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禍根の封印  作者: 尋道あさな
第二幕
41/71

【交渉】

 

「おー、おはよう。なっかなか起きねぇからそろそろヤバいかなと思ってたところ」


 うっすらと目を開けた隻弥は上から覗き込んで来る相模の顔面を、思わず鷲掴みにしていた。指先に力を入れると自然に禍根が味方をする。そういう風に慣らされていた。身体強化を無意識に行える程、禍根が隻弥に馴染んでいる。もう数年の付き合いになるか、と状況に似つかわしくなくしみじみと隻弥は実感していた。


 起き抜けから耳鳴りは激しく、手足には痺れがある。それでもまだ目覚めで感覚が鈍いのか、痛みはいつもの半分以下だ。徐々にじわりと広がる痛みは膝と肩まで到達している。電流が流れているような突く痛み、皮膚を焼かれているような熱い痛み、ぎりぎりと締め付けられているような痛み。


 尋常でないそれらにもはや慣れてしまっている隻弥は、無表情で身体を起こした。


「おーい、離してくんねぇ?篝家当主」


 隻弥が相模の顔に体重を掛けてバランスを取り上半身を起こしたせいで、相模は得も言われぬ不細工な声を上げて顔だけを揺らされていた。


「依月は?」

「ああ、俺?すげー元気、ピンピンしてるから心配いらな……っ」


 つまらない冗談を返された隻弥は指先に更に力を込め、常人の三倍程度はある握力で相模の顔面を圧迫する。


「いってぇッ!クソッ、離せ!」

「依月は」

「知らねぇよ!途中からアンタ狙いに変えてあの子は屋敷に置いてきた!」

「嘘吐け。屋敷に依月の気配がねぇ」

「はぁ!?んな事までわかんのかよ……!とりあえず離せ!本当に知らねぇから!」


 ぎゃあぎゃあと喚く相模から手を離し、隻弥は繋がれた点滴を抜いた。


 ぷくり、と赤い血の丸粒が針を刺していた場所に出来る。しかし、隻弥が一瞥した後に小さな傷はいとも簡単に塞がった。


「髪、すげーな。見てて楽しい位に染まって行くからよ」

「……」


 視界の端に写った隻弥の前髪は、赤錆と言うよりも暗い朱色に近くなっている。


 眠っている間に何らかの形で禍根が動いたと言うことだ。じろりと目付きの悪い目を向け隻弥は相模を睨み付ける。


「お前、何しやがった」

「怖い顔すんなよ、大したことはしてねぇからさ」

「……禍根が勝手に働いてやがる。した内容によっちゃあ、すぐに被害者が出るだろうなァ」

「――は?マジ?」


 隻弥の意図せぬ形で禍根が発動したとなれば、隻弥にはどうこう出来なくなる恐れがある。しかも、色の変わり方が可笑しい。尋常でないスピードで隻弥の髪が赤く染まってしまっている。


「何やったかは知らねェけどな、助ける義理はねぇぞ」


 突き放した隻弥の言い方は、嘘を言っているようには見えない。そもそも、現在の禍根について詳細を知っているのは、保持する隻弥と隻弥の為にあの手この手で様々な事を試した八衣の祖父くらいなものだった。


 相模は何も聞いていない。防衛省のWM、ワーストモード特殊機関での情報には禍根について詳しく書かれていなかった。だからこそ価値があると相模は確信して隻弥を連れて帰ることにした。


「例えば、髪とか血とか抜いたりしたらどうなるんだよ」

「さぁな」


 すっぱり切り捨て、あまつさえ隻弥は寝かされていた固い寝台に再び転がり目を閉じた。

 完全に放り投げられた相模の内心に焦りが生じる。


「お、おい……」

「……」

「篝家当主!」

「……」

「依月って子がどうなっても良いのかよ」

「お前は馬鹿か」


 ついさっき依月を屋敷に置いてきたと言った相模が今度は依月を引き合いに出す。


 気配は屋敷にない。が、相模が嘘を吐いていると判断するにしては早計だ。


「……実はあの子も連れてきてる。取引しようと思って黙ってたけどな」


 相模は余裕ありげな顔をして口から出任せを吐く。流暢に話している辺り、完全に取り繕えてはいない。目敏く相模の動揺を肌で感じ取った隻弥は、敢えて無視を貫いた。


「良いのか?あの子がどうなっても」

「好きにしろ。約束を先に破ったのはお前だろうが」


 隻弥自身、相模の行動を読みきれなかった己に呆れはあれど、十中八九悪いのは約束を破り隻弥を拐った相模である。破棄された口約束がある以上、他に応じるつもりはなかった。


 依月がもしも命を落としたとしたら隻弥も死んでいるはずだ。そういう仕組みになっている。そのお蔭で隻弥は依月が死んでいないと知っていた。


「俺が約束の話を教えたら、抜いた禍根がどんな影響を及ぼすか教えてくれんの?」

「さぁな」


 短い返答に相模の心が揺れる。が、まずは上の判断を仰ぐ事が先決だ。それは分かっている。重々承知している。――しかし、今の話を報告して咎められる可能性は非常に高い。


 相模が自身で解決出来る話なら、報告はその後にするべきだ。無駄に説教されるのも処分を受けるのも好ましくない。


 ――美奈子。


 過った顔に、相模は歯軋りをする。こんな所で駄目になる訳にはいかない。


「教えて、やるよ。力を無くす方法を」

「……」

「相模にしか伝わってない。奴等は他人に知られるのが特に嫌らしい」

「……」

「篝家当主、お前……」


 ――大切な人間が居るか。


 相模の声音は低く、まるで恨んでいるような口調だった。



 相模一族に代々伝わる“力を無に返す方法”は“禁忌”として教えられていた。

 やってはいけないことだからこそ、ずっと秘匿とされていたのである。


 親近者及び、胸中で強く大切に思っている者。

 それが鍵となり力を左右していた。


 愛しく思い慈しみを抱いている相手――恨みや憎しみの全く含まれていない純粋な愛情を持ってしてのみ、力の消滅が許される。


 かつて開錠師は九十九に慈しみを持ち、昇天の力を神から授けられたと言う。

 憐れみと慈しみ、人間ではない九十九に対して温かい感情を持った人間が、最初の開錠師だと言い伝えられていた。


 相模一族は開錠師の一族の中でも歴史が古く、それだけ昔の書物も多く存在する。

 相模は貴重な書物をいくつか持ち出したことにより、優位な立場で国に迎えられた。多少の勝手な行動も不真面目な態度も見逃される。ただ、一点だけ――上からの指示に必ず従い成果を上げる事を強制されていた。


 どうしても失敗する訳にはいかない。

 相模が一族を裏切ったのは一人の女の為だった。


「この部屋には盗聴器も監視カメラも仕掛けられてねぇ。速水センセが色々やろうとしてたみたいだけどなぁ」


 橙色に変色した襟足を触り、相模は椅子に座り直す。


「大事なヤツ。それも、憎しみや恨みの一切ない大事な人間。そいつを殺せば良い」

「……殺したのか」

「方法は言っただろ?それに答える義務はねぇ。ほら、話せ。俺はちゃんと教えたからな」

「俺は頷いたか?」


 こきり、と首を回して骨を鳴らした隻弥は挑発するように笑みを浮かべる。相模は目を見開いて、隻弥の得意気な顔を凝視した。


「しょうがねぇからもう一回だけ聞いてやるよ。俺は、お前の、持ち掛けた話に、一度でも、頷いたか?」


 わざと言葉を区切りながら問い掛けて、隻弥は悠々と寝台の上で胡座を掻く。


「聞いてやっても良いけどなァ、お前の抱える事情とやらを」


 相模の背景にある過去と今を紐解かなければ隻弥は逃げ出す事が出来なかった。


 セキュリティの厳しさと国が持つ対禍根への知識の量がどれ程か分からないせいで、動こうにも不安が残る。賭けに出るにしても、まずは最低限の情報を手に入れる必要があった。それには相模の協力が不可欠。そして、協力を仰ぐのであれば相模からそれを持ち掛けさせる。そうでなければ必ず、裏切りが生じるからだ。


 偉そうな隻弥の物言いに相模は苛立ちを露にする。


「なにをふざけたこと……!」

「だから、“聞いてやる”って言ってんだよ。話したいんだろうが。ああ?」


 高圧的に、優位に立ち、隻弥は相模に探りを入れる。言外に、お前が話せば俺も色々と話してやるというニュアンスを含めて。


「お前が国に従ってる理由は何だ?」

「……お、教えると思ってんのかよ」


 まず、一つ目。

 隠したつもりで居ても相模は隠せていない。理由を教えたくないのはそれが隠したいことの一つだからだ。


 隻弥の瞳の虹彩が動いた。


「誰の為に必死になってんだ?」

「篝家当主には関係ねぇだろ」


 二つ目。

 誰の為に、を否定しない。問い掛けに疑問を抱かない。先程よりも苛立ちが増している。


 ――つまり、誰かの為に動いている。


「力が無くなってさぞかし後悔してんだろうなァ」


 三つ目。

 拳を握り締めた。唇を噛む相模の表情はわかりやすい。目を細めた隻弥は呆れたように溜め息を吐き出す。


「相模……腹芸には向いてねぇな」

「うるせぇな!」


 重ねた年月の違いか、隻弥にとって相模は非常に扱いやすい人間だった。隻弥の足を引っ張る速水が居なければ、みすみす誘拐などという事にはならなかっただろう。一対一で対峙して、初めて相模は隻弥の手強さを実感した。速水があの場に居なければ、相模はきっと追い返されていただろう。


「……別に、大したことねぇ理由だし」

「しょうがねぇから聞いてやるよ」

「なんでそんなに偉そうなんだよ……」

「お前より年上だからなァ」


 緋の色の増した前髪を掻きあげて、隻弥は気怠げに腕を組んだ。相模は視線を落として、息を吸い込む。吸い込んだ息を吐き出して、意を決したように相模は隻弥へ真っ直ぐな瞳を向けた。


「なぁ、篝家当主」

「何だ?」

「依月って子は、アンタにとってどんな存在だ」

「……」

「まぁ……答えたくねぇならそれでも良いや。俺が聞きたいのは、大事な奴が居るかってこと」

「回りくどい」

「もしアンタに大事な奴が居ないなら、俺の話は到底理解出来ないだろうな」


 相模は知らない。隻弥の過去も想い人も。知らないからこそ、問い掛けた。


 恐らく自分の背景を話せば、篝隻弥は何らかのアクションを起こすだろうと気が付いている。それが相模にとってプラスに働くかマイナスに働くかは分からない。ただ、隠し通したとしてもどうにかなる話ではなかった。いっそのこと話してしまえば、好転するかもしれない。


 ――期待を孕む相模の目に隻弥が気付いていない訳もなく、隻弥は何を考えているか分からない冷めた表情で相模を一瞥した。


「俺が次期当主になれたのは、上の出来が悪かったからだ。そうでもねぇと、こんな奴当主に据えたりしないだろうしな」


 相模は自嘲めいた笑みを浮かべる。


「兄貴は力が弱かった。いつもヘラヘラして一族の奴らに頭下げて、媚売る事しか出来ない能無しだ」


 実の兄に対してやけに辛辣な評価を下し、憎々しげに拳を握る相模。


「長く続く一族には、定番の婚約者ってのが居る訳だ。篝家がどうかは知らないが、相模には決まった家がある」

「その習わしには吐き気がする」

「やっぱりどこもあるのか。……っつうか、それはまぁ置いといて」


 話がそれたとばかりに頬を掻いた相模は一度浅く息を吐く。


「その婚約者っていうのが、俺の片想いしてた女だったんだよな。よりによってクソみてぇな兄貴の、な」


 要するに、嫉妬だった。

 最初は紛れもなくただの嫉妬で、その婚姻が相模は気に食わなかった。


 ――だが、もしもそれだけなら、相模が行動を起こす事はなかっただろう。


「よくある話だ。何も出来ないはずの駄目な兄貴が、裏では色々と企んでた」


 蘇る記憶は、とても淡く痛々しい。


「好きな女が泣きながら、許嫁がいるのに俺に抱いてくれって頼むんだよ」


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