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その20

 雑木林の外に設けられた祭壇に、黒髪の少年と背の高い兄が果物の入ったカゴを供えていた。

 少年は雑木林の向こう側に見える冬薔薇塔をしばらく眺めていたが、兄に呼ばれて祭壇の前を離れる。

 黒髪の少年に変化したルーファス王子は、聖堂ではなく冬薔薇塔に参拝する信者たちに紛れて雑木林の近くまでやってきたが、その先は大勢の武装神官が道を封鎖して冬薔薇塔に近づけないでいた。


「王子、いやルファ。最高位大神官はよっぽどカナさまを警戒しているようだ。

 一度雑木林の周りを見てきたが、どこにも入り込める隙間がない」

「ニー、えっと兄さん。実は、オヤカタの事で大切な話があるんだ」


 参拝の帰り道、兄弟を演じているルーファス王子とニールは小声で会話する。

 

「えっ、カナさまの事で俺に大切な相談とはなんだ?」

「実は母上の魔法の鏡を、離宮からこっそり持ち出してきた。

 その鏡は冬薔薇塔に幽閉されたオヤカタの姿を映し出す。そして今オヤカタは……」


 思いつめた真剣な表情のルーファス王子に、嫌な予感がしたニールは芝居を忘れて敬語でたずねる。


「まさか塔に幽閉されたカナさまが、最高位大神官に惨たらしい目にあわされているのですか?」

「僕のオヤカタがあんな姿になるなんて。ニール、早く助け出さないとオヤカタは!!」


 そう叫ぶとルーファス王子はニールの腕に縋り付き、そして右手に数枚の金貨を握らせた。


「この金貨で、町でオヤカタの下着を買ってきて欲しい」

「えっ、ええっーー!!ちょっと待って下さい王子。

 カナさまの女性用下着って、俺にそれを買いに行かせるつもりですかぁ」

「そうだニール。オヤカタは冬薔薇塔の中ですっぽんぽんで暮らしている。

 僕は最高位大神官に狙われているから町を出歩けないし、女物下着を買いに行ったら絶対怪しく思われる」

「こ、声が大きいです王子。いやルファ。

 カナさまがすっぽんぽんって、まさか冗談でしょ」


 しかしルーファス王子は大真面目な表情で、思春期真っ盛りのニールには刺激の強すぎる話を続ける。


「オヤカタはスカートをはいていても平気で木にのぼり、ちょっと下着が見えても気にしない魔女だが、冬薔薇塔に誰もいないからと裸で暮らしては風邪をひいてしまう。

 オヤカタは見た目より太って胸が大きいから、重たい胸を締め付けるより開放感のあるすっぽんぽんが気持ち良いかもしれないが、女性ならせめてお尻は隠してほしい」

「わ、分かりましたルファ。

 俺が、カナさまの下着を買ってきますから、そんな大声で話さないで下さい」


 雑木林から町へ続く道は人の行き来が多く、黒髪少年と兄の会話が聞こえていたのか通りすがりの人々から笑い声が聞こえる。

 顔から火がでるほど恥ずかしいニールは、王子を腕を引いて急いでその場から立ち去った。



 ***

 


 ピピッ、ピピッ、ピピッ

 腕時計のタイマーが一時間経ったことを知らせ、昼寝から目覚めたカナは、のそのそとベッドから起きあがる。

 白い鳥の姿をした侍女長はどこかに出かけたらしく、静まりかえった建物の中でカナは初めて孤独感を味わう。


「ワタシがお昼寝している間に、ハビィさん居なくなっちゃった。

 今この出口のない建物の中でひとりぼっち。ハビィさん、すぐ帰ってくるよね。

 どうしたんだろう、とても弱気になってワタシらしくない」


 カナは小さなため息をつくと、ふと腕時計を見て何かに気づいたようだ。


「腕時計は【15:00】、ちょうどおやつの時間。

 そうか、お昼にデザート食べなかったから、弱気の原因はきっと糖分不足だわ。

 甘いモノを食べたら幸せな気分になるそうだから、おやつを食べよう」


 カナの孤独感は三分で終了。

 そしてベッドから跳ね起きると、椅子の背に掛けていた黒いコートの内ポケットから紙袋を取り出した。


「リュックに入りきれなかった白桃とクリームのお菓子のフリーズドライ、それから砂糖菓子の花束をコートのポケットに隠していたの」

 

 カナは鼻歌を口ずさみながら、紙袋の中からマシュマロのような白い固まりと、ダイヤのように輝くドライフルーツを取り出して手のひらにのせた。

 どちらを食べようか迷ったカナは、結局両方に熱湯をかける。


「甘いクリームをコーヒーの上に浮かべて飲んでみよう。完熟白桃は半分だけ食べて、残りはハビィさんの分を残しておくわ」


 そしてブラックコーヒーの上に白いクリームをたっぷりのせると、部屋の中はコーヒーの香ばしい薫りとクリームの甘く濃厚な香りで満たされる。

 カナはワクワクしながらコーヒーを啜ると、クリームの冷たさと熱いコーヒーが口の中で混じり合いながら喉に落ちてゆく。


「冷たくて熱い、苦くて甘い、これはなんて不思議な飲み物。

 クリームだけ食べるよりずっと美味しい、スタバで商品化したら売れるんじゃないの?

 そうだ、クリームに火を付けてカフェロワイヤルみたいにブランデーをフランベしたら、もっと美味いかも」


 カナは思いつきで作ったクリームコーヒーの旨さに大喜びしながら、全部飲み干した。

 コーヒーのお代わりを入れようとしたところで、ふと手が止まる。

 どこからか聞き覚えのある小犬の吠え声が聞こえる。

 しかし部屋の中に窓はない。

 もう一度耳を澄まして音がする方向に進む。すると触れた壁の膝下部分の煉瓦が、数ミリだけ飛び出していた。


「ここから音が聞こえるし、微かに空気が吹き出している」


 カナは注意深く壁をチェックすると、その部分だけ形の悪い不揃いの煉瓦が組まれて、力を入れて押すと煉瓦が微かに動いた。


「下手な職人が手抜きリフォームしたのね。せっかくの美しい煉瓦積の壁がこれじゃ台無しよ。

 もろい煉瓦を壊すくらい、ワタシのバール一本で簡単にハツリ※できる」

※ハツリ=コンクリートや石の構造物を壊すこと。


 カナはコーヒーカップをテーブルに置くと、愛用のバールを握りしめ、鋭利な先端を煉瓦の割れ目に突き刺した。

 それを力ずくではなく自分の体重をバールにかけて、テコの原理でゆっくりと煉瓦を動かす。

 一つ煉瓦を剥がせれば残りは簡単だ。煉瓦同士のつなぎ目を削りながら、パズルゲームのジェンガのように取り除いてゆく。

 カナは額に汗しながら煉瓦十個ほど剥がすと、中から塞がれていた小窓が現れた。




 カナは床にしゃがむと、膝下の位置にある小窓を覗き込む。

 するとそこにサッカーボールぐらいの小さな黒い影が横切り、汚れた硝子の窓の向こうから黒い豆柴の吠える声が聞こえる。


「あの声は、まさかケルベロス。ワタシのことを捜しに来たのね」


 カナが窓ガラスを叩くと、それに気づいた黒の豆柴が何かをくわえて走ってきた。

 窓ガラスの留め具は硬く固定されて動かないので、カナはバールでそれを剥ぎ取って壊す。

 開いた小窓から豆柴が転がり込んでくる。

 ケルベロスは跳ねるように部屋の中をかけずり回り、嬉しそうに尻尾を振った。

 カナは腕を伸ばして小犬を抱きしめようとしたが、ケルベロスはひらりと体をかわすと部屋の隅に座り込む。


「あれ、ケルベロス。何をくわえているの?」

「うわぁーん、返して返して、あたしのパンを返して」


 窓の外から幼い女の子の泣き声が聞こえる。

 その声に返事をするように、ケルベロスはワンワン吠えた。

 カナはもう一度、背を屈めて窓の向こう側を覗くと、三つ編みをした女の子が泣きながらこっちに向かって走ってくる。


「返してワンちゃん、それはお母さんの病気を治して貰う、大切なパンなの!!」


 少女の声にカナは慌てて部屋の隅を見たが、ケルベロスはくわえたパンをむしゃむしゃと食べていた。


「あーっ、食べちゃダメ!!

 ケルベロス、お前あの子の食べ物を盗ってきたのぉ」


 カナは慌ててケルベロスを止めたが、しかし時すでに遅し。

 パンを全部食べ終えた黒の豆柴は、口の周りをペロペロなめて満足そうな顔をしている。


「この中に隠れたのね。

 ワンちゃん出てきなさい。うわぁーん、あたしのパンを返して」


 女の子の泣き声がすぐ近くで聞こえる。開かれた小窓から、痩せてアカギレだらけの手が伸びてきた。

 この子の大切なパンをケルベロスが食べてしまったのだ。

 事態を理解したカナは、とても困惑して良心がとがめる。 


「どうしよう、ワタシここから外に出られないのに……。

 そうだ、おやつの完熟白桃があるわ。

 ゴメンね、あのパンはケルベロスが食べてしまったの。

 その代わりに白桃を持たせるから、これで許して」


 カナは部屋の隅に座っているケルベロスの鼻頭を叩いて怒り、完熟白桃を布に包んで小犬の首に結わえた。

 怒られてしょんぼりした豆柴は、尻尾を足の間に挟みながら窓の外に出て行く。





 魔女の祭壇に供えるパンを黒い小犬に盗られた。

 三つ編みの少女は泣きながら夢中で犬を追いかけて、雑木林の中に入ると大人が通れないような細い獣道を進む。

 そして獣道を抜けると、いきなり少女の目の前に、赤い花びらの舞う巨大な塔が現れた。

 前を走る黒い犬がパンをくわえたまま、塔の中に入ってゆくのが見える。


「早く返してよ。それはお母さんの病気を治してもらう、大切なパンなの」


 少女は泣きながら塔の小窓を覗くが、中は真っ暗で何も見えない。

 小犬を捕まえようとに腕を伸ばしても、何かにつかえて肘までしか入らなかった。


「ワンちゃん出てきなさい。うわぁーん、あたしのパンを返して」


 このままじゃお母さんが死んでしまう。

 悲しくなって小窓の前に座り込み大声で泣いていると、中からやっと小犬が出てきたが、くわえたパンは無くなっている。

 そして小犬は、首から下げたモノを少女の目の前に降ろすと塔に戻っていった。

 少女は泣きじゃくりながら、受け取った布に包まれたモノを開くと、中から宝石のように輝く完熟金剛白桃が現れる。

 それは甘く濃厚な香りがして、市場で売っている白桃の倍以上大きい。


 泣きやんだ三つ編み少女は冬薔薇塔に一礼すると、白桃を大切そうに抱えて今来た道を戻っていった。




 過労が原因で床に伏せていた母親は、少女が持って来た大きな完熟金剛白桃を食べると一晩で元気になる。

 しかも痩せてシワだらけだった肌は瑞々しく蘇り、白髪混じりの髪は波打つ艶やかなブロンドに、いきなり母親は十歳以上若返った。


「母親の病を治すために、武装神官の監視の目をかいくぐって冬薔薇塔の魔女さまに会いに行った。なんて親孝行な娘だ」

「魔女さまは娘の持ってきた一切れのパンを受け取ると、代わりに魔力の込められた大きな金剛白桃を与えて下さった。それを食べた母親は一晩で病が治ったらしいよ」

「自分も最高位大神官にヒドい目に遭っているに、娘を助けた魔女さまは素晴らしいお方だ」


 そして魔女が娘の願いを叶えた話は近所から街中に広がり、さらに蒼臣国全体に知れ渡るまで二日もかからなかった。



 ***



 その噂話で盛りあがる街中を、黒髪の少年と兄が並んで歩いていた。


「ニール、この下着は小さいぞ。買った店で取り替えてもらえ」

「しかしカナさまは王子と同じ体型ですから、このサイズで大丈夫ですよ」

「オヤカタは僕より少し背が高いけど、体の肉はふにゃっと柔らかくて太っている。オヤカタがこの小さな下着を履いたら破けてしまう」

「もう一度女性下着店に行くなんて、俺には無理です。まだ魔獣と戦う方がマシだ。

 王子、下着の買い物はどうかアシュさまにお願いして下さいっ」

「では仕方がない。ニール、アシュから下着を貰ってこい」

「ええーっ、俺がアシュさまに、そ、そんなこと出来るはずないだろ!!」

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