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禍根の封印  作者: 尋道あさな
第二幕
43/71

【兄】


 翌朝、一棋は敦棋の自室を訪ねた。

 潜在能力の乏しい敦棋は将来的に相模を支える役割として開花出来るよう、能力以外の指導を受けている。


 この日も、そのはずだった。


「やぁ、一棋。待ってたよ」


 しかし、部屋の上座に座する敦棋はまるで待っていたかのように微笑みながら一棋を迎えた。

 一棋が来る事を事前に分かっていたその態度で紡ぐ言葉は、不愉快な程にねっとりと染み付いてくる。


「流石に一棋は取り込めないよな。そうなるとは思っていたが、本当に役立たずな女だ」


 嘲笑うかの如く、あるいは一棋を挑発するかの如く。

 敦棋は目をぐにゃりと細めて可笑しそうに口元を三日月に変えた。


「結局、素直に言うことを聞いたのは最初だけだな。流石は一棋が見初めた女、使えないにも程がある」


 ――ご当主様が婚約の話をされてから、敦棋様はひどく激昂なされておいででした。迎えられて挨拶に向かうと、私を見てこう言いました。“お前が繋ぎか?”と。


「何処が良かったのか教えてくれ。あれには全く魅力を感じないんだよ。――父上はお前を家に繋ぎ止める為に、俺を使ってあの女を留まらせた」


 ――その日から、人の目のない所で敦棋様は私を蔑視するようになりました。けれども、それは私の不徳の致すところ、敦棋様のお気持ちも複雑だったと思うのです。


「一棋、お前が産まれてから俺は日陰者になった。悔しいよ、妬ましい。だが、それを受け入れられずして何が兄か。お前の成長は嬉しいものであったよ」


 ――ただ、敦棋様は楽し気に笑っていらっしゃいました。一棋様が初めて自分を疑ったと誇らしそうに、それでいてひどく落胆したように。


「だがお前、俺に間諜を向けたな?よりによってあの女の為に、お前は俺を疑い探ろうとしたな?あんな女のためだけに」


 ――敦棋様は一棋様の放った間諜を言葉巧みに撹乱しておいででした。力はなくともその話術は素晴らしいものだと思います。


「――だから、宛がってやったんだよ。お前が大切にしていたモノを」


 ――敦棋様は始終笑っておりました。事が済めば殺せ、と言いながら、とても嬉しそうに笑っておいでだったのです。私は敦棋様からの、命令を――断れなかった。


「前半はよく働いたが……後半は認めてやれないよ、美奈子」


 襖が開きその向こうから、一族所縁の男が姿を現した。肩に美奈子を担ぎ、乱暴にその身を投げる。


()顕現(けんげん)せず力を(つか)わす――解放せよ、朱黄(しゅこう)(あや)ッ!」


 美奈子の身体が畳につく寸前で、一棋は力を開錠する。


 橙の膜は美奈子を包み、そっと身体を畳に横たわらせた。


「これだから嫌いなんだよ。力に頼る事でしか己を示せない馬鹿な愚弟――お前が守ったその女はとっくに身を穢している」


 ――敦棋様はそれから私に幾度となく命じられました。従えば部屋から出る自由を、従わねば死を覚悟せよ。名を告げた者の……寝所に、


「既に何人に抱かれたか。もっとも、素直だったのは初めだけだがな」


 ――憎んではおりません。私の使命は子を産むこと。今でも、敦棋様は悪いお方ではないと思っております。


「昨晩は楽しめたんだろう?どうだった?好意を抱いた女に求められるのは」


 ――ただ、未練が胸をひどく締め付けて、何をしていても浮かぶのは……


「……黙れよ」


 ――浮かぶのは、一棋様のお顔でした。


「黙れ」


 ――敦棋様に命じられてここに来た事に変わりはありません。ですが、想いは別物。


 ゆらり。

 揺れるは怒り肩。

 熱に震え、噛み締めたのは微かに美奈子に触れた唇。


 ――お慕い申しております、一棋様。

 美奈子は明朝、全てを忘れて敦棋様の元へ行き道具になります。

 近くで貴方を見ていられるだけでも、生きている価値がある。

 ……今日だけは、今晩だけは、昔の私で一棋様と。


「ああ、そうだ……安心していい。俺は一切触れていないよ。穢らわしいものは嫌いなんだ」


 ――もう、綺麗な身体じゃないけど、それでも、一棋に触れたかった。嫌だって、言わないで。本当は分かってる。きたないって、わかってるよ……。


「間諜を誘え、と命じたらそいつはその通りにしたよ。おかげで簡単にお前の駒を消す事が出来た」


 ――お願い、一棋。


「……黙れって言ってんだよ」


 ――私を、抱いて。


「父上も直に気付く。まだ半数には満たないが俺を当主に薦める声が上がっている。献身的な美奈子のおかげで、な」


 ――きたないの。ずっと、とれないの。

 ――おねがい、きれいに、して。


 抱き締める事しか出来なかった。


 縋る美奈子は硝子のように美しく、無垢だった。


 道具として生きていく。そんな生き方は虚しいだけ。それでも美奈子は受け入れようと耐えに耐えてぎりぎりまで己を殺した。溢れ出した思いを告げ、これで感情を露にするのは最後にすると決めた美奈子を前にして、安易に抱けるはずもない。


 一棋は即座に決意した。

 美奈子を敦棋から解放して、二人で生きていく覚悟を決めた。

 その為に敦棋を訪ね、必要なら実力行使に出る事も考えていた。


 ――美奈子は俺の、大事なひとだ。


「折角だから、そのままお前に返してやろう。使い終わった後になるがな」


 ――美奈子は、俺の


「ああああああッ――!」


 誰が一棋を止められただろう。




 この時、敦棋は笑っていた。

 至極楽し気に歪んだ顔は一棋の燻っていた思いを直に刺激してみせた。


 向かう先は敦棋の心臓、向かわせたのは橙色。

 死ね、とありったけの憎しみを込めて放ったのは光の刃。


 静まる空気のなか、敦棋は笑った。


「……はははっ!お前、馬鹿だなぁ」


 庇うように前に出たのは他でもない、美奈子だった。




 意識不明の重大で美奈子は今も国の管理下で治療を受けている。相模一族の現当主、敦棋からの害を怖れて一棋は国に頼ることにした。美奈子に術で治療を施す為には、多額の金が必要になる。

 蛇の道は(へび)一棋と同様に一族から抜けた開錠師が国の上層部に数人いた。開錠師でなければ、開錠師の術は無効化出来ない。

 一棋は力を失った。頼れるのは他の開錠師、それも治癒に長けた人間でなければならない。

 既に一年半が過ぎている。残された時間はもう長くない。定期的に美奈子へ治癒の術を掛けて相模を飼い殺しにする上層部に、求められた金額を渡す為には大きな手柄をいくつもあげる必要があった。


「……大した話じゃねぇよ。予期せず俺の術を受けたのは殺意も何も抱いていなかった美奈子だったって話だ」


 純粋に愛していただけの相手に別の誰かへ向けた憎しみの刃が突き刺さる。

 そんな状況は作ろうとしても中々作れるようなものではなく。


「美奈子には恨みも憎しみも抱いちゃいなかった。――だから、俺は力を無くした」


 壮絶とも言える話を顔色一つ変えずに聞き終えた隻弥は、着せられていた簡素な服の裾を徐に掴んで脱いだ。


「相模、俺の着物を持って来い」

「……はぁ?」

「ここから出る」

「今の話、聞いてたか?俺は美奈子を」

「助けりゃ良いんだろうが」


 それは、なんて事のない、明らかな肯定だった。


「その女を俺が助けてやりゃ良いんだろ?お前はそれを期待して話した。違うか?」

「……いや、そうだけどな。そうなんだけどよ。――良いのか?」


 出せる物は何もない。

 美奈子を助けても隻弥に得はなく、開錠師は総じてプライドが高く他の一族に治癒の術を掛けることは、力の無駄にしかならない。


 “助けるはずがない”相模は開錠師として、当然の考えを抱いていた。しかし、隻弥は俗世に触れて長い。相模の驚愕も理解出来るが、治癒程度の疲れなら問題ないとも思っている。そして、中立だからこそ国に遣える相模を助けるという発想にも至れる。相模を飼い殺して利用するつもりもなく、力の浪費を厭うこともない。


 開錠師でありながら禍根を持つ隻弥にとって治癒は苦手ではあるが出来ないものでもない。それに、話を聞いた限りでは治癒というより無効化というものが必要な術だと感じる。それならば逆に得意かもしれない。そもそも、他の開錠師が二晩寝込むような大きな術も禍根のある隻弥になら十分程度の休息で済む。

 力の大きさ、意識の違い、全てが上手く噛み合って、相模と隻弥の取引は成立する。


「良いも何も、その程度の話で拐われたんじゃ割に合わねぇ」

「何だと?」


 隻弥の雑な物言いに相模の眉がぴくりと動いた。


 それも、一瞬のこと。


 隻弥の瞳は相模を射抜き凍り付かせる程に冷たい。


「本当に何も知らねぇのか。禍根がどれだけ強大で、扱いが難しいかを」

「……」

「テメェが本来の目的にしてた女はな、俺でも手に負えねぇくらいの危うい女だ。アイツはただのガキじゃねぇんだよ」

「禍根があるから、か?」

「禍根ってのは(みなもと)だ。憎しみ、恨み、人間の負が集まって、扱い方を間違えたらどんな災禍も引き起こす」


 認識が違い過ぎる。

 禍根を安易に考えているのは禍根を知らない人間だからだ。


 隻弥は忠告するように相模にそれらを言って聞かせる。


「治癒と災禍、どっちが面倒かは分かんだろ?治す方が何千倍も簡単だ」


 ――まぁ俺は得意ではねぇけどな。そんなことは言わず、隻弥は軽く流した。


 脳裏に思い描くは拙い笑顔。幼い依月が隻弥に施した治癒の術は未知の可能性を秘めていた。あいつなら恐らくもっと簡単に出来るだろう。新しく作られた開錠の力はひどく危険で魅力的だ。相模にそれを明かすつもりはないが、心の中だけで隻弥はそう思った。


「着物を持って来い。助けてやるよ」


 依月を探さなければならない。

 己の禍根が疼き出す前に、手元に置かなければ何が起こるか分からない。


「――面倒臭ぇ」


 分け与えた禍根が共鳴する前に、依月を傍に置かなければ。



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