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禍根の封印  作者: 尋道あさな
第二幕
35/71

【城戸崎一族】

 

 城戸崎一族は古の家職の中でも、一際閉鎖的な一族だった。

 親近者での婚姻を繰り返し、純血を重んじる。

 ごく限られた人数で組織されていた、秘匿の一族である。


 開錠師は術を秘匿とするものだ。その習慣は中々破られる事はない。しかし、城戸崎一族は他の家職とは一切の関係を断ち、一族のみで生きているようなものだった。


 親近婚を繰り返したせいで、疾患を持ち早死にする子供は増え続けた。また、一族内での親近婚に対する嫌悪感は徐々に酷くなり、一族を捨てて逃亡する人間も増加するばかり。

 次第に少なくなる人数に一族の存亡を危惧した人間が、いくら他の一族との親交を進言しても、当主は頑なに首を縦に振らなかった。


 その当主も十年前に寿命を迎え、現在の当主となった男こそ城戸崎凛也その人だ。


 凛也は当主のひい孫であり、両親と祖母は短命で早くから凛也の傍には居なかった。

 凛也の両親は、凛也を授かるのが遅過ぎたのである。

 高齢出産に凛也の母親は耐えられず凛也が産まれたと同時に死亡し、父親は後を追うかの如く眠るようにして亡くなった。


 凛也を育てたのは実質祖父で、祖父の死亡と同時に一族は離散を決めた。

 幼い凛々は産まれてすぐに覚醒し、赤ん坊ながら実の両親を死に追いやった。

 忌み子と呼ばれた凛々を一族の大人は捨て置き、屋敷に残されたのは齢十七の凛也と産まれたばかりの凛々だけ。


 それから、十年。

 凛也と凛々は現在も、たった二人で暮らしている。


 凛也が漁った祖父の文献の中に、禍根についての記述があった。

 その文献を凛也が探し当てたのは五年前。

 五年間、ずっと凛也は禍根について調べて回った。


 いわく、禍根は強大な力を持つ。

 いわく、禍根は他者を不幸にする。

 いわく、禍根は“他者の力を吸収する”


 三つ目の事項を読んだとき、凛也は菫色の髪をした凛々の事が即座に浮かんだ。


 幼いながらも覚醒してしまい、力を持て余した可哀想な凛々。


 はとこに当たる少女の為に、唯一残った身内の為に、凛也は禍根について更に調べて回る事になる。


 他の一族との関わりを持たなかった城戸崎一族に、禍根の情報は僅かしかない。散々探し回った挙げ句、見つけたのは禍根の特徴といくつかの情報だけ。


 禍々しい程の気配。開錠師にだけ分かる、付喪の独特の気配こそが凛也にとっては手掛かりだった。


 探し当てるのには時間を要し、ようやく見つけたのは半月前。

 城戸崎一族にだけ伝わる、気配察知の上位術。

 その術を駆使して辿り着き、機会を窺っていたその矢先に――隻弥の屋敷で騒動が起きた。


 かくして、探し当てた本来の禍根持ちである隻弥は連れ去られ、偶然にも残された依月もまた幸運なことに禍根持ちだったという顛末だ。



 凛也の術により痛覚を一時的に無くした依月は、凛々が淹れたお茶を飲みながら呆然と話を聞いていた。ちゃっかりお茶菓子に手を伸ばしている辺り、本気で呆然としているかどうかは些か疑問である。

 が、表情だけは驚きに固まっている。


「つまり……」


 ごく、と依月は唾を飲み込む。


「私は城戸崎さんに誘拐された……みたいな?」


 神妙な顔で問い掛ける依月はどこか間抜けに見えて、凛也は顔を引き攣らせながら浅く一度頷いた。


 予想とは違い、随分と明るい少女である。

 禍根を持つ者としては快活過ぎると行っても良い。


「でも、隻弥は生きてるんだよね?あっ、そうか。隻弥も誘拐されてるんだっけ」


 難しい顔をした依月の隣に、ニコニコと笑って座る凛々。

 凛々の表情に気が付いた依月は頭を撫でようと手を伸ばし――寸前で手を止めた。


「ごめん。うっかりしてた……触っちゃいけないんだよね」


 寂しそうな依月の表情を見て、凛々はきょとんと首を傾げる。


「リンさま。お姉ちゃん、凛々に触っちゃいけないの?」

「……凛々、バリアをしてごらん」

「バリアー!」


 バッと両手を広げた凛々の身体に、菫色の光が宿る。

 次第に凛々の身体を縁取り、すぅっと消えたその淡い光に依月は目を丸くした。


「えっ」

「リンさま、バリアしたら触っていい?」

「ちょ、えっ、なに今の!すごいきれい……!凛々ちゃん凄い!」


 きらきらと淡い菫の光を纏って見せた凛々に、依月はきゅんと胸をときめかせた。


 まるで、朝の戦うヒロインの変身に近い綺麗な光。

 女の子なら一度くらいは憧れるそれに、目を輝かせて凛也を見る。


「凄い!何でこんなことが出来るの?」

「凛々は小さい頃に覚醒したから、身を守る術だけは達者でね……」


 凛也の口調はどこか苦々しい。

 その理由が分からない依月と凛々は首を傾げるばかりだった。



 凛々の覚醒は産まれてすぐ。

 当然、両親を死に至らしめた事は本人には伝えていない。


 凛々の両親は“事故で空に行った”と凛也は凛々に告げていた。


 当時、凛々の為にと凛也が近場で購入した少女向けの雑誌に書いてあった魔法――「バリア」で開錠の言葉自体が固定されてしまい、凛々は他の術を使う事が困難になっている。


 凛々にとっての開錠は“身を守ること”とイコールになっており、開錠の言葉が能力を解放する為のものだと未だに理解が出来ていない。


 つまりは凛々の強大な潜在能力は防御にしか使えず、攻撃や細かい術の類いは一切使えない。

 身体の回りにバリア――結界を張るだけしか、今の凛々には出来ないのである。


 本来、能力を引き出す開錠の言葉が「バリア」になってしまっているせいで、それだけにしか使えない。いつか凛々が成長し、理解出来るようになればと最初は凛也も思っていた、が。



「力が大きすぎて、成長が止まってしまったんだよ、凛々は」


 意味を理解した依月だけが、表情をがらりと変えた。


「篝家当主も、そうだろう?彼も止まってしまっている」


 凛也の発した言葉を、依月はゆっくりと受け入れる。


 隻弥の成長が止まっている。

 言われてみれば、思い当たる節はあった。


 不思議なことに、凛也の話した事が事実だと依月は分かった。

 それ所かすとん、と胸に落ちたような気さえする。


「話し方が、荒っぽくて……」

「篝家当主が?」

「うん。それだけじゃない。速水さん……って人が居るんだけど、その人と並んだら隻弥の方が若く見えてた」

「その人は篝家当主と同じ歳なのかい?」

「分からない。でも、隻弥は……」


 まるで――


「ちょっと待って!」


 心臓が早鐘を打つ。


 依月の脳裏にフラッシュバックする記憶。



 ――……何歳?

 ――さぁな。


 あのとき。

 隻弥は、はぐらかした?


 ――速水さん、隻弥は何歳?

 ――お、いつの間にか呼び捨てになってる。


 速水も、答えなかった?


 依月は言った。

 自身でも言っていた。


 ――何でかな。隻弥は“隻弥”って感じがする。速水さんは“速水さん”なのに。


 確かに、そう言ったのだ。


「禍根のせいだけじゃ、なかった……?」


 親近感は確かにあった。速水はそれが禍根の影響だと言った。

 けれども、それだけじゃなかったとしたら。本当に歳が近いとしたら。


「速水さんは隻弥にずっと敬語を使ってるよね…?」


 自身に問い掛ける依月を見て、凛也と凛々は不思議そうな顔をしていた。

 それに構わず、依月は思い出そうとする。


 速水の年齢は二十六、少なくとも隻弥はそれ以上と言うことだ。


「二十六より、上……」


 改めて考えてみたら、明らかに可笑しかった。

 気が付かなかった自分が鈍感に思えてくる程だ。

 依月は最初の頃を振り返りながら、ゆっくりと顔を上げる。


「やっぱり、止まってるんだ。隻弥の成長も、止まって……っ」


 じわり、じわりと、見えなかった真実が依月の身体に染み込んだ。


 成長が止まった隻弥、痛みに耐え続ける隻弥、依月を守ろうとしてくれた、たった一人の味方である、篝隻弥と言う男。



 不憫だった。

 可哀想で、切なくて、とても――


「せきや……」


 痛々しくて愛おしい。



 いじらしいと初めて思った。

 依月は胸を締め付けるこの想いが、いじらしいと言う気持ちなのだとこの時初めて知る事になる。


 知らなかった。

 依月は禍根があんなにも痛いことを、全く知らなかったのである。


 隻弥は何でもない顔で、いつでも依月に救いの手を伸ばしていた。

 身体中に傷を付けて、それでも無愛想な顔のまま。


 速水も八衣も依月に優しくはなかった。

 禍根を持ったあの日から、速水は態度を変えて依月を責めた。


 隻弥だけが最初から変わらないまま、面倒そうに、それでも最後には必ず優しくしてくれた。



 いま、初めて。

 依月は自覚する。


 禍根なんて関係ない。

 親近感なんて関係ない。

 隻弥はいつだって依月に手を差し伸べて、助ける道を結局選んだ。


「会いたい、隻弥に、会いたい……」


 泣きじゃくる依月に、凛々の瞳が不安そうに揺れ動く。


「お姉ちゃん……」


 凛々が伸ばした手に、淡い菫色が宿る。

 依月の身体に触れた事で、凛々を守る力が発動していた。


 薄い菫の膜を宿した小さな手のひらが、依月の頭を数回撫でる。


「リンさま、お姉ちゃんが泣いてる」

「……ああ。彼女は帰りたいと」

「お姉ちゃん……もう、かえっちゃうの?」


 凛々まで泣き出しそうな顔をして、凛也をおどおどと見つめ始めた。凛也は内心で溜め息を吐き、眼差しを依月に向けた。


「少しで良いから、付き合って欲しい。まずは――名前を教えてくれないか?」


 穏やかな声で凛也は紡ぐ。


 凛也には依月を、懐柔しなければならない理由がある。

 凛々の為に、自分の為に。

 このまま依月に帰られたら、拉致した意味が全くない。


 焦燥感を隠しながら愛想よく笑い掛ける凛也に、依月は視線はおろか意識さえも向けなかった。


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