その18
かぽーーんっ バシャバシャバシャ
綺麗に磨き上げられたモザイクタイルの床に、白い大理石の浴槽。
壁から天井に這うツタは小さな赤い薔薇の花を咲かせ、ここが閉じられた塔ではなく露天の庭園のような錯覚を起こさせた。
彫刻のライオンの口から流れ落ちる水は赤い炎の結晶で温められ、浴槽に程よい湯加減の乳白色の湯が満ちる。
カナは服を脱ぎ捨てて湯船に飛び込むと思いっきり手足を伸ばし、ふにゃりとホホを緩めて目をつむる。
「ふわぁ〜、一仕事の終えた後のお風呂は最高、極楽極楽。
こんな広いお風呂に入ったのって久しぶり、とても気持ちいいわ」
白い乳白色の湯の上に、高い天井からハラハラと真っ赤な薔薇の花びらが舞い落ちた。
カナはその様子をしばらくぼんやりと眺めていたが、突然何かひらめいたように大きな声を上げて湯から立ち上がる。
「そうだ、アレを使えば面白いものが作れそう。
ワタシ手芸は下手だから、作業に時間はかかるけど、でもきっと大丈夫。
この建物を妖精森のツリーハウスみたいにリフォームでくるし、建物の上まで登れるわ!!」
そういうと興奮したカナは、派手に浴槽の中で暴れてばしゃばしゃと湯をまき散らした。
***
湖畔の桜離宮から抜け出し、冬薔薇聖堂のある町に来たルーファス王子とニールは、先に潜伏している女騎士アシュと合流した。
男装したアシュは、ルーファス王子と同じように髪を黒く染めている。
冬薔薇塔がよく見える町外れの旅館を隠れ家にして、その部屋の一室で三人は落ちあった。
「アシュ、冬薔薇聖堂にいる最高位大神官の様子はどうだ?
僕が桜離宮を出てからこの町に来るまで、全く追っ手の気配がなかったのだ」
黒髪にそばかす顔の少年に変化したルーファス王子の問いに、イケメン黒髪青年に化けたアシュは答える。
男装したアシュは、魔力持ちを売り込んで臨時採用の神官として冬薔薇聖堂に潜り込んでいた。
「その事に気づかれましたか、さすがルーファス王子さまです。
最高位大神官は魔女カナさまを捕らえてから、すっかり蒼臣国を乗っ取ったつもりでいます。
そして【茶色い髪の悪い魔女】の姿を蒼臣国の貴族や有力者たちに見せつけて、自分の力を誇示しようとしたのですが、カナさまはまるで……」
そこまで言うとアシュは堪えきれず、肩を震わせて笑い出す。
「アシュ、囚われたオヤカタの姿を見たのか。何を笑っている、早く続きを話せ」
「ああ、失礼しました、ルーファス王子。
最高位大神官は、囚われて泣き叫ぶ【茶色い髪の悪い魔女】を見せるつもりでしたが、魔女カナさまは清楚で可憐な少女のように振る舞い、とても楽しそうに塔の中の掃除をしていました」
カナと何度もDIY作業をしたアシュは、カナが苦しく辛そうな表情で働く姿が、実は作業に熱中しながら鼻歌を歌っているのだと分った。
そのアシュの言葉に、ルーファス王子とニールは驚く。
「えっ、カナさまが清楚で可憐な少女?
少しガサツで乱暴な魔女の間違いではありませんか」
「ニール、何を言っているんだ。
オヤカタは男を利用することしか考えない、人に欺くのに長けた立派な魔女だ。
あの程度の魔力しか持たない最高位大神官に、僕のオヤカタの本性が分かるものか」
とても誉めているとは思えない言葉を自慢げに言い放つルーファス王子に、アシュは苦笑いする。
最高位大神官は捕らえたはずの魔女カナに振り回されて、肝心のルーファス王子が姿を消した事に全く気付いていない。
「とにかく魔女カナさまが清楚で可憐な乙女に化け、それを見た有力者たちは最高位大神官が罪のない茶色い髪の娘を虐めていると勘違いしました。
しかし最高位大神官は性懲りもなく、今度は貴族や有力者の娘たちを冬薔薇聖堂に集めるように命じています」
その言葉にルーファス王子は首を傾げ、ニールは意味を理解して声を荒げる。
「それはルーファス王子に好意を寄せている、貴族や有力者の姫様たちですね!!
カナさまが清楚で可憐な乙女に化ければ化けるほど、娘たちは魔女に嫉妬の炎を燃やすはずだ」
その時、聖堂から集合の合図を知らせる鐘の音が聞こえ、アシュは急いで灰色の法衣を羽織ると頭巾で顔を覆う。
「この旅館は人除けの結界を張り巡らしているので安全です。
私が聖堂に出かけている間、ニールはルーファス王子さまの警護を頼みます」
二人にそう話すと、女騎士アシュは神官として冬薔薇聖堂に出かけた。
けばけばしい冬薔薇聖堂の内装に負けないくらい、まるで舞踏会会場のように、色鮮やかなドレスで着飾った娘たちが集まっている。
テーブルの上には王都の豪華料理や珍しい菓子が準備され、イケメン神官が貴族や有力者の姫様たちをエスコートしていた。
そのイケメン神官の中でも、黒髪で背の高い中性的な美形神官に娘の人気が集中している。
「私は父上に言われて冬薔薇聖堂に来たけど、ルーファス王子さまは私にはお若すぎるの。
そうね、ちょうど貴男くらいの年齢の、素敵な人が理想だわ」
「ありがとうございます姫さま。王都で評判の砂糖菓子をどうぞ」
「背の高い黒髪の神官さん、私のテーブルにも砂糖菓子を配ってちょうだい」
切れ長で涼しげな瞳をした神官がにっこりと笑いかけると、砂糖菓子を受け取った金髪の姫は頬を染め、周囲にいる娘たちも黄色い声を上げる。
「ねぇ、貴男も最高位大神官さまのお弟子さんでしょ。
それなら将来は、ルーファス王子の兄弟子になるのね」
「いいえ、私の灰色の衣は下位神官です。
それに最高位大神官さまは黒髪の男より、金髪や銀髪の稚児が趣味で……弟子にしたいようです」
黒髪イケメン神官はルーファス王子の名前を出した途端、顔を曇らせて言葉を濁すが、それを不審に思った赤いドレスの姫が理由をたずねようとした。
その時、祭壇の簾があがりクジャク羽帽に金糸の派手な刺繍が施された法衣、クジャク羽の派手な呪杖を手にした最高位大神官が、愛想笑いを浮かべながら皆の前に現れる。
「初めまして、蒼臣国の姫様たち。これは見目麗しい美女が集まりましたね。
それに王都の貴族に勝るとも劣らない、なんて素晴らしいドレスでしょう」
何気なく最高位大神官がお世辞のつもりで言った言葉は、一部の姫の不評を買う。
「このドレスは、エレーナ姫が妖精森の魔女から貰った魔導ミシンで、彼方の世界のドレスを真似て作られたのよ」
「そのエレーナ姫は最高位大神官に会いたくないと、離宮に引きこもっていらっしゃるわ」
蒼臣国に来てから、最高位大神官の評判はすこぶる悪い。
集まった娘たちの白けた視線にも、しかし最高位大神官は気にする様子もなく話を続けた。
「姫様たちもご存知のように、ルーファス王子は【茶色い髪の悪い魔女】に呪われています。
そして私が捕らえられた【茶色い髪の悪い魔女】は、醜い姿を誤魔化して清楚で可憐な乙女のふりをしている。
しかし所詮ただの田舎魔女、姫様たちなら騙されることなく魔女の本性を見抜くでしょう。
【茶色い髪の悪い魔女】に呪われたルーファス王子を、姫の美しさで目を覚まさせて下さい」
最高位大神官がルーファス王子の名前を出すと、それまで不審げな視線で見ていた彼女たちの目の色が変わる。
「そうね、【茶色い髪の悪い魔女】がどんなに着飾ってルーファス王子さまを騙そうとしても、私はその本性を見破るわ!!」
「ルーファス王子さまが夢中の魔女は、彼方の世界の化粧で美人に化けているだけでしょ。そんな女には負けたくない」
「ふふっ、女の嫉妬は恐ろしいですからね。
冬薔薇塔に囚われた【茶色い髪の悪い魔女】がどんなに着飾っても、同じ娘たちの目は欺けません」
すっかり好戦モードになった娘たちを見て、最高位大神官はほくそ笑む。
猫背の神官が祭壇の前に大きな姿見を抱えて運んでくると、震えながら姿見の表面を撫でた。
魔鏡はぼんやりと、どこか違う場所を映し出した。
なぜか鏡の表面が白く曇って、よく見えない。
娘たちはルーファス王子をたぶらかす【茶色い髪の悪い魔女】の姿を確認しようと、魔鏡の前に集まってきた。
それは部屋に立ち込める湯気で、白い湯煙の向こう側に大きな浴槽がある。そして浴槽の白く濁った水の中に人影が見えた。
「ねぇ、着飾った【茶色い髪の悪い魔女】はどこにいるの?
もしかして白い水に漬かっている、すっぽんぽんの娘が【茶色い髪の悪い魔女】?」
「魔女は体の小さい娘だって聞いていたけど、ちゃんと出るところはでているのね」
「なんてひどい、冬薔薇塔に全裸で女の子を閉じこめるなんて。
服を脱がされて裸だから、白く濁った水の中から出てこれないのよ」
姫様たちが見たのは、白い水の中で手足を抱え、眠るように目を瞑ったまま表情を消した茶色い髪の少女だった。
思わず一人の姫が、隣に立つ黒髪イケメン神官に問いかける。
「こんなのおかしいわ、どうして女の子がお風呂に入っている姿が鏡に映るの!!」
「それは……最高位大神官さまの覗き趣味です。修道女や弟子の入浴姿を鑑賞するのです」
「えっ、まさかルーファス王子さまがあの男の弟子になったら、お風呂を覗かれたりするの?」
「これは最高位大神官さまのご趣味です。
我々は絶対服従、弟子も嫌だと逆らう事はできません」
キッパリと答えた黒髪イケメン神官は、小さくため息をつくと顔を逸らした。
話を聞いていた姫様たちは顔面蒼白になる。
このままではクジャク羽に派手な衣装を着た悪趣味な男に、彼女たちの愛するルーファス王子さまは玩具にされてしまう。
「こ、こ、これは一体、どういう事です!!
【茶色い髪の悪い魔女】め。ふざけた真似をして私を陥れるつもりかぁ」
あまりに予想外の事態に、最高位大神官は魔鏡の前にいる娘たちを乱暴に払いのけ、姿見にへばりついて魔女の姿を覗き込む。
「いやぁ、この親父、女の子の裸をイカガワシイ目で舐めるように見ている!!」
「全裸で若い娘を塔の中に閉じこめて鑑賞するなんて、へんたい、へんたい」
「ルーファス王子がコイツの弟子になったら……妖精族の麗しい王子様が汚されちゃう!!」
姿見にへばりついた状態の最高位大神官に、怒り狂った姫たちが掴みかかる。
その場にいた神官たちは止めようとしたが、圧倒的に娘たちの数の方が多い。
混乱の最中、臆病な神官ももみくちゃにされ魔女の姿を映した鏡も粉々に砕け散った。
その騒動の中に、黒髪イケメン神官の姿はなかった。
***
「ふわぁ、日本名湯の入浴剤は湯加減最高で、気持ちよくてウトウトしちゃった。
このままじゃ長湯でのぼせるわ。少し湯冷まししなくちゃ」
カナは湯船からあがるとブランケットで体を包み、壁際の石のベンチに腰掛けて冷めた紅茶で喉をうるおした。
半分夢見ごこちで湯に浸かっていた時、側に置いた派手な装飾の手鏡から騒がしい話声が聞こえたと思ったけど、どうやら気のせいらしい。
カナは手鏡を手に取って覗き込むと、もう一度自分の頬や首回りを確認する。
「ふふっ、大掃除で体を動かしたし、お風呂に長湯してカロリー消費したから、少し引き締まったみたい」
『うっ、う・わぁーー。なんで……!!』
「きゃあ、鏡がしゃべった!!」
同時刻、町外れの旅館の一室。
女騎士アシュが潜伏場所に選んだ旅館の一室で、ルーファス王子は背負ったリュックをおろすと、中から手鏡を取り出した。
これは桜離宮の応接室のクッションに隠されていた、エレーナ姫の魔鏡だ。
「母上は秘密にしていたけど、僕は知っている。
この鏡に魔力をこめれば、冬薔薇塔の中に閉じこめられているオヤカタの姿が見える」
ルーファス王子は、妖精森からこちらの世界に魔女カナを連れ出した。
そして最高位大神官に狙われた自分を逃がすため、魔女カナは自ら囮になり捕らえられて、冬薔薇塔に幽閉される。
囚われたオヤカタの事を考えると、ルーファス王子は胸が張り裂けそうなほど辛く悲しく、そして初めて腹の底から沸き上がる怒りを感じた。
全身全霊を込めて魔鏡に力を注ぎ、食入るように鏡面を見つめていると、薄っすらと白くぼやけた場所が映し出される。
そして白い靄の向こうに人影が見えた。
「なんだろう、鏡が曇っているのかな。
これが冬薔薇塔の中なら、きっと何所かにオヤカタがいるはずだ。
あっ、あの茶色い長い髪は……」
すると突然、魔鏡にすっぽんぽんのカナがドアップで映し出され、微笑みながらこちらを見ている。
「うっ、うわぁーー、なんでオヤカタ裸なの!?」
ルーファス王子の叫び声を聞きつけたニールが、驚いた表情で部屋に飛び込んでくる。
「いきなり大声を出して、ルーファス王子、何かあったのか!!」
「な、なんでもない、本当になんでもないんだ、ニール。
ちょっと最高位大神官を思い出して、苛ついて大声で叫んでしまった」
大急ぎで枕の下に鏡を押し込んだルーファス王子は、焦って言い訳をすると、しばらく一人にしてくれとニールを部屋から追い出した。
そしてもう一度鏡に魔力を込めたが、激しく動揺したルーファス王子は、カナの姿を映し出すことは出来なかった。
一話すっぽんぽんの主人公




