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禍根の封印  作者: 尋道あさな
第三幕
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【終幕】

 


「ずっとあいたかったの。やくそくは、はたされていたのよ」



 目覚めた隻弥は思っただろう。禍根が約束を違えたと。一方的に自分が言っただけで、それを受け入れたなどと思ってもみなかっただろう。依月が禍根と会話したとき、何より驚いたのは隻弥だ。宿主が移ることは後の調べで分かったが、だからこそ自分に禍根が宿ったのはそういうことなのだろうと思っていた。聞き入れて、優花を捉えていたなどと思いもしていなかった。


 聞いているのかいないのか、分からないような隻弥の顔を見つめて優花はふぅとわざとらしく一息ついた。


「いつきちゃんは、すてきなおんなのこね」

「は……?」

「こえがだせたの?それとも、いつきちゃんのなまえをだしたから、こえがでたの?」

「別に、そういうんじゃねえ」


 掠れた、聞き取りづらい声だった。が、隻弥から発された声だ。間違いなかった。呆然としていただけの四人がハッと意識を取り戻す。


「どうなってんだよ、何が何だか……」


 相模が隻弥に向かって投げかけた疑問も当然のように無視されている。


「からだをかしてくれたのよ」

「馬鹿なことしかしねぇんだよ……」

「そう。でも、だいじなのね」

「うるせえ……」


 ああ、本当にどうしてくれよう。

 じわじわと取り戻していく己の感覚に隻弥は言葉が出なかった。



 久しぶりに禍根が静かで、久しぶりにまともな思考ができて、久しぶりに――本当に久しぶりに、優花と会話をしている。


 それが全て依月によって実現したものだと分かってしまえば、もう何の抵抗もなく、自身の気持ちを認められた。驚くほどすんなりと「そうだった」と腑に落ちる。


「みてきたから、しってる。それから、ずっといいたかったことがあるの」

「なんだよ」

「――――――――――」

「……本当に、馬鹿しかいねえな」


 小さな声でそっと伝えた言葉に、隻弥は涙を堪えた。



 月日が経って、歳も取って、絶対にこの場で泣きたくないという意地で顔を顰めた。それに気付いてか優花は可笑しそうに微笑む。


「いつきちゃん、ありがとう。ぜんぶ、おわったよ。それから」


 振り返った優花にどきりと四人が冷や汗をかく。全く場に入れなかった面々は未だ状況を理解していない。しかし、真っすぐに視線を向けられた八衣は表情を硬くした。


「おねがいできる?わたしをかえすこと」


 還す――そういう意味だ。


 八衣の最も得意とするところ。優花の魂を輪廻に戻す作業を八衣にさせようとしているのだと気が付いた速水は八衣の顔色を窺う。


「馬鹿にしないで。誰があんたの魂なんか、触るもんですか。頼むなら隻弥に頼めばいいじゃない」


 おいおい、と相模が小声で突っ込んだ。速水も内心同じ気持ちだが、八衣にとって優花は最も苦手な人間だ。断りたくなる気持ちも分からんでもない―――と思いかけて、速水だけが真実に行き着く。


 ああ、そうか。譲ったのか。隻弥さんに。


 そしてそれは、当たっていたのだろう。優花は少し困った顔をして、隻弥に振り返る。隻弥は不機嫌と言っても差し支えない表情で優花を睨みつけた。


「なんの嫌がらせだ」

「そんなつもりはないのよ。これから、うちのが……ううん、もうせきやのものね、あのこがきっとおこるから」


 隻弥を虐めることに関して、不幸にすることに関しては喜んで協力する癖に、他では全く手を貸そうとしない優花の禍根――紅弥がきっと暴れだすだろうからと気を遣ってのことだったが、どうも不機嫌にさせてしまったらしい。優花は少しだけの名残惜しさを感じて、しかし確固たる意志で、隻弥に「じゃあ、おねがいね」と告げた。


「ぬけるわ」


 そう言っていとも簡単に依月の身体を解放する。


 その素早さが優花なりの意思表示だった。不安も、寂しさも、あるけれど、それでも自分はもう逝かねばならないと分かっていた。



 ふわりと光が漂う。

 閉じ込められていたせいか、輝きが普通の魂よりずっと強い。


 思わず八衣も見惚れるほどに美しい光景だった。



 不穏な気配が戻るのを隻弥は感じたが、これまで五月蠅いほど近くにあったものを抑え込んで術を行使することは容易い。嫌がらせをしようとして、苦しめようとして、この結果に行き着いたことは紅弥にとってかなり不本意のはずだ。だからこそ油断しないで隻弥は頭の中を空にする。



「か」




 開錠――




「すとっぷ」

「あ?」

「すとっぷ!!すてい!とまれ!」



 ぱち!と音が聞こえそうなほど勢いよく目を見開いた、さっきまでずっと見つめ合っていた少女――


「だめだめだめ!隻弥!」


 依月が慌てた様子で隻弥の口を塞ごうと手を伸ばす。突然の動作にすっかり動揺した隻弥が支えきれずに依月を抱えて後ろに倒れ込む。後頭部を強打したが、それに構ってる暇はなかった。


「どけ!優花の魂が――」

「灰月!!!!」


 まばゆい光を放っていた魂が吸い込まれるように依月の身体に戻る。まるでそれを歓迎したかのような速さで戻っていったことに、隻弥は人生で初めて目が点になるという経験をした。


「は、はあ……!?おい、何してる、なんだ?は?お前、何を……」

「なんで気付かないかなあ!?そういうところ本当に駄目だと思うよ!?」

「あ!?」

「どう考えてもここで送り出しちゃ駄目でしょ!?女心分かって無さすぎない?」

「いや、お前、それは優花の魂で、還してやらないと」

「……何言ってるの、隻弥。分かってるってば、そんなことは。転生出来ないんでしょ?でも優花ちゃん、転生したい訳じゃなさそうだし、もうちょっとくらい良いじゃん。灰月がなんとかできるんだから、ここにいてもいいでしょ」

「お前の身体だって支障がない訳じゃねぇだろ」

「それは私が決めることだから隻弥にどうこう言われたくない」


 人のことを散々心配しておいてどの口が言う、と言いかけて、隻弥は口を噤んだ。具体的にどういう状態になるのかも、何が問題なのかも説明できるほど自分が幽体について知らないことに気付いたからだ。だから、現状ですぐにどうこうなるとも言えない。


「……」

「ねぇ、隻弥」

「なんだ」

「わたし、優花ちゃんと隻弥にはもうちょっと楽しい時間があっても良いと思うんだけど、隻弥は嫌なの?」

「嫌とかそういう問題じゃねぇだろうが」

「じゃあ嫌じゃないの?」

「……」

「うわ、ひどい。優花ちゃんひどくない?隻弥」

「あーもう、クソ、だから嫌じゃねーよ。わかった、わかった。好きにしろ。依月の好きにすりゃいいだろもう」

「はーい!好きにしまーす!」


 紅弥の不満か否か、どっと身体を襲ってきた疲れに隻弥はため息を吐きだした。けれど、久しぶりの馬鹿な依月に案外悪くないと思ってしまったのも事実だったのである。



 事態についてずっと黙っていた美奈子が控えめに告げた。


「では、とりあえず昼食を――久しぶりに全員で囲みませんか?積もる話もあるかもしれませんし……」


 と、窺ったのは依月の方で。

 隻弥と話せなくなって、寂しい思いもしていただろうとの気遣いである。美奈子のことはそんなに好ましくないが、依月は笑って頷いてやった。


「いいよ。ね?隻弥」

「いいわけねぇだろうが」


 依月の身体を押し戻して立ち上がると、隻弥は流れる速さで依月を抱き上げその場から姿を消した。



「あー、とりあえず……風呂沸かすわ俺」

「では、私は食事の支度を……」

「八衣、少し休もうか?」

「……一度家に帰ってお祖父ちゃんの本持ってくる」


 取り残された四人がそれぞれにやるべきことを思い浮かべて散っていく。



 一方で、書庫に場所を移した隻弥は依月を抱え込んだまま乱暴に腰を下ろす。


「えー、隻弥、どうしたの」

「どうしたのじゃねぇ……」


 無言になって、それでも依月を離そうとしない隻弥に依月のほうが根負けした。


 ぱすん、と小さく音を立てて隻弥のぼろぼろの汚れた着流しの肩に顔を埋める。



 何も言わないまま、しばらく過ごした。



 ふいに依月の後頭部に隻弥の手のひらが触れる。がし、と頭を掴まれてびっくりして顔を上げた。


「せき……っ」


 言葉はひとつもなかった。

 蘇生じゃない触れ合いが、無言の後に急に降ってくる。


 冷たい唇だった。

 少しだけしょっぱい味がして、依月は隻弥の無言の訳を知った。


「大好きだよ、隻弥」


 その言葉に応答は無かった。でも、それでよかった。目を瞑って隻弥の唇の冷たさを感じて、何も見ないふりをして、依月は初めてのキスの動揺と満たされていく温かい感情になんだか泣きそうになった。


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