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禍根の封印  作者: 尋道あさな
第一幕
8/71

【学校】

 


 翌朝、依月は目覚めてから最初に自室の壁を見渡した。


 大丈夫、白い。

 そんな事を思いつつ、ベッドから抜けて背伸びをする。


 父親は仕事から帰宅して一番に依月の顔を見に来た。

 禁酒する、と神妙な顔をした父親に依月はあたたかいものを感じる。とは言え、滅多に飲まない人だ。たしなむ程度しか飲まないのにわざわざ禁酒をする必要がないと宥めに宥めて納得させた。

 母親はその様子を見つめながら、穏やかに笑って肩を揺らした。


 幸せだよ。

 すごく幸せなんだよ。


 それが依月に言い様のない不安を与える。


 幸せだと思える生活が壊れてしまったあの時は、本当に目の前が暗くなった。

 俯いて泣く父親、呆然としたまま宙を見つめる母親。

 二度とあんな思いをしたくないしさせたくない。


 そのためにも依月は絶対に死んではならないのだ。



 階段を降りて行く途中、甘い卵焼きの匂いがした。

 お弁当の卵焼きか、朝のスクランブルエッグか。

 どちらも似たような匂いがするが、依月は卵焼きだと予想した。おかずを予想する些細(ささい)な楽しみも依月にとっては重要な日常である。

 せめて、家に居るときだけは楽しい気分で居たかった。


「おはよう、お母さん。卵焼き?」

「そうよ。今日のお弁当に入れる卵焼きを焼いてるの」

「予想が当たった!朝から幸先いいかも?」

「あら、じゃあ今日は一日ずっとラッキーかしら?」

「だったらいいなぁー」


 リビングで母親の焼く卵焼きを覗き見しながら、軽口を叩き合う。

 思い切り背伸びをして、依月はリビングを出ていった。

 洗面所へ顔を洗いにいけば、先客が顔を拭いている所で。


「お父さん、おはよう」

「ああ、おはよう。依月ちゃん」


 人好きのする顔でにっこり笑った中肉中背の父親は愛想もよく、親しみやすい。えくぼがチャーミングだ。

 しかし、本人曰く最近はおでこの面積が広がっているような気がして不安で仕方がないらしかった。


 顔を洗ってリビングに戻れば、既に朝食が用意し終わっていた。

 母親は珈琲を淹れて父親は冷蔵庫から牛乳を取り出す。


「依月ちゃん、今日は珈琲牛乳?牛乳だけにするかい?」

「珈琲牛乳にする。ありがとう」


 依月の分を作ってくれる父親にお礼を言って席についた。



 朝食を終えて、父親と依月は時計を見る。

 方向は正反対で通勤と通学の道程が同じになることはないが、家を出るのは大体同じ時間帯だ。


 ここで、依月の幸せな時間は終わる。



 学校と言う重苦しい場所へ向かうだけで、自然に顔は俯いた。

 通学路を無表情に歩きながら学校が近付くにつれて依月の気持ちは憂鬱になった。


 これが無ければ依月の一日は楽しいもので埋め尽くされるはずなのに。



「あー、おはようございまぁす、安西センパーイ」


 いかにも性根が悪そうなクラスメイトは校門で依月を見つけて絡んできた。


 無視された方がどんなに良いか。

 暴力的な苛めはなく、ただからかって絡むだけ。


 鬱陶しいくらいに依月をセンパイだとわざと呼ぶクラスメイトの女子達はチームワークに優れているのだろう、集団で先輩と呼んでくる。


「……おはよう」


 行き過ぎだと思ったら、依月はしっかりと言い返していた。

 けれど、これが一年間の差か、依月が言い返したり注意をすると非常に面白がって爆笑する。


 全く意味がわからない。

 隻弥や速水並みに意味がわからない高校二年。

 三年の同級生だった友人が依月と話したりすると、妙に(はや)し立てたりする。

 箸が転んでもおかしいと言うべきか、とにかくすぐに馬鹿にして笑う。


 居心地が悪いのは当然だった。



 席に座って、依月は出されていた課題のプリントを取り出した。

 数学Aの担当教師は火曜日の一時限目は何もないとかで、その時間を利用して採点をする為に朝一で課題を回収する。回収するのはいつも日直の仕事だった。


「さっすがセンパイ。出来てるじゃん!」


 依月の背後から手を伸ばし、プリントをさっと奪ったクラスメイトの女子はそれを手に他の女子のグループへ戻っていった。

 依月は渋々立ち上がり、その女子の後を追い掛ける。


「……それ、返して。今から集めようとしてるみたいだし、未提出にしたくないから」


 今日は既にクラス委員がプリントを集めて回っている。

 今から写したとしても到底間に合わないだろう。


「え、まじうける!未提出にしたくないから、だって。なにそれ~」

「格好いいー!やっぱ先輩は違うね!課題もちゃんと真面目にやるって感じ!」

「けちけちしなくてもよくない?うちら先輩みたいに余分に勉強してないから頭悪いんだよねー」


 きゃはははは、と高い声をあげて笑う女子達に依月のこめかみがヒクリと動く。


 元より依月は短気。賢くもないし単純思考な女である。

 けれど、学習しない訳でもない。

 ここでキレてもただ馬鹿にして笑われるだけだ。


 二年女子の頭の中に“安西依月は先輩”とインプットされている限り、彼女達は依月を笑い者にして楽しむ事をきっと止めはしないだろう。

 クラスメイトだと思われていない。

 女子を除いて残る男子も依月を先輩として見ているせいで、気軽に話し掛けてさえ来なかった。

 教師ですら、一度二年を過ごした依月にどんな対応をしたらいいか悩む素振りを多々見せる。


 別に留年なんて珍しくない。

 普通よりわずかに下のランクの高校だ、三人や四人は留年する。

 けれど、いずれも留年するのは不登校児や不良の類いで、依月のような見た目も中身も普通な生徒が留年したことにクラスメイトは面白がっているのである。


「課題、書き写したら私の分もクラス委員に出しておいてくれるかな」

「りょーかぁーい!」


 携帯電話を触りながら、女子の一人が返事をした。


 依月は再び席につき、気落ちしたまま興味無さげに窓の外を見つめる。


 校庭のあちこちに引かれた白線が所々消えていた。

 空気が重い。

 周りは楽しそうに騒いでいるのに、依月だけが取り残されている。

 まるで、弾き出されたかのように。


「努力はしたんだけどな」


 ぼそりと呟き、自嘲する。


 馴染めるように、話し掛ける努力はした。

 彼女たちが一線を引いて依月を笑い者にしたのは恐らく依月のせいではない。

 単純に“仲間”として先輩は入れたくなかったのだろう。どのグループもそんなものだ。


 ため息を吐き出して、いつものように黙って外を見つめた。




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