その19
カナが閉じこめられた冬薔薇塔の二階は、白い大理石の浴槽と模様が描かれたモザイクタイル床のバスルームで、薔薇のツタが壁と天井を埋め尽くし見事な花を咲かせている。
カナは長風呂をだらだらと楽しんだ後、石のベンチに洗濯したシャツとズボンを広げると炎の結晶でアイロン掛けをした。
「この赤い火打ち石はお湯を沸かせるし、石の道具箱に入れてアイロン代わり使えるから便利。
学校やバイトが忙しくて、つい服を溜めこんでから洗濯するの。
半乾き服のアイロン乾燥は、一人暮らしの生活の知恵よね」
ズボラな日常生活を送るカナは、必要に迫られてアイロンかけが上手い。
ルーファス王子から借りたシャツとズボンは仕立てが良く、アイロンをかけるとパリッとした元の状態に戻った。
カナは乾いた服を着ると作業用手袋をはめ、厚底の作業用ブーツをはくと次の作業計画を立てる。
「朝起きてから建物の探索、それから浴室を大掃除してお風呂に入ったけど、時計は【11:26】まだお昼前ね。
本当にこの世界は時間の流れが違う。でもそのおかげでたっぷり作業できるから、次は三階の大掃除とリフォームに取りかかるわ」
カナが冬薔薇塔に幽閉されてから、こちらの世界はすでに五日が過ぎていた。
三階の部屋は、漆黒の闇に閉ざされたオイルランプの点る幻想的な空間になっている。
下の階には通気口のような小さな窓しかないので、外が夜になっていたことにカナは気付かなかった。
「朝起きて上にあがった時は明るかったのに、すっかり暗くなって、もう夜なの?
これじゃあ掃除出来ないから、別の作業をしよう」
カナはそう呟くと廃墟のような部屋を横切り、赤煉瓦の壁を仰ぎ見る。
部屋を円柱型に取り囲む赤い煉瓦の壁はとても高く、その壁に薔薇のツタがびっしりと張っている。
カナはズボンのポケットから大型カッターナイフを取り出して、試しに薔薇のツタを切る。
「このツタは結構堅くて柔軟性がある。
薔薇の小さな棘があるけど、特殊繊維のプロ仕様手袋だから棘が刺さる心配はないわ」
そしてカナはできるだけ長く延びた薔薇のツタを選ぶと、両手で掴んで壁から引き剥がしはじめた。
途中でツタが切れないように気を付けながら十本ほど集めると、ツタに生えた薔薇の棘をひとつひとつ、カッターナイフで切り落としてゆく。
「さすがニホン製カッター刃は切れ味抜群。ベニヤ板が切れる厚切り刃だから、薔薇の棘なんて簡単に落とせる。
ツタの長さは全部で50メートルぐらいあるけど、ひたすら棘を取る地味な作業って結構好きなのよね」
カナは廃墟の中に転がっていた椅子に座ると オイルランプを自分の周囲に置いて鼻歌を歌いながら作業に没頭する。
薔薇のツルから棘と葉を落とし、花やつぼみはカゴの中に集めた。
ランプに灯る明かりは透明なガラス玉のような光の結晶で、それはカナの魔力に反応して発光する。季節は秋の終わりだが、柔らかな光に包まれた塔の中は寒さを感じない。
コツ、コツン、と小さな物音がする。
カナは作業の手を止めて頭上を見上げると、冬薔薇塔の天窓に三日月の明かりが差し込む。そして天窓を叩いているのは、月明かりを浴びて白く輝く大きな鳥だった。
「純白の羽にオレンジのクチバシ、なんて綺麗な鳥。
建物に入りたがっていけど、もしかして中に巣があるのかな?」
白い鳥はクチバシと足で器用に留め金外し、天窓を開くと中に入りこむ。そして大きな翼をゆっくりと羽ばたかせながら降下してきた。
カナはその様子を呆気にとられて見ていたが、白い鳥は目の前に舞い降りると、挨拶をするように優雅に頭を下げる。
「カナさま、お元気そうで安心いたしました」
「ひゃあっ、鳥がしゃべった!!」
声を上げて驚くカナに、白い鳥は「クックク」と鳴くと紫の瞳で見つめた。
「カナさま、私の声に聞き覚えはありませんか。
エレーナ姫さまから命を受け、冬薔薇塔に幽閉されたカナさまのお手伝いに参りました」
「その落ち着いた優しい声は、まさか侍女長ハビィさん!!」
カナは大きな瞳がこぼれ落ちそうなほど見開いて驚く。
白い鳥は翼を大きく広げると、カナの言葉に答えるように何度もうなずいた。
「突然このような姿で現れて、カナさまを驚かせてしまい、申し訳ございません」
「ねぇハビィさん、ルーファス王子はあの最高位オジちゃんに捕まらないで、無事エレーナ姫さまのところに帰れたの?」
魔女カナは魔物姿で現れたハビィに驚いたが、それよりも真っ先にルーファス王子の無事を聞いてきた。
「ルーファス王子さまはご無事です。現在はエレーナ姫さまのいらっしゃる桜離宮に避難しています。
カナさまは幽閉された我が身より王子様の事を心配して下さる、なんて心優しい魔女でしょう」
閉ざされた塔の中で、小柄な娘がひとりで五日間も孤独に耐えながら過ごし、そして気丈に振る舞う姿にハビィは胸にこみ上げるモノを感じた。
しかし実際カナは長時間閉じ込められた実感はなく、朝起きて長い半日が過ぎた程度だ。
「冬薔薇塔に幽閉されたご様子は知っています。エレーナ姫さまの持つ魔鏡で、塔の中にいるカナさまを映し出し見守っていました。
それにしてもカナさまは、鳥の姿になった私に……抵抗はありませんか?」
「えっ、ちょっと驚いたけど、本当にこの世界はニホンと違うのね。
ハビィさんのその姿は、まるで白鳥の湖のオデッタ姫のように神秘的で素敵よ。
それに鳥の姿なら私のDIY作業を手伝ってもらえるから、とても便利なの!!」
「人より鳥の姿の方が使役できて便利とおっしゃるとは、さすが魔女カナさまです」
***
薔薇の刺取り作業を終えたカナと白い鳥の姿をしたハビィは、一階の寝室に戻った。
結構長い時間作業したと思ったが、腕時計を見るとまだ【13:20】だ。
「時間はお昼過ぎだし、すっかりお腹空いちゃった。ランチは何を食べようかな?」
カナが嬉しそうにテーブルの上にフリーズドライ食品を並べていると、それを見たハビィが強い口調でカナに問いかける。
「カナさまは、今、本当にお腹が空いているのですか?
私はエレーナ姫さまの魔鏡で、カナさまの朝食の様子を見ました。
その時にカナさまが食べた完熟金剛白桃はとても滋養強壮にすぐれ、二日間食事は不要なほど栄養価の高い果物です」
ハビィの一言にカナの動きが固まる。
はっきりいって完熟白桃を食べた後は、とてもお腹いっぱいだった。
そのカロリーを消費するためにバスルームの大掃除をして、長風呂に入り、ツタの棘取り作業をしたのだ。
「ええっ、あんなに働いてもまだカロリー消費足りないの?
ワタシDIY作業の次に食べることが生き甲斐なのに、もしかしてお昼御飯抜き?」
「確かにカナさまは、食べることが大好きでした。
しかしこちらの世界で普段と同じような食事をしては、一日十食も食べてしまいます。
これから私が、食べ物の誘惑に弱いカナさまの栄養管理を行います。
フリーズドライ食品はすべて預かります。そして食後のデザートは禁止」
ハビィはそう告げると、カナの前に置かれていたフリーズドライ食品を白い翼の中に隠してしまう。
「あーっ、ハビィさん。せめてオヤツは残してっ」
食べ物を隠されて泣きそうな声を上げたカナを見てハビィも心が痛いが、これもすべて魔女カナのため。情けは無用だ。
「ではお昼は軽く、フリーズドライの海鮮野菜スープにいたしましょう。
お湯を注いで100数えたら、ふたを開けて卵を落とし香菜を加え、もう一度ふたをします。
そして200数えれば、とろみのあるスープが出来上がります」
「なんだか野菜スープだけじゃ、ワタシには物足りないよ。
ふぅふぅ、ぱくん。あっ、これは米粒が大きくてもちもちして中華粥みたい。
香菜のさわやかな風味に卵のとろみで食べ応えもあるし、胃に優しいスープだわ」
緑の野菜と小エビの赤がアクセントになって、白いとろみのあるスープと半熟になった卵を崩しながら頂く。
侍女長の一手間加えたレトルト料理に、カナは大喜びでゆっくりと味わって食べた。
そしてデザート代わりに甘い香りのするハーブティを飲む。
そのお茶のリラックス効果で、カナは大きなアクビをすると、ベッドの中に潜り込み毛布を頭までかぶった。
「ハビィさん、ワタシちょっとお昼寝して英気を養います。
起きたら三階のリフォームを始めるから、少し寝かせて。おやすみ、なさい」
あっと言う間に寝入ったカナをハビィはしばらく見守り、冬薔薇塔内の安全を確認すると、大きな白い翼を羽ばたかせ天窓から外へ飛び出した。
空高く舞い上がり見下ろす冬薔薇塔は、魔女カナの魔力に呼応して薔薇の花が咲き誇り、舞い落ちる花びらで塔の周囲は赤絨毯が敷かれたようだ。
しかし塔の周囲に人影はない。
雑木林に入る道を、最高位大神官の部下である武装神官たちが道を封鎖していた。
そして外の冬薔薇塔が見える場所に手作りの祭壇あり、夜明け前から信者たちが塔に向かって手を合わせ供え物をしている。
夜が明け白み始めた空を白い鳥は大きく旋回すると、町外れの一件の旅館に向かって飛んでいった。
イケメン黒髪の下位神官ことアシュと、白い鳥の姿をした侍女長ハビィは、潜伏先の旅館で互いに情報交換をした。
「ルーファス王子さまも姿を変えて、ニールと共にこの宿に潜伏しています。
それから侍女長さま。私は貴女がエレーナ姫さまの使い魔であるという事を、何度か聞かされていました。
しかし実際に見た純白の鳥の姿は、まるで神の御使いのように華麗で美しい」
「ありがとうアシュ、貴女もこれまでと変わらず私に接してくれて嬉しいわ。
私は先ほどまで冬薔薇塔に幽閉されたカナさまに会ってきましたが、彼女はとても元気でした。
それよりも空からこの周辺を眺めると、信者たちは聖堂ではなく、カナさまの幽閉されている冬薔薇塔に手を合わせ祭壇に供え物をしています。いったい何があったのですか?」
桜離宮から空を飛んで冬薔薇塔へ来たハビィは、最高位大神官が【茶色い髪の悪い魔女】を貶めようと魔鏡で人々にカナの姿を見せたが、それが運悪く入浴シーンだった事を知らない。
すっぽんぽんの魔女を見せられたお年頃の姫様たちは、思春期真っ盛りで噂話が大好きだ。
大慌てで言い繕うスケベ中年男の言葉に、耳を貸すはずもない。
そして黒髪イケメン神官に化けたアシュも、騒ぎに油を足して更に炎上させた張本人だ。
「あの信者たちは、冬薔薇塔の中に裸で閉じこめられ奴隷のように働いている、茶色い髪の清楚で可憐な乙女へ供え物をしています。
これまでエレーナ姫さまに無理難題を押しつけ、私たちから王子を奪おうとした最高位大神官は、魔女カナさまによって【異様な性癖を持つ汚らわしい男】という烙印を押され、評判は地に落ちました」
「食いしん坊で男や魔物を使役するのが得意なカナさまが、清楚で可憐な乙女?
いったいカナさまは、どんな魔法を使って信者の心を操ったのですか」
侍女長ハビィは女騎士アシュにたずねたが、彼女はこれまで見たことのない笑顔で答える。
「それはまるで、喜劇のように滑稽でした。
魔女カナさまは魔法など使わずとも、愚かな最高位大神官を思うがまま弄ぶのです。
なんて素晴らしい、そして恐ろしい。カナさまこそ真の魔女です」
***
薔薇の鮮やかな香りが赤い花びらとともに手作りの祭壇に舞い落ちた。
祭壇には沢山の酒や果物や菓子が供えられ、人々は雑木林の中にそびえ立つ冬薔薇塔に一礼すると両手を合わせる。
「魔女様の力を分け与えてくれて、ありがとうございます。
妻の様態も安定して、昨日無事に子供が産まれました」
「やっぱり【茶色い髪の魔女】さまはご利益があるんだな。
聖堂の馬鹿でかい女神像より、冬薔薇塔を拝んだほうが百倍もマシだぜ」
「でも最高位大神官に囚われた【茶色い髪の魔女】は、塔の中でヒドイ目に会っているそうだ。
この供え物が、少しでも塔の中の娘に届くといいなぁ」
その人々の様子を木の影でじっと見つめる三つ編みの少女がいた。
「魔女さまにお母さんの病気を治してもらいたいけど、こんな遠くからじゃ、あたしのお願いは聞こえない。
もっと冬薔薇塔の近くまで行って、魔女さまにお願いを聞いてもらわなくちゃ」
三つ編みの少女は手にした一切れのパンをお供えして、母親の病気を治してもらおうと思っていた。
しかし雑木林の入口まで来たが、そこは武装神官が封鎖して、誰も冬薔薇塔に近づけない。
「こんなところで何をしている、薄汚いガキめ、さっさと帰れ!!」
「ひ、ひぃ、ごめんなさい」
武装神官に怒鳴られて驚いた少女は、きびすを返そうとして切り株につまずき、持っていた一切れのパンを落としてしまう。
すると雑木林の中から小さな黒い犬が飛び出してきて、落ちたパンを咥えた。
「返して、それはあたしのパン」
しかし黒い小犬はパンを咥えたまま、まるで遊んでくれとせがむように尻尾を振り、木の股をくぐって雑木林の中に入ってゆく。
「ダメだよ、それは魔女さまにお供えする大切なパンだから、返して返して!!」
三つ編みの少女は泣きながら小犬の後を追いかけて、木の股をくぐり冬薔薇塔のある雑木林の中へ入っていった。




