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禍根の封印  作者: 尋道あさな
第二幕
40/71

【少女の夢】

 

 隻弥は何も知らないまま、眠りの中で過去をさ迷っている――。



 庭先に椅子を出して休んでいた優花へ、隻弥は足音を立てて駆け寄った。


「優花っ!」

「おかえり、せきや」

「お前、体調は?」

「へいきだよ」


 道端に咲く小さな花のような笑顔。

 幼く小柄な優花の頭を撫でて、隻弥は椅子の肘置きに座る。


「きょうはなにかあった?」

「指導役のあいつに叩かれた」


 優花の首に腕を回し、隻弥は自身の額を優花の額へとくっつけた。

 こつん、と軽くぶつかった衝撃に優花は目を細めて笑う。


「どうしてたたかれたの?」

「……居眠りしてたからだろーな」


 居心地が悪そうに白状した隻弥は大きく溜め息を吐き出した。


 優花が次になにを言うか、粗方想像はついている。


「じゃあせきやがわるい。あやまらなきゃいけないでしょ」


 真っ直ぐな優花の瞳に隻弥はたじろぐ。


 間違いなく正論だからだ。優花は間違った事を言わない。

 正義感が強く、いつでも偽りのない正論を紡ぐ。


「分かってる。明日は寝たりしねェし」

「うん、わたしも分かってる。せきやはしゅぎょうでつかれてるって」


 上辺だけではなく、隻弥の気持ちや事情をちゃんと理解している優花の隣は隻弥にとって何よりも居心地が良かった。


「……なァ、優花」

「なぁに?」

「俺が、絶対戻してやる。優花と一緒に生きていけるように、俺が――」

「せきや」


 その声は、柔らかくて愛らしい。優花は至極穏やかに隻弥の名前を呼んだ。


「ありがとう。でも、だいじょうぶ。せきやにむりはさせたくないの」


 強い光を放つ瞳に、隻弥は何も言えなくなる。



 篝優花――本来なら隻弥の二つ年下だが、八歳で身体の成長が止まってしまった少女だった。



 優花は孤児だった。

 母親は優花を産んだ際に命を落とし、父親は八歳から成長しない優花を恐れて病院に連れていった。検査結果では至って異常無しと判断され、気味の悪さから施設に預けることも父親は考えていた。しかし、篝家の遠縁が大学病院で働いていた事が幸いして、優花は施設に預けられる事なく密やかに篝一族に引き取られた。


 入院中、篝家の人間は何度も優花の元に通った。入念に力の性質も調べたが、間違いなく開錠師に通ずる――素質があり、少し刺激すれば目覚めることも難しくないほどに大きな力を持っていると判断されて、優花は篝家に迎えられる事となる。


 当時、優花は15歳。

 隻弥と同い年だった。

 名前の通り、優花は花が咲くように優しく笑う少女だった。


 初めは戸惑いから優花を避け続けていた隻弥だが、何度冷たくされてもにこやかに寄ってくる優花に次第に絆されて行くことになる。



 月明かり眩しい夜。

 自主的な修行を終えた隻弥は、家族が寝静まり静かになった屋敷を、気配を殺して歩いていた。


 ――やり方が合わない。


 教えて貰っている身分で偉そうな事は言えないが、厳しくされるより自主的にやれと言われる方がやる気が出ると隻弥は常々思っていた。指導は一族でも博識な叔父がしてくれている。しかし、隻弥は熱血漢な叔父よりも祖父の放任主義を好んでいた。


 手拭いを肩に掛け浴場へ向かう途中で、使用頻度の低いはなれの縁側に――小さな気配を察知した。


 侵入者かと一瞬訝しんだものの、すぐに誰の気配か思い当たる。知らん顔で通り過ぎようかとも思ったが、流石に時刻は真夜中。素通りせずに近付けば、そこには優花が膝を抱えて座っていた。


 ハッとして顔を上げると優花は涙に濡れた瞳を歪め照れ臭そうに隻弥に笑う。


「……ひみつにして、せきや」


 いつもにこにこと笑っていて周囲に迷惑を掛けまいとしていた優花が泣いている。


 予期せず目撃した隻弥は、少なからず驚いた。恥ずかしそうに目を擦り、優花は隻弥にぱっと微笑む。無理に作ったぎこちない笑顔。


 それを見た瞬間、隻弥の胸が痛いほどに締め付けられた。

 夜中なんて事も構わず、怒鳴るような大声で叱る。


「泣くな!そんな顔して、泣くな……!」


 派手すぎない控えめな花。優花は正に小さく可憐な花そのもののようだった。誰にも弱味を見せず、無駄に我慢強い。


 優花が来てから一年目、一年も経ってから、この日“初めて”隻弥は優花の涙を見た。



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