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その16

 カナは水瓶を持って二階に降りると、ライオンの口から浴槽に流れる水をくんでみた。

 水は澄んで綺麗な状態で匂いもない。これなら飲料水にしても大丈夫だろうと判断する。

 そして一階の寝室に下りると床に転がった腕時計をはめて、ベッドの上に忘年会残念賞景品の赤いリュックサックの中身を広げた。

 

「えっと年末大掃除&寝正月セットの中身は、自然に優しい重曹洗剤としつこい汚れを落とす洗剤と芳香剤、それに凄く汚れが落ちるスポンジとタワシのセットね。

 寝正月セットはインスタントコーヒーとティパック、年越しそば(インスタント)とマムシエキス入り栄養ドリンク。

 それと日本名湯の入浴剤がある。

 そういえば昨日は雨に濡れたりバトルしたから、なんだか体が汗臭い気がする。

 二階のバスルームを掃除してお風呂に入りたいけど、水風呂はいやだなぁ」


 カナはクンクンと自分の匂いを嗅ぎながら、大叔母さんの飾り棚に置かれていたターコイズブルーのカップに水で溶かしたコーヒーを飲んだ。

 しかしインスタント粉末が全部溶けずに、不味いコーヒーになる。


「侍女長ハビィさんからもらったフリーズドライ食品も、水で戻した冷たい料理を食べなくちゃいけないのね」


 そう言うと食いしん坊なカナは、がっくりと肩を落とした。

 建物の中は薄着でも寒さを感じないが、雨に濡れたまま乾いてゴワゴワになった髪がうっとおしくて洗髪したい。

 ふと肩に掛かる髪を払おうとした指先が、首のネックレスに触れる。


「そういえばアシュさんからもらった赤い火打ち石で、お水を温められるかもしれない?

 使い方は赤い石を舐めて水瓶の中に沈めれば、うわっ、びっくりした!!」


 カナはチェーンから炎の結晶を外して水瓶の中に放り込んだ。すると瞬く間に中の水がグツグツと沸騰する。

 

「やったぁ、お湯が沸かせた。アシュさんありがとう。

 これでフリーズドライ食品も美味しく食べられるし、もしかしてこの火力ならお風呂も沸かせちゃう?」


 沸いたお湯でコーヒーを入れ直すと、インスタント粉末もきれいに溶けて温かいコーヒーが飲めた。

 さっそくカナはテーブルにキャラメル状のフリーズドライ食品を並べ、ふと腕組みをして表情を曇らせる。


「えっとフリーズドライ料理は二十食あるし、火の付いたクリーム菓子と完熟白桃もフリーズドライにしてもらったから、助けが来るまで食べ物は充分足りているよね。

 それよりも食べ過ぎに注意しなくちゃ。

 この世界の十日は私の一日だから、朝昼晩食事をしたら、一日三十食食べた事になる」


 ベッドの中で目覚めて建物の中を隅々探索して、かなり時間が経過したはずなのに、カナの腕時計はまだ【8:40】だ。

 夏別荘を出発したのが前日の夕方だった。

 腕時計の時間が正しければ、カナはこの世界に来て一晩で四食以上食べている。


「えっと、これからは朝と晩に食事をして……だめだ、それでも一日二十食だから確実に太る!!

 こうなったら、基本一日一食におやつにすればいいよね。

 さてと、体を動かしたからお腹が空いちゃった。

 朝ご飯は、くんくん、このバジルの香りがする料理を食べよう」


 部屋の飾り棚には大叔母さんのコレクションするコレクティブ食器が飾られて、カナがインスタントコーヒーを飲んだカップは貴重レア品だった。

 しかしそんなこと知らないカナはガチャガチャと音を立てながら食器を運ぶと、金の縁取りがされた深皿にフリーズドライ食品を入れて熱湯を注ぎ、一回り大きな平皿でふたをする。


「えっと1、2……198、199、200。どんな料理が出来たかな。

 ふわっ、バジルの香りはスパゲティソース。

 細麺のスパゲティに真っ赤でプリプリのエビに赤身魚とイカの切り身、具だくさんで食べ応えありそう。はむっ、ちゅるん、細麺とシーフードにバジルソースが絡まって美味しい」


 こちらの世界は和食と中華とイタリアンが合わさったような料理で、しかも侍女長が四年の歳月をかけて作り上げた究極のインスタント食だ。

 朝食にしてはかなりボリュームのあるシーフードスパゲティをペロリと平らげたカナは、さらに他のフリーズドライを手に取る。


「ふぅ、お腹いっぱいごちそうさま。でもデザートは別腹よ。

 食後のデザートは、甘くてさわやかな香りの完熟白桃にしよう」

 

 

 ***



 桜離宮の応接室で手鏡に映されたカナの様子を見て、侍女長ハビィは悲鳴のような声を上げた。


「いけませんカナさま、一日一食でも多すぎます。

 せめて二日に一食にしてください。

 しかも完熟金剛白桃は不老不死の果物と呼ばれ、滋養強壮に富んでいて一個食べれば二日は眠らずに働き続けられるほど栄養価の高い食べ物。

 ああ、もう見てはおれません。

 エレーナ姫さま、早く私をカナ様の元へ遣わしてください」


 魔女カナは自分で何でも出来るたくましい娘だが、料理だけは苦手だ。誰かが彼女の食事の世話をしなければならない

 塔に閉じこめられた魔女カナの飢える心配より、過食の心配をすることになるとは……。

 鏡に魔力を送りながらカナの様子を見ていたエレーナ姫も、心配そうな表情になる。


「ではハビィ、貴女をカナさまのお世話を頼みます。元の姿に……」


 エレーナ姫が言いかけたその時、応接室の扉が乱暴に音を立てて開くと白銀の髪をした少年が中に駆け込んできた。


「母上、オヤカタは大丈夫なのですか!!

 オヤカタはいつでも僕らを助けてくれたのに、どうして【悪い魔女】と蔑まれ冬薔薇塔に幽閉されなければならないんだ。

 僕のせいだ。僕が最高位大神官の弟子になるのはイヤだと言ったから、そのせいでオヤカタはヒドい目に遭わされている」


 声をあらげ髪を振り乱したルーファス王子は、母親の元へ逃れてから三日間ずっと同じ内容の言葉を繰り返していた。

 エレーナ姫は小さくため息をつくとカナの姿を映す手鏡をクッションの後ろに隠し、息子を無視して侍女長に向き直る。

 そして氷のツララのような細い水晶の杖を一振りした。


「これからハビィを元の姿に戻し、私の使い魔としてカナさまのところへ遣わせます。

 カナさまに不自由がないように手助けしなさい」

「えっ、母上何を言っているのです。侍女長が使い魔って……どういうことですか」


 おもわず叫んだルーファス王子の目の前で、紺のドレスに白いエプロンを着た黒髪の侍女長の体から、突如無数の羽が吹きだす。

 まるで枕の中身をぶちまけたように羽毛で視界が白くなり、そして侍女長に立っていた場所に白い大きな鳥がたたずんでした。

 全身真っ白な羽に長い尾びれ、片方だけルビー色の瞳をした鳥がルーファス王子の前で優雅に翼を広げる。


「ルーファス王子さまには、この姿を初めてお見せします。

 私は妖精族と魔物の間に生まれた半魔物。

 魔物として生きていた私は、エレーナ姫さまと契約することで人の姿を取り戻したのです」


 純白の大きな鳥が、侍女長の声で人の言葉を話す。


「えっ、侍女長は母上と同じ黒髪だし顔もよく似ているから、同じ親族だと思っていた。でも本当は母上の使い魔だったのか」


 まるで自分の子供のようにルーファス王子の世話をしていた侍女長は、本当の魔物の姿を晒したまま頭を垂れる。

 半分魔物の血が流れていると知られれば、もうルーファス王子の側には居られない。


「お許し下さいルーファス王子さま。これまで私は、自分の正体を偽ってきました」

「ねぇハビィ、その純白の翼にさわらせて。

 凄い、なんて綺麗な美しい使い魔だ。

 僕も母上やオヤカタのように、ケルベロスや黄金の獅子や、ハビィのような優秀な使い魔を使役できるようになりたい」


 白い鳥が頭を上げると、目の前の王子は瞳をキラキラ輝かせながら両手で純白の翼をゆっくりと撫でて、そして力のこもった瞳でハビィに告げた。


「お願い侍女長、早くオヤカタのそばに行ってあげて。

 オヤカタをこの世界に縛り付けているのは僕なんだ。

 もしオヤカタが塔に閉じこめられるのが辛いのなら、腕にはめた銀のリングを外してあげて。

 そうすればオヤカタは彼方アチラの世界に戻れる」

「かしこまりました、ルーファス王子さま。私は命に代えてでもカナさまをお守りいたします。

 でもカナさまは、決して「辛い」とはおっしゃらないでしょう」


 さっきまで魔鏡に映し出されていた魔女カナは、冬薔薇塔の中を駆けずり回って大はしゃぎしていた。

 それを知るハビィは、楽しそうにクククッと鳴く。

 そして純白の大きな鳥は翼を羽ばたかせ、桜離宮の開け放たれた窓から飛び立っていった。

 応接室を横切りバルコニーに出たエレーナ姫は、白い鳥が冬薔薇塔のある東の空を高く飛んで行くのを見つめる。

 使い魔を見届けたエレーナ姫が部屋に戻ると、中にルーファス王子の姿はなく、クッションが床に転がっていた。



 

 桜離宮の庭園にある作業小屋で、紺の上等な服の脱ぎ捨てて綿の作業服に着替えた少年に、灰色の髪をした若い兵士が声をかける。


「ルーファス王子、その変装は俺の従兄弟そっくりです。だれも白銀の王子様とは思わないでしょう」

「ニール、敬語はやめろ。僕はお前の弟ということにする。

 どうやらあの最高位大神官や神官連中は、女神に仕えていながら魔力を感じ取ることができないようだ。

 だから魔力を練って作り上げた僕の変わり身は、最高位大神官でも絶対に見破られない」


 黒髪に黒い瞳、肌は浅黒く頬にそばかすのある少年は、そう告げると生意気な表情で笑う。

 王子の後ろに控えていたニールは、嬉しそうに声を弾ませて返事をした。


「やっとやる気が出たな、ルーファス王子。

 俺たちの力で、最高位大神官に囚われた魔女カナさまを救い出そう。

 すでにアシュさまが冬薔薇聖堂のある町に潜伏している。これからすぐ出発するぞ」


 ニールの言葉にうなずいたルーファス王子は、エレーナ姫が隠していた大きな手鏡を背中のリュックに押し込む。

 作業小屋の奥に停めていた白い自転車のハンドルを握ると、守護聖霊ジテンシャは急いているかのように勝手に前に進もうとした。


「異界の守護聖霊、お前も早くオヤカタと会いたいだろう。

 僕らからオヤカタを引き離した奴を決して許さない。

 聖堂も最高位大神官も、今この瞬間から僕の敵だ!!」

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