているのかな」
互いに睨み合う少年たちの動きがとまる。
冬薔薇塔の小窓から、白い煙と共に、燻された肉が香ばしく焼ける薫りが外に流れ出ていた。




