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禍根の封印  作者: 尋道あさな
第三幕
60/71

【穴】

 

 (みそぎ)をするという訳でもないのに白装束に身を包んだ依月は、初めての格好に場違いなほど浮かれていた。周囲を取り巻く人々は依月とはまるで正反対で、隻弥以外は皆一様に浮かない顔をしている。

 それもそのはず、修行というのは決して楽しいものではない。

 そして、依月もその事には当然気が付いていた。


 それでも尚、浮かれているのだ。――正しくは、浮かれたように振る舞っている、だが。


 浮かれでもしなければやっていられない、というのが依月の正直な気持ちだった。


 厳しく辛い修行になると隻弥からも聞かされており、尚且つ朝から速水と八衣は準備と称して走り回っていたのだ。物々しい雰囲気で八衣の手ずから白装束を渡され、相模からは同情するような目で見られた。


 とてもじゃないが、そんな雰囲気のなか「わぁ修行って楽しそう」などとは能天気に思えない。しかし、無理やりにでも自分で気分を明るくしなければ「嫌だ、やりたくない」と口に出してしまいそうだった。


 神妙な顔つきで、隻弥は数珠を数種類持ち出してくる。形はそれぞれ違うが、大きい珠だ。ピンポン玉より少し小さいサイズ。そんな珠をずらりと連ねている数珠だなんて、恐怖しか感じない。


 依月は真っ白な着物を汚さないようにと気を付けなから縁側に座る。そして、肌色の手のひらをジッと見つめ、試しに炎を出してみた。指先ではなく手のひらに出した炎は、小さいながらも力強くゆらゆら揺らめく。隻弥が依月に出させたがっていた大きさには至らないが、きっとこれが限界だと依月は自分で気が付いていた。

 恐らく、依月の脳内にはリミッターのようなものがあり、そのリミッターが解除されなければ、本来内側に潜む禍根の力は引き出せない。更に言えば、そのリミッターが外れる時、依月は自我というものを失ってしまうのだろう。


 リミッターを外す鍵になるのは、十中八九依月の感情だ。そう推測出来るのは過去の経験から。一度目は隻弥の傷を治したとき、二度目は凛也の傷を治したとき、三度目は凛也を――危険に晒したとき。三度も経験していれば、いくら馬鹿でも予想がつく。


 自分の力を、禍根の力を、最大限に引き出すには感情を大きく揺さぶって乱し、自我を失うしかないと。


 隻弥は不満そうだったが、依月は現在の小さな力で満足している。そもそも隻弥に依月が敵う筈がないのだ。しかし、隻弥に依月の能力の限界を説明したとしても隻弥はきっと納得しない。そういう性格だ。依月の事を信じている、禍根を知っているが故に、隻弥は依月の限界がもっと上だと確信を持っている。



「依月。そろそろ、始める」

「……うん」

「穴にお前を送り込む。抜け出して帰ってこい。それだけでいい」

「穴?」

「そうだ。ただし、普通の穴じゃねぇ。術によって開いた穴だ」



 数珠が鳴る。

 じゃらり、じゃらり。


 隻弥の手が左右にゆっくりと動く度、数珠が重たい音を奏でた。



「帰ってくるだけで良い。俺のところに、必ず帰ってこい」



 ピリピリした緊張感が場を支配する。

 隻弥は苛立っているような、歯がゆいと思っているような顔で、依月を睨んでいた。速水は静かに二人を見つめる。八衣は唇を噛んでいて、何かに怯えているようにも思えた。依月から少し離れて同じく縁側に座っていた相模が、それを見て小さく笑った。


「つーか、そんな顔するくらいなら、やらなきゃ良いのに」

「一棋様」

「分かってるって。余計な事言ってスミマセンね、篝家当主」


 隻弥が相模を睨み付けたと同時、美奈子が相模を嗜めるように名前を呼ぶ。相模は溜息を吐いて、面倒そうにそっぽを向いた。


「生きて帰ってこい。お前なら絶対に戻って来れる」

「……生きて?」



 ちょっと待った、それどういう意味――と問いかける暇もなく、依月の肩は強く押された。



 ず、ずずず、ず、ずず、と開いていく穴の音が間近に迫る。否、迫っているのは依月の方だ。隻弥に肩を押されて体勢を崩し倒れた依月は、そのまま穴に飲み込まれるように姿を消していった。



 その場から消えた依月に、しばらく誰も何も言わなかった。


 隻弥は静かに踵を返して、書庫に戻ろうとする。速水はそれを引き止めるように、慌てて声をかけた。


「隻弥さん。ここに居なくて、良いんですか?」

「帰ってくりゃ分かる」

「……心配じゃ、ないんですか」

「依月は戻ってくる」


 それだけ言うと、話は終わりだとでも言うように雪駄を脱いで隻弥は縁側に上がる。


 ふと、空気が揺れた。同時に砂利を踏んだ音がして、その音の主は声を上げる。


「どうして?どうして、最初の修行がこれなの?ねぇ、隻弥」


 久しぶりの、八衣からの糾弾だった。ずっと話しかけないように、話しかけてはいけないと八衣は我慢していたのだろう。隻弥を問い詰める声は震えていて、顔色も真っ青だった。


「あの子がもし、もしも、駄目になっちゃったら、隻弥はどうするの?」


 大事にしている、と思った。八衣にはそう見えていた。しかし、最初の修行はこれではあまりにも可哀想だ。隻弥はゆらりと肩を揺らした。


「駄目になると思うか?」


 次いで、首だけを捻り、八衣のいる方を振り向く。

 八衣は言葉に詰まり、拳をぎゅっと握り締めた。


「……分からないわよ、そんなの。あたしは、あの子のことをよく知らない、から。――でも」

「なんだ」

「少なくとも、あたしは怖かった!開錠師の一族に生まれて、小さい頃から修行をしてきたけど、あんなに怖かった修行は……これだけだった」

「依月はお前とは違う」

「そうだとしても!もし、抜け出せなかったら、一生あの子はそのままで……!」


 依月が落とされた穴の蠢きを見て、八衣はヒッと悲鳴をあげた。


 蠢く小さな黒い穴。依月を飲み込んでから大分小さくなったものの、過去の恐怖は拭えない。まるで生き物のように穴は収縮を繰り返していた。


「依月を知ろうともしないお前には言っても分かんねぇだろうけどな、依月はそんなにヤワじゃねぇ。俺が認めた女だ。何もできない奴じゃねぇ」

「それじゃ、優花のことは……っ」

「アイツはそもそも認める認めないの話じゃねぇんだよ、守るべき対象だった」



 ――そう、守るべき存在だった。あの少女は。依月とは違う。



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