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禍根の封印  作者: 尋道あさな
第三幕
54/71

【窮屈】

 

 (いにしえ)の家職。

 開錠師と呼ばれる、付喪昇天のスペシャリスト達は己の中に隠されている潜在能力の扉を開錠し、元あった力を引き出して付喪を昇天させる。

 本来ならば秘めた潜在能力というものは、本人でさえ一生知らずに死んでいくであろう人間が大半の世の中だ。だが、古の家職はそれを引き出す事に成功したごく稀な人間達である。親から子へ、というのが通例だが――例外もあり、生まれながらに潜在能力が強い子供には嫡子でなくても扉の開錠方法はひっそりと伝授される。ただ、一族の中でもそれぞれに方法が違い、他の一族に己の一族の方法を漏らす事も一族外へ漏らす事も禁忌とされている。


 そんな開錠師の一族は、もはや絶滅寸前ではあるが人里を離れた場所に居を構えて未だ細々と残っていた。


 開錠師の一族。

 依月が知るのは篝家、東雲家、城戸崎家の三つである。しかしこの三家も既に、当主と一部を残して他は散り散りになり、死去してしまっている者も多い。

 城戸崎家については完全に離散という形で終わりを迎えたが、開錠出来るのは現当主と残された小さな少女だけだ。篝家は隻弥一人、東雲家は八衣一人。絶滅寸前というのは、もはや火を見るより明らかな状態である。


 依月はある事情により、城戸崎一族の現当主――城戸崎凛也に誘拐されていた。そして、城戸崎一族最後の生き残りになるであろう凛々(りり)という少女と数日を共に過ごした。

 その間、篝家当主である隻弥が何をしていたかと言うと。


「隻弥さんが依月ちゃんの代わりに相模に誘拐された後……隻弥さんは防衛省の研究施設に送られたんだ」


 依月と同じく篝隻弥もまた、相模家元当主――相模一棋によって、誘拐されていた。


「そこで相模と取引をして、美奈子さんを助ける約束をしたんだ。それで、こういうことに」


 防衛省が感知した大きな力(禍根)というのは依月のものであった。

 依月を目当てに篝家を訪ねて来た相模だったが、土壇場で隻弥に敵わないと知るや依月を狙う振りをしてまんまと隻弥を誘拐する事に成功した。

 その後、依月の代わりに誘拐された隻弥は防衛省の研究施設に監禁されていたが、相模の抱えていた事情により取引が出来ると分かるや否や、依月の異変に気付いていたこともあってすぐさま脱出を図ることになった。


 美奈子というのは相模が幼少の頃より好意を抱いていた女性であり、相模家――九州奥地にある開錠師の一族――に花嫁を捧げている下働きの一族の女性であった。花嫁の美奈子が献上されたのは相模一棋ではなく、その兄の相模惇棋(さがみあつき)だった。しかし、惇棋は一棋に劣等感を抱き、当てつけのように美奈子を道具として扱っていた。その所業を許せず、兄を手にかけようとした一棋の前に――美奈子は身を乗り出して、一棋の犯行を決死の思いで阻止したのである。その結果、美奈子は深い眠りにつき治癒の術を持つ開錠師にしか治療出来ない身体となった。しかし、本当に必要だったのは治癒ではなく術の無効化であった。そこで救いの手を差し伸べた――否、差し伸べてやったのが、誘拐され監禁されていた、篝隻弥その人である。


「隻弥さんは美奈子さんを目覚めさせて、相模との取引を完遂した。まぁ、それで……」


 こういうことに。と、速水は相模を一瞥した。

 相模は依月に人懐こい笑みを浮かべて口角をつい、と上げる。


「美奈子を無断で連れ出しちゃったから国からはもう裏切ったと思われてるし、俺も美奈子も今更実家は頼れねえし、要するに――何処にも帰れねぇじゃん?」


 なぁ、と美奈子に相槌を求めるように一棋が振り向くと、美奈子は困ったように苦笑し静かに頷いた。


「行く宛が無いから隻弥の屋敷に住んでるってこと?」

「そういうこと。それにしても、こんな子だったんだなぁ。寝てる時は馬鹿そうな顔してたけど、喋ると案外馬鹿でも無さそうじゃん」

「……隻弥」

「あ?」

「この人、すごい、やだ」


 薄情そうな人を馬鹿にする顔はさることながら、雰囲気までもが軽々しくて信用できない。言葉に重みを感じない、簡単に人を裏切りそうなちゃらちゃらした男――それが、相模一棋という男の印象であった。


 美奈子は一棋が実は一途で恥ずかしがり屋で子供っぽいことを知っている。だが、そんなことを語ろうものなら一棋はへそを曲げて部屋から一ヶ月は出てこなくなってしまうだろう。


 見た目通りの性格ではない。

 対して、見た目通りの速水はそれはそれで依月にとって嫌な存在だ。


 最初は優しくしておいて、隻弥が依月の為に傷付いたと知るや、あっさり手のひらを返したように依月を突き放した最低な男である。周囲を取り巻く二人の男はどちらも最低で信用出来ない。さらに八衣も依月に殺意を抱き、実際に死ぬ寸前まで追い詰めた。美奈子という女性は物腰が柔らかく、穏やかそうな顔をしているが、今の依月は前の依月と違って頭が働くので観察眼もそれなりにある。


 ――他はどうでも良さそうな、態度。


 相模一棋以外はどうでも良さそうな、そんな態度に見える。見えるというだけでなく、実際にそう思っているのだろう。相模一棋だけが幸せであれば、その他はどうでも良い。そんな風に思っていそうだと依月は美奈子を考察していた。


「もう私には隻弥しかいない……」


 味方になってくれるのは、頼れるのは隻弥だけだ。


 依月は隻弥の背後に周り、その背に自身を隠したが――


「鬱陶しい。さっさと飯食え」


 ぽいっと服を掴んで前に出され、仕方なく依月は座っていた場所に戻った。

 座り直して、依月を見つめる視線たちをぐるっと見返す。


「隻弥が何も言わないなら私も言わない。家主は隻弥だし……でも、私にあんまり近付かないで」


 これ以上、心の平穏を乱してなるものか。


 悔しいので口には出さないが、依月は八衣に殺されそうになり速水に裏切られた事にかなり傷付いていた。禍根という大きなものを抱えてしまい、不安だった。その不安を解消してくれたのが、城戸崎凛也と城戸崎凛々だ。


 依月を拉致した城戸崎凛也ではあったが、理由を知ればそんな事は咎める気にもならなかった。凛々の為に、幼くして成長が止まってしまった小さな少女の為に、禍根というものに縋ったのだ。誰がそんな人を責められようか。――それに、決して依月の事を手酷く扱った訳ではない。意思を尊重し、優位な立場ながらに譲歩して、依月の取引を受け入れてくれた。今のところ、心から信じられるのは隻弥と凛也と凛々だけだ。この家では、隻弥の傍にしか依月の居場所は存在しない。そして、住人が増えたとなるともっと依月は息苦しくなる。


「おー……なーんか警戒されてんなぁ。俺ら」


 相模はきょとんと目を丸くして、警戒されるような事を少女にしたかと思い返す。だが、結局は未遂に終わり、しかも自分たちは国から追われる立場になってしまっているので、はっきりとした原因に思い当たる事が出来なかった。速水は苦笑し箸を置く。同じくして、八衣が俯いたのが見えた。


「……相模のせいじゃないですがね」

「なに、速水センセのせいなの?」

「そうですね。八衣にも原因があります」

「ふうん……なにしたの?」


 相模の問いに八衣の肩が跳ねる。


 未だ、隻弥は八衣を許してはいない。同じ食卓についている事が恐ろしく八衣の精神に負担をかけていた。責めもしない、許しもしない。隻弥は八衣を視界に入れることを完全に止めてしまっている。それがどれほど辛いことか、八衣は身を持って知った。その仕置きが、その罰の重さが、依月に対する隻弥の気持ちと言っても良かった。

 隻弥は口に出さないが、依月を大事に思っている。そのことに依月が気付いているかどうかは曖昧で分からないが、少なくとも相模と美奈子は安西依月という少女に対し篝隻弥が心を許していると踏んでいた。その為に。それが故に。決定権は少女にあると。


「な、依月ちゃん。嫌かも知れねえけど、暫くは置いてくんねえかな。偶然名前も同じだし?美奈子も家事は得意だし?」

「……ここは隻弥の家だから私にそういう事を聞かないで欲しいんだけど。家事は速水さんがしてくれてるし、私は元々やってない。だから、隻弥が良いって言うなら私は――」

「依月」

「うん?」


 隻弥が依月の名を短く呼ぶ。依月は顔をあげて、何事かと尋ね返す。


「窮屈か」


 ――こいつらが居るのは。



 そういう意味だと依月は理解して、考え込むように眉を寄せた。正直に言って、窮屈だ。とても嫌だ。凄く嫌だ。けれども、隻弥は大して苦には思っていないようで。


「あんまり関係ないから、いい」


 それならば、依月がどうこう言うべきではない。


 隻弥が良いと思うのであれば、逆らうような事はしない。どっちみち、隻弥にくっ付いて依月は書庫にばかり入り浸るのだ。心配なのは、禍根を制御出来ていない依月から漏れ出す禍根の影響だが、隻弥が傍に居る間は恐らく大丈夫なのだろう。


 依月の腕には新しく隻弥が作った数珠がぐるぐると嵌められていた。長い数珠を巻きつけているような状態なので、動くとじゃらりと音が鳴る。今回は付喪避けではなく、禍根を封じる為の数珠だが、流石に力が大きすぎて完璧に封じるとまではいかないので、漏れ出す力を抑える程度の無いよりかは良い位のものだ。それでも、隻弥が作っただけあって体感では結構な力が抑えられていると依月は思っている。このおかげで、依月は心配することなく日常生活が出来ているのだ。


 じゃら、と腕の数珠を鳴らして依月は飯茶碗と味噌汁茶碗を重ねる。食器と箸を流し台に置いて、依月は隻弥の隣に座った。隻弥が食事を終え立ち上がると、依月も同じように立ち上がる。


 その場から去っていく二人の背中は、よく似ていた。



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