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禍根の封印  作者: 尋道あさな
第二幕
44/71

【開錠】

 

 想像と違う。全く違う。

 依月は凛也の顔とそれを見比べて、恐る恐る口を開いた。


「……あの、凛也さん」

「ああ、どうかした?」

「これが、ミシン?」

「そうだね。ミシンだよ」


 想像していたミシンと言うものは、白くて自動で動くものだ。

 家庭科の授業で扱ったそれを依月は想像して、凛也にはちょっと似合わないと思っていた。だが、凛也が指し示すのはミシンと言う名の古い機械。鉄のような塊と木の板がくっついていて、片足で木の板の下のペダルを踏んで動かすものらしい。


「ちょっとなんか違うっぽいです」

「違う?何が違うんだ?」

「全部。全く違う!時代が!違う!」


 きょとんとした凛也に思わず声を荒げる依月。その傍らには凛々がにこにこと笑いながら立っている。


「イツキちゃん、リンさまとっても上手だよ」

「うん。これなら上手なのも分かる。こういうミシンだと思わなかったもん。っていうか、使い方が未知過ぎて」

「踏むだけだよ。難しい事はない」

「いやいやいや、難しいですから。自動じゃない、これ手動……手?足?」


 お馬鹿な依月に突っ込みを入れる人間はおらず、疑問は闇に葬られる。不思議そうな凛也と凛々に、複雑な顔をした依月の三人。


 もしも隻弥がこの場に居たなら、凛也の誘拐の選択に疑問を呈していただろう。何故、依月を選んでしまったのか。禍根を持つのは現状隻弥と依月だけで隻弥は拐われて留守だったのだから仕方がないとも言えるが、それにしても依月の知識は偏り過ぎていて間違っているところも多い。


 凛々にいろいろ教えてやってくれという凛也が提示した条件を満たすためにあれこれ格闘しているのだが、ミシンがあると聞いて簡単な巾着でも作ってみようとした依月だったが、あえなく撃沈する。巾着作りは無理。そう判断して二人に向き直る。


「まぁ、いっか。よし、凛々ちゃん、クッキー作ろっか」

「くっきー?」

「定番のお菓子!知らない人は居ないから覚えておいて損はないよ」

「おかし…!イツキちゃんだいすき!」


 和やかな雰囲気をぶち壊すように凛也はわざとらしく咳き込む。依月の、凛々のためと言いつつもちょっと修行をさぼりたいという目論見が分かったからだ。


「依月。きみはまだ半分も理解出来ていないんだよ。お菓子は午後からにして、午前中は庭に出なさい」

「りょ、了解しました……」


 痛いからやりたくない。とは言えない緊迫した状況だ。

 さりげなく誤魔化そうとしていた依月は、凛也の言葉に顔を引き攣らせながらも頷いた。


 ――しかし、午後になってもクッキーが作られる事はなく。


「凛也さん」

「何かな」

「オーブン買いましょうよお」

「かまどじゃ作れないのか……」

「そもそも、かまどの使い方を知らないんですけど」


 依月の想像を軽く越えた城戸崎家の調理場は見知らぬ調理器具が並び、武骨な姿を誇らしげに主張していた。


「オーブンって言うのは、これか」


 数分後。

 一体どこから手に入れて来たのか、色褪せたチラシを片手に凛也は依月に微笑んだ。

 掲載されているのは確かにオーブンだが、サイズが大きくボタンがない。ツマミを回して使うらしい。依月は微妙な顔をしながら広告をじっと見つめた。


「なんか違う……って、これ昭和って書いてある!」


 逆にもう広告にプレミアでも付いていそうだとドン引きしながら依月は溜め息を吐いた。




 夜の帳が下りて、凛々が眠りについた頃。

 隣の布団で横になっていた依月は、凛々を覆うすみれ色の透けた膜に小さく微笑みを洩らした。


 しっかりと守っている。こんなに小さな子供なのにも関わらず、凛々が持つ力は目映いほどに強かった。少しずつ、力がどんなものなのかを依月は身体で理解し始めている。ぼんやりと感じるのだ。目には見えない塊を、触れはしない源を。


「禍根がいるってちゃんとわかる」


 依月が呟いたその言葉に、もぞりと何かが動いた気がした。

 それは恐らく、依月の中で蠢いている禍根の返事。


「聞こえてるのに、扱わせてはくれないんだよね。……意地悪だ」


 思うようには扱えない。

 まだ依月は術と言えるものを一つも使えていなかった。制御ですら叶わない。禍根は力を与えてくれる。だが、使い方は教えない。


 簡単に言うならば、泳ぎ方を知らない依月をプールに投げるようなものだ。水はくれる。泳ぐ場所と泳ぐ体力はくれるのに、泳ぎ方は教えない。だから、依月は水の中で溺れて死んでしまうかも知れない。


 依月は溜め息をたっぷりと吐き出して、緩慢な動作で身体を起こす。



 その時、ゆらゆらとどこかで何かが動く気配がして。


「……なに?」


 布団から抜けた依月は襖を開けて左右を見渡した。


 左だ。

 そう気が付いて、左へと抜き足で進む。


 また、揺れた。

 ゆらゆら、何かが動いている。


 鼓動を早めながらも歩き、依月はその場所を探し当てた。


 襖の向こう側で、うめき声のようなものが聞こえてくる。

 嫌な予感をひしひしと感じ、それでも依月は襖を開けた。



「凛也さんッ!」


 蹲って苦しそうに息をする姿がそこにあった。



 ――嫌だ。


 行かないで。私を置いて、行かないで。


 咄嗟に蘇るはあの日のこと。


 全身を傷付けて、咆哮を上げた醜い姿が記憶の中で蘇る。


 隻弥――私を、差し置いて、一人ぼっちで苦しまないで。


 梵字も血も見えていない。それなのに依月は隻弥の様子を、あの日の記憶を呼び起こした。



「いや、嫌だ、死なないで」

「依月……?」


 駆け寄ってその背を抱き締めて、依月は必死に懇願する。


 ずるい。私を助けてばかりで、なに一つ返せないまま、死ぬなんて許せない。


 身体中が怒りと悔しさでいっぱいになる。腹立だしくて、許せなくて、どうにもならない感情が爆発しそうに湧き上がる。どうしていつも役に立たないのか、どうして何も出来ないのか。居るはずなのに、私の中に、確かに“いる”はずなのに。



「私はっ……」


 助けて貰うだけなんて、絶対に嫌だった。

 さわるなと速水を叱った隻弥を、あの時ひどく――いとしいと思った。


「何も出来ないなんてやだよ……っ」




 ――命令するから必ず聞いて。


 私を苦しめるだけの禍根ちからなら私には必要ない。

 聞き逃すのは許さない。 


 私の思いを、

 私の願いを、

 叶える為に禍根おまえがいる。


「聞いて!私の声も、願いも、聞いて。聞かないなら、死んでやる……!」


 宿主が禍根に願う。禍根はもぞりと蠢いた。



「禍根、開錠ッ、私は――」



 息が苦しい。

 呼吸が重たい。

 涙で前が見えないよ。


 隻弥にすごく会いたくて、隻弥の胸に飛び込みたくて、胸が張り裂けてしまそうだ。


「この人を、助けたい……!」




 ねぇ、隻弥。


 間違いだとは思ってないよ。

 私は力を使うことで、後悔なんてしていない。

 あの時も今もそう。


 私は隻弥を助けたいから、この苦しみとこの痛みと戦うって決めたんだ。




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